2014年06月25日

もののあわれについて683

朱雀院「しか思ひたどるによりなむ、御子たちの世づきたる有様は、うたてあはあはしきやうにもあり、また高き際といへども、女は男に見ゆるにつけてこそ、くやしげなる事もめざましき思ひも、おのづからうち交るわざなめれど、かつは心苦しく思ひ乱るるを、またさるべき人に立ちおくれて、たのむ蔭どもに別れぬるのち、心を立てて世の中に過ぐさむことも、昔は人の心たひらかにて、世にゆるさるまじき程のことをば、思ひ及ばぬものと習ひたりけむ。今の世には、すきずきしく乱りがはしき事も、類に触れて聞ゆめりかし。昨日まで高き親の家に崇められかしづかれし人の女の、今日はなほなほしく下れる際のすきものどもに、名を立ち欺かれて、なき親の面を伏せ、影を恥づかしむる類多く聞ゆる、言ひもと行けば皆同じことなり。




朱雀院は、それを私も考えるものだ。内親王たちが結婚したのは、見苦しく、軽薄なようであり、それに高い身分といっても、女は男と結ばれてこそ、悔やまれるようなことも、気に入らないことも、自然にありもするのだと、一方では、気の毒と思い、悩みもするが、一方、世話をしてくれる人に先立たれ、頼る人々に、別れた後、心を強く持ち、世の中を生きて行くことになった場合も、昔は、人の心が、穏やかで、世間から許されないようなことであれば、考えもしなかった。今の世では、浮気っぽく、みだらな事も、そんな話が出ると、聞かされるようだ。昨日まで立派な親の家で、大事にされて育った娘が、今日は、何でもない、身分の低い浮気男たちに、浮名を立てられて、騙され、亡き親の顔に泥を塗り、死後の名を辱めるような例が、多く耳に入るのも、突き詰めれば、皆、同じことだ。




ほどほどにつけて、宿世など言ふなることは、知り難きわざなれば、よろづに後めたくなむ、すべて、あしくもよくも、さるべき人の心に許しおきたるままにて世の中を過ぐすは、宿世宿世にて、のちの世に衰へあるときも、みづからのあやまちにはならず、ありへてこよなき幸あり、めやすき事になる折は、かくてもあしからざりけりと見ゆれど、なほ、たちまちふとうち聞きつけたる程は、親に知られず、さるべき人も許さぬに、心づからの忍びわざし出でたるなむ、女の身にはます事なき疵と覚ゆるわざなる。なほなほしきただ人の中らひにてだに、あはつけく心づきなき事なり。みづからの心より離れてあるべきにもあらぬを、思ふ心より外に人にも見え、宿世のほど定められむなむ、いとかるがるしく、身のもてなし有様おしはからるることなるを、あやしく、ものはかなき心ざまにやと見ゆめる御さまを、これかれの心にまかせ、もてなし聞ゆな、さやうなる事の世に漏りいでむこと、いと憂き事なり」など、見捨て奉り給はむ後の世を、後めたげに思ひ聞えさせ給へれば、いよいよわづらはしく思ひあへり。




それぞれの身分によって、運命などは、知りにくい事だから、何もかにもが、気掛かりだ。
総じて、良い悪いにかかわらず、しかるべき人が、考えていた通りに、世の中を過ごすことは、その人その人の運命次第で、後に衰えたとて、本人の過失にはならない。後になり、この上ない、幸いがあり、見られるくらいになった際は、このやり方でも、悪くなかったと思えるが、矢張り、突然ふっと耳にした時は、親にも内緒だし、世話する人も許さないのに、自分勝手な密事を犯しことは、女の身としては、この上ない、欠点だと、思われることだ。身分の無い、普通の人でも、浮ついた、許せないことである。
本人の意思を離れての結婚は、あるはずもないが、自分の好きでもない人と結婚し、運命を決定されることとは、実に軽はずみなことで、平素の態度や様子を、想像してしまうことだが、宮は、変に頼りない性質ではないかと思えるご様子ゆえに、お前たちの思うままに、取り計らうではない。そのような事が、世間に漏れ聞えたら、大変なことだ。などと、姫宮を後に置いて、出家される後々の事を、気掛かりに思い、おっしゃるので、益々、事が難しいと、乳母などは、思うのである。




