2014年07月30日

国を愛して何が悪い144

古代人の意識を探るのは、難しい。
しかし、子供の意識を探ることは、方法がある。

まだ、意識以前の状態・・・
朦朧として、あらゆる存在と、自分が結び付いているという、感覚。

すべてが、自分と一緒であるという、感覚である。
古代人の意識も、そのような朦朧とした時期があった。

ところが、成長するにつれて、次第に、自己の意識が明確になってくる。
すると、周囲のモノに対する感覚も変化する。
自分と違うモノである。

それらと、どのように対座するのか・・・

書紀の成立したのは、元正天皇(奈良朝)の養老四年(西暦720)である。古事記が集録されてからわずか八年の後だから、両書はほぼ同時代の産物といってよい。またその動機を辿ると、どちらも天武天皇の発意に由る。それにも拘らず、なぜこれほどの異質の書物となってあらわれたのか。古代精神を語るときの大きな問題だと思う。単に異なった二つの歴史観というものではあるまい。また日本固有の古語と漢語という表現上だけの問題でもない。
亀井勝一郎

古事記を見れば、神話であり、神々の物語である。
だが、日本書紀は、人間史中心である。

亀井は、神人分離を自覚した、古代人の苦悩が、この二つの書を通して、また表現により、神と人との、別れの途上であったと、解釈する。

神と人との別れの途上で味わった様々の矛盾と不安、ここに問題の核心があると思う。
亀井

古事記の上巻は、神々の物語。
そして、中巻は、神とその間の遠くない状態。しかし、神人分離の兆しが現れてくる。
下巻は、最後の方に行くと、人間史となってくる。だが、実に簡単な、天皇の系図、即位、御陵である。
最後の推古天皇は、二行で終わる。

更に、面白いことは、仏教伝来については、無視しているのである。

日本書記の場合は、資料という観念が明確になってくる。
神々の物語も、様々な別伝をそのままに記載し、比較出来るようになっている。

漢文のために、古事記とは、一線を画す。

そして、祟神天皇から以後は、人間史の生々しさが出てくる。

中でも、祟神天皇の世の、大事件は、「同床共殿」からの離脱ということである。
つまり、天照を示す、鏡と天皇は共にあるという、決まりを、破るのだ。

鏡を皇居から、離したのである。
つまり、今までの伝統の廃止である。

それが、大和の笠縫、つまり、現在の伊勢にお鎮まり願ったのである。

亀井は、仔細は、解らないと言うが・・・

当時の社会不安・・・
伝性病の発生、飢饉など・・・

その記述は、鏡という、天照大神との、同床共殿に堪えられなかったとある。
これは、異なことである。

今までの伝統であると、述べているのに・・・
不思議だ。

そこで、この鏡は、実際、同床共殿とあるが、何かの訳がある。
それは、私の考えで言えば、実際は、そうではなかったのたのである。

その鏡は、富士山の阿曽大神宮に祀られてあった。
富士山の麓とは、富士王朝の、高天原府が存在した場所である。
これは、正史にはない話である。

天皇即位の際は、富士王朝が神器を携えて、即位の儀を執り行ったのである。

ところが、祟神天皇は、それを奪い、皇居に御祀りした。
ところが、書記にある「神の勢いに畏りて」・・・
堪えられないと、鏡、神の天照を、離したのである。

もし、伝統だというならば、その書き込みは、おかしいのである。

亀井は、
八世紀の奈良朝に成立した書記であるから、少なくとも天武朝以降の社会不安、或いは時代の危機感を反映し、神人分離の自覚過程を過去にさかのぼってしらべたとき、書紀編纂者たちは、祟神朝にその最初の兆しを発見したのかもしれない。
と、書く。

正史からも、別伝からも、いずれにしろ、朦朧たる意識から、目覚めが発生したということだ。

人間の時代である。

つまり、天皇の人間宣言である。
敗戦後、昭和天皇が、人間宣言をしたというが・・・

もう、とうに天皇は、人間であったことが、解るのである。

天皇の神格の、崩壊を感じた時期が、古代人にあったということだ。

神々そのものであるか、或いは神と人のあわいは未だ遠くないか、そういう状態から、逆に神々を畏れ、仰ぎ、信ずる人間としての天皇が誕生したということだ。「神祇を礼い祭ひ、己を克め、身を勤めて、日に一日を慎む」(垂仁紀)と先帝を追慕していることからも推察される。そういう人間として、はじめて統治に成功したために、「はつくにしらしし、すめらみこと」と称されたのではなかろうか。
亀井 (読みやすいように書き直している)

天皇が人間天皇として登場するだけではなく、当時の古代人全般が、神々を「求めねばならぬもの」として自覚する過程を指す。
亀井

そして、神々は、「神ながらの道」に転化し、その「神ながら」も、多様な扱い方をされるようになった。

亀井は、精神の流離の始まったことをも意味する。
と、言う。

ただし、私は、この当時に出来上がった、神=自然、そして、共生と共感は、今も脈々と続いて、日本人の心の内に宿ると、みている。

ちなみに、垂仁天皇の皇女が、伊勢神宮の創設者である。
祟神天皇の皇女の後を継いだのは、倭姫である。
その、職を斎宮と呼ぶ。

現在は、池田厚子様の後を、黒田清子様が、継いでいらっしゃる。



posted by 天山 at 05:07| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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