2014年07月21日

もののあわれについて690

源氏「過ぐる齢も、みずからの心にはことに思ひとがめられず、ただ昔ながらの若々しき有様にて、改むる事もなきを、かかる末々のもよほしになむ、なまはしたなきまで思ひ知らるる折も侍りける。中納言のいつしかとまうけたなるを、ことごとしく思ひ隔てて、まだ見せずかし。人より殊に数へとり給ひける、今日の子の日こそなほうれたけれ。しばしは老を忘れても侍るべきを」と聞え給ふ。尚侍の君もいとよくねびまさり、ものものしき気さへ添ひて、見るかひある様し給へり。

尚侍
若葉さす のべの小松を ひきつれて もとの岩根を 祈る今日かな

と、せめておとなび聞え給ふ。沈の折敷四つして、御若菜、さまばかり参れり。御かはらけ取り給ひて、

源氏
小松原 すえのよはひに 引かされてや 野辺の若菜も 年をつむべき

など聞えかはし給ひて、上達部あまた南の廂に著き給ふ。




源氏は、年は取るが、自分では、特に気にならず、まだまだ昔のままの、若々しい恰好のままで、変えることもないが、このように孫たちが出来て、きまりの悪いほどまで、自分の年齢が、感じられることもあります。中納言も、さっさと、作ったらしいのに、大袈裟に、分け隔てして、まだ見ません。誰より先に、お祝いくださった、今日の子の日は、やはり嫌なものだ。しばらくは、年を忘れていたかった。と、申し上げる。
尚侍の君も、すっかり成長して、貫禄まであり、会ってよかったと思う姿である。

玉葛
若草の芽吹く野原の小松を、二本も引いて、育てて下さった、岩の千歳を祈る今日です。

と、無理にも、母親ぶって、申し上げる。沈香木の折敷を四つ並べて、若菜を型ばかり召し上がる。御盃を取られて、

源氏
小松原の、将来ある齢にあやかり、野辺の若菜も、長生きするでしょう。

などと、お話になる。上達部が大勢、南の廂に、到着される。




式部卿の宮は参りにくく思しけれど、御消息ありけるに、かくしたしき御仲らひにて、心あるやうならむも便なくて、日たけてぞ渡り給へる。大将のしたり顔にて、かかる御仲らひにうけばりてものし給ふも、げに心やましげなるわざなめれど、御うまごの君だちは、いづかたにつけても、おり立ちて雑役し給ふ。籠物四十枝、折櫃物四十、中納言をはじめ奉りて、さるべき限り取り続き給へり。御土器くだり、若菜の御羹まいる。御前には沈の懸盤四つ、御杯どもなつかしく、今めきたる程にせられたり。




式部卿は、伺いにくい思いだったが、ご招待があり、親しい関係で、訳があるように取られてはと、日が高くなってから、お出になった。
大将が、得意そうに、このような間柄ゆえ、大きな顔で、取り仕切っているのも、いかなも、癇に障るにちがいないが、孫の若君たちは、どちらからも縁続きゆえに、熱心に雑役をされる。籠物四十枚、折櫃四十、中納言をはじめとして、相当な方ばかりで、列を作り、差し上げる。
杯が流れ、若菜の、おつゆを召し上がる。御前には、沈香木の懸盤が四つで、食器類も、見事に、今、流行のやり方である。

式部卿の娘が、大将の北の方だったが、玉葛と結婚したため、式部卿は、出掛けづらかったのである。




朱雀院の御薬のこと、なほたひらぎはて給はぬにより、楽人などは召さず。
御笛など、太政大臣の、その方は整へ給ひて、太政大臣「世の中に、この御賀より、まためづらしく清ら尽くすべき事あらじ」と宣ひて、すぐれたる音の限りを、かねてより思しまうけたりければ、忍びやかに御遊びあり。




朱雀院のご病気が、まだ良くならないので、楽人などは、お呼びにならない。管楽器などは、太政大臣が、整えて、世の中に、この御賀のほかに、立派に素晴らしくなるようなものはない、と、おっしゃり、優れた音のものばかりを、前々から用意していらしたので、目立たぬように、合奏をなさる。




とりどりに奉る中に、和琴は、かの大臣の第一に秘しける御琴なり。さるものの上手の、心をとどめて弾きならし給へる音、いと並びなきを、こと人は掻きたてにくくし給へば、衛門の督のかたくいなぶるを責め給へば、げにいと面白く、をさをさ劣るまじく弾く。何事も、上手の継ぎといひながら、かくしもえ継がぬわざぞかしと、心にくくあはれに人々思す。調に従ひてあとある手ども、定まれる唐土の伝へどもは、なかなか尋ね知るべき方あらはなるを、心にまかせて、ただ掻き合はせたるすががきに、よろづの物の音ととのへられたるは、たへに面白くあやしきまで響く。父大臣は、琴の緒もいと緩に張りて、いたうくだして調べ、響き多く合はせてぞ掻き鳴らし給ふ、これは、いとわららかにのぼる音の、なつかしく愛敬づきたるを、「いとかうしもは聞えざりしを」と、親王たちもおどろき給ふ。




皆が、それぞれ勤める楽器の中でも、和琴は、太政大臣が、とっておきにしている名器である。このような達人が、心を込めて、演奏される音色は、まことに、またとないほどであり、他の人は、掻き鳴らしにくいと言うので、衛門の督の、強く辞退するのを、無理にお命じになると、なるほど、実に見事に、殆ど負けないほどに、弾く。
何事も、名人の跡継ぎと言っても、これほどには、とても継ぐことは出来ないものだが、と、奥ゆかしく、感心なものと人々は、思うのである。調子に乗って、楽譜の残っている弾き方や、決まった型のある唐の秘曲なら、かえって、習い方も明確だが、心のままに掻き合わせる、すががきに、他のすべての楽器の音色が、一つになったのは、見事で、趣があり、不思議に聞える。
父の大臣は、琴の緒も、緩く張って、ひどく調子を落として調べ、余韻を多く響かせて、掻き鳴らしされる。衛門は、酷く明るく、高い調子で、親しみのある、朗らかな感じで、これほどまでとは、知らなかったと、親王たちも、驚くのである。

心にくくあはれに人々思す
このままで、理解出来る様子である。
現代語に訳す必要はない。

父の大臣とは、太政大臣のことである。



posted by 天山 at 05:55| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月22日

神仏は妄想である。488

初期キリスト教の神学者は、イエスの神性を信仰することで、大きな壁にぶつかった。神は大勢いるという異教の教えを排除し、ユダヤ教の堅固な一神教的伝統を、守り抜こうとしたからだ。
アーマン