朱雀院「今少しものをも思ひ知り給ふほどまで、見過ぐさむとこそは年ごろ念じたるを、深き本意も遂げずなりぬべきここちのするに、思ひ催されてなむ。かの六条のおとどは、げにさりとも物の心えて、後安き方はこよなかりなむを、方々にあまたものせらるべき人々を、知るべきにもあらずかし。とてもかくても人の心からなり。のどかに落ちいて、大方の世のためしとも、後安き方は並びなくものせらるる人なり。さらでよろしかるべき人、誰ばかりかはあらむ。兵部卿の宮、人柄は目安しかし。同じ筋にて、こと人とわきまへ貶しむべきにはあらねど、あまりいたくなよび由めく程に、重き方おくれて、すこし軽びたる覚えや進みにたらむ。なほさる人はいと頼もしげなくなむある。また大納言の朝臣の、家司望むなる、さる方に、物まめやかなるべき事にはあなれど、さすがにいかにぞや。さやうにおしなべたる際は、なほめざましくなむあるべき。昔も、かうやうなる選びには、何事も人に異なる覚えあるに、事よりてこそありけれ。ただ偏にまたなくもちいむ方ばかりを、賢きことに思ひ定めむは、いと飽かず口惜しかるべきわざになむ。




朱雀院は、もう少し、姫宮が、物事がわかる頃まで、居て上げようと、長年、辛抱してきたが、長い出家の念願も出来ないような気がして、つい、こんな気持ちになる。
あの、六条の殿、源氏は、いかにも女は多いが、物の道理がわかっていて、頼りになる点では、この上ないだろう。あちらの、大勢の女を気にする事もないだろう。兎も角、本人の心一つだ。ゆったりと、落ち着いて、この話を、離れても、模範となる人で、頼りになる点では、またとない方である。この方以外に、誰か相当な人物は、いるだろうか。兵部卿の宮は、人柄は良い。同じ血筋ゆえ、他人扱いして、軽んずるわけではないが、あまり、酷くやつし過ぎ、風流がるので、重々しさが足りない。多少、浮ついたところが、勝っている。矢張り、このような人は、どうも頼りが無い気がする。
それから、大納言の朝臣が、家司を望むとか。家司としては、忠実に勤めるだろうが、それでも、どんなものか。あれのように、平凡な身分は、矢張りぱっとしないだろう。昔も、このような選び方は、万事に付け、人並み外れた、名声のある者に、落ち着いたものだ。ただひたすら、お一人を大事にする点だけを、善しとして、定めるのでは、何とも、残念に思われるようだ。




右衛門の督の下にわぶるなるよし、尚侍のものせられし。その人ばかりなむ、位など今すこしものめかしき程になりなれば、などかはとも思ひよりぬべきを、まだ年いと若くて、無下に軽びたる程なり。高き心ざし深くて、やもめにて過ぐしつつ、いたくしづまり思ひあがれる気色、人には抜けて、才などもこともなく、つひには世のかためとなるべき人なれば、行く末も頼もしけれど、なほまたこの為にと思ひはてむには、限りぞあるや」と、よろづに思しわづらひたり。





右衛門の督が、内々に、やきもきしているとか、尚侍が、お話していた。あれだけは、位が、もう少しで、一人前になったら、いいではないかと、思うが、まだ年が若く、あまりにも、軽い地位だ。高貴な婦人をとの願いが強く、独身で、今に及び、焦らず高望みしているところ、群を抜いていて、学問もまずまずだし、結局は、国の柱となるはずの人だから、将来も楽しみである。矢張り、この宮のために、婿としようと思うには、不十分だ。と、万事に、思い煩うのである。




かうやうにも思し寄らぬ姉宮たちをば、かけても聞え悩まし給ふ人もなし。あやしく、内々に宣はする御ささめき言どもの、おのづからひろごりて、心をつくす人々多かりけり。





これほどまでにも、御苦労されない姉宮たちには、一向に院の、お心を煩わせる人もいない。不思議なことに、内々で、おっしゃる内緒話が自然と、広まって、気を揉む人が多かった。



posted by 天山 at 05:53| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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