2014年08月21日

神仏は妄想である。495

永遠に救われざるものの裡における奇蹟について。
信の世界に我らを導入せしむる大きな要因は、永遠に救われぬという罪の意識であることは云うまでもなかろう。罪とはむろん・・犯罪に限らず、親鸞の言葉に従えば「煩悩具足の凡夫」という自覚である。あらゆる欲望と執念の深さ、熾烈なエゴイズム、云わば人間なるが故に負わされた宿業の自覚と云ってもいい。この宿業を回避した彼岸ではなく、宿業そのものの裡に即菩提を念ずるところに大乗の真諦があるのだが、しかしここにもまた一つの陥落は伴う。菩提を得んがために、その予想において、罪の意識を殊更に虚構し空想化することがないであろうか。
亀井

虚構し空想化することが・・・
大いにある。
すでに、大乗仏教が、それである。

日本には、その大乗仏教が、大陸を通して、入って来た。
大乗は、それ以前の、上座部仏教に対抗して、作られた、仏教である。

大乗の人は、上座部の人を、小乗という。
それは、蔑視である。

一人、悟りに向うのではなく、大衆を救うという・・・

これ以上の亀井氏の、信仰について、は、もう省略する。
結果的に、大乗仏教から、更に、鎌倉仏教といわれる、新仏教が、多数、生まれた。
日本的仏教である。

確かにそれは、日本の思想史の上では、無視することが出来ないものだ。
しかし、大乗から発する、仏教を基本にして、始まった、作り物の仏教である。

天台、真言、そして、鎌倉仏教の、様々な禅宗、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、その他・・・
中国仏教の影響が、あまりに大きいものである。

現在は、中国では、それらの仏教は、大半が消滅した。

大乗仏教は、西暦紀元の間近き頃、一つの宗教革命ともいえる運動が、インドにて、起こったものである。

仏陀滅後、500年を経ている。

彼らは、それ以前の仏教を、真理に至る小さな乗り物と、蔑視した。そして、自らを、大きな乗り物として、大乗と称した。

キリスト教が、イエスの宗教ではなく、イエスにまつわる宗教であると同じく、その仏教も、仏陀の宗教ではなく、仏陀にまつわる仏教として、創作されたのである。

つまり、人間の頭で、捏ね繰り回した、教えである。

その批判と改革は、仏教の根本的な真理観である、「空」を巡る闘いでもある。

小乗は、空を虚無的なものに解し、心身の無化・帰滅をもって、理想とした。そして、現実の営みに、傍観的態度をとり、無感動、無感覚となっていった。
つまり、固着してしまった、仏教であり、出家者にのみ言える、仏教の教えとなっていた様子である。

大乗教徒たちは、「空」に対する、小乗教徒の考え方、その態度を、批判し、プロテストして、改革を行なった。

最初に行なわれたのが、「空」の原理的解明である。

それでは、空というものについて、少し説明する。

その観念は、諸々の存在が、相関係し合い、変動しているという、事実に立脚する。
簡単に言えば、縁起である。

縁起とは、いかなる存在も、独立・固定の実体、つまり我を、有しないということである。
それは、無我と呼ばれる。
ここから、「空」という観念が、生まれた。

存在するものの、実相、真相、あるいは、それを支えている真理は、「空」であると、説かれた。
だが、しかし、「無」ということではない。
「空」とは、存在するものは、滅び、無に帰するものとして、その本質は、「無」であるとは、言うのではない。
そのような、「無」の考え方は、一種の執われた固定観、我見、という。

「空」とは、有にしろ、無にしろ、一切の固定観念の否定を意味する。
非有非無、不生、不滅と称される。

永遠に実在している、有・生ということを考えると共に、実在しない、無・滅ということを考えの超えたところに、「空」ということが言われた。

小乗教徒たちは、言葉の上では、それを知っていた。だが、有無・生滅などに冠された、非、不が、相対する固定観の突破、超越を意味していることに、十分な理解がいかず、非、不を、固定化し、結局は、「空」を、実態的な「無」と変わらないものに、落とし込んだ。