イスラエルの王である主・・・は、こう言われる。
わたしは初めであり、終わりである。
わたしをおいて神はいない。 イザヤ書

神は、唯一の存在・・・

ユダヤ教的キリスト教徒だった、エビオン派は、神は一人しかいないのだから、キリストは、神ではないと、主張した。
キリストが神ならば、神は、二人いることになる。

イエスは、メシアであり、原罪を背負って死ぬことにより、この世で神の意志を実現するために、神によって選ばれた人間である。

ユダヤ社会では、メシアが神と見做されたことは、一度もない。

マルキオン派は、その正反対の見解を取った。
イエスは、まさに神であるから、人間ではない。

しかし、マルキオン派が、イエスと父なる神が、二人の別々の神とは、考えていなかった。彼らにとって、二人の神とは、ユダヤ教の神、すなわち旧約聖書の怒れる神と、イエスの慈悲の神だった。

更に、一部では、イエスは、受肉した神自身だとも、考えられた。

面白いのは、グノーシス派である。
彼らは、キリストが神であることに、何の抵抗もなかった。
それは、神性を宿す存在は、多数いて、キリストもその一人だからだ。

自分だけが、神であり、他にはいないという神は、本当の唯一神ではないという。それは、下位にいる劣った神である。
そして、この嫉妬深く、無知な神のうえには、神性を有するすべての存在が、住まう、より神聖な領域が存在するという、考えである。

しかし、上記の考え方は、すべて、異端として、斥けられる。

初期キリスト教が発展するにつれ、もし神が一人しかいないなら、イエスの神性をどう説明すべきか、という問題を解決すべく、人々は試行錯誤した。
アーマン

その一つに、天父受苦説、がある。
つまり、神自身が、受肉して、生まれたというものである。
この考え方は、サベリウウス主義と呼ばれる。勿論、サベリウスという人が、唱えたことである。

だが、破門される。

次に、テルトゥリアヌスである。彼は異端狩りで有名になった人物である。
彼は、父なる神と、神の子の位格、ペルソナは、別物だと、唱えるようになる。
彼によれば、二人共に、神だった。

そして、その考え方が、彼以降、洗練され、後に正統教義になるのである。

今度は、聖霊である。
「ヨハネ」の中で、イエスは、自分が天国に帰った後に、「別の弁護者」なる聖霊が、地上に降りてくると語ったので、聖霊も、神ということになる。

漸く、三位一体の神が、出来上がるのである。

その間には、また様々な、説や考えが蠢くが、省略する。

優に一世紀以上もの間、神学者は両者の関係について、議論を続けた。この問題は、四世紀初頭に、アリウスが巻き起こした論争の核心部分だった。アリウスは、神学が非常に盛んだったエジプトはアレクサンドリアの、有名なキリスト教教師だった人物である。アリウスの時代までに、原始正統派は、エビオン派、マルキオン派、それに種々のグノーシス派の集団といった初期キリスト教の異端派を一掃し、ないしは少なくとも完全に傍流派へと弱体化させることに、ほぼ成功していた。キリスト教教会に所属するほとんどの人が、イエスは神であるが、神は一人しかいないという考えを受け入れていた。しかし、どうしたら、このような考えが成り立つのだろう? なぜ父なる神と神の子が、一人の神たりえるのだろうか?

アリウスは、単純に、キリストは神だが、父なる神の下位にあるとした。神は、第二の神である、息子を、産んだ。
神は、キリストを通して、宇宙を創造した。そして、この世に、顕現する際に、受肉したのは、キリストだったとした。

勿論、これに意義を唱えた、アタナシウスもいた。
彼は、キリストと父なる神は、同じで、彼らは完全に同格であり、キリストが存在しなかった期間はないと、唱えた。

まあ、この辺で、話を止める。
結局、事の成り行きは、権力によるものである。

それは、キリスト教に改宗した、コンスタンティヌス帝が、この新宗教を、分裂した帝国を統合するために、利用しようとした。
それなのに、その宗教の中で、分裂しているのは、困る。

そこで、この皇帝は、この問題について、全キリスト教徒を結束させるために、決着をつけるべく、帝国内の最も重要な司教を招集して、ニケアで会議を開催した。
325年のニケア公会議である。

そこで、アタナシウスの説が採択されたのである。

その後も、議論は続いたが、アタナシウス派の見解が、今に至るまで、続いている。
それが、正統になった。

神格を有する位格は、三つある。
それらは、相互に独立している。
そして、等しく、唯一神である。同一の実体を共有する。
三位一体の教義、である。

三百年の間に、イエスは、ユダヤの黙示思想的預言者から、三位一体の位格の一つである神へと変貌した。初期キリスト教の発展は、まさに瞠目すべきものだった。
アーマン

だが、それは、イエスの宗教ではない。
イエスに、まつわる宗教の誕生である。

イエスは、我関せず・・・

現在も、なお、この妄想にキリスト教徒は、やられている。
無きものを、信じるという、愚行は、救いようがないのである。

posted by 天山 at 05:52| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月23日

神仏は妄想である。489

イエスに始まる最初期のキリスト教徒は、天国や地獄が、死後に魂が行く場所だとは考えていなかった。つまり、このような天国や地獄の観念も、後世の産物なのである。
アーマン

日本にても、天国、あるいは、極楽の考え方は、皆無だった。
古代日本人は、自然に隠れると考えた。

また、山に帰る。あるいは、海の彼方に行く。
蓬莱山に行くなどとは、道教の影響である。
更に、極楽、地獄の観念も、仏教による。

多くの学者は、イエスやその信者が、ユダヤの黙示思想家だったと考えている。
アーマン

黙示思想は、神義論、もしくは、神の正義、の問題に取り組む論法として、イエスが生まれる、一世紀以前に生まれたものである。
更に、神義論とは、17世紀の哲学者、ライプニッツの造語であり、当時は存在しなかった。

神義論は、この世に苦痛や苦悩が蔓延しているのに、どうやって神が正しいと証明すればいいのか、という問題を孕んでいた。人々がこれほど苦しんでいるのに、どうして、善意と愛に満ちた神の意志が働いているなどと、信じられるだろうか?
アーマン

