要するに、周囲の環境に支配されている、または、大きな影響を受けている。それは、意識しても、しなくても、である。
更に、それに対する、つまり環境からの刺激に対する、感じ方、心理的刺激の受け方は、人それぞれである。
性格・・・
その人に特有の、心理的な反応の仕方である。
また、特有の情動の働きともいえる。
それを、心の癖と呼んでもいい。
その情動的反応が、過度に歪むと、コンプレックスが形成されて、人により、神経症などの症状を持つこともある。
外部からの刺激、運動回路を通じて、体に入り、自律神経の機能に影響を与えて、体をまた、精神を歪めることがある。
精神が歪めば、体も歪む。
いずれにせよ、意志の自由になる皮質、感覚―運動系の機能と、無関係ではない、情動作用により、関連してくるのである。
更に、情動作用についての、学習や条件付けにより、様々な、一時的結合関係が、作り出される。
整体療術は、そこに刺激を与える。
そこに、とは、それらによって、体が歪んだ場所、その反射区に、である。
整体により、体の大本である、呼吸を整える。
呼吸が整えば、本来の力である、自然治癒能力が引き出される。
自然治癒力とは、体に備わる、様々な生理的機能の全体を、ホメオスタシス、生体機能の恒常性と呼ぶ、力である。
ホメオスタシスは、日々の生活の中でも、大きな力を発揮している。
体温が高くなると、皮膚の汗腺の発汗作用を促がし、体温を下げる。
血液が、酸性にも、アルカリ性にも偏らないように、調節する、など。
ホメオスタシスの機能が失われると、人体は危険な状態に陥るのである。
自然治癒力は、正確に言えば、自然な医学的力、ということだ。
整体の目的は、その自然治癒力を引き出すことである。
そのために、整える。
調身と、東洋医学では言う。
更に、調息があり、調気というものである。
息を整える。
気を調えるという意味。
その二つを結ぶものが、調心、である。
息により、気が整えられると、考えている。
呼吸法という行為がある。
それは、息を整えることで、気を整え、そして、身を調えることになる。
それを人為的に行なうことが、整体法、療術である。
例えば、足裏に対する刺激により、その反射区を刺激し、働きを促がす。
更に、反射区の痛みを感じる場所の、体の部位を探し当てる。
その刺激を通して、反射区の部位に、自然治癒力の発露を促がすのである。
であるから、刺激は、皮膚そして、皮膚の奥にある、コリに当てることになる。
それは、足裏のみならず、体のすべてが、まず皮膚の刺激からはじまる。
そして、皮膚の奥にある、コリ、張りである。
それを刺激することにより、自然治癒力を引き出すのである。
そこでは、心理的に見ると、自律神経の作用にも、刺激を与えることになる。
自律神経は、心の深い層に抑えられた、情動である。
それは、喜怒哀楽の感情なども、関係する。
更に、快、不快の感情である。
マイナス情動により、病的な状態であれば、プラスに転じように働きかける。
それは、施術が、与えるのではなく、整体を受けた本人が、次第に、プラスに転じるように働く、自然治癒力による。
つまり、心理的に与える影響を考えることが、整体の最大の問題になる。
コンプレックスという、深層心理、無意識の層にも、係わるということだ。
潜在的エネルギーを活性化し、それを意識の働きに、統合してゆくのである。
東洋医学の現場で、呼吸法や、気の訓練などは、皆、そこに通じるものである。
或いは、気功というもの。
整体も、気功に関与するものである。
気功という専門ではなくとも、気を調えるための、療術なのである。
体を調えるということは、体の機能を整えることであり、更に、体にまつわる、すべてについても、調えることと、考える。
体液の循環を良くする。
そのために、東洋医学の経絡の知識も、必要になる。
西洋医学では、経絡の存在を認めなかった。
しかし、それは、現在非常に重要なものとして、認識されている。
ツボなどというのは、経絡の点のことを言う。
血流でも、リンパの流れでもない、経絡という、考え方である。
勿論、経絡の知識があるから、整体が出来るということではない。
経絡の知識を持たず、整体療術を為すことも出来るのである。
簡単に言えば、仏陀の治療法である。
体の凝り、張りは、押して取るというものだ。
痛みのある部分には、手を当てる。
まさに、手当てである。