2014年07月16日

もののあわれについて685

年も暮れぬ。朱雀院には、御ここち、なほおこたる様にもおはしまさねば、わろづあわただしく思し立ちて、御裳着の事、思し急ぐさま、きしかた行くさきあり難げなるまで、いつくしくののしる。




年も暮れた。朱雀院におかせられては、ご病気が中々快方に向うご様子もなく、何もかにも、急ぎ、お取り決めになり、御裳着のことを、ご準備される様子は、後にも先にも、ないと思うほど、豪華で、大騒ぎである。

女三の宮の、裳着の儀である。





御しつらひは、柏殿の西面に、御帳御凡帳よりはじめて、ここの綾錦まぜさせ給はず、もろこしの后の飾りを思しやりて、うるはしくことごとしく輝くばかりととのへさせ給へり。




お部屋の飾りつけは、柏殿の西座敷に、御帳台や、御凡帳をはじめとして、国産の綾錦は全く使わず、大陸の后の装飾を想像されて、端麗で、大袈裟で、輝くばかりに整えられた。




御腰結には、太政大臣をかねてより聞えさせ給へりければ、ことごとしくおはする人にて、参りにくく思しけれど、院の御言を昔よりそむき申し給はねば参り給ふ。いま二所の大臣たち、その残りの上達部などは、わりなき障りあるも、あながちにためらひ助けつつ、参り給ふ。親王たち八人、殿上人はたさらにもいはず、うち東宮の残らず参りつどひて、いかめしき御いそぎの響きなり。院の御事この度こそとぢめなれと、帝、東宮をはじめ奉りて、心苦しく聞こしめしつつ、蔵人所、納殿の唐物ども、多く奉らせ給へり。六条の院よりも、御とぶらひいとこちたし。贈り物ども、人々の禄、尊者の大臣の御引出物など、かの院よりぞ奉らせ給ひける。




御腰結いには、太政大臣を、前々からお頼みなさっていたことで、大仰でいられる方で、参上しかねると思っていたが、院のお言葉に、昔から背かれたことが無いので、参上される。他の二人の大臣たち、その他の上達部などは、やむをえない支障のある者も、無理に延期したり、都合をつけて、参上された。親王たち八人、殿上人は、これも言うに及ばず、内の殿上人も、東宮の殿上人も、残らず参加して、大変な儀式と、評判が高い。
院の御催し事は、今度こそ、最後であろうと、帝や東宮をはじめとして、お気の毒に思いあそばされて、蔵人所と、納殿にある、大陸の品々を沢山差し上げた。六条の院、源氏からも、ご祝儀が実に大変である。贈り物の数々、参列者への禄、主客の太政大臣への、引出物など、六条の院から、献上された。




中宮よりも、御装束、櫛の箱、心ことに調ぜさせ給ひて、かの昔の御髪上げの具、ゆえあるさまに改め加へて、さすがにもとの心ばへも失はず、それと見せて、その日の夕つ方奉れさせ給ふ。宮の権の亮、院の殿上にも候ふを御使にて、姫宮の御方に参らすべく宣はせつれど、かかる言ぞ中にありける。

秋好む
さしながら 昔を今に 伝ふれば 玉の小櫛ぞ 神さびにける

院御覧じつけて、あはれに思しいでられるる事もありけり。あえものけしうはあらじと、譲り聞え給へる程、げにおもただしきかんざしなれば、御返りも昔のあはれをばさしおきて、
朱雀院
さしつぎに 見るものにもが 万世を つげの小櫛の 神さぶるまで

とぞ祝ひ聞え給へる。




中宮からも、お召し物、櫛の箱を、特に心を込めて、調整して、あの昔のお道具も、趣あるように手を入れ、それでも、元の感じを失わずに、それと分るように、その日の夕方、差し上げた。宮の権亮で、院の殿上にも仕えているのを、お使いとして、姫宮に差し上げるように命じたが、その中に、歌が入っていた。

秋好む
そのまま挿したままに、昔から、今日に至りました、玉の小櫛は、古くなってしまいました。

院が御覧になって、あはれ、に、心に浮かぶ事もあるものだった。幸運のあやかり物として、不似合いでもないだろうと、お譲り申したのだが、いかにも、名誉の櫛であるので、お返事も、昔の感傷は、差し置いて、

朱雀院
あなたに次いで、宮の幸運が見たいもの。千秋万歳を告げる、柘植の小櫛の、古くなるまでも。
と、お祝い申し上げる。

あはれに思しいでられるる事
昔のあはれをばさしおきて
共に、言葉の付かない、気持ちである。
共に、昔の思い出の事・・・懐かしく、儚い思い出・・・




御ここちいと苦しきを念じつつ、思しおこして、この御いそぎ果てぬれば、三日過ぐして、つひに御髪おろし給ふ。
よろしき程の人の上にてだに、今はとて様変はるは悲しげなるわざなれば、ましていとあはれげに、御方々も思し惑ふ。




ご気分が酷く苦しいのを、我慢して、思い立ち、この儀式が終わったため、三日をおいて、遂に、髪を下ろしあそばす。
普通の身分の人でさえ、これが最後と、姿が変わるのが、悲しいことだから、まして、そのお気の毒なご様子に、御妃たちも、悲しみにくれるのである。

ましていとあはれげに
その姿に、悲しみが感無量であることを、あはれ、と表現する。




posted by 天山 at 05:32| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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