これは、現在にも、言えることだ。
唯一絶対の神という存在があれば、それらの問題をどう、解くのか・・・
勿論、宗教家は、何とでも言うから、何とでも、言うのである。

全く解決されていない。

黙示思想の誕生に先立つ数世紀前に、イスラエルには、神が自分に背いた自分の民を罰しているからこそ、神の民だけが、かような苦渋を強いられているのだと考える思想家がいた。この思想は、時に預言的見解と呼ばれる。なぜなら、旧約聖書のどのページを開いても、預言者の同様の見解が記されているからだ。
アーマン

古代ユダヤ人の、実に傲慢な、思想である。
神の民・・・
様々な民族が存在しても、イスラエルの民は・・・
しかし、何一つ、解決していないのである。

古代イスラエル人は、旧約聖書のヨブ記に書かれる、黙示思想に注目した。

黙示思想的世界観は、異なる角度から、この問題に取り組んでいる。黙示思想家は、苦しみが一時的な状態だと考えていた。ある神秘的な理由から、神は、この世界を支配することを止め、世界に多大な害悪をもたらす邪悪な宇宙的勢力にさせるがままにしている。しかしまもなく、神は歴史に介入し、あらゆる悪を正すことになる。
アーマン

全く、妄想である。
とんでもない、幻想的な考え方である。

更に、このような黙示思想的世界観が記されている、聖書の最初の書は、「ダニエル書」である。
紀元前二世紀に書かれ、ヘブライ語聖書の中では、一番新しい。

「ダニエル書」が成立した時代に続く数世紀の間に作成された、死海文書を始めとする、いくつかのユダヤの書物にも、同様の世界観が窺える。そして、それはイエスへと引き継がれていく。
アーマン

そこには、死者が復活するという、考えもある。

そして、
黙示思想家は、正義は行なわれると考えた。しかし、それはこの世での人生ではなく、やがて到来する時代に死者が復活するときである。神は、すべての死者を、その肉体も含めて蘇らせ、永遠の見返りや罰を与える。誰も、その定めから逃れることはできない。最後の幕を引くのは、悪ではなく神である。だから、死がすべての終わりではない。
アーマン
と、なる。

イエスも、そのようだった。
神の国は、人の子の降臨と共に、まもなく出現するという。

だから、神の国の、到来に備えて置くべきだ・・・
新約聖書の中で、多く語られている。

それが、遠い将来では、ないのである。

パウロも、最初期のキリスト教徒も、そのように考えていたのだが・・・
イエスと、パウロの違いは、パウロは、イエスが栄光に包まれて再来するときに、この王国がもたらすということ。

更にパウロは、終末における死者の復活が、すでに始まっていると考えていた。
イエスの復活が、パウロにとって、特別の意味を持ったのである。

イエスがすでに、死から蘇っているのだから、自分たちは、終末期に生きていると、信じた。
パウロが、終わりの時代に生きていると、語るのは、そのためである。

だが・・・
二千年を経た今も、まだ来ていないのである。

イエスやパウロや最初期のキリスト教徒にとって、永遠の命とは、天国ではなく、今現在私たちが立っているこの地上で、肉体に宿るものなのである。
アーマン

と、いうことだ。
実に、御苦労さん、である。

パウロは、自分たちはすでに霊的な復活を遂げたから、いまや霊的な救済の恩恵に浴することができると考えていたコリントの論敵を、嘲笑っている。復活は、肉体的なものなのだから、まだ起きていないのだ。この世界は、未だ悪の勢力下にある。そして、あらゆる問題が一掃され、イエスの信者が、その正しさが証明され、肉体が変容し、永遠の褒美を手にするのは、終末を迎えるときなのだ。
アーマン

パウロも、信じたが故に、陥ってしまったのである。
妄想の渦の中に・・・

現在のキリスト教徒は、どうだろうか・・・
死後、天国に行き、永遠の命を得ると、信じている。

疑うことより、信じることが、楽なのだろうか・・・
白人キリスト教徒を見ていると、実に、そんなことにお構い無しに、様々な悪事を思いつき、国を始めとして、個人に至るまで、天国などないような、生き方をしているのだが・・・

いや、カトリックから、プロテスタント、その他の、キリスト教系新興宗教に至るまで、天国などないような、生き方をしている。

そして、それが、正しいのだろう。
霊界に、天国などという、空間は存在し無い。

posted by 天山 at 05:57| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月24日

神仏は妄想である。490

もし、予期していた終末が訪れなかったら、どうなるのだろうか? もし、イエスが「この世代」にその通りになると考えていた、黙示思想的シナリオが、いくら待っても実現しなかったなら、どうなるのだろうか? もし、自分が生きているうちに、キリストが再来すると信じていたパウロが死んでしまって、彼の予想が完全に的外れだったことが証明されたら?
もし、死者がいつまでたっても復活せず、「すぐに」その時が到来すると広く信じられていた信仰が、嘲笑されるような事態になったら?
アーマン

今も、キリスト教新興宗教の一部が、預言を繰り返している。
この世が終わる・・・
だが、何度も、その時期を明言したが・・・
終わらない。

それでも、その信者たちは、信じているという・・・
呆れる。
既存のキリスト教を、徹底的に非難しつつ、伝道を続けている。
呆れる。

アーマン氏は、
新約聖書のなかでも最も新しい「ペトロの手紙二」は、まさにこの問題に取り組んでいるという。

この書簡の中で、作者は、神がすべてはすぐに起こるだろうと言うとき、彼は、人間の暦ではなく、神の暦にのっとって、そう言うのだと、主張する。

主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日であることを、誰しもが心に留めておかなければならないのだ、という。
呆れる。

この論理によれば、もし終末が、来週の火曜日に訪れるなら、それは、四千年後の火曜日かもしれないということになる。
アーマン

この世の終わりが来ないなら、もともとイエスやその弟子が抱いていた将来への展望を信じ続けようとする人々は、そうした展望が、根本的に誤りであるかもしれないという事実に、真剣に向き合わざるを得ない。もちろん、敬虔な信者は、イエスが間違っていたなどと、口が裂けても言わないだろう。
アーマン

と言うわけで、再解釈を試みるのである。
勿論、それは、妄想である。
幻想とも、言う。

そうした、プロセスの中で、本来のメッセージは、より抽象的で、難解で、反証しずらい見解へと変容する。
特に、将来、死者が、肉体を伴って復活し、この地上で、善人が報われ、悪人が罰せられるという、教えは、天国と地獄という、観念に、すりかえられた。

つまり、審判が下るのは、この世の終わりではなく、死んだときだという、ことになった。

キリスト教思想家は、終末が、待てど暮らせど来ないので、この時間軸を再定義し、軸を回転させ、水平的二元論を垂直的二元論にすることで、「終わり」を垂直線上に置き換えた。そうすることで、この世とあの世という、二つの領域が、今の時代とこれから訪れる時代という、二つの時代に取って代わった。もはや、肉体的復活は、議論されることも、信じられることもなくなった。いまや、重要なのは、この世における苦しみと、天国における歓喜なのだ。
アーマン

結果、時代が下ると共に、肉体の復活という、黙示思想的観念が、不滅の魂という、教義へと、変容したのである。

そして、天国と地獄の、信仰である。

勿論、このような、信仰は、イエスにも、パウロにも、無いものである。
更に、神の国が、この世に、顕現することも、決して無いことを、悟った・・・?

