2014年08月05日

霊学172

さて、シュタイナー、神智学の第一巻を読んでいる。
次ぎは、三つの世界である。

魂の世界

人体を構築している素材と力とは、物性の世界から取り出されている。人間はこの世界についての知識を、外的感覚の知覚を通して得ている。この感覚だけを信頼して、もっぱらその知覚能力だけしか開発しようとしない人は、他の両世界、魂の世界と霊の世界について何も知ることができない。
シュタイナー

簡単に言えば、魂、霊の世界を知るための、努力が必要であり、人間は、そのように進化するものである、ということである。

人は「霊的」世界に対立する意味で、物質界を「感覚的」世界とも呼んでいるのである。
シュタイナー

そして、シュタイナーは、この誤解を避けるために、「高次感覚」という言い方をする。
この、高次感覚を得ること、それが、神智学の目的である。
また、その方法も伝授するのである。

それで、また、延々と理解するための、議論が続くが・・・
省略して書くことにする。

本質は現象の背後には存在しない。本質とはむしろ、現象を通して表面に現れてくるものなのだ。本質はいくらでも多様化されるから、別の感覚に対しては別の形姿で自己を現すことができる。その場合でも現れているのは常に本質的部分である。ただ感覚に限界があるために、その本質が全体的本質ではないだけなのだ。
シュタイナー

感覚に限界があるから、その本質が全体的ではないとは、理解できる。
全感覚を開くことは、人間にはできない。
しかし、シュタイナーは、それを求める。

高次感覚を開発するには、人間が、努力しなければならないのである。

人間のために物質的環境世界を知覚し、それに適応できるに足る身体を育成してくれるのが自然であるとすれば、魂界と霊界を知覚するに足る魂と霊を育成することができるのは、人間自身だけである。
シュタイナー

確かに、その通りである。
人間だけである。
それだけの、能力がある。
また、それだけの、創造力がある。

妄想でなければ、いいのだ。

自然自身がまだ発達させなかった高次の器官をこのように育成することは、自然に反した行為ではない。なぜなら高次の観点から見れば、人間が為し遂げるどのような事柄もまた自然に属しているからである。
シュタイナー

つまり、それは、異常なことではない。自然なことである。

魂界や霊界は物質界の隣にあるものでも、その外にあるものでもない。それらは空間的に物質界から区別されているのではない。
シュタイナー

つまり、魂的、霊的に目覚めた人に、以前は物体として現れていた事物が、魂的、霊的特性を、明らかにする。

この目覚めた人・・・
この、目覚めた人になる為に、シュタイナーが説いている。

高次の器官とは、魂や霊でできた組織ということを、知るべきだと、言う。

当然である。

したがって高次の世界で知覚されるものが霧のように稀薄な物質的素材であるかのように予期してはいけない。そのように予期するかぎり、ここで「高次の世界」と呼んでいるものを、明瞭に理解することはできないだろう。
シュタイナー

そして、その段階に達するためには、容易ではない。

魂的、霊的なものが物質の微妙な形態に過ぎぬという偏見をまず除こうとしさえすれば、それ程到達し難いものではない。
シュタイナー

われわれの、周囲の世界を、ただ肉体の感覚が教えるものから知ろうとしても、無理なのである。

われわれの胃、心臓、肺、脳を構成し支配している素材と力が物質界のものであるように、われわれの衝動、欲望、感情、情熱、願望、感覚といった魂の特性は魂的世界のものである。人間の魂は、肉体が物体的世界の一部分であるように、魂的世界の一部分なのである。物体の世界と魂の世界との第一の相違は、後者の世界のすべての事物や本性が前者の世界の場合よりも、はるかに精妙で動的で、自由に形態を変えうるということであろう。
シュタイナー

物質界とは、全く異なった、新しい世界と言う。

物質界における物質的素材や力の場合と同様に、魂の世界の存在者や構成体も、魂的素材から成り、魂的力の支配をうけているということがいえる。
シュタイナー

上記を読めば、当たり前のことである。

魂の世界の存在者や構成員・・・
ここからが、問題になる。

存在者も、構成員も、我々、つまり、私であろう。
何故、存在者と構成員が出てくるのか・・・

これからそれを見てゆくが・・・
突然として、飛躍するのである。

つまり、私の、魂的存在、霊的存在が、存在するということ。
これが、かく乱させる元である。



posted by 天山 at 05:51| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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