小乗教徒の一部、説一切有部というグループは、実体的な有を立てたのと同領域・同次元の、単なる、裏返しに過ぎないものとなった。

大乗教徒たちは、それを正すべく、「空」の原理的解明に努めたという。
その成果が、経典となって出たものが、「般若経」である。
最も古いものは、西暦50年頃に出来上がったといわれる。

いずれ、この大乗教徒の、「空」という思想が、神と同じように扱われてくる。
これは、思想として、学ぶに足るものだが・・・

そこから、何の信仰が、生まれるのか、解らないのである。
仏陀が、説いた、縁起の法則が、神のように、祭り上げられる。

そこで、仏陀を崇拝の対象にして、拝む。祈る。
これは、拝む、祈るものではない。

思想である。
これから、漸く、日本の仏教について、書くことが出来るが・・・

仏教と言っても、それを一つにするなどということは、出来ない。
簡単に言えば、すべての仏教というものを、一つにすると、それは、滅茶苦茶になる。

仏陀崇拝のみならず、経典崇拝までに至る仏教というもの。
何故、仏教が、宗教に成り得ているのか。

極楽浄土・・・
そんな世界は無いのだが・・・
結局、仏教は、堕落し続けて、現在に至るとだけ、言う。



posted by 天山 at 05:38| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月22日

神仏は妄想である。496

大乗仏教に至り、強調された「般若経」の「空」の思想を、理論的に基礎付けたのは、ナーガールジュナ、竜樹である。

彼は、般若経の思想を継承しつつ、大乗仏教に哲学的基礎を与え、その思想を確立した。

大乗の信者たちが、蔑視した、小乗仏教は、それでは、どのように堕落したのか。
まず、彼らは、歴史的人物としての、仏陀の直接の教示に近い、経典を伝え、伝統的な教理を、ほぼ忠実に保存していた。

更に、彼らは、国王、藩侯、富豪などの政治的、経済的援助を受けて、広大な荘園を持ち、その社会的基盤の上に、存立していた。

つまり、莫大な財産を持ち、社会的勢力を持ち、ひとり自ら身を高く、そして、それを清いとしていた。
その態度は、独善的、傲慢不遜だった。

そして、人里離れた地域にある、巨大な僧院の内部に居住し、静かに瞑想し、座禅を修め、煩瑣な教理研究に、従事していた。

これが、仏陀が、伝えた教えだろうか・・・
遊行して、教えを伝えた仏陀の後を継ぐ者たちだろうか。

要するに、仏陀の教えを、奉持して、それで納得し、他のことには、我関せずの姿勢である。
これが、堕落ではないのか・・・

堕落である。
徹底した、堕落の極みといえる。

当然、大乗が起こる理由が解るのである。

宗教というものに、付きまとう、小乗の人々は、象徴である。
現在の日本仏教も、愛好家の域を出ないのである。

宗教教団とは、確実に、堕落するものである。

或いは、商売と化すのである。

それでは、大乗の人たちは、何をしたのか・・・
全く新たな経典を、創作したのである。

そして、そこに現れる仏陀は、歴史的人物というより、理想的な存在として、描かれたのである。

創作・・・
作られたものである。
人間の頭で、捏ね繰り回して、創り上げたもの。

そして、大乗の人たちは、荘園などを所有しない、というより、持っていないのである。
大衆から湧き上がった、運動とはいうが・・・

更に、社会的権力者に近づかないという。阿諛することを、嫌った。
その信仰を、純粋にして、清きことを、誇りにした。

とはいえ、その後は、見ての通りだ。

日本仏教は、大乗を継いでいるが・・・
その愛好家たち、そして、新興宗教に成り果てた、仏教系の教団・・・
皆々、堕落している。

中には、政党まで持つ集団も存在すると言う、仰天である。

大きな伽藍を建てて、意気揚々としている、愚かさである。

そして、やることは、葬式の読経程度である。
或いは、信者に金を集めさせて、教団を大きく、大きくしようとする。
更には、信徒の数で、政治に関わる。

それぞれが、本来の仏教だと、言うのであるから、終わっている。
本来の仏教は、もう存在しないのである。

あれは、仏陀一人で、終わったものである。

極めて言えば、仏陀という存在は、実に大きな罪を犯した。
その後を継ぐ者たちが、妄想の教えを広げて、更には、堕落の一途である。

仏陀に、罪あり。

ということで、ナーガールージュナ、竜樹の思想を俯瞰する事にする。

「空」という、とてつもない、妄想の思想である。
更に、その言葉遊びには、脱帽する。

その前に、少し・・・
大乗の信者から出たものは、無数の諸仏、諸神を創り上げたことで、それらを拝むという形も創り上げたということだ。

そして、それらの像を創り上げたことである。
特に、中央インドのマトゥラー市と、西北インドの、ガンダーラ地方である。
前者は、アショーカ王以来のインド国粋美術、後者は、ギリシャ美術の影響の強いものである。