この信仰は、キリスト教の標準的な教えとなり、これからも、続くだろう。

実に、有意義な、アーマン氏の、研究である。

私たちが伝統的なキリスト教と考えているものは、天から降ってきたのではなく、イエスの宣教活動直後から、著しい発展を遂げた。それはまた、単にイエスの教えから直接発生したのではない。多くの点で、後にキリスト教と呼ばれるようになった宗教は、イエスの教えから大きく乖離することで成立した。批評的な歴史学者が、ずっと前から認めているように、キリスト教は、イエスの宗教ではなく、イエスについての宗教なのだ。
アーマン

キリスト教とは、
西洋文明の歴史の最も偉大な発明であったことに異論の余地はないだろう。
アーマン

それに加えると、白人主義と共に、である。
西洋とは、バイキングに乗っ取られた地域である。
その野蛮な、白人たちの思想・・・

白人主義が、キリスト教と相俟って、実に、野蛮な宗教が、出来てしまった。
戦争を好む宗教・・・キリスト教である。

十字軍の遠征にて、イスラムを攻撃したのを始め、次ぎは、キリスト教の中での、宗教戦争に明け暮れた西洋の歴史。
そして、世界へ躍り出た時は、他民族の虐殺・・・

キリスト教以外は、野蛮であるとの、他民族、他宗教への、攻撃である。
自らの、野蛮を隠すために、他を野蛮と見做す、カラクリ。

そして、ユダヤ、キリスト、イスラム教の、三つ巴の闘い。
今も、続く。

宗教の功罪は、語っても、語りきれないのである。

現在の地球環境破壊も、彼らの、神が与えたものとして、自然破壊をし尽くした結果である。
自然に対する傲慢不遜は、彼らの神の教えである。
つまり、その神は、魔神である。
神に対立するものとして、悪魔の存在を作り出したのも、元は、同じ根である。
つまり、神と悪魔は、一緒だったということだ。

自然と、共生、共感する、何心も持たない。
日本の伝統は、自然との共生、共感を最大事として、行為してきた。
仏教も、基本は、慈悲の行為である。
日本仏教愛好家たちの仏教ではない。
仏陀の、教えである。

次に、再度、仏教に行く。
その妄想全開の様、得と、見定めることにする。

posted by 天山 at 05:46| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月25日

神仏は妄想である。491

キリスト教の成り立ちについて、書き続けてきた。
宗教の成り立ちは、様々な宗教にいえる。

勿論、伝統の浅い宗教もあり、今も、教義を作り続けている。
そして、それは、すべて人間の考えたものであり、妄想である。

それが、哲学としてあるならば・・・
まだ、許すことが出来るが・・・
宗教は、信じることを、基底とする。
それが、怖ろしいことだ。

個人的に、何を信じようが問題はない。しかし、その自分の信じるものを、他人に強制したり、あるいは、その価値観で、人を裁くという、傲慢不遜は、如何ともし難いのである。

迷いに導く、宗教の信仰である。

そして、信仰とは、迷いに他ならない。
行き先に迷うから、信じるのである。
それが、事実だから、真実だから、信じるのではない。
すべて、それは、主観である。

宗教も、未熟で、発展段階であることを、知る人は、少ない。
更に、信じる行為、信仰についても、深く思慮する人は少ないのである。

信仰は、迷いである。
この言葉は、私以前に、亀井勝一郎により、教えられた。
その著作により、知らされた。

信仰そのものが迷いの所作である。つねに危機の上にのみそれは彷徨うという意味だ。故に「私は信仰を得た」と云うものも、「私は不信の徒である」と明言するものも、いづれも傲慢で粗暴な自己欺瞞におちいっているのである。むしろ信と不信と、そのあわいの戦慄に人間の受難があるのではなかろうか。而して後、彼方よりおのずから来るものに一切を委ぬべきなのだろう。むろん、何びともその時期を予測しえない。神の恩寵は推量しえない。
信仰について 亀井勝一郎 現代語は私

ただ、亀井は、信仰について全面的に肯定している。

彼方より、自ずから来るものに、一切を委ねる・・・
ここに、亀井の優しさがある。
私は、来ないと、言う。

来たと、思う心は、妄想である。

更に、言う。
次元も質も違う世界から、一体、どうして、人間の世界にコンタクトするのか・・・
勿論、秘術なるものがあり、それにより、神仏と交信するという、奇妙な、化け物のような人もいるが・・・

しかし、下記の言葉、
宗教的苦痛は、一つには現実的艱難の表現であるととともに、また一つには現実的艱難に対する抗弁である。宗教は抑圧された生き物の嘆息であり、またそれが魂なき状態の心情であるとひとくし、無情の感情である。即ちそれは民衆のアヘンである。
この、唯物論の主張を、ただ私は、受け入れるのではない。

また、
民衆の幻想的幸福としての宗教を止揚することは彼らの真実の幸福を要求することである。民衆が自己の状態について懐く幻想を放棄しようとする要求は、幻想というものを必要とするような状態を放棄しようとする欲求である。されば宗教の批判は辿れば涙の谷の批判であり、そしてこの涙の谷の聖影が宗教なのである。
という、お話も、実に宗教を見抜いたものであると思うが、組しない。

