2014年07月17日

もののあわれについて686

内侍のかんの君は、つと候ひ給ひて、いみじく思し入りたるを、こしらへかね給ひて、「子を思ふ道は限りありけり。かく思ひしみ給へる別れの堪え難くもあるかな」とて、御心乱れぬへけれど、あながちに御脇息にかかり給ひて、山の座主よりはじめて、御いむことのあざり三人候ひて、法服など奉る程、この世を別れ給ふ御作法、いみじく悲し。




内侍のかんの君は、お傍を離れず、とても思い詰めていらっしゃるのを見て、慰めかねるが、朱雀院は、子を思う道には、ほどがあった。このように、思い詰めているあなたとの別れは、辛いものだ、と、御心も鈍りそうだが、無理に、御脇息に寄りかかり、比叡山の天台座主をはじめとして、受戒のあざりが三人お付して、法服などを、着せられるとき、この世を別れる儀式は、たまらなく悲しい。




今日は、世を思ひすましたる僧たちなどだに、涙もえとどめねば、まして女宮たち、女御、更衣、これらの男女、上下ゆすり満ちて泣きとよむに、いと心あわただしう、かからで静やかなる所に、やがて籠るべく思しまうけける本意たがひて思しめさるるも、「ただこの幼き宮にひかされて」と思し宣はす。




今日は、人の世を悟った僧たちなどでも、涙をこらえかねるのだから、まして、女宮たち、女御、更衣、その他多くの男女、上下揃って、御殿の中に響くほど、泣き悲しむので、心落ち着かず、こんなのではなく、静かな所に、このまま籠もろうとされていた希望が、ままならない感じがするのも、ひとえに、この幼い姫宮にひかされて、と、仰せられる。




内よりはじめ奉りて、御とぶらひのしげさ、いとさらなり。
六条の院もすこし御ここちよろしくと聞き奉らせ給ひて、参り給ふ。御賜の御封などこそ、皆同じごとおりいの帝とひとしく定まり給へれど、まことの太上天皇の儀式には、うけばり給はず。世のもてなし思ひ聞えたるさまなどは、心ことなれど、ことさらにそぎ給ひて、例のことごとしからぬ御車に奉りて、上達部など、さるべき限り、事にてぞ仕うまつり給へる。院にはいみじく待ち喜び聞えさせ給ひて、苦しき御ここちを思し強りて、御対面あり。うるはしきさまならず、ただおはします方に、御座よそひ加へて入れ奉り給ふ。変はり給へる御ありさま見奉り給ふに、来し方行く先くれて、悲しく、とめ難く思さるれば、とみにもえためらひ給はず。




主上をはじめ、お見舞いの多いことは、今更、言うまでも無いこと。
六条の院、源氏も、少しご気分が良いと聞いて、参上される。
朝廷から頂戴する、御封戸などは、すべて上皇と同じ額に決まっているが、本当の太上天皇の儀式にしては、威張ったりしない。世間の扱いや、尊敬しているところなどは、格別であるが、わざと、簡略にされて、例のように、仰々しくないお車にお召しになり、上達部など、適当な者だけが、車でお供された。朱雀院には、大変お待ちあそばし、喜ばれて、苦しい気分を無理に引き立てて、ご対面される。形式ばったことではなく、ただ常の御座所に、もう一つのお席を整えて、お入れ申し上げる。
お変わりなさったご様子を、拝見されると、過去も未来も忘れて、悲しくて、こらえきれない思いがするので、急に涙を抑えることができない。




源氏「故院に後れ奉りし頃ほひより、世の常なく思う給へられしかば、この方の本意深く進み侍りにしを、心弱く思う侍りぬる心のぬるさを、恥づかしく思う給へらるるかな。身にとりては、事にもあるまじく思う給へたち侍る折々あるを、さらにいと忍び難きこと多かりぬべきわざにこそ侍りむれ」と、慰め難く思したり。




源氏は、故院に先立たれました時から、世の中は、無常と考えましたので、この有様の決心は、深く強くなりましたが、気弱く、ぐずぐずするばかりで、とうとう、こうしてお逢いするまでに遅れた、生ぬるい私で、お顔も拝すことが出来ない、思いです。私などには、何でもないように思われ、何度か、思い立ちましたが、どうしても、堪えられないことが、多いことでございます。と、心を静められない思いである。




院も物心細く思さるるに、え心強からず、うちしほたれ給ひつつ、いにしへ今の御物語り、いと弱げに聞えさせ給ひて、朱雀院「今日か明日かと覚え侍りつつ、さすがに程へぬるを、うちたゆみて深き本意の端にても遂げずなりなむこと、と思ひおこしてなむ。かくても残りの齢なくは、行ひの心ざしもかなふまじけれど、先づ仮にてものどめおきて、念仏をだにと思ひ侍る。はかばかしからぬ身にても、世にながらふる事、ただこの心ざしひきとどめられたると、思う給へ知られぬにしもあらぬを、今まで勤めなきおこたりをだに安からずなむ」とて思し掟たるさまなど、くはしく宣はするついでに、朱雀院「女御子たちをあまたうち捨て侍るなむ心苦しき中にも、また思ひ譲る人なきをば、取り分きて後めたく見わづらひ侍る」とて、まほにはあらぬ御けしきを、心苦しく見奉り給ふ。




朱雀院も、何やら心細く思われるままに、堪えかねて、涙を流し、昔の思い出、近頃のお話を、弱々しく申し上げて、朱雀院は、今日か、明日かと思いつつ、それでも年月を経てしまった。油断してから、心からの願いの少しも果たせず、終わろうかと、思いたって。この姿でも、余生が少なくては、修行の願いも、果たせないだろうが、まず、上辺だけでものんびりすることにして、念仏だけでもと、思います。何も出来ないが、世に長らえているのは、唯一つ、この願いにひかれての事と、気づかれないわけではないが、今まで修行をしなかったという、怠慢さえ気になり、と仰せられ、計画されたことを、詳しく仰せられる。そのついでに、女御子たちを、大勢残して行きますのが、気の毒で、その中でも、他に頼んでおく人のない姫を、とりわけ気掛かりで、苦にしています、と、暗に仰せられるご様子を、お気の毒と、拝される。

頼む人のない、御子とは、女三の宮、のことである。
結果的に、源氏が引き受けることになる。
つまり、源氏に嫁入りするという・・・




posted by 天山 at 05:55| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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