2014年06月23日

もののあわれについて681

二十にもまだわづかなる程なれど、いとよく整ひすぐして、かたちも盛りににほひて、いみじく清らなるを、御目にとどめて、うちまもらせ給ひつつ、このもてわづらはせ給ふ姫宮の御後見に、「これをや」など、人知れず思し寄りけり。朱雀院「太政大臣のわたりに、今は住みつかれにたりとな。年ごろ心えぬさまに聞きしが、いとほしかりしを、耳安きものから、さすがに妬く思ふ事こそあれ」と宣はする御けしきを、いかに宣はするにか、と、あやしく、思ひめぐらすに、「この姫宮をかく思し扱ひて、さるべき人あらばあづけて、心安く世をも思ひ離ればや、となむ思し宣はする」と、おのづから漏り聞き給ふ便ありければ、さやうの筋にやとは思ひぬれど、ふと心え顔にも何かは答へ聞えさせむ。ただ、夕霧「はかばかしくも侍らぬ身には、寄るべも候こ難くのみなむ」とばかり奏して止みぬ。




二十歳にもう少しという、年であるが、とても立派になり、顔も今を盛りに、つやつやと、まことに美しいのを、御目をつけて、じっと見守りなさり、この、今お心を悩ましている、姫宮の婿に、この君は、どうか、などと、胸の内で、考えられた。
朱雀院は、太政大臣の邸に、今はお住みだそうだな。長らく訳のわからない話と聞いていて、気の毒と思ったが、ほっとしたものの、矢張り、残念に思うことがある。と仰せられる。その様子を、何を仰せになるつもりなのかと、不思議に思い、考えてみると、こちらの姫宮を、このようにご心配されて、適当な人がいれば、頼み、気掛かりなく、出家したいものと、思いで、仰せになると、自然に漏れ聞く手掛かりがあったので、そんなことではないかと、気づいたが、すぐに理解したという顔に、どうしてお答えできよう。ただ、夕霧は、しっかりしていません私には、一緒になってくれる者も、中々、ございません、とだけ申し上げるに留まった。




女房などは、のぞき見聞えて、女房「いとありがたくも見え給ふ容貌用意かな。あなめでた」など集まりて聞ゆるを、老いしらへるは、老女房「いでさりとも、かの院のかばかりにおはせし御有様にはえなずらひ聞え給はざめり。いと目もあやにこそ清らにものし給ひしか」など、言ひしろふを聞しめして、朱雀院「まことに、彼はいと様ことなりし人ぞかし。今はまたその世にもねびまさりて、光る。とはこれを言ふべきにやと見ゆるにほひなむ、いとど加はりにたる。うるはしだちて、はかばかしき方に見れば、いつくしくあざやかに、目も及ばぬここちするを、またうちとけて、たはぶれごとをも言ひ乱れ遊べば、その方につけては、似るものなく愛敬づき、なつかしく美しきことの並び無きこそ、世にありがたけれ。何事にもさきの世おしはかられて、珍かなる人の有様なり。宮の内におひいでて、帝王の限りなくかなしき者にし給ひ、さばかり撫でかしづき、身にかへて思したりしかど、心のままにも驕らず卑下して、二十がうちには、納言にもならずなりにきかし。一つ余りてや、宰相にて大将かけ給へりけむ。それにこれは、いとこよなく進みにためるは、次々の子のおぼえの、まさるなめりかし。まことにかしこき方の才、心もちいなどは、これもをさをさ劣るまじく、あやまりてもおよずけまさりたる覚え、いとことなめり」など、めでさせ給ふ。