それは、上記も、辿れば、宗教と同じ位置に付くからである。
その思想を、強制すれば、共産主義のような、独裁的な手法になる。

如何なる独裁も、私は、容認しない。

だから、宗教の独裁も、容認しないのである。

上記は、思想と呼ばれる。しかし、極めて宗教的思想となる。
そして、その喧伝は、宗教と、変わらなくなる。

神仏というものが、存在するならば、それは、百人百様の神仏が存在する。
思想というものも、そうである。

如何なる、宗教も、思想も、それにより、人間を独裁的に扱うことは、罪である。
罪とは、そういうものである。

絶対的権威を創り上げる人間は、何故、それを欲するのか・・・
それは、為政者のため、あるいは、利益を強奪する者の手である。

人間に与えられている自由は、何人も、それを犯してはいけないのである。
それを、犯すことを、罪というのである。

亀井も、
それは一つの幻想の放棄を教えつつ、別の幻想をもたらした・・・
と、言う。

その通りである。

この唯物論に対して、亀井は、
人間の唯物的自力によって物質を運用し、パンを保障すると断言したとき、抑圧された生き物の嘆息は消滅すると信じられるか。―――否、と私は答えざるを得ない。若し食物によってのみ生きうるものならば、どんな政治形態が来ようと、また自己の精神を鎖につながれ盲目にされても、人間は屈従しているであろう。事実人間をかようなものとして考えているものがある。また悲しむべきことには、我らにはそういう弱さもある。ソ連は全人民にパンを約束したが、それを確実に得るものは一党派の絶対的服従に限る。一理論の裡に人間を限定し、刑罰をもって抑制し、残る後与えられたパンが果たして最上の美味であるか。それでも飢えるよりはましであるか。
と、なる。

多くのものが貧しいとき、己ひとり私欲を貪るものは罰せられねばならぬだろう。だが物質的救済が一切の根本原理であるとみなすのもまた罰せられねばならぬだろう。人間は果たしてかように侮蔑された存在であるか。
亀井

人間の精神は、自由である。
宗教と、唯物主義が、実に、近い位置にあることを、私は言う。
posted by 天山 at 06:08| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月26日

神仏は妄想である。492

今や一原理だけが問題なのではなく、人間の生死にかかわる抜き難い物欲は、何によって解脱へ導かれるかという永遠の課題にまでひろがってくる。近代無神論の夢みたものは、人間の唯物的自力―――政治経済力―――による転換であった。
亀井勝一郎

この、一原理は、唯物論も然り、唯一神も然り、そして、仏というものも、然りである。

ただ、亀井は、続けて、
この転換における凄惨な流血と苛烈な施政は周知のところであろう。それは理想への過程として弁護されてもきた。人は累々、理想は高く遠いという理由のもとに、現実の曲折を弁解しがちであるが、ここにもまた疑問はある。理想とは果たして遠いが故に今の刹那には無にすぎないものであるか。―――否、と私は答えざるをえない。今の刹那に窮極の姿のままで臨むこと自体が理想というものの本質ではないか。「人はパンのみにて生くるものに非ず」に実現しうべきものなのだ。
と、言う。

この転換における、凄惨な流血と苛烈な施政・・・
だが、それは、宗教の成立過程にも、付きまとったものである。

例えば、正統と異端などは、よい例である。
更に、他宗教との闘いも然り。

人間は、一原理を奉じると、必ず、非寛容で排他的になり、更に、暴力的になるのである。
その一端を、宗教も、併せ持つ。

唯物論―――この戦闘的無神論と云わるるものは、一歩一歩「物質」を軸として改変整備を志す。即ちそれを「客観的」という。むろん理想はつねに語られる。正に一の幻影として。だが現実は、ただ強権に由る物欲の抑制である。何事であれ窮極の心をもって臨むものは死をもって罰せられる。
亀井

それを、亀井は、人間侮蔑の上に立てられた、原理と言う。
それは、
我らの深い煩悩にどんな懺悔心を起こさせるか。懺悔は心奥からの自発故に散華である。
人間―――この巧妙に粉飾された煩悩のかたまりの前に為すべきことではない。人間の物質的関係の転換が、一切の基本であるという原理からは、おそらく政治的ポーズのみが生まれるにすぎないだろう。
亀井

ところが・・・
その宗教も、政治に利用された。
取り込まれたのである。

キリスト教の成立が、その最たるものである。
そして、ユダヤ教も、イスラム教も然り。
宗教と政治が結託してしまったのである。

実に、怖ろしいことを、言わなければ、ならない。
まず、宗教は、為政者に受け入れられ、そして、民衆に行き渡る。

コンスタンチヌス帝が、キリスト教に改宗してから、ローマ人は、続々と流行のように、キリスト教徒になった。

唯物主義は、極めて、宗教に近いのである。
いや、それは、キリスト教から生まれたものである。
根は、同じなのだ。

だから、唯物論は、宗教の心理に深い造詣を持っている。

だが、唯物論は、一過性のものとなった。
その時代は去ったのである。
勿論、個々人の中に、それを保持している者は、いるだろうが・・・

人生の未熟な時期に、唯物論者だったものが、年を経るにつれ、唯物論から次第に、遠ざかるのである。
それは、我が身の、死を見るからである。

そして、その死を扱うもの・・・それが、宗教となる。
それも、実に、愚かしいことであるが・・・

宗教は、死を扱うものではない。
生き方を扱うものである。
死は、宗教とは何の関わりもないのである。
しかし、宗教家は、大手を振って、死後の世界を語るという、愚劣である。

講談師、見てきたようなウソを言い・・・
それと、同じ。
天国も、極楽も知らない。
そして、本人も、そんな場所に行くのか、行かないのか、解らない。
それでも、救いという言葉を掲げて・・・宗教屋である。

だが唯一つ、今もなお心に疼くことは、人間の驚くべき不安定である。何という悲哀だろう。それは不安定に対する驚きというような、率直な姿であらわれない。我も人も、いかに世間体を繕うか、自己弁解するか、そういう痛ましい努力であらわれる。仮面の下に隠された苦渋を懸命に耐えるとはいかなる義務であるのか。思想的苦悩、乃至は動揺といわるるもので、純粋に内面的であると同じ程度で、狡猾に外面的でないものはない。いかなる理論、教養、思潮等をもって巧妙に装うとも、人間の薄弱さは蔽うべくもなかった。
亀井

