2014年08月11日

もののあわれについて692

内裏に参り給ふ人の作法をまねびて、かの院よりも御調度など運ばる。渡り給ふ儀式いへばさらなり。御おくりに、上達部などあまた参り給ふ。かの家司望み給ひし大納言も、安からず思ひながら、候ひ給ふ。




入内される姫君の儀式にならい、朱雀院からも、お道具が運ばれる。興し入れの儀式は、いうまでもないこと。お供に、上達部をはじめ、大勢参上する。あの執事を望んだ、大納言も、心中穏やかではないが、お供をされる。




御車寄せたる所に、院渡り給ひて、下し奉り給ふなども、例には違ひたる事どもなり。ただ人におはすれば、よろづの事限りありて、内裏参りにも似ず、婿の大君と言はむにも事たがひて、珍しき御仲のあはひどもになむ。
三日がほど、かの院よりも主人の院方よりも、いかめしく珍しき雅を尽くし給ふ。




お車を寄せた所に、源氏がお出になり、姫宮を下ろされるなども、例にはないことである。臣下であるので、何もかも、制約があり、入内とも異なり、婿の大君と言うにも、事情が違い、またとない、お二方の間柄である。
三日の間、朱雀院からも、主人である源氏からも、堂々として、またとないほど優雅な催しをされる。




対の上も、事にふれてただにも思されぬ世の有様なり。げに、かかるにつけて、こよなく人に劣り消たるる事もあるまじけれど、また並ぶ人なくならひ給ひて、はなやかに生ひ先遠く、あなづりにくき気配にて移ろひ給へるに、なまはしたなく思さるれど、つれなくのみもてなして、御渡りの程も、諸心にはかなき事もしいで給ひて、いとらうたげなる御有様を、いとどありがたしと思ひ聞え給ふ。




対の上、紫の上も、何かにつけて、平静ではいられないこの頃である。それは、このようになったからといって、まるっきり、あちらに負けてしまい、影が薄くなるということでもないだろう。だが、競争相手のいない生活が癖になり、姫宮が、派手で、またお若く、軽くは扱えない形で、引き移りされたので、面白くない思いだが、平気な顔をして、興し入れの時も、源氏と一緒に、こまごましたことまで、立派にされて、まことに素直なご様子ゆえに、ますます、二人といない方だと、源氏は感心するのである。




姫宮は、げにまだいと小さく、かたなりにおはするうちにも、いといはけなき気色して、ひたみちに若び給へり。
かの紫のゆかり尋ね取り給へりし折り思し出づるに、かれはざれて言ふかひありしを、これは、いといはけなくのみ見え給へば、「よかめり。憎げに押したちたる事などはあるまじきかめり」と思すものから、いと余り物の栄えなき御様かな、と見奉り給ふ。




姫宮は、まったくまだ小さく、大人になっておられず、特にあどけない感じで、子供である。
あの、紫のゆかりを探して、紫の上を引き取りされた時のことを、思い出すと、紫の上は、気が利いて、手ごたえがあったが、こちらは、まるっきり、あどけない様子。源氏は、よかろう。これなら、憎らしく、強きに出ることなどないだろう。と、思うものの、あまりに、張り合いがなさ過ぎると、御覧になる。

紫のゆかり・・・
源氏が慕った、藤壺の姪に当たる、姫宮、後に女三の宮と、呼ばれる。
そして、紫の上も、同じく、姪に当たるのである。




三日がほどは、夜がれなく渡り給ふを、年頃さもならひ給はぬここちに、忍ぶれど、なほものあはれなり。御衣どもなど、いよいよたきしめさせ給ふものから、うち眺めてものし給ふ気色、いみじくらうたげにをかし。




三日間は、毎晩、姫宮の元にお出になるので、紫の上は、今まで、こんな目に合わないゆえに、堪えるが、やはり胸が痛む。お召し物など、いっそう念入りに、香を焚き染めさせながら、物思いに耽る姿は、とても可憐で、美しい。

なほものあはれなり
ここでは、深い心境の様を言う。
ものあはれ・・・それでも、辛い、苦しい、悲しい・・・




「などて、よろづの事ありとも、また人をば並べて見るべきぞ。あだあだしく心弱くなりおきにけるわが怠りに、かかる事も出でくるぞかし。若けれど、中納言をばえ思しかけずなりぬめりしを」と、我ながらつらく思し続けらるるに、涙ぐまれて、源氏「今宵ばかりは道理と許し給ひてなむ。これより後のとだえあらむこそ、身ながらも心づきかるべけれ。また、さりとて、かの院に聞しめさむことよ」と、思ひ乱れ給へる御心のうち、苦しげなり。




どうして、どんな事情があるにせよ、他に妻を迎えることがあろうぞ。浮気っぽく、気弱になっていた自分の落ち度から、このようなことも、起こってきたのだ。年は若いが、中納言は、考えなかったようだった、らしい。と、源氏は、我ながら、情けない気がするばかりで、つい涙ぐんで、今夜だけは、無理もないと、許して下さるだろうな。これから後、こない夜があれば、自分ながら、愛想が尽きることだろう。でも、かといって、あちらの院が、どう思うだろう。と、思い乱れている様子を、見るも苦しそうである。



posted by 天山 at 05:38| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。