2014年08月29日

国を愛して何が悪い152

ところですぐ問題になるのは、古代人は造型を通して、「眼」の世界からどのようにして「心」の世界に到ったかということである。「寺」なるものの内部で、いかに感じ、いかに信じたか。私は病気と祈祷について語ったが、古代人の感覚や信仰内容を復原することは、殆ど不可能に近い。
亀井勝一郎

まさに、それは、不可能である。
現代言われる信仰と、古代人たちの信仰は、全く別物である。

思索と修行の伝統よりも、まづ造型の伝統をうちたてたわけだが、単に新文明への好奇心としてのみ解することは出来まい。むろんそれもあるが、根本において、「寺」とはそもそも何であったのか。
亀井

全く、新しい建物である。
そこには、隣の神を祀るのである。

隣の神、という意識である。

そして、その神は、病気回復、その祈祷による行為を行なう。

現在に近づけると、極めて、病院に近い感覚。

当時の、医療は皆無である。
そこに、病気のための、「寺」というものが、出来た。

最初は天皇個人の発願であったり、氏神の氏寺として建立されたが、やがて国家統一を内的に支える精神的支柱として、奈良朝における国分寺建立によってそれはクライマックスに達する。精神の定着のための必死の努力、これが造型への情熱の根本にあるものではなかったか。
亀井

それは、第一義の道ではなかった。
しかし、建築ということが、思想を決定する事もある。

亀井は、色彩の革命、と言う。
確かに、今までにない、色彩の形相である。
それは、古代人を驚かせた。

日本古来の建築は、黒木と白木の組み合わせである。
そこに一切の、色彩は無い。
清浄で明快である。

それに対して、寺の場合は、巨大な礎石が置かれた。
その上に、朱塗りの円柱が立ち、内外には朱や緑青、黄色、紫等の強烈な色彩である。

檜皮葺の屋根が、瓦、鳩尾というものが、乗せられた。

古代人の受けたショックは、強烈だった。

それだけではない。
その内部である。

金色の本尊が輝き、色彩も新しい四天王像が立つ。
また、華麗な天幕、幡が垂れ下がる。

それは、眼も眩むばかりの、極彩色だった。

更に、儀式である。
燈明が輝き、香が立ち上り、僧侶が読経する。
全く新しい、呪術の出現である。

敗戦後、キリスト教、特に、カトリックのステンドグラスに憧れて・・・
などというものではない。
その何百倍の強烈さである。

人間は、眼に入るものには、弱いのである。
雰囲気・・・それに、やられる。

同時に異様な体臭を伴っていた筈だ。大陸からの来朝者、帰化人、混血児、唐留学生など、言わば大陸の体臭の漂う場所であり、大陸独特な「飛地文化地帯」の成立をも意味したと思う。すべては異様で強烈であったにちがいない。
亀井

精神の不安や、病気と死への恐怖から、古代人はどんな気持ちでここにひれ伏したか。殆ど動物的とも言えるほどの激しい生への執着、逞しい肉体、原始的な情欲、そういう面を考えると、よほど強烈な威圧感と呪縛力を必要としたように思われる。
亀井

生死との激しい格闘の場ではなかったろうか。
亀井

それほど、時代が、あるモノを意識させた。
その、あるモノ、とは、未分化だったものの意識化である。

原始の人々は、死に対して、それほどの恐怖を感じていなかったはずである。
死は、別世界への、移行であるという、意識。

だが、仏教が渡来してからの時代性は、死への恐怖・・・
その前に、病の恐怖である。

その解決の方法が、仏教の造型の中に、見出されたと、素直に考える。

元来「仏」は眼にみえない存在であり、教えのためには経典があれば足りる。つまり第一義の純粋なかたちはそうだが、像として描かれ彫刻されたとき、全く別の作用があらわれる。「像」そのものが、「仏」として礼拝の対象になる。
亀井

「像」そのものが、「仏」
ここに、当時の仏教がある。

理屈抜きである。

それ以前の、日本の社には、鏡のみが存在した。
更に、祭りが終わると、神々は去ったのである。

これに対して、仏像は、常時、そこに存在する。

これが一大変化であった。
亀井

それである。
いつも、仏像は、そこに存在していた。
つまり、いつも、仏が、そこに存在していたのである。

これは、画期的なことだった。



posted by 天山 at 06:15| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。