つまり、人間は、弱い者である。
強く見せれば見せるほどに、弱い者なのである。

結局、年老いて、行き着いた先が、宗教を奉ずる。
信仰を得て、安心立命を得る。

ところが・・・
宗教の何処に、そんな力があるのか。
それは、自己暗示である。

神や仏に、そのような力は無い。
人間が、勝手に、想像し、妄想し、幻想するだけのことである。

それで、安心して、死んだ・・・
それで、いいこともある。

だが、人間は、よくよく考えることである。
考えを止めた時、人間は、死ぬ。
だから、死んで、生きている人も大勢いるのだ。
信仰に生きるという人は、実は、死んでいる人が多いのである。

posted by 天山 at 05:47| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月27日

整体4

体の第三の、情報胃ステムは、自律神経に関する回路である。

自律神経は、生命を維持する、呼吸器、肺、循環器、心臓、消化器、胃腸、という内臓の機能をコントロールする。

自律神経は、交感神経と、副交感神経との二つに分れ、両者が弛緩、緊張を繰り返して、バランスを取ることにより、内臓の働きが、正常に保たれる。

過度に緊張した場合などは、ストレスと呼ばれて、不調和を起こす。

自律神経にも、遠心性回路と求心性回路があるが、これは、明確に分かれているのではなく、自律神経を作る、線維の中に、交じり合っている。

だが、この回路は、皮質まで達していないということだ。
これは、内臓の活動が、無意識下で行なわれていることを、意味する。

無意識下・・・
これが、曲者である。
意識の下、或いは、意識の奥にある、意識である。

これに対して、遠心性の回路は、脳が感覚器官を通して、外界から得た刺激を、情動反応、快不快の感情として、それは、ストレスという一種の情報に変換して、末端の内臓器官に送り込んでいる。

遠心性回路の場合と、求心性回路の場合では、その働きが違うということである。

それを、自律神経は、両方、絡み合っているということだ。

胃が痛む。
それは、機能的に、問題があるのか、心因性のものか・・・
更に、心因性が初めにあり、その後、それにより、機能的に不調和を起こして、潰瘍などを作ったということも、考えられる。

長い間の、生活習慣により、胃潰瘍を生じた場合、それは、単に心因性のみならず、生活習慣にもよる、という判断をするのである。

そして、整体の場合は、最初に、心因性の方を、重く見て、胃の調子の、反射区の部分を刺激して、楽にする。
それから、医者を勧めることになる、場合もある。

足裏などは、強い痛みを感じる部位、内臓に問題があると、見る。

自律神経は、多分に、感情の問題となり得る。
通常の言い方をすると、心の問題である。

それを、専門的に説明すると、第一の外界感覚つまり、運動回路と第二の、全身内部感覚の中枢は、大脳皮質である。
これらの回路の中枢は、皮質の各部分に、ほぼ局所化されて、収められている。

手足の運動神経の中枢は、皮質の体性感覚野に集中する。
ところが、自律神経の中枢は、大脳皮質ではなく、古い皮質と呼ばれる、大脳辺緑系のさらに下の、内部のある、脳幹にある。

脳幹は、間脳から延髄にかけての、部分だ。

心理的に見ると、この皮質下の中枢は、情動と深く関係する。

意識が、感情の働きを自覚する部位は、前頭葉にあるが、情動が発生する場所は、間脳の視床下部と呼ばれる部分である。

更に、自律神経は、遠心性も求心性も、皮質まで達しないので、情動作用は、第一の回路による、外界感覚や第二の回路による、身体感覚のように、普通の状態では、体の特定部位に、局所化された形で感じることができないのである。

これは、生理心理学の問題である。

生理心理学では、意識、心の働きの代表的なものは、感覚、思考、感情の三つに分ける。

このうち、感覚と、思考とは、身体の特定の部位に対応した形で、働いている。

手足の、内部感覚も、指の一本一本について、区別して感じることが出来る。
感覚作用は、体の特定の部位に、局所化されて結び付いている、意識の働きである。

また、思考の意識作用、感覚は、どの部位かを限定しにくいが、主として、皮質の前頭葉と結び付いて起こる。

だが、情動、怒る、悲しむといった感情は、全身的なもので、体のどの部分と結び付いているのか、解らない。

つまり、情動は、全身で表現されるということだ。
更に、恐ろしいのは、その際の、息は、猛毒であるということ。

その、息をまともに受け取ると、受け取った側にも、大きな影響を与える。
例えば、悲しむ人と、長い時間過ごすと、同じような、体の反応を起こすのである。

整体の患者さんの持つ、その情動を受けることで、より、それが鮮明に解る。

更に、それを受けないための、手段が必要だ。
整体の訓練である。

情動は、全身、つまり、脳にも影響を及ぼすので、脳波が、そのようになる。その、脳波の影響を、受けるということになる。

それは、オーラと違った意味で、人に与える影響が大きいと考える。

三つの回路を、整理すると、以下のようになる。

外界からの感覚刺激は、最も表層にある、第一の外界回路、運動回路から入り、第二の、全身内部感覚の回路を通して、最も、低層にある第三の情動、本能回路まで達する。

そこで、快、不快の、情動的反応を引き起こす。
その反応は、第二の回路に戻り、それを作動させ、更に、第一の回路が活動して、外界への、身体運動となる。

ここで言えば、人間の状態は、快、不快で、すべて現せるという。

人間は、何が快適なのかが、問題なのだ。
その快のために、整体という、痛みを伴う療術を受けて、不快を快に変換しようとすると、考える。

ちなみに、心理学は、哲学から生まれたものであり、哲学による、考察も必要であることだ。

勿論、医学、その他の科学からも影響を受けて、心理学が出来上がった。
posted by 天山 at 06:20| 整体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月28日

整体5

さて、深層心理学により、無意識の情動コンプレックスは、意識のコントロールがきかない形で活動し、神経症、その他の、精神的疾患などを引き起こす。

これは、情動の発生部位が皮質よりも、下にあるために、皮質と結び付いている意識の働きによって、抑制され、無意識の領域に抑え込まれているからだ。

生理心理学的には、無意識の作用は、脳、或いは、体の特定の部位に限定できない。
無意識は、記憶の貯蔵庫と考えられるが、脳生理学の研究が進むにつれ、記憶の局所化は、困難であることが、明らかにされた。

ここで、色々な説が生まれた。
例えば、心は、体を離れても、存続し得るのではないか・・・
または、心から脳への作用があるのではないか・・・

脳は、心が創るという学者もいるのだ。

ただ、東洋の場合は、無意識下の世界の認識を早くから取り入れている。
体と脳、そして、心の問題は、尽きない。

更に、脳の精神的活動である。

体の三つの回路について書いたが、おおよそまとめると、皮質を中枢とする、外界感覚、運動回路の能力は、情動作用と直接の関係は無い。

第一の、全身内部感覚回路の能力に依存している。
そして、この回路は、体の習慣づけられたメカニズムと、関連している。

訓練により、無意識のうちに体を自由自在に動かせることのできる人は、記憶能力の発達により、体の諸器官の働き方を、習慣づける第二の回路の能力が高まり、第一の回路の活動能力を高めることが、できる。