仏陀は、何一つも、拝むものは、示さなかった。
だが、大乗の人々は、それらを創作した。
更に、拝むという・・・

イスラムから、偶像礼拝と言われても、詮無いことだ。
確かに、偶像崇拝である。
芸術として鑑みれば、価値がある。

だが、拝むものではない。
更に、すべて、想像の産物である。

大乗の最初の考え方は、皆、納得するものだろう。
利他行、つまり、慈悲の精神に立ち、生きとし生けるもの、衆生を、すべての苦から救うという、願いである。

自分が、彼岸の世界に達する前に、また他人を救わなければならないという、利他の思想である。
これに、多くの人が、迷わされた。

そして、そういう人を、菩薩と呼ぶ。

後々で、最大の妄想の法華経に出てくる、地湧の菩薩である。

もう一つは、現世利益である。
仏、菩薩を信仰すれば・・・
多くの富、幸福が得られ、無病息災である、云々・・・

結局は、そこか、という、妄想である。

posted by 天山 at 05:15| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月23日

神仏は妄想である。497

初期の大乗仏教徒はいまだ整った教団の組織を確定していなかったし、細密な哲学的論究を好まなかった。むしろ自分らの確固たる信念とたぎりあふれる信仰とを華麗巨大な表現をもって息もつかずに次から次へと表明し、その結果成立したものが大乗経典である。大乗経典は、それ以前に民衆の間で愛好されていた仏教説話に準拠し、あるいは仏伝から取材し、戯曲的構想をとりながら、その奥に深い哲学的意義を寓せしめ、しかも一般民衆の好みに合うように作製された宗教的作品である。
中村 元

上記で、すべて説明している。

華麗巨大表現、民衆の間で愛好されていた仏教説話、宗教的作品・・・

その奥に深い哲学的意義・・・
それは、後付の意味である。

さて、空観である。
一切諸法が、つまり、あらゆる事物が、空、である。
それぞれの固定的な実体を有しない、と観ずる思想である。

勿論、すでに、原始仏教において、世間は空、であると、説かれていた。
大乗仏教の初期に作られた、般若経では、その思想を受けて、更に、発展させたのである。

当時、説一切有部、せついっさいうぶ、などの小乗諸派が、法の実有を唱えていたのに対し、それを攻撃するために、否定的に響く、「空」という言葉を、般若経は、繰り返し、用いた。

つまり、仏教内での、闘いである。
小乗への、プロテストである。

そこで、われわれは、固定的な「法」というものを、抱いてはならない。
一切諸法は、空である。一切諸法は、他の法に条件づけられて成立しているものであるから、固定的、実体的本性を有しないものであり、「無自性」であるから、本体を持たないものは、「空」であると、いわなければならない。

そして、諸法が「空」であるならば、本来、「空」であるはずの、煩悩などを、断滅することも、真実には、存在しないことである。

かかる理法を体得することが、無上正等覚、むしょうしょうとうがく、つまり、悟りである。
その他に、悟りは無いという。

実践は、かかる空観に基礎づけられたものでなければ、ならない。
菩薩は、無量無数無辺の衆生を済度するが、しかし自分が衆生を済度するのであると思えば、それは真実の菩薩ではない。彼にとっては、救う者も、空であり、救われる者も、空である。
そして、救われて、その境地も、空である。

