2014年09月21日

神仏は妄想である。498

ナーガルジュナの思想、空の思想に入る。

その前に、再度、言う。
仏教は、云々という言い方は、間違いである。
仏教というものを、一括りにすることは、出来ない。

上座部仏教も、大乗仏教も、様々な、教え、つまり思想がある。
経量部、中観派、唯識派・・・
更に、細かく分かれて・・・
それを、仏教という、一括りで話す人は、仏教というものを知らない。

そして、もし、それらをすべて、仏教の教義であると、言うならば、狂っている。
更に、仏教というものは、滅茶苦茶な教義となるのである。

仏教は・・・
どこの仏教の話なのか・・・
それが、問題だ。

仏陀の権威というものを盾にして、様々な、思想家たちが、争う、仏教というもの。
本当は、得たいが知れない。

更に、インドでは、言い合い、論争によって、決着をつけるという、状態である。
正しいものは、論争に負けないとする。

それならば、言い合いする者の、どちらかが、弁舌巧みであれば、通るのである。
本当は、そんなものに、付き合っていられないが・・・

これも、死ぬまでの、暇つぶしである。

仏教、あるいは、宗教学者とは、それで、食っているのである。
それが、生活の糧である。
だから、馬鹿馬鹿しい、教えの数々を説いて、平然として、蒔くことも、刈ることも、捕ることもせず、のうのうとして、生活している。

勿論、思想とは、世界を動かす原動力である。
言葉が出来てからは、言葉による、言葉の実践が重大になった。
思想は、人を生かし、国や民族を生かすものである。

だが、半面、その思想により、とてつもない、暴力や、弾圧も生まれた。
取り扱いに注意するもの、それが、思想である。
そして、宗教も、同じく。

取り扱いを誤ると、とんでもない、怪物になってしまうのである。

更に、仏陀は、人間であった。
それは、仏陀を拝むことではないということ。

そのうちに、永遠の仏陀、如来、等々、神のように、祀り拝むようになるという、愚劣である。
人間が、唯一、拝んでよいものは、自然である。

ナーガルジュナの思想・・・
多くの学者、東洋、西洋を問わず、混乱させられた。
そして、更に、その解釈である。

人間とは、本当に暇なものであると、思う。

彼の著書の主たるものは、「中論」である。
それは、般若経という経典の、神秘家が見出した、最高の真実の上に立ち、区別の哲学を批判するものである。

と、これだけで、ぎょっと、する。
神秘家の見出したもの・・・
実に曲者である。
神秘家に東西を問わず、ロクな者がいないのが、常識である。

さて、般若経は、宗教的要素、心理的要素、文学的要素が含まれ、理論的な表現の足りなさ、曖昧さを補う助けになっていたという、仰天の経典である。

それに対して、ナーガルジュナの「中論」は、神秘化、不明瞭さを避けた。
純粋に、理知的な批判の書である。

専門家は、言う。
そこに十分に書かれていない彼の神秘主義を再構成することは、たいへんにむずかしく、あぶない仕事となってくる。
らしい・・・

十分に書かれていない・・・
それは、書けなかったのだろうとは、言わない。

私なら、書ききれなかったと、言う。
更に、書けるほど、解っていなかったのかもしれない。
更に、本当は、屁理屈の極みだった。

さて、専門家の手引きで、中論、第十八章の、自我の研究という第十八章、自我と対象の研究という第十八章、などと、呼ばれる箇所を見る。

詩じゆ(公に頁)である。
この章は自我の問題の考察から始まっているが、空の問題、ものの本性の問題、真実の提議・縁起の問題・真理の永遠性などに議論は展開していて、中観哲学の基本的な立場をよく反映している。
専門家

それでは、ルージュの書いたもの・・・

もし自我が身心の諸要素と同一であるならば、それは生滅するものとなろう。身心の諸要素と別ならば、それらの要素の特徴のないものとなろう。一
自我がないときに、どうして自己の所有があろであろうか。自我と自己の所有の消滅によって、ひとは自我意識もなく、所有意識もない者となる。二
自我意識、所有意識を離れた人もまた存在しない。自我意識や所有意識を離れた人がいると見る者は(事実)を見ない。三
内と外に、「われ」もなく「わがもの」もなければ、執着は滅し、この消滅によって再生も尽きる。四

この言葉については、日本語にしてあるが、本来の言葉から、理解する、手引きが必要で、専門家は、それを主にする。

ただ単に、上記を読むと、矛盾であり、屁理屈である。
自我意識、所有意識を離れた人もまた存在しない・・・
もし時下が身心の諸要素と同一なら、生滅する。別なら、それらの要素の特徴のないもの。
自我がないのは、自己がない。
自我と自己の所有の消滅により、それぞれの意識のない者となる。
ところが、そんな人はいないと、なる。

笑う。



posted by 天山 at 05:47| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。