源氏のことを言う。夕霧と比べて。




女房などは、覗いて拝し、珍しくご立派なご器量、作法です。素晴らしいこと。など、集まって、噂するのを、老女房は、いいえ、それでも、あの院が、このお年でいらした時のご様子は、とても、比べ物になりません。とても眩しく、美しくしていらした。など、言い合うのを、お耳に遊ばして、朱雀院は、本当に、あれは、特別な人だった。今は変わって、あの時以上に立派になり、光る、とはこれを言うのかと思われる、輝きが、ひときわ加わった。威を正した政治家として見ると、堂々として、見るも、眩い気がするが、一方、くつろいで、冗談など言いふざけると、その道では、またとないほど、人好きがして、親しみやすく愛らしいこと、この上ないことは、珍しい人だ。何事にも前世が思われるほど、立派な人柄である。宮中に生まれ育ち、皇帝陛下が、この上なく可愛い者とされて、あれほど、大事にし、我が身以上に、思っていらしたが、いい気になることもなく、謙って、二十歳まで、納言にもならにいた。二十一歳になり、宰相になり、代々の子孫の信望が厚くなってゆくことだろう。実際、公の仕事に関する才能、心構えなどは、夕霧も、中々源氏に負けないほどで、間違いであっても、年と共に、立派になってきた評判は、普通ではない。など、誉められる。




姫宮のいと美しげにて、若く何心なき御有様なるを見奉り給ふにも、朱雀院「見はやし奉り、かつはまた片生ならむことをば、見隠し教へ聞えつべからむ人の、後安からむに預け聞えばや」など聞え給ふ。おしなしき御めのとども召し出でて、御裳着の程のことなど宣はするついでに、朱雀院「六条のおとどの、式部卿の親王の女おほし立てけむやうに、この宮を預かりてはぐくまむ人もがな。ただ人の中にはあり難し。内には中宮さぶらひ給ふ。次々の女御たちとても、いとやむごとなき限りものせらるるに、はかばかしき後見なくて、さやうのまじらひ、いとなかなかならむ。この権中納言の朝臣の一人ありつる程に、うちかすめてこそ試みるべかりけれ。若けれどいときやうざくに、おひさき頼もしげなる人こそあめるを」と宣はす。




姫宮の、見た目も可愛く、幼い無邪気なご様子でいられるのを、御覧になるにつけて、朱雀院は、大事にして上げ、なおその上、至らぬところは、取り繕って教えられるような人で、信頼のおける人に、お預けしたいもの、などと、申し上げる。
分別のある乳母たちを、御前にお呼びになり、御裳着の式のことなどを、お指図されるついでに、六条の院が、式部卿親王の娘を育てたように、この姫宮を引き取って、育ててくれる人が欲しい。臣下の中にはいないだろう。主上には、中宮がおいでで、それに次ぐ女御たちも、いずれも、ご立派な方ばかりがおいでだから、しっかりした世話役もなくて、そのような仲間入りをするのは、かえって苦しいだろう。この権中納言の朝臣が、独身でいた間に、それとなくほのめかして、打診しておくべきだった。年は若いが、実に才能もあり、将来、有望な人と、思えるのだが、と仰せられる。




乳母「中納言は、もとよりいとまめ人にて、年頃もかのわたりに心をかけて、ほかざまに思ひ移ろふべくも侍らざりけるに、その思ひかなひて、いとどゆるぐ方侍らじ。かの院こそ、なかなかなほ、いかなるにつけても、人をゆかしく思したる心は、絶えずものせ給ふなれ。その中にも、やむごとなき御願ひ深くて、前斎院などをも、今に忘れ難くこそ聞え給ふなれ」と申す。




乳母は、中納言は、元々生真面目な人で、長年、雲居の雁に心を懸けていて、他の人に気が移ったりすることがなく、その望みが叶った今は、益々、心が動くことはございませんでしょう。あの六条の院のほうが、かえって、今なお、どんな場合も、新しい人を求める心は、変わらずにいらっしゃる様子で、その中でも、お生まれの良い方を望まれるのが強く、前斎院などを、今も、忘れられずに、お便りを差し上げられるそうです。と、申す。


posted by 天山 at 05:38| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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