2014年07月14日

霊学171

私の行為の一部分は外界にあり、他の部分は私自身の中にある。自我と行為のこの関係を単純な自然科学上の比喩で説明することができよう。
シュタイナー

かつて働いていたひとつの能力が行為の結果と結び付いて。別の能力に変わったのである。同様のことが人間の霊についてもいえる。
シュタイナー

人間の霊が、どのような能力を持っているかは、その魂が、どのような行為を成し遂げたかによる。

魂が、成し遂げた行為を通して、この行為の成果として、別の行為を成し遂げることのできる、霊的能力の素質が、魂の中に生ずる。

つまり、転生の話である。

行為を通して、魂は、この行為の結果を、清算しようとする必然性を自らに、刻印づける。

このように、人間の霊は、行為によって、自己の運命を招来してきた。彼が前世で果たしたことに、現世でも結び付けられているのである。
シュタイナー

確かに、そのようである。
それは、正しい。

転生は、以前の時代と、環境が違う。しかし、
以前の生活が今の環境を決定している。以前の生活がいわば新しい環境全体の中から、自分にとって身近なものを取り出して、それを自分の方に引き寄せるのである。
シュタイナー
と、言うことになる。

霊我の場合も同様である。霊我は新しい人生においても、必然的に自分の周囲を前世において身近だったものでとりまかせるのである。
シュタイナー

前世が、全く別の国や、時代にあっても、基本的には、その霊我の状態は、変わらないのである。
そして、それに相応しい、環境を引き寄せると言うのである。

ということは、ある程度、前世によって、生きるべき、道筋を立てているといえるのだ。

だが、同じことの、繰り返しはしないはずである。
何故なら、成長のために、転生しているからだ。

それは、すなわち、超感覚世界を、体験しているということになる。
だが、生まれると、それを忘れる。
何故か・・・

何故、その記憶が消されるのか・・・
いや、それは、無意識、潜在意識に残るという人もいるだろう。

それでは、無意識、潜在意識は、超感覚世界を知るのか。
ここでは、これ以上、詮索しないでおく。

シュタイナーを続ける。

前世の諸行為も運命となって人間と結び付いているのである。
シュタイナー

人間の霊もみずから自分の行為を通して作り出した環境の中でしか生きることができない。朝起きたとき、前日私が作り出したままの状態におかれているようにしてくれるのは、状況そのものの自然な成り行きであり、ふたたび生まれ変わった、私が前世での私の行為の結果に相応した環境に出会えるようにしてくれるのは、生まれ変わった私の霊と周囲の事物との類縁関係である。
シュタイナー

それから、また、延々と説明が続くが・・・

肉体は、遺伝の法則に従う。
そして、霊は、繰り返し生まれ変わる。

転生の法則は、霊が前世の成果を次ぎの生の中に持ち込むことにある、と言う。

魂は現世の中に生きている。しかし現世の中に生きているということは前世の生活から独立しているということではない。
シュタイナー

それは、生まれ変わる霊が、前世から自分の運命をもって生まれてくる。
その、運命が、人生を規定している。

とすれば、運命論になる。

更に、
魂はひとつの人生の中で結び付いていた人たちに、次の人生の中でもめぐり会わずにはいないだろう。
シュタイナー

ここに至ると、実に、仏教的になる。
仏教、インド思想の、輪廻転生の思想である。

今でも、インドには、カースト制がある。
生まれにより、人生が決定されるという、魔的な考え方である。

それでは、現世の運命を知りたければ、前世を知るべきことと、なる。

勿論、シュタイナーは、独自の理論、思想を展開したが・・・

結果的に、
そしてこのとのを通して人間は誕生と死を超越している要因に三重の仕方で依存している。すなわち肉体は遺伝の法則に従っている。魂はみずから作り出した運命に従っている。人は人間によって創り出されたこの運命を古い表現を用いてカルマと呼ぶ。そして霊は転生の、生まれ変わりの法則に従っている。
シュタイナー
という言になる。

古い言い方・・・
カルマ・・・何も古い言い方ではない。
そのまま、カルマである。
カルマを信じるか、否か。
カルマを信じなければ、シュタイナーは理解出来ないことになる。



posted by 天山 at 05:01| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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