2014年06月22日

もののあわれについて680

女御にも、心美しきさまに聞えつけさせ給ふ。されど母女御の、人よりはまさりて時めき給ひしに、皆いどみかはし給ひし程、御中らひどもえうるはしからざりしかば、その名残にて、げに今はわざと憎しなどはなくとも、まことに心とどめて思ひ後見むとまでは思さずもや、とぞ、推し量らるるかし。




御母の女御にも、やさしくしてくれるように、お頼み申される。だが、母女御藤壺が、人よりすぐれてご寵愛厚かったため、皆が競争していたころ、御仲もあまり、良くなかったので、それが響いて、今はことさら、憎いとは思わないが、本当に心にかけて、お世話しようとまでは、思わないだろうと、思いやられるのだ。




朝夕にこの御事を思し嘆く。
年暮れゆくままに、御悩みまことに重くなりまさらせ給ひて、御簾の外にも出でさせ給はず。御物の怪にて時々悩ませ給ふこともありつれど、いとかくうちはへ、をやみなきさまにはおはしまさざりつるを、このたびはなほ限りなり、と思し召したり。




朝夕に、この事を、思い嘆く。
年が暮れゆくままに、ご病気が重くなり、御簾の外にもお出になられない。今までも、御物の怪で、時には、苦しまれることもあったが、このように長引いて、少しの休みも得られないことは、なかった。今度は、やはり最後と、思うことである。

朱雀院の心境である。




御位を去らせ給へれど、なほその世に頼みそめ奉り給へる人々は、今もなつかしくめでたき御有様を心やり所に参りつかうまつり給ふ限りは、心を尽くして惜しみ聞え給ふ。
六条の院よりも、御とぶらひ、しばしばあり。みづからも参り給ふべき由聞し召して、院はいといたく喜び聞えさせ給ふ。




御位は、お去りになったが、矢張り、在位中にお世話いただいた人々が、今も慕わしく、ご立派なご様子を拝して、心を慰めようと、参上していた方々は皆、心の底から、惜しみ申し上げる。
六条の院、源氏の元からも、お見舞いが頻繁にある。御自身も参上するつもりと、お聞きあそばして、院は、大変お喜び申し上げる。

兎に角、敬語のオンパレードであるが・・・
それには、あまり拘らないで、書くことにした。




中納言の君参り給へるを、御簾の内に召し入れて、御物語こまやかなり。
朱雀院「故院の上の、今はのきざみに、あまたの御遺言ありし中に、この院の御事、今の内の御事なむ、とり分きて宣ひおきしを、おほやけとなりて、こと限りありければ、内々の心よせは変はらずながら、はかなき事のあやまりに心おかれ奉る事もありけむと思ふを、年ごろ事にふれて、その恨み残し給へる気色をなむ漏らし給はぬ。さかしき人と言へど、身の上になりぬれば、こと違ひて心動き、必ずその報い見え、ゆがめる事なむ、いにしへだに多かりける。いかならむ折にか、その御心ばへほころぶべからむと、世人もおもむけ疑ひけるを、つひに忍び過ぐし給ひて、東宮などにも心よせ聞え給ふ。今はた、またなく親しかるべき中となり、睦び交し給へるも、限りなく心には思ひながら、本性の愚なるに添へて、子の道の闇に立ちまじり、かたくななるさまにやとて、なかなかよその事に聞こえ放ちたるさまにて侍る。内の御事は、かの御遺言たがへず、つかうまつり掟てしかば、かく末の世の明けき君として、きし方の御面をもおこし給ふ、本意のごと、いと嬉しくなむ。この秋の行幸の後、対面に聞ゆべき事ども侍り。必ず自らとぶらひ物し給ふべき由、もよほし申し給へ」など、うちしほたれつつ宣はす。




中納言の君、夕霧が参上されたので、御簾の内にお呼びして、しみじみとお話される。
朱雀院は、亡き上皇陛下の御最期の時に、色々な遺言があった中に、六条の院の御事と、今上の御事を、特別に仰せになられたが、位に就くと、自由にならないもので、心の中の好意は、変わらないものの、浅はかな失策ゆえに、お許しくださらないこともあったと思うが、長年の間、何かにつけて、その恨みを含む様子などは、見せたことが無い。
賢き人と言っても、自分のことになると話は別で、心が動揺し、必ず復讐をし、道を踏み外す例は、昔でさえ、多かった。どんな時に、お恨みの心が抑えられずに出るのだろうかと、世間の人も、疑ってきたが、最後まで辛抱されて、東宮などにも、好意を示してくださる。そして今はまた、とりわけ親しい間柄となり、親密に行き来してくださるのも、この上なく、ありがたく思いつつ、元々愚かな性の上に、子供のことに目がくらみ、馬鹿なことをすると言われるのではと、かえって、よそ事に申している有様です。
今上の御事は、御遺言通り、して差し上げました。末世の明君として先代の不面目を、一新してくださる。願い叶い大変嬉しく思います。この秋の、行幸のあと、昔のことを思い出されて、懐かしくお逢いしたい気持ちです。対面して、申し上げたい事も、あれこれあります。必ず、御自身お訪ね下さるよう、お勧めして下さい、など、涙と共に、仰せられるのである。




中納言の君、夕霧「過ぎ侍りにけむ方は、ともかくも思う給へわき難く侍り、年まかり入り侍りて、おほやけにも仕うまつり侍るあひだ、世の中のことを見給へまかりありく程には、大小のことにつけても、内々のさるべき物語りなどのついでにも、いにしへのうれはしき事ありてなむ、など、うちかすめ申さるる折は侍らずなむ。かく朝廷の御後見を仕うまつりそして、静かなる思ひをかなへむと、ひとへに籠りいし後は、何事をも知らぬやうにて、故院の御遺言のごともえ仕うまつらず、御位におはしましし世には、よはひの程も、身の器も及ばず、かしこき上の人々多くて、その心ざしをとげて御覧ぜらるる事もなかりき。今かく政をさりて静かにおはします頃ほひ、心の内をも隔てなく、参り承らまほしきを、さすがに何となく所狭き身のよそほひにて、おのづから月日を過ぐすこと、となむ、折々嘆き申し給ふ」など奏し給ふ。




中納言の君、夕霧は、過ぎました昔のことは、何とも分りかねます。成人しましてから、陛下にお仕えする間、世間のことを学んでいますうちに、大小、公事につけても、内輪の親子の話し合いなどの際に、昔、酷い目にあって、など、ほのめかし申されることもありませんでした。このように陛下の御後見を途中でご辞退して、平穏な理想の生活に入ろうと、ただただ籠居して、以後は、何事も構わない様子で、亡き上皇の御遺言のように、仕えることも出来ず、御位においであそばした時には、年齢も、実力も不十分で、立派な方々が多く上にいらして、この思いを実行して、見ていただくこともなかった。今、こうして政治から離れて、静かにいられるこの頃、思う心も隠さず、お話を伺いに、参上したいのだが、矢張り、何やら動きにくい仰々しさで、ついつい、月日を過ごしたと、時々、嘆いております、などと、奏上される。

源氏の心境を語っているのである。



posted by 天山 at 05:32| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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