そこで、第三の情動、本能回路は、第一の感覚、運動回路と直接の関係は無い。
だが、全く無関係と言う訳でもない。

整体は、そのうちの、第三の情動を見抜き、第二の回路に対して、刺激を与える。
勿論、第一の回路も無視しないのである。

第二の回路の、体の習慣づけによる、不調和を皮膚と、筋肉を刺激して、適当な安定感を与える。
それから、不調和を自覚する部位に対する、反射区に刺激を与えて、本来の能力を引き出す。

この、本来の能力とは、その本人が、楽を感じる、または、あるべき姿に近づけるという、行為になる。
整体は、そのための、手段になるのである。

体が、楽になれば、呼吸が整う。
呼吸が整うことは、精神と心が、安定するということになる。

ここで、瞑想法なども、考えられるが、それは、指導者が必要である。

整体は、瞑想に近い感覚を、与える手段でもある。

更に、筋肉への刺激は、運動刺激になり、施術を受ける側は、刺激を受けることで、運動をしたような体の状態になる。

人間の体には、軽い運動と、呼吸の整えが必要だということである。

それは、自律神経に関係することになる。

この、自律神経機能のコントロールに関して、整体は、一定の力を発揮できるのである。

外界感覚、運動回路の働きと、自律系の働きの大きな違いは、前者が意志の自由に従うが、後者、自律神経系は、自由にならないということである。

それは、心臓の拍動とか、胃の消化器官の活動は、意志から独立して、勝手に行なわれないからである。

自由にならない、自律神経とは、自律的に行なわれているということである。

自律神経の働きに、支配されている内蔵諸器官の活動は、意識の働きから、独立して、営まれる。
それが、不調和を起こすと、自律神経失調ということになる。

だが、それも体の一部であるから、全く関係ないとは、言い切れない。
その心は、情動作用を通して、自律神経の働きに影響を及ぼし、内蔵器官の活動に影響を与えるのである。

この情動作用が問題である。
その情動が、乱れるのは、何故か・・・

感覚貴下を支配する、感覚神経は、大脳皮質に中枢があり、自律神経の方は、皮質下、脳幹に中枢があり、両者は、分かれているが、皮質と皮質下には、一時的結合が作り出されるのである。

情動の働きが、皮質、感覚神経、と皮質下、自律神経を結び付ける、新しい一時的回路を作り出すということである。

深層心理学から見れば、無意識下に抑圧された情動コンプレックスがあれば、自律神経のバランスを崩し、内臓器官の変調を引き起こすということになる。

それは、心理的側面から見て、歪んだ情動コンプレックスが、固定して、自律系の機能が障害を受けるということで、生理的側面から見れば、皮質、感覚、運動系の機能と、自律系の機能の間に、条件反射による、一時的結合のメカニズムが創り出されたということを、意味する。

整体は、その一時的メカニズムが創り出された、そのメカニズムを、正しい、正常な方向に、刺激を持って、戻すという施術になる。

ただ、体ばかりを扱うのではない。
整体と共に、施術を受ける側の声に、耳を傾けるという行為が必要になる。
何故、そのようになったのか。そして、何が問題を意識させているのか、である。

体とは、全く別な事柄によって、精神的にダメージを受けている、故に、体が、凝る、張る、痛みがある等々・・・

つまり、整体とは、体を通した、カウンセリングの要素も大であるということだ。
ただ、体を刺激して良いわけではない。
問題のテーマは何か、である。

それが、心理的なものであれば、更に、良く話に耳を傾けるべきである。

posted by 天山 at 05:19| 整体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月29日

整体6

一人の人間の体を理解するには、まず環境の問題がある。

要するに、周囲の環境に支配されている、または、大きな影響を受けている。それは、意識しても、しなくても、である。

更に、それに対する、つまり環境からの刺激に対する、感じ方、心理的刺激の受け方は、人それぞれである。

性格・・・
その人に特有の、心理的な反応の仕方である。
また、特有の情動の働きともいえる。
それを、心の癖と呼んでもいい。

その情動的反応が、過度に歪むと、コンプレックスが形成されて、人により、神経症などの症状を持つこともある。

外部からの刺激、運動回路を通じて、体に入り、自律神経の機能に影響を与えて、体をまた、精神を歪めることがある。

精神が歪めば、体も歪む。

いずれにせよ、意志の自由になる皮質、感覚―運動系の機能と、無関係ではない、情動作用により、関連してくるのである。

更に、情動作用についての、学習や条件付けにより、様々な、一時的結合関係が、作り出される。

整体療術は、そこに刺激を与える。
そこに、とは、それらによって、体が歪んだ場所、その反射区に、である。

整体により、体の大本である、呼吸を整える。
呼吸が整えば、本来の力である、自然治癒能力が引き出される。

自然治癒力とは、体に備わる、様々な生理的機能の全体を、ホメオスタシス、生体機能の恒常性と呼ぶ、力である。

ホメオスタシスは、日々の生活の中でも、大きな力を発揮している。

体温が高くなると、皮膚の汗腺の発汗作用を促がし、体温を下げる。
血液が、酸性にも、アルカリ性にも偏らないように、調節する、など。

ホメオスタシスの機能が失われると、人体は危険な状態に陥るのである。

自然治癒力は、正確に言えば、自然な医学的力、ということだ。
整体の目的は、その自然治癒力を引き出すことである。

そのために、整える。
調身と、東洋医学では言う。

更に、調息があり、調気というものである。
息を整える。
気を調えるという意味。

その二つを結ぶものが、調心、である。

息により、気が整えられると、考えている。

呼吸法という行為がある。
それは、息を整えることで、気を整え、そして、身を調えることになる。

それを人為的に行なうことが、整体法、療術である。

例えば、足裏に対する刺激により、その反射区を刺激し、働きを促がす。
更に、反射区の痛みを感じる場所の、体の部位を探し当てる。

その刺激を通して、反射区の部位に、自然治癒力の発露を促がすのである。

であるから、刺激は、皮膚そして、皮膚の奥にある、コリに当てることになる。
それは、足裏のみならず、体のすべてが、まず皮膚の刺激からはじまる。

そして、皮膚の奥にある、コリ、張りである。
それを刺激することにより、自然治癒力を引き出すのである。

そこでは、心理的に見ると、自律神経の作用にも、刺激を与えることになる。
自律神経は、心の深い層に抑えられた、情動である。

それは、喜怒哀楽の感情なども、関係する。
更に、快、不快の感情である。

マイナス情動により、病的な状態であれば、プラスに転じように働きかける。
それは、施術が、与えるのではなく、整体を受けた本人が、次第に、プラスに転じるように働く、自然治癒力による。

