2014年06月24日

もののあわれについて682

朱雀院「いで、そのふりせぬあだけこそは、いと後めたけれ」とは宣はすれど、「げにあまたの中にかかづらひて、めざましかるべき思ひはありとも、なほやがて親ざまに定めたるにて、さもや譲り置き聞えまし」なども思し召すべし。




朱雀院は、いやいや、その相変わらずの、浮気心が、何とも、気になる、とおっしゃるものの、乳母の言うとおり、多くの婦人たちの中で、あれこれして、嫌な思いはあっても、矢張り、このまま、親代わりと決めたことにして、そのように、お譲りしようかとも、考えている様子である。




朱雀院「まことに、少しも世づきてあらせむと思はむ女子持たらば、同じくはかの人のあたりにこそは、触ればはせましけれ。いくばくならぬこの世のあひだは、さばかり心ゆく有様にてこそ過ぐすさまほしけれ。われ女ならば、同じ兄弟なりとも、必ず睦び寄りなまし。若かりし時など、さなむ覚えし。まして女の欺かれむはいと道理ぞや」と宣はせて、御心のうちに、尚侍の君の御事も思し出でらるべし。




朱雀院は、まことに、多少なりとも、世間並みの結婚をさせたいと思う、娘を持てば、同じことなら、あの院のあたりに、嫁がせてやりたいもの。長くもない人生だ。あのように、満ちた気持ちで、過ごしたい。もし私が女ならば、同じ兄弟であっても、きっと仲良くなったことだろう。若い時などは、そう思ったものだ。まして、女が夢中にさせられるのは、当然だ、とおっしゃり、お心の中では、尚侍の君を思い出しているらしい。




この御後見どもの中に、重々しき御乳母の兄、左中弁なる、かの院のしたしき人にて年ごろ仕うまつるありけり。この宮にも心よせことにて候へば、参りたるにあひて物語するついでに、乳母「上なむ、しかじか御けしきありて聞え給ひしを、かの院に、折あらば漏らし聞えさせ給へ。みこたちは、ひとりおはしますこそは例のことなれど、さまざまにつけて心寄せ奉り、何事につけても御後見し給ふ人あるは、たのもしげなり。上をおき奉りて、また真心に思ひ聞え給ふべき人もなければ、おのらは仕うまつるとても、何ばかりの宮仕へにかあらむ。わが心ひとつにしもあらで、おのづから思ひ外のこともおはしまし、かるがるしき聞えもあらむ時には、いかさまにかはわづらはしからむ。御覧ずる世に、ともかくもこの御事さだまりたらば、仕うまつりよくなむあるべき。かしこき筋と聞ゆれど、女はいと宿世さだめがたくおはしますものなれば、よろづに嘆かしく、かくあまたの御中に、取り分き聞えさせ給ふにつけても、人の妬みあべかめるを、いかで塵もすえ奉らじ」と語らふに、




宮の、お世話役で、重々しい地位の乳母の兄で、左中弁という、六条の院の近臣として、長年お仕えしている者がいた。この姫宮にも、特別の気持ちで仕えているので、参上したので会って、話し合うついでに、乳母は、上様が、しかじかのお気持ちで、仰せられたのですが、六条の院、源氏に、折りがあったら、伝えてください。内親王たちは、独身でいらっしゃるのが普通ですが、あれこれにつけて、ご好意をお持ちして、何につけても、お世話くださる人がいるのは、心強い思いがします。上様の外には、別に、心の底から思い申し上げる人もいないので、私らごときが、お仕えすると言っても、どれ程、役に立つでしょう。自分一人だけではないので、自然、思いも寄らないこともあり、浮いた噂が立つような時には、どんなに困ってしまうでしょう。ご在世中に、どうなるにせよ、この姫宮の御事が定まったら、お仕えしやすいことでしょう。ご立派なお家柄とは申しても、女は、運がはっきりしないものです。何につけても、気掛かりで、このように多くの御子たちの中で、特別にお扱い下さるにつけても、人のそねみもあるでしょう。何とか、少しの疵もつけたくないもの、と、相談されると、




