2014年07月02日

国を愛して何が悪い139

高天の原で、決定的ともいえる二つの事件の起こったとき、登場するのがこの神である。ひとつは天照大神が石屋戸に身を隠して、世が暗闇になったとき、いわゆる「岩戸開き」の一切を計画したのはこの神であった。もうひとつは、豊葦原の瑞穂の国を平定すべく、どの神を降臨させるかが四度にわたって問題になったとき、候補者を指名したのもこの神であった。八百万の神々のくだりで「思金の神に思はしめて」とあるのがそれである。八心思兼神とも称して、様々のことを思い兼ねもつ、言わば人間の叡智の極限を神格化したものとも解されているが、同時に興味深いのは。この神は産巣日神の子とされていることである。
亀井

思金神、おもいかねのかみ、である。

人間の叡智の極限を神格化させた・・・
その通りである。

そして、思うということは、即座に、言葉につながる。
更に、思いは、述べられる。
唱えられる。

そして、発せられた言葉は、成るのである。
これが、言霊と言われる所以になる。

その、原始の姿をもって、思兼神と、言う。
その、兼ねは、兼ねているのである。
発言と思考である。

思う、は内的なものではなかった。
思う、とは、唱えごとをするという、意味でもある。

そして、それが、伝わる・・・

言葉が「伝わる」ということは、或る意味で言葉が「受難する」ということだ。誤解歪曲なしに伝わるということはまづないからである。口伝は変化するし、文字で書かれたときも、その時代や書く人の主観で変化する。長いあいだには死語となるものもあり、また死語の復活もある。わづか一語であっても、幾通りに解されることがあるし、自分でわけがわからないで使っている言葉もある。
亀井

わかがわからずに、使う言葉の、いかに、多いことか。

毎日、何か書き付けている私自身も、もし、その言葉の意味を尋ねられて、明確に答えることが、出来るのかと、問うことがある。

文の流れの中で、何となく・・・使う・・・

おそらく言語表現の異常な困難と、伝承における混乱とを古代人が自覚したところから、この自覚過程の神格化として思兼神が創り出されたとも考えられる。
亀井

すでに、古代において、言葉の混乱があったということ。

そこで、亀井が、
「八百万の神々」の存在とは「八百万の言葉」の同時存在と同義ではなかったろうか。原始古代の或る時期に、産霊による言葉の盛んな生産時代があったように思われる。
と、言う。
さまに、卓見である。

神とは、言葉のこと・・・
私は、そのように思う。
または、神のように、扱うものとの、意識である。

ちなみに、縄文末期から、弥生の初期は、人類の坩堝状態だったのが、日本列島である。
そこから、考えても、言葉と、それぞれの人種の思いは、交錯していたと思われる。

混血の時代であり、日本の古代人の産卵期である。

現在、世界的に英語が使用されている。
ところが、米英英語ではなく、ブロークン英語の時代到来なのである。
英語圏ではない人たちが、英語を使うようになり、米英の英語より、ブロークン英語が通用する時代になっている。

そして、相手の言うことを、探りつつ、理解しようとする。
古代の人たちも、そのような状態に似ていると思うのである。

いずれ、ブロークン英語が、何となく、統一されて、新しい英語が、出来上がる過渡期にあると、思う。

日本語の前に、大和言葉があり、それ以前には、縄文、弥生言葉がある。
大和言葉に統一されて行く過程が、面白い。
それは、為政者の台頭がある。

それぞれの、地域に、集落に、上、カミという、長が誕生する。
特に、弥生に入り、収穫物の管理、分配を行なう人、それを、カミと呼んで、その言葉を尊重した。

そして、その長は、何かしらの、信仰に似た形態を指導する、祭司になることにもなる。

長、オサである。
オサは、巫女に仕えたのかもしれない。
つまり、巫女の神託を、民に伝える人。

巫女の、わけのわからない言葉を、通訳した人・・・

再度、八百万の神々は、八百万の言葉であるとの見解は、実に納得するものだ。

唯一絶対のカミと、言葉を持つ、民族との違いを考えれば、当然、納得する。
唯一絶対ということでの、対立、争いは起こらない。

旧約聖書における、唯一絶対の神の命令を下す厳しさは、日本神話にはない。

それは、自然、風土の違いだけではない。
民族の根本的な違いである。

人を何かの元に、縛りつけることはしないのである。
寛容な考え方・・・

日本神話には、寛容と、和というものが、見事に存在する。
闘いの場面も、神話的である。
皆殺しなどということは、ないのである。



posted by 天山 at 05:42| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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