2014年09月15日

もののあわれについて700

山際よりさし出づる日の、はなやかなるにさしあひ、目も輝く心地する御様のこよなくねび加はり給へる御気配などを、珍しく程経ても見奉るは、まして世の常ならず覚ゆれば、「さる方にても、などか見奉り過ぐし給はざらむ。御宮仕へにも限りありて、際ことに離れ給ふこともなかりしを、故宮のよろづに心を尽くし給ひ、よからぬ世の騒ぎに、かろがろしき御名さへひびきてやみにしよ」など、思ひ出でらる。




山際から差し掛けてくる、朝日の華やかな光に映えて、目もくらむ思いがするお姿の、年とともに、いよいよご立派になられるそのご様子を、久しぶりに、今拝する中納言は、昔以上に、世の常の人とも思えぬ気がする。どうして、一緒にお暮らしにならないのだろう。宮仕えにも、限度があり、特別の位にも、就かれず、亡き皇太后が何から何まで、一生懸命になさり、けしからぬ騒ぎが起こり、浮名まで立って、あれっきりになってしまったのだ。などと、つい、心に浮かんでくる。




名残多く残りらむ御物語のとぢめは、げに残りあらせまほしきわざなめるを、御身を心にえ任せ給ふまじく、ここらの人目もいと恐しくつつましければ、やうやうさしあがり行くに心あわただしくて、廊の戸に御車さし寄せたる人々も、忍びて声づくり聞ゆ。




名残多いお話は尽きず、話の終わりは、いかにも後を、続けさせたいものだけれど、御身をご自由に出来ないご身分で、多くの人目に触れることも恐ろしく、遠慮もされるので、だんだんと、日が高くなり、気が気ではなく、廊の戸口に車を持ってきた、お供の人たちも、そっと、催促される。




人召して、かの咲きかかりたる花、一枝折らせ給へり。

源氏
沈みしも 忘れぬものを こりずまに 身も投げつべき 宿の藤波

いといたく思しわづらひて寄り居給へるを、心苦しう見奉る。
女君も、今度にいとつつましく、さまざまに思ひ乱れ給へるに、花の蔭はなほなつかしくて、

朧月夜
身を投げむ 淵もまことの 淵ならで かけじやさらに こりずまの波

いと若やかなる御ふるまひを、心ながらも許さぬことに思しながら、関守の固からぬたゆみにや、いとよく語らひおきて出で給ふ。
そのかみも、人よりこよなく心とどめて思う給へりし御心ざしながら、はつかにてやみにし御中らひには、いかでかはあはれも少なからむ。




お供召して、垂れ下がる藤の花の一枝を折らせて。

源氏
須磨で沈んで、暮らしたことを、忘れない。こりもせずに、またこの家の藤に、淵に、身を投げてしまいそうだ。

たいそうな、煩悶の様子で、欄干に寄りかかり、お座りなのを、中納言は、お気の毒と、拝する。
女君も、今更に、身の縮む思いで、あれこれと、追憶していられる。花の影には、やはり、身も寄せたく思いつつ、

朧月夜
身を投げようとおっしゃる淵も、本当の淵ではないものです。しょうこりもなく、誘われたりは、しまいと、思います。

大変、若々しいなさりようで、自分のことながら、良くないことと、思いつつ、関守が固くないので、気が弛むのか、源氏は、よくよく、後の逢瀬を約束して、お出になる。
あの昔も、他の女以上に、熱心に愛していらした方なのに、わずかの間で、途絶えたお二人なので、どうして、愛情の浅いことがあろうか。

いかでかは あはれも 少なからむ
ここでは、愛情のことを、あはれ、と表現する。
あはれの風景が、更に広がる。

関守の・・・
人知れぬ わがかよひぢの 関守は よひよひごとに うちも寝ななむ
伊勢物語




いみじく忍び入り給へる御寝くたれのさまを待ち受けて、女君「さばかりならむ」と心え給へれど、おぼめかしくもてなしおはす。なかなかうちふすべなどし給−らむよりも心苦しく、「などかくしも見放ち給へらむ」と思さるれば、ありしよりけに深き契りをのみ、長き世をかけて聞え給ふ。




源氏は、とてもこっそりと、入って来られる、その寝乱れたお姿を、待つ身で見て、女君は、そんなことだろうと、察するが、気づかない振りをしておられる。かえって、焼きもちをされるより、お気の毒で、どうして、このように放っておくのかと、思うのだが、前よりも、一層、強い愛情を、永遠に変わらないと、お約束申し上げる。

これでは、紫の上が、一枚上手である。

いつの世も・・・
この、男と女の物語が、繰り返される。

世界初の小説が、普遍的な男女の物語にもなるのである。

だが、そこに、あはれ、という風景を磨き上げた、日本人の感性は、素晴らしいものがある。
これが、西欧などだと、罪と罰のようなお話になる可能性がある。


posted by 天山 at 05:53| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。