2014年06月21日

もののあわれについて679

若菜 上

朱雀院の帝、ありし御幸ののち、そのころほひより、例ならず悩みわたらせ給ふ。もとよりあつしくおはしますうちに、この度は物心細く思しめされて、年ごろおこなひの本意深きを、きさいの宮のおはしましつるほどは、よろづはばかり聞えさせ給ひて、今まで思しとどこほりつるを、「なほその方に催すにやあらむ、世に久しかるまじき心地なむする」など宣はせて、さるべき御心まうけどもせさせ給ふ。




朱雀院の帝は、先だっての、御幸の後、その頃より、ご病気で苦しみになっておられた。
元々、病気がちであらせられるが、特にこの度は、駄目かもしれないと、思いあそばされて、長年の出家の願いが強く、御母后の宮のおいであそばす間は、万事ご遠慮されて、今まで思い止まっていらしたが、矢張り、その方に、つまり、仏道修行に心動くのか、もう長くないような気がすると、仰せられて、そのための、準備をされるのである。

その方に・・・
出家に関することである。




御子たちは、東宮をおき奉りて、女宮たちなむ四所おはしましける。その中に、藤壺と聞えしは、先帝の源氏にぞおはしましける。まだ坊と聞えさせし時参り給ひて、高き位にも定まり給ふべかりし人の、とり立てたる御後見もおはせず、母方もその筋となく物はかなき更衣腹にて物し給ひければ、御まじらひの程も心細げにて、大后の尚侍を参らせ給ひて、かたはらに並ぶ人なくもてなし聞え給ひなどせし程に、けおされて、帝も御心の中にいとほしきものには思ひ聞えさせ給ひながら、おりさせ給ひにしかば、かひなく口惜しくて、世の中を恨みたるやうにて亡せ給ひにし、その御腹の女三の宮を、あまたの御中にすぐれてかなしきものに思ひかしづき聞え給ふ。そのほど御年十三四ばかりおはす。今はとそむき捨て山ごもりしなむ後の世のたちとまりて、誰を頼むかげにて物し給はむとすらむと、ただ、この御事をうしろめたく思し嘆く。




御子たちは、東宮を別にして、女宮たちが、四人いらした。その中でも、藤壺と申し上げた方は、先帝の皇女でいらしたが、東宮時代に入内されて、最高の地位、后の位にもつくはずの方ながら、特に御後見もなく、母方もよい家柄でなくて、実力の無い更衣腹だったので、後宮での生活ぶりも、頼りなく、御母后が、尚侍を参らせ申し上げされて、競争相手も無い程、ご寵愛された中に、圧倒されて、陛下も可哀想と思うが、帝位を降りあそばしたので、何もならない残念なことと、運命を恨むように、お亡くなりになった。
その方の、お生みになった、女三の宮を、多くの御子の中でも、特別に可愛がって大事にしていらっしゃる。その頃、お年は、十三、四くらいでいらした。これを最後と、世を捨てて、出家入りした後に残り、誰を頼りに生活してゆくのかと、ただ、この方のことだけを、気になって、嘆かれる。

すべてが、敬語なので・・・
とても、面倒になる。
敬語の敬語まである。




西山なる御寺造りはてて、移ろはせ給はむ程の御いそぎをせさせ給ふに添へて、またこの宮の御裳着のことを思しいそがせ給ふ。院の内にやむごとなく思す御宝物、御調度どもをばさらにも言はず、はかなき御遊び物まで、少し故ある限りをば、ただこの御方にと渡し奉らせ給ひて、その次々をなむ、こと御子たちには、御処分どもありける。




西山にあるお寺を造り終えて、移りあそばすための準備に加えて、一方では、この女宮の、御裳着の儀式を準備される。上皇御所の中にある物で、大切に思う宝物や、調度類の数々はいうまでもなく、何ということもない、遊び道具まで、少しでも由緒のある物は、すべて、一人この姫君に、お贈りあそばし、それに次ぐ品々を、他の御子たちに、配分された。




東宮は、かかる御悩みに添へて、世を背かせ給ふべき御心づかひになむ、と聞かせ給ひて、渡らせ給へり。母女御も添ひ聞えさせ給ひて、参り給へり。すぐれたる御覚えにしもあらざりしかど、宮のかくておはします御宿世の、限りなくめでたければ、年ごろの御物語、こまやかに聞えかはさせ給ひけり。宮にもよろづの事、世をたもち給はむ御心づかひなど、聞え知らせ給ふ。御年の程よりはいとよく大人びさせ給ひて、御後見どももこなたかなた、軽々しからぬ中らひに物し給へば、いと後やすく思ひ聞えさせ給ふ。




東宮は、このような病気に加えて、御出家しようとする旨を耳にして、おいでになった。
母女御もご一緒申し上げて、参上された。
特別な寵愛ということはないが、東宮が、こうしておいでなさる御運が、この上なく素晴らしく、久しぶりの思い出話を、しんみりと、お話し合いされた。
東宮にも、色々と、国を治めるためのご注意など、教え申し上げる。お年の割には、随分と、大人びているので、お世話役なども、あちらこちらと、立派な間柄でいらっしゃるので、すっかりと、安心した気持ちでいらっしゃる。




朱雀院「この世に恨み残ることも侍らず。女宮たちのあまた残り留まる行く先を思ひやるなむ、さらぬ別れにもほだしなりぬべかりける。さきざき人の上に見聞きしにも、女は心よりほかに、あはあはしく、人におとしめらるる宿世あるなむ、いと口惜しく悲しき。いづれをも、思ふやうならむ御世には、さまざまにつけて、御心とどめて思し尋ねよ。その中に、後見などあるは、さる方にも思ひ譲り侍り。三の宮なむ、いはけなきよはひにて、ただ一人を頼もしきものとならひて、うち捨ててむ後の世に、漂ひさすらへむこと、いといとうしろめたく悲しく侍る」と、御目おしのごひつつ聞え知らせさせ給ふ。




朱雀院は、この世に、気掛かりなことは、何もありません。ただ、女宮たちが、大勢後に残り、その将来を気遣うのが、いざ別れという時に、障りになるでしょう。今まで、人事として見たり、聞いたりしたのでも、女は、思いがけず、浅はかだと、人に見下げられる運命のあるのが、まことに残念で、悲しい。どなたの事も、ご即位された時は、何かにつけて、お心に忘れず、お世話下さい。その中でも、世話する者があるのは、そちらにお任せします。三の宮は、幼い年で、私一人を頼りとしているので、私が見捨てた後は、寄るべきところ無く、途方にくれるだろうと、まことに気掛かりで、心苦しい、と、涙の目を払い、お願い申し上げる。

帝の言葉も、すべて敬語である。
大和言葉の敬語の美しさである。



posted by 天山 at 04:54| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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