2014年08月02日

国を愛して何が悪い147

八百万の神々と、その裔と、様々の自然現象の神格化と、一種の汎神的性格をもつ「神ながら」は、もとより宗教的体系ではない。多神教とか汎神論という名称も実は不適当であり、そもそも「神道」ですらない。宣長の指摘したように、その点についてはおよそ「道々しき意も語も見えず」であり、その存在とは「おのづからのまにまに」という以外にないようなものだ。神像も所有しなかった。玉と鏡と剣によって象徴され、神と人との交わりの上で具体的に捕捉しうるものとしては、言霊美以外にない。神語、祝詞、寿詞、うた等の表現を通して、言霊美によって、神々の作用を感受し、或いは反応する。
亀井

更に、
外来思想の刺激に対して、論理的に反応を呈するようないかなる構造も所有しないのである。無体系のまま、結果としては、無限の抱擁性を示しながらの「神ながら」である。
亀井

まさに、今、現在もそのようである。
神仏混合は、仏教側によって、成ったものであり、神ながらの道からは、別に歩み寄りは無い。その必要が無かったのである。

つまり、抱擁性というもの。
仏教、儒教、さらには、道教というものの影響も、その抱擁性の中に取り込んでしまった。
恐るべき、抱擁性である。

対して、仏教は、人間の生死についての思索、来世の明確な観念を持つ。
そして、思想としては、体系的である。
しかし、一つだけ、神ながらの道と共通するのは、強烈な反撃、非寛容は無い。

一神教のような、排他的、非寛容は、無いのである。

ここに、
「神ながら」と仏教との、こうした性格から、ここには西洋的な意味での「転身」は生じない。つまり「神ながら」を徹底的に否定し、それを捨てて仏教へ帰依するとか、逆に仏教を峻拒して、「神ながら」を固執するといった、肯定否定の強烈な態度はみられない。異質的な信仰は、同一人の内部でも共存していたのである。
亀井
ということになる。

古代日本の、もし、それを信仰というならば、実に、宗教というものの、姿が、全く、異なるのである。

宗教とは、レリジョンという英語であり、更に、宗教とは、ユダヤ、キリスト、イスラム教に言えるのである。

日本には、宗教と言えるものが無いと、断定した方が、すっきりする。

西欧の宗教学が、輸入されてから、宗教という観念が発達し、更には、日本の神道までも、宗教と判断されるようになった。

神道は、宗教ではないとも、言える。
古代からの、伝統である。

だから、宗教としての神道とも、言えないと、亀井は言う。

天皇からはじめ、氏族たちも、神祇祭祀と仏教礼拝を、同時に行なっている。

更に、出家した後も、神々、神社に対して、軽んずることがなかった。

これは、奇跡的にことである。

シルクロードの仏教国は、現在は、皆、イスラムになっている。
それには、大量虐殺が、行なわれた。

一神教が、関わると、そのような事態に陥るのが、当然なのである。
日本には、そのようなことが、無かった。

私は、ここに、日本人の無限抱擁性を見る。

その、無限抱擁性が、民族の特徴だとすると、日本は、日本文明圏といえるし、また、世界の何処にも無い、国と言える。
そして、そこから、あらゆる外来の思想から、技術から、何から何まで、自国のものにしてしまう、特技、才能があると、言える。

明治期、西洋から、多くのことを学んだが、結局、皆々、日本流にして、咀嚼し、そして、日本製を作り上げてしまったのである。

見事な民族である。

無限抱擁性とは、母性的である。
つまり、日本の精神を作り上げたものは、その、母性的精神であるとも、言える。

縄文期、日本は、遺伝子学から、人種の坩堝だったことが、証明されている。
そこにも、何らかの、影響があるのかもしれない。

更に、縄文期は、争いというものが、無かったことも解っている。
争うことなく、共生、共存出来た、風土であったとも言えるのだ。

さて、亀井氏の、言う、神人分離の考え方からも、その自覚が、芽生えてきた時期の、仏教伝来であった。

「神ながら」の状態そのものが、次第に変化し、或いは崩壊し、神から別れを開始した人間と、人間であることの悲劇の自覚の発生と、この過程(私は精神の流離とも呼んできた)に対して、応えなければならない何ものかが必要であったということだ。
亀井

人間としての、自覚・・・
それは、様々な自然現象、更に、病などによる、無力など。
曖昧な精神的意識から、明確になりつつある、精神的自覚である。

ただし、それでも、仏教は、まだ、多くの人の心に、語り掛けるほどの思想を提示しなかった。また、それを欲しなかった。

ただ、一人、聖徳太子が存在するのみ。
仏教の内面化を試みた人であった。

彼は、仏典の解釈まで、書き残している。
そこには、仏教伝来と、蘇我一族を巡る、古代史上最大の、同族殺戮の続いた過程が、大きく影響していたと思われる。
彼も、蘇我家の血を引く者の一人だった。


posted by 天山 at 06:00| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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