また、身相、つまり、身体的特徴をもって、仏を見てはならない。あらゆる相は、みな虚妄であり、もろもろの相は相にあらず、と見るなら、如来を見る、という。

かかる如来は、所説の教えが無い。
教えは、筏のようであり、衆生を導くという目的を達したならば、捨てられるものだ。

このように、言うが、それでは、それらの虚言も、「空」であるとは、言わない。

この教えは、360度戻ると、元に戻るということである。
勿論、彼らは、そのようには思わないだろう。

実に、馬鹿馬鹿しい教えである。

救う者、救われる者、そして、その境地も、「空」であるとなれば、すべては、元々、「空」であるから、どうでもいいことになる。

それを知ることが、悟り・・・

それでは、何の教えも受けないことが、悟り、であろう。

元に戻ってみると、元の私が存在していた。
ただ、それだけの話である。

空観からの論理的必然的な結論として、輪廻とニルヴァーナとはそれ自体としてはなんら異なるものではない。
われわれの、現実の日常生活が、そのまま理想的境地として現し出されなければならない。
理想の境地は、われわれの迷いの生存を離れては、存在しない。

「空」の実践の、慈悲行は、現実の人間生活を通して、実現される。

そして、この立場を徹底させると、出家生活を否定して、在家の世俗生活の中に、仏教の理想を実現しようとする。
それが、大乗仏教の、宗教運動である。

そんなことまで、考えに考えて、結果は、慈悲行と言う。
呆れる。

そんなことを考えずとも、慈悲の行いは、実践できるのである。

つまり、小乗に対する、プロテストであるから、そのような、屁理屈をこねたのである。

仏教と、一口に言っても、それは、あまりに広い世界である。
仏教と、一括りに出来るものではない。

もし、そうならば、仏教の教義、教理とは、滅茶苦茶になるだろう。

大乗仏教徒は小乗仏教徒を極力攻撃しているけれども、思想史的現実に即していうならば、仏教の内の種々の教説はいずれもその存在意義を有するものであるといわねばならない。この道理を戯曲的構想と文芸的形式をかりて明瞭に表現した経典が「法華経」である。
中村 元

しかし、その、法華経が、東方基督教によって、刺激を受けて書かれたものとは、中村氏も、知らないようである。
だが、今は、それについては、触れない。

法華経には、声聞乗、仏陀の教えを聞いて忠実に実践する、縁覚乗、一人で悟りを開く実践、菩薩乗、自利利他を目指す大乗の実践、と、三つの三乗というものが、説かれる。

この三乗は、別々の教えといわれていたが、それは、いずれも、仏が衆生を導くための、方便として、説いたものであり、真実には、一乗法あるのみだという。

本当に、御苦労なことである。

そこから、壮大な妄想が拡がってくるのが、大乗の嫌なところである。

posted by 天山 at 06:03| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月26日

国を愛して何が悪い149

この点で興味深い問題がひとつある。仏礼拝の動機として、私はさきに病気の恐怖をあげたが、万葉集を読んで気づくことは、病気とか病苦を直接歌ったものは、憶良の「病に沈みて自ら哀ぶ文一首」と家持の長歌をのぞけば、殆どみあたらないことである。あれほど疫痢や天然痘や癪におそわれながら、歌の対象とはしなかった。
亀井

亀井は、「けがれ」として、避けたのかと、言うが・・・

つまり、病苦の方は、仏教の方へ持っていったようだ。
更に、暗黙の諒解があり、仏教に関することは、歌わないというもの。

採集の際に、落とされた可能性もある。
だが・・・

次に信仰の不消化ということも当然考えられる。仏教固有の生死への思索とか、来世への明確な観念とかに慣れなかった点もあろう。とくに歌のしらべにおいて当惑したのではなかったか。教典の内容や、仏像や儀式を、やまとことば独自のしらべにまで消化して表現することは容易ではなく、稀にそういうこころみをしたときは、唱へ、歌うには堪えられない稚拙なものが出来上がったにちがいない。
亀井