つまり、心理的に与える影響を考えることが、整体の最大の問題になる。

コンプレックスという、深層心理、無意識の層にも、係わるということだ。

潜在的エネルギーを活性化し、それを意識の働きに、統合してゆくのである。

東洋医学の現場で、呼吸法や、気の訓練などは、皆、そこに通じるものである。

或いは、気功というもの。
整体も、気功に関与するものである。

気功という専門ではなくとも、気を調えるための、療術なのである。

体を調えるということは、体の機能を整えることであり、更に、体にまつわる、すべてについても、調えることと、考える。
体液の循環を良くする。

そのために、東洋医学の経絡の知識も、必要になる。
西洋医学では、経絡の存在を認めなかった。
しかし、それは、現在非常に重要なものとして、認識されている。

ツボなどというのは、経絡の点のことを言う。
血流でも、リンパの流れでもない、経絡という、考え方である。

勿論、経絡の知識があるから、整体が出来るということではない。
経絡の知識を持たず、整体療術を為すことも出来るのである。

簡単に言えば、仏陀の治療法である。
体の凝り、張りは、押して取るというものだ。
痛みのある部分には、手を当てる。
まさに、手当てである。

posted by 天山 at 05:37| 整体 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月30日

国を愛して何が悪い144

古代人の意識を探るのは、難しい。
しかし、子供の意識を探ることは、方法がある。

まだ、意識以前の状態・・・
朦朧として、あらゆる存在と、自分が結び付いているという、感覚。

すべてが、自分と一緒であるという、感覚である。
古代人の意識も、そのような朦朧とした時期があった。

ところが、成長するにつれて、次第に、自己の意識が明確になってくる。
すると、周囲のモノに対する感覚も変化する。
自分と違うモノである。

それらと、どのように対座するのか・・・

書紀の成立したのは、元正天皇(奈良朝)の養老四年(西暦720)である。古事記が集録されてからわずか八年の後だから、両書はほぼ同時代の産物といってよい。またその動機を辿ると、どちらも天武天皇の発意に由る。それにも拘らず、なぜこれほどの異質の書物となってあらわれたのか。古代精神を語るときの大きな問題だと思う。単に異なった二つの歴史観というものではあるまい。また日本固有の古語と漢語という表現上だけの問題でもない。
亀井勝一郎

古事記を見れば、神話であり、神々の物語である。
だが、日本書紀は、人間史中心である。

亀井は、神人分離を自覚した、古代人の苦悩が、この二つの書を通して、また表現により、神と人との、別れの途上であったと、解釈する。

神と人との別れの途上で味わった様々の矛盾と不安、ここに問題の核心があると思う。
亀井

古事記の上巻は、神々の物語。
そして、中巻は、神とその間の遠くない状態。しかし、神人分離の兆しが現れてくる。
下巻は、最後の方に行くと、人間史となってくる。だが、実に簡単な、天皇の系図、即位、御陵である。
最後の推古天皇は、二行で終わる。

更に、面白いことは、仏教伝来については、無視しているのである。

日本書記の場合は、資料という観念が明確になってくる。
神々の物語も、様々な別伝をそのままに記載し、比較出来るようになっている。

漢文のために、古事記とは、一線を画す。

そして、祟神天皇から以後は、人間史の生々しさが出てくる。

中でも、祟神天皇の世の、大事件は、「同床共殿」からの離脱ということである。
つまり、天照を示す、鏡と天皇は共にあるという、決まりを、破るのだ。

鏡を皇居から、離したのである。
つまり、今までの伝統の廃止である。

それが、大和の笠縫、つまり、現在の伊勢にお鎮まり願ったのである。

亀井は、仔細は、解らないと言うが・・・

当時の社会不安・・・
伝性病の発生、飢饉など・・・

その記述は、鏡という、天照大神との、同床共殿に堪えられなかったとある。
これは、異なことである。

今までの伝統であると、述べているのに・・・
不思議だ。

そこで、この鏡は、実際、同床共殿とあるが、何かの訳がある。
それは、私の考えで言えば、実際は、そうではなかったのたのである。

その鏡は、富士山の阿曽大神宮に祀られてあった。
富士山の麓とは、富士王朝の、高天原府が存在した場所である。
これは、正史にはない話である。

天皇即位の際は、富士王朝が神器を携えて、即位の儀を執り行ったのである。

ところが、祟神天皇は、それを奪い、皇居に御祀りした。
ところが、書記にある「神の勢いに畏りて」・・・
堪えられないと、鏡、神の天照を、離したのである。

もし、伝統だというならば、その書き込みは、おかしいのである。

亀井は、
八世紀の奈良朝に成立した書記であるから、少なくとも天武朝以降の社会不安、或いは時代の危機感を反映し、神人分離の自覚過程を過去にさかのぼってしらべたとき、書紀編纂者たちは、祟神朝にその最初の兆しを発見したのかもしれない。
と、書く。

正史からも、別伝からも、いずれにしろ、朦朧たる意識から、目覚めが発生したということだ。

人間の時代である。

つまり、天皇の人間宣言である。
敗戦後、昭和天皇が、人間宣言をしたというが・・・

もう、とうに天皇は、人間であったことが、解るのである。

天皇の神格の、崩壊を感じた時期が、古代人にあったということだ。

神々そのものであるか、或いは神と人のあわいは未だ遠くないか、そういう状態から、逆に神々を畏れ、仰ぎ、信ずる人間としての天皇が誕生したということだ。「神祇を礼い祭ひ、己を克め、身を勤めて、日に一日を慎む」(垂仁紀)と先帝を追慕していることからも推察される。そういう人間として、はじめて統治に成功したために、「はつくにしらしし、すめらみこと」と称されたのではなかろうか。
亀井 (読みやすいように書き直している)

天皇が人間天皇として登場するだけではなく、当時の古代人全般が、神々を「求めねばならぬもの」として自覚する過程を指す。
亀井

そして、神々は、「神ながらの道」に転化し、その「神ながら」も、多様な扱い方をされるようになった。

亀井は、精神の流離の始まったことをも意味する。
と、言う。

ただし、私は、この当時に出来上がった、神=自然、そして、共生と共感は、今も脈々と続いて、日本人の心の内に宿ると、みている。

ちなみに、垂仁天皇の皇女が、伊勢神宮の創設者である。
祟神天皇の皇女の後を継いだのは、倭姫である。
その、職を斎宮と呼ぶ。

現在は、池田厚子様の後を、黒田清子様が、継いでいらっしゃる。

posted by 天山 at 05:07| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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