弁、「いかなるべき御事にかあらむ。院は、あやしきまで御心長く、仮にても見そめ給へる人は、御心とまりたるをも、又さしも深からざりけるをも、方々につけて尋ね取り給ひつつ、あまたつどへ聞え給へれど、やむごとなく思したるは、限りありて、一方なめれば、それに事よりて、かひなげなる住まひし給ふ方々こそは多かめるを、御宿世ありて、もしさやうにおはしますやうもあらば、いみじき人と聞ゆとも、立ち並びておしたち給ふことは、えあらじ、とこそは推しはからるれど、なほいかがと憚らるる事ありてなむ覚ゆる。さるは、この世の栄え末の世に過ぎて、身に心もとなき事はなきを、女の筋にてなむ、人のもどきをも負ひ、わが心にも飽かぬ事もある、となむ、常に内々のすさびごとにも思し宣しすなる。げに己らが見奉るにもさなむおはします。方々につけて御陰に隠し給へる人、皆その人ならず立ち下れる際にはものし給はねど、限りあるただ人どもにて、院の御有様に並ぶべき覚え具したるやはおはすめる。それに同じくはげにさもおはしまさば、いかにたぐひたる御あはひならむ」と語らふを、




弁は、どういうことなのでしょう。院は、不思議なほどに、お心が変わらず、仮にも、一旦ご寵愛なさった方は、お気に入った方も、またそれ程、深くない方も、それぞれのご縁で、お引き取りなさり、大勢集めて申していらっしゃいますが、本当に大事にされるのは、限りのあることで、お一方だけですから、そちらに片寄って、寂しい暮らしをしている方々も、多いようです。ご縁があって、もしそのようにお出であそばすことでもあれば、どんなにご寵愛深い方と申しても、互角の威勢で、気強くされることは、まさかありませんでしょう。とは、想像されますが、でも、どうかと案じられる点も、あるとは思います。女 関係では、人の非難を受けたり、自分でも、不満なことがあるとか、色々と、内々での、無駄話を口にされるそうです。なる程、私どもが拝見しても、そのようでいらっしゃる。それぞれの、ご縁で、囲っている人は、皆素性の解らない卑しい身分ではありませんが、しかし、たかの知れた身分の人々で、院のご様子に、並び得る評判のある方は、いらっしゃいません。そこに、同じ事なら、主上のお望み通りに、お出であそばせば、どんなにお似合いのご夫婦でしょう。との話である。




めのと、また、事のついでに、「しかじかなむ、なにがしの朝臣にほのめかしはべしかば、「かの院には必ずうけひき申させ給ひてむ。年頃の御本意かなひて思しぬべき事かなるを、こなたの御許しまことにありぬべくは伝へ聞えむ」となむ申し侍りしを、いかなるべき事にかは侍らむ。程々につけて、際際思しわきまへつつ、ありがたき御心様にものし給ふなれど、ただ人だに、またかかづらひ思ふ人立ち並びたる事は、人の飽かぬ事にしはべめるを、めざましき事もや侍らむ。御後見望み給ふ人々は、あまたものし給ふめり。よく思し定めてこそよく侍らめ。限りなき人と聞ゆれど、今の世のやうとては、皆ほがらかに、あるべかくして、世の中を御心と過ぐし給ひつべきも、おはしますべかめるを、姫宮はあさましくおぼつかなく、心もとなくのみ見えさせ給ふに、さぶらぬ人々は、仕うまつる限りこそ侍らめ、大方の御心掟に従ひ聞えて、さかしき下人も靡きさぶらふこそ、便あることに侍らめ。取りたてたる御後見ものし給はざらむは、なほ心細きわざになむ侍るべき」と聞ゆ。




乳母は、改めて、機会を持って、こういうことを、何某の朝臣に、少し申しましたところ、左中弁は、六条の院様は、きっとお引き受けなさるでしょう。長年の願いが叶ったように、思われるはずです。朱雀院のお許しが、本当にあるのでしたら、お伝えしましょう。と、申しましたが、どういたせばよいでしょう。六条の院様は、それぞれに、女の身分を考えて、またとない心遣いをされます。普通の身分でも、自分の他に係わりのある女が、横におりますのは、誰でも、不満なことと思いますでしょうし、目に余ることもございます。宮のお世話役をお望みの方々は、沢山いらっしゃるようです。十分お考えの上、お定めされるのが、よろしいでしょう。立派なお家柄とは申しても、近頃のやり方では、皆、朗らかに、適当に、ご夫婦仲を、ご自分の方針でされているようですが、姫宮は、驚くほど何もご存知なく、頼りなく見られます。気の利いた家人どもも、お心に従い、お仕え申すのこそ、よろしいでしょう。取り立てて、御後見人もいらっしゃらないでは、何と言っても、心細いことでございます。と、申し上げる。




posted by 天山 at 05:35| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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