2014年09月06日

霊学179

したがって、「形象」として「光輝くもの」として述べているものは、同時にすべて「響きを発するもの」でもある。色と光を知覚するとき、霊的な音が、そして色の組み合わせによる効果には和声や旋律等が同時に聞えているのである。また、音響が支配しているところでも、「霊眼」の知覚活動は止んでいない。
シュタイナー

常に響きには、輝きが、対応しているのである。
物質の霊界では、そうであろうが・・・

「霊界」においても、位置づけが正しく行なえるように、特定の段階もしくは領域を分類しておかなければならない。個々の領域は「魂界」の場合と同じように、ここでも層をなしてはっきり上下に区別されるのではなく、相互に浸透し合い、混淆し合っている、最初の領域には物質界の中の無生物の原像が存在している。
シュタイナー

ここから重要である。
鉱物の原像、さらに植物の原像もここに見出せるが、その場合は、植物が純物質的である限り、つまり生命が考慮されぬ限りでの植物の原像なのである。だからここでは動物や人間の物質的形態にも出会う。
シュタイナー

つまり生命が考慮されぬ限りでの植物の原像なのである・・・
これは、誤りである。

この領域が「霊界」の土台をなしている。
シュタイナー

これで、シュタイナーの見ている霊界が、矢張り、物質の霊界であることが、解る。

この領域と物質界との関係は比喩的にしか述べることができない。
シュタイナー

この関係については、次のように考えることによって、ひとつの観念を得ることができる。或る限定された空間に、あらゆる種類の物体がつめこまれているとしよう。今、心の中でこれらの物体を消し去り、それらの占めていた空間に、それらの形が残した虚空間を考える。一方、それまで何も存在していなかった空間(虚空間)の部分は、消し去られた物体たちと多様な関係をもつありとあらゆる形態によって埋め尽くされている、と考えるのである。
シュタイナー

これは、マジックである。
そこには、トリックがある。

このような、無用な観念は必要ない。
この、シュタイナーの霊的観念に、取り込まれると、抜け出せなくなる。

原像世界の最下位の領域はほぼこのような形相を呈している。そこでは、物質界の中に形態をもっている事物や生物が「虚空間」として存在している。そしてこの虚空間を取り巻く空間の中では、原像の(そして「霊的音楽の」の)活発な活動が行なわれている。物質界にあっては、この虚空間の部分を物質の素材がいわば充満している。肉眼と霊眼とを同時に働かせて空間を観察するなら、物体の存在と同時に、物体と物体との間に、創造する原像が活発に働いている様をも観るだろう。
シュタイナー

それが、シュタイナーの見た、霊界の最下位である。
と、いうことは、矢張り、物質の霊界なのであり、更には、それを見られるのは、彼一人だろう。
それは、彼の、霊界なのである。

これから、第二の領域、第三の領域と続くが・・・

別の意味の霊界として、理解しつつ、見ることにする。

第二の領域には、生命の原像が存在している。しかし生命はこの領域の中のひとつの完全な統一体をなしている。それは液体成分として、霊界のいたるところに流れ込み、いわば血液のように脈打ちながら、あらゆるところまで及んでいる。
シュタイナー

思考内容を素材にした流動する生命、人は「霊界」のこの第二段階をそう名付けることができよう。この流動する生命という活動領域の中に、物質的現実の中で生命ある存在として現れるすべてのものの根源的創造力が存している。この領域の中では、一切の生命がひとつの統一体であり、人間の生命もその他一切の生命仲間の生命と同質である、ということが示されている。
シュタイナー

生命・・・他の生命と同質である、は、当然である。

この次元の生命は、すべて、生命という存在として、同質というより、同通と言う方が、合っている。
同通する、生命なのである。

私は、以前に、シュタイナーを学ぶことは、生きていることの、注意深さを学ぶことだと、言った。
注意深く、この世を見れば、シュタイナーを理解できる。

霊学を知る人は、当たり前の事である。
しかし、シュタイナーの霊界、そして、その訓練法などを見ると、怪しいのである。

怪しい、というのは、過ちに近いが、それでは、その私の判断は、どこからのものかという、問題がある。

多くの、霊界参入を俯瞰して・・・
それぞれが、それぞれの、霊界を見聞した様を、報告している。
それを、振るい分ける。

その規準は、私の感受性である。
更に、妄想に入り込まぬように、細心の注意を払う。

他の人に、見えない世界は、見たと言う人の、独断場であり、その人の妄想全開の場合、多々あり。
そして、何にせよ、この次元では、証明できないのである。

それでは、方法があるか・・・
それは、信じることになる。

信じた者には、適わない。
何故なら、信じた者は、騙されるからである。

信じる前に、学ぶことを疎かにすると、人生を誤る。


posted by 天山 at 05:54| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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