これで、ある。
信仰の不消化である。

教典、仏像、儀式・・・
それらは、ド肝を抜くものだったはずだ。

全く、異質なものである。
それ以前の、信仰を考えるとよい。

建物からして、想像だにしない形であり、その儀式は、渡来系の人たちによって、教えられ、今までにない、儀式の様である。

教典だとて、理解の仕様がない。
全くの不案内である。

大和言葉と、漢文の経典の違いは、遥かに大きいものだったはずだ。

勿論、漢文の書物は、どんどんと渡来していた。
現在の、英語を学ぶというようにものではない。
暗中模索である。

そして、仏教は、病気に対処する方法でもあった。
それが、最も、大きかったはずだ。
そして、その後、国家安泰のために。

その戸惑いは、想像も出来ないものだ。

更に、仏教を拒むことをしなかったということである。
それを、何とか、取り入れたという、精神である。

ここに、日本の精神の原型がある。
拒まず、受け入れて、我が物にして行く。
時間をかけて、継続して、理解を深める。

それは、その後の日本の姿でもある。

さて、更に、帰依する強い感情、来世への憧れ、現世への絶望感などは、全く歌われていない。
これも、信仰の不消化のせいだろう。

平安期になり、ようやく、仏教の信仰、救済に関する、名歌が生まれてくるのである。

万葉集については、私の別エッセイ、もののあわれについて、にて、多くを語っているので、一つ一つの歌は掲げない。

それでは、仏教を消化しようとしたとき、どの面から始まったのか・・・

常住真実なるもの(仏)が存在して、はじめて成立する観念であり、言わば常住真実なるものから与えられた一種冷徹な認識能力である。
亀井

それは、何か。
無常観である。

だが、
そういう思索の面は度外視して、人間流離の悲哀としてうけとり叙情化した。仏教の諸原理の中から、とくに無常観だけを、しかも「無常哀感」と言ったかたちでとらえた点に特徴があると言ってよかろう。こうして、辛うじてしらべと化したのだが、挽歌の哀感に比べるとやはり観念的で弱い。
亀井

これも、不消化である。

当時の日本人の精神生活の中では、仏教思想の影響は微々たるものであり、この程度のものであったことが、少なくとも万葉集を通しては言えると思う。同時に、思索の上でも、すべて述べてきたように、聖徳太子をのぞけば、殆ど見るべきものはなかった。
亀井

私は、この不消化を評価する。
もしこれが、単純に、仏教を全面的に受け入れて、それに従っていたら・・・

例えば、シルクロードの仏教国は、イスラムに襲われて、すべてが、イスラムに改心してしまった。
その程度の、弱さであった。

不消化があって、はじめて、仏教に対して、時間をかけて、理解を始めたといえる。そして、日本流の仏教を創作した。

それは、決して、インドでも、中国でも、朝鮮でもない、仏教である。

仏教を日本流に変容するだけの、力があったといえる。

この場合は、宗教を芸術と同じ位置付けにして、私は考える。
宗教とは、芸術の一部門である。

芸術の無い宗教は、皆無である。
芸術性の高い宗教・・・
それが、本来の宗教の、面目である。

日本では、芸術に皆、道がつく。
技芸の道である。武道も然り。

道とは、芸術の別名である。
だから、神道という場合も、それは、一つの芸術活動なのである。

信仰とは、その道への、貢献のことである。

その道を通して、日本人は、日本に貢献する。
日本という名称は、日の本であり、それは、祖霊を示す言葉である。

祖霊に貢献することが、日本人の精神の面目である。

posted by 天山 at 06:00| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月27日

国を愛して何が悪い150

精神が言葉の世界であるとすれば、それ以前の言葉によらない、意識を、心と定義してみると、万葉集は、心の世界であり、更に、それは、日本人の心の古里であると、言える。

およそ、4500首が伝わっている。
つまり、伝わらなかったものもあるということ。
そして、伝わらなかったものは、伝えられたものによって、生かされる。

万葉集とは、言葉の古墳とも、言える。

さて、その時代区分は、諸説あるが・・・
一応、解りやすくするために、三区分に分けてみる。

初期としては、舒明天皇から天武天皇末期まで、56年間。
それは、柿本人麻磨の活躍する藤原京の直前まで、である。

しかし、精神の系譜から言えば、飛鳥の精神の系譜が、ここまで続いていると思う。

七世紀の精神と言ってもいい。

初期万葉を、私は仮に「舒明一族三代歌集」と呼んでみたいのだ。
亀井勝一郎

私も、賛成である。
舒明天皇一家の歌の数々は、見事だ。

亀井は、第一は、初期飛びと、第二は、初期万葉びと、第三は、天平びと、と三つの集団として、考えている。

それは、歴史的に、舒明天皇から推古天皇の、西暦539年から630年。
孝徳天皇から持統天皇の、645年から697年。
聖武天皇から光仁天皇の、724年から780年、となる。

