2014年07月10日

霊学167

自我は魂の中に生きている。「私」の最高の表現が意識魂によるとしても、この「私」は意識魂から輝き出て、魂全体を充たし、そして魂を通して、その作用を体にまで及ぼす。自我の中には霊が生きている。霊は自我の中を照らし、自我を外皮として、その中で生きる。自我が体と魂を外皮としてその中で生きるように。霊は内から外へ向けて、鉱物界は外から内へ向けて、自我を形成する。一個の「私」を形成し、その「私」の中で生きる霊は、人間の「私」もしくは「自我」として現れるから、「霊我」と呼ばれる。
シュタイナー

それでは、霊我と、意識魂の区別は・・・
意識魂は、あらゆる共感、反感から独立した、自分自身によって存在する真理に係わる。
霊我は、自分の中にこの同じ真理を担っている。
その真理は、「私」によって取り上げられ、「私」の中に包み込まれている。

「私」によって、真理は個体化され、独立した人間の本性になる。
シュタイナー

そして、永遠の真理が、独立し、「私」と結び付いたひとつの本性になることにより、「私」自身が霊我となって永遠性を獲得する、ということになる。

霊我となり、永遠性を獲得する・・・
何とも、説明がつかない。

物体界の顕現が感覚と呼ばれるのと同じ意味で、霊界の顕現は直観と呼ばれる。どんな単純な思考内容もすでに直観を含んでいる。
シュタイナー

ここで、直観である。
霊界を持ち出さずとも、哲学は、反省と直観なのである。

だが、
肉眼がなければ色彩感覚も存在しないように、霊我の高次の思考内容が存在しないと、直観は生じ得ない。・・・直観は霊的存在を産み出すのではなく、ただそれについての情報を提供するだけなのである。
シュタイナー
と、言うことになる。

次ぎは、霊人という言葉が、出てくる。

霊的内容は人間の永遠の養分である。人間は物質界から生まれ、真と善の永遠の法則によって霊から生まれる。人間は、独立した存在として物質界から切り離されているように、彼の外にある霊界から切り離されている。この独立した霊的人間存在は「霊人」と呼ばれる。
シュタイナー

そこで、シュタイナーが区分けしたものを見る。
A―――肉体
B―――エーテル体もしくは生命体
C―――魂体
D―――感覚魂
E―――悟性魂
F―――意識魂
G―――霊我
H―――生命霊
I―――霊人

現界の人間は、七つの部分より成る。
1―――肉体
2―――エーテル体もしくは生命体
3―――感覚する魂体
4―――悟性魂
5―――霊に充たされた意識魂
6―――生命霊
7―――霊人
以上である。

つまり、魂体と、感覚魂、意識魂と、霊我は、現界では、一緒だということ。

アストラル体とは、魂体と感覚魂を一緒にした名称である。

アストラル体の中には、人間の衝動、欲望、情欲が感情内容として、働く。
更に、感覚的知覚も、働く。

また、まだ詳しい説明をしているが・・・

そして、更に、人間を区別している。

1―――肉体
2―――生命体
3―――アストラル体
4―――魂の核としての自我(私)
5―――変化したアストラル体としての霊我
6―――変化した生命体としての生命霊
7―――変化した肉体としての霊人

批判はしないと、言ったが・・・
シュタイナー以前の、あらゆる、思想、哲学、宗教・・・その他が、係わっている。

神智学を名乗るのであるから、当然と言えば、当然だが・・・
シュタイナー学である。

霊界による、物の見方・・・
一体、誰がそれを判定するのか、解らない。
そのまま、受け入れるか、拒否するか。

グノーシス主義なども、色々と霊について、語る。
その真理と、善、そして神の存在である。

シュタイナーは、高次の次元を語るが、神とは、出て来ない。
その点では、神という存在も、霊であるから、当然であるが。

神々と言う方が正しい。
つまり、霊の世界であるからだ。

それを霊界と言うならば、霊界は、無限とも言える世界である。
それぞれの、霊界の世界を俯瞰して、それぞれに、霊界の所存がある。
シュタイナーも、その一人である。

次ぎは、霊の再生と運命、を読むことにする。


posted by 天山 at 05:17| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。