すでに、大陸からの文化の影響が、決定的だった時代である。

それを書き記すのに、漢字の音を使用した。
それを、訓読みにするという・・・

私は、文献研究をする者ではない。
日本人の精神以前の、心の古里としての、万葉の世界を見る者である。

一つ一つの歌については、別エッセイ、もののあわれについて、にて、書いているので、そちらを参照してください。

天武天皇は、国史編纂を始めた。
古事記、日本書記共にである。

これに合わせて、持統天皇三年に、撰善言司、よきことをえらぶつかさ、の成立があった。
志貴皇子以下六名が、任命されている。
その中の、三名は、日本最古の漢詩集、「懐風藻」かいふうそう、に収録されている作者である。

志貴皇子は、一流の歌を残している。
岩走る 垂水の上の 早蕨の 萌いずる春に なりにけるかも

漢字漢文の選択、口伝の、やまとことば、による、祝詞、寿詞、宣命の起草、漢文字による表現等・・・
古代における、文学革命である。

その中に、帰化人も含まれていると、考えてよい。

ここでとくに目だつことは、「舒明一族三代」の人々の、個性のあざやかさである。万葉集からうかがわれるだけではない。歴史にあらわれた彼らの政治的行為、文化活動を通して、これほど多種多様な個性が、宮廷をめぐってあらわれた例は、史上に稀なのではないか。それぞれが実力をもった存在である。しかも彼らの大部分は、進取気鋭の青年ではなかったか。
亀井

その、歴史の中の、万葉集である。
古来、様々な学者、研究家等が、研究を続けてきた。
だが、万葉集に定説はない。

あらゆる解釈が可能である。
時に、万葉集の権威者という者が、現れるが、それは、その一時期、一時的なものである。

古代人がそれをどのように感じ、また一語からどんなイメージを抱いたか、それを的確に知ることは不可能かもしれない。今は完全に消滅してしまった古代人固有の感覚もあるにちがいない。
亀井

そして、解釈病に陥ると、台無しである。

万葉集当時の、歌とは、いかなるものだったのか・・・
以前も、仏教が渡来しているにも係わらず、仏教関係の歌が一つもないという状況を、どのように考えるのか。

民俗学や、古代史研究家が、云々するが・・・
それは、時の権威にあるから、取り入れられる。

更に、言った者、勝ちである。

折口信夫は、うたの呪力は鎮魂にあった。鎮魂は、たまふりと解くのが古く、たましづめは後である、と言うが。

魂振り・・・
それは、御霊を奮い立たせること。
神霊に懸かられることだ。

言葉は、言霊とあるように、言葉の霊である。
霊とは、現在言われる、神と同じ感覚である。

言葉自体が、霊であった。
そのように、捉えていた。

鎮魂などという言葉は、当時は無かったのである。
勿論、一つの説としては、諒解する。

例えば、万葉では、咲くという、言葉を、笑うと読ませた。
漢語の意味から、やまとことばに訳す際に、そのように感覚を働かせた。

例えば、恋である。
魂乞い、である。
それは、現代の、恋愛ではない。

魂乞いは、あらゆる人や物に、行なわれた。

恋の、原型は、人や物の、魂を、我が身の中に、招く行為だった。
招魂ともいう。

私は、古代日本人は、大自然に対する、畏敬の念を持ち、言葉を霊として、自然に対すると同じように考えたと、思っている。
言葉に対する、畏敬である。
それは、いのちに対する、畏敬と同じである。

posted by 天山 at 05:54| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月28日

国を愛して何が悪い151

万葉集にも、仏教関係の歌が、全く無いに等しい。
では、日本人は、仏教をどのように、受け入れたのか。

勿論、大衆にとっての仏教は、鎌倉時代まで待たなければならないが・・・
それでも、初期の仏教は、どのようなイメージだったのか。
それは、現代に続く、伝統とまで言われる、仏教の大本である。

無常観は、本来それだけで成立する観念ではない・・・
常住真実なるもの(仏)が存在して、はじめて成立する観念である。言わば常住真実なるものから与えられた一種冷徹な認識能力である。そういう思索の面は度外視して、人間流離の悲哀としてうけとり叙情化した。仏教の諸原理の中から、とくに無常観だけを、しかも「無常哀感」と言ったかたちでとらえた点に特徴があると言ってよかろう。辛うじてしらべと化したのだが、挽歌の哀感に比べるとやはり観念的で弱い。
亀井

実際、仏教の影響は、微々たるものだった。
しかし、観念の上ではそうであるが・・・

造寺、造仏、装飾などの、造型面では、特別な情熱をかけているのである。

ここに、特徴がある。

推古朝から奈良朝までの古代仏教をみて誰でも気づくことは、思索や修行よりも、造型面に対して過度と思われるほどの情熱を示している点だ。厳密に言えば、これは仏教享受における第一義の道ではない。
亀井

仏教伝来と共に、渡来した大陸の人々の影響も、大きいのだろうが。

古代、仏教と言えば、寺、仏像、その他の造型物である。

蘇我馬子も、その偉大さを示すために、寺を建立した。
当時としては、それは、大変な建物である。

古代日本における仏教享受は、主として第二義の道において行なわれたところに特徴がある。
亀井

第一義とは、法を聞いて、如来に帰依する。出家修行して、乞食修行をし、真理を探究することである。

だが、第一義より、第二義に重きを置いたのである。
つまり、見る物としての、仏教である。

日本人は、信じる、信仰するという、方法を見出せなかったのではないか。
それ以前の信仰として考えれば、ただ、自然を崇めていた、自然崇敬である。
そして、祖霊に対する所作である。

思想を信じるという、態度を知らない。
教えとか、法というもの、つまり、思想を信じるという、心得を持たなかったのである。

目の前に、見る物、それが、崇敬の対象だった。
だから、仏教も、それを見ることから、始まったといえる。

そのためには、仏教の造型面が必要だったといえる。

インド、中国、朝鮮を経て、充分に発達あるいは変化し、造型面においても爛熟していたそのかたちで伝来した。宗教であるとともに、「新しい文明」として、様々の技術とともに受け入れられたという事情である。国家統一のための政治力も作用していたことは言うまでもない。
亀井

その造型の色彩・・・
それは、日本人が目にしたことの無いものである。
驚かすには、とても効果があったのだろう。

そして、もう一つは、その経典が大乗仏教であったことである。

或る意味でこれは危険なことなのだ。出家者としてのきびしい修行、戒律の厳守をすすめるよりは、僧俗をとわない広汎で無拘束な世界をもたらすからである。換言すれば、成仏のためのあらゆる可能性を示す、その意味では自由無碍の世界と言ってよい。
亀井

ここに、日本仏教の根本がある。
そして、その堕落の元もある。

無拘束・・・
結果的に、鎌倉仏教になり、実に、無拘束になった。

大乗仏教というより、日本仏教と成り果てて、更には、大いに堕落した。
その堕落とは、無節操である。

ついには、妻帯して、俗と変わらぬ僧が出来た。
つまり、衆生と何一つ変わらず、そして、それでいいという、姿勢である。

仏教の僧は、衆生なのである。
であるから、突然、仏教の新興宗教などが、続々と誕生することを、許した。
無節操なのである。

伝来した仏教は、芸術の面々で、大きな貢献をしたが・・・
その思想としては、単なる、妄想の域に留まっている。

日本は、仏教国と言われるが・・・
恥ずかしい限りである。
それは、造形物により、成り立つが、思想としては、何とも怪しい。

勿論、今では、本物の仏教と言っても、インドでさえ、仏教は、廃れて、形無しである。辛うじて、小乗仏教の国々の東南アジアに、その影を見るのみである。

ただし、文芸においては、大きな影響を与えた。
それが、軽薄なものであれ、深みのあるものであれ・・・

それこそ、衆生の方が、真っ当に、仏教に対座したと言えるのではないか。

仏陀は、生き方指導をしたのである。
生きるための、教えだった。
壮大な、妄想、創作の教えではない。
これから、仏教が目覚めるとしたなら、その仏陀の教えに立ち戻ることしかない。
そのためには、日本人の精神史を見つめ直すことである。

posted by 天山 at 05:48| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月29日

国を愛して何が悪い152

ところですぐ問題になるのは、古代人は造型を通して、「眼」の世界からどのようにして「心」の世界に到ったかということである。「寺」なるものの内部で、いかに感じ、いかに信じたか。私は病気と祈祷について語ったが、古代人の感覚や信仰内容を復原することは、殆ど不可能に近い。
亀井勝一郎

まさに、それは、不可能である。
現代言われる信仰と、古代人たちの信仰は、全く別物である。

思索と修行の伝統よりも、まづ造型の伝統をうちたてたわけだが、単に新文明への好奇心としてのみ解することは出来まい。むろんそれもあるが、根本において、「寺」とはそもそも何であったのか。
亀井

全く、新しい建物である。
そこには、隣の神を祀るのである。

隣の神、という意識である。

そして、その神は、病気回復、その祈祷による行為を行なう。

現在に近づけると、極めて、病院に近い感覚。

当時の、医療は皆無である。
そこに、病気のための、「寺」というものが、出来た。

最初は天皇個人の発願であったり、氏神の氏寺として建立されたが、やがて国家統一を内的に支える精神的支柱として、奈良朝における国分寺建立によってそれはクライマックスに達する。精神の定着のための必死の努力、これが造型への情熱の根本にあるものではなかったか。
亀井

それは、第一義の道ではなかった。
しかし、建築ということが、思想を決定する事もある。

亀井は、色彩の革命、と言う。
確かに、今までにない、色彩の形相である。
それは、古代人を驚かせた。

日本古来の建築は、黒木と白木の組み合わせである。
そこに一切の、色彩は無い。
清浄で明快である。

それに対して、寺の場合は、巨大な礎石が置かれた。
その上に、朱塗りの円柱が立ち、内外には朱や緑青、黄色、紫等の強烈な色彩である。

檜皮葺の屋根が、瓦、鳩尾というものが、乗せられた。

古代人の受けたショックは、強烈だった。

それだけではない。
その内部である。

金色の本尊が輝き、色彩も新しい四天王像が立つ。
また、華麗な天幕、幡が垂れ下がる。

それは、眼も眩むばかりの、極彩色だった。

更に、儀式である。
燈明が輝き、香が立ち上り、僧侶が読経する。
全く新しい、呪術の出現である。

敗戦後、キリスト教、特に、カトリックのステンドグラスに憧れて・・・
などというものではない。
その何百倍の強烈さである。

人間は、眼に入るものには、弱いのである。
雰囲気・・・それに、やられる。

同時に異様な体臭を伴っていた筈だ。大陸からの来朝者、帰化人、混血児、唐留学生など、言わば大陸の体臭の漂う場所であり、大陸独特な「飛地文化地帯」の成立をも意味したと思う。すべては異様で強烈であったにちがいない。
亀井

精神の不安や、病気と死への恐怖から、古代人はどんな気持ちでここにひれ伏したか。殆ど動物的とも言えるほどの激しい生への執着、逞しい肉体、原始的な情欲、そういう面を考えると、よほど強烈な威圧感と呪縛力を必要としたように思われる。
亀井

生死との激しい格闘の場ではなかったろうか。
亀井

それほど、時代が、あるモノを意識させた。
その、あるモノ、とは、未分化だったものの意識化である。

原始の人々は、死に対して、それほどの恐怖を感じていなかったはずである。
死は、別世界への、移行であるという、意識。

だが、仏教が渡来してからの時代性は、死への恐怖・・・
その前に、病の恐怖である。

その解決の方法が、仏教の造型の中に、見出されたと、素直に考える。

元来「仏」は眼にみえない存在であり、教えのためには経典があれば足りる。つまり第一義の純粋なかたちはそうだが、像として描かれ彫刻されたとき、全く別の作用があらわれる。「像」そのものが、「仏」として礼拝の対象になる。
亀井

「像」そのものが、「仏」
ここに、当時の仏教がある。

理屈抜きである。

それ以前の、日本の社には、鏡のみが存在した。
更に、祭りが終わると、神々は去ったのである。

これに対して、仏像は、常時、そこに存在する。

これが一大変化であった。
亀井

それである。
いつも、仏像は、そこに存在していた。
つまり、いつも、仏が、そこに存在していたのである。

これは、画期的なことだった。

posted by 天山 at 06:15| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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