2014年06月16日

霊学165

気に入ること、気に入らぬこと、欲求と嫌悪は個人の魂に属する。これらを超えたところに義務が立っている。人間にとって義務は、そのために生命を犠牲にする程までに、高い意味をもちうる。そして人間は、自分の性向や好悪の感情を教化して、強制や服従なしに、自分から進んで認識が教える義務に従うようになればなる程、高次の段階に立っているのである。人倫=善は真理同様、永遠の価値を自分自身のうちに担っており、それを感覚魂から受け取るのではない。
シュタイナー

人間は、独立した、真と善を、自分の内部に生かすことで、自分を単なる、感覚魂から、超越させる。

永遠の光がこの感覚魂の中にさし込む。消え去ることのない光がそこに生じる。
シュタイナー

その、光の中に生きる限り、永遠の存在を有している。

魂の中で永遠の存在として輝くものは、ここでは意識魂と名付けられる。
シュタイナー

今度は、意識魂、である。

だが、人倫が何かということについては、語らない。
更に、真、善というもの・・・

魂の中の、不死なるもの・・・とは、言うが・・・

哲学者もまた、普遍の真理なるものを、考え続けるが・・・
いや、普遍の原理・・・

ここで意識魂と呼ぶのは、人間意識の核心、つまり魂の中の魂のことである。意識魂は、ここでは魂の特別の部分として、悟性魂から区別される。悟性魂はなお感覚、衝動、激情等の中に巻き込まれている。人は誰でも、はじめは自分の感覚や衝動の中から取り出してきたものを、真実だと思おうとする。しかし感覚等々に含まれた共感、反感の添え味をすべて取り去った真理だけが永続的真理なのである。真理は、たとえすべての個人的感情が反抗するときにも、真理である。この真理が生きている魂の部分を意識魂と呼ぶのである。

魂にも、三つの、区別が出た。
感覚魂、悟性魂、意識魂である。

そして下から体的本性が魂を限界づける働きをするように、上から霊性が魂を拡大する働きをする。
シュタイナー

物理学でも、数学でも、哲学でも、それらが説明出来るのだろうか・・・
上から、霊性を、云々とは、シュタイナーの場合は、特別な感触を持っている。

霊性という言葉を使うのは、主に宗教的発想である。
また、哲学でも、それは、別な意味を持つが・・・

シュタイナーの場合は、特殊なのである。

なぜなら魂が真と善とに充たされる程、ますます永遠なものがその中で大きく、勢いを増していくからである。
シュタイナー

そして、ここから、また、特別な言い方になる。

魂を「見る」能力をもつ者にとって、永遠の部分を拡大していく人間から生じる輝きは、肉眼にとって燃える焔が現実であると同様に、現実に存在する。
シュタイナー

この、「見る」という能力もまた、シュタイナーの世界のものである。

文字面だけでは、理解し難い・・・

「見者」にとって、体的人間は人間全体の一部に過ぎない。
シュタイナー
確かに、その通りだろう。
しかし、「見者」にとって、である。

体は、人間のすべての部分が相互に浸透し合っている中で、もっとも粗雑な部分である。肉体を生命形態にしているのが、エーテル体である。このエーテル体を超えて、あらゆる側面に魂体(アストラル的形姿)が拡がっている。さらにこの魂体を超えて、感覚魂が拡がり、その上に悟性魂が拡がっている。悟性魂の拡がりは真と善を受容すればする程、大きくなる。なぜなら真と善が悟性魂の拡大の原因なのだから。もっぱら気に入るか、気に入らないかという好みの観点に従って生きる人間の悟性魂の境界は感覚魂のそれと合致している。肉体の周りに雲のように現れるこれらの構成体は人間のオーラと呼ばれている。
シュタイナー

好みだけに従っている人間は、悟性魂が、拡がらず、感覚魂と、合致していると言う。
それでは、大半の人間が、そうである。

ここで言う、真と善とは、何か・・・
よく解らないのである。
勿論、キリスト教徒なら、それは、神であるが・・・

好みによって、真と善を考える人は、感覚魂と悟性魂が、合致しているということになる。
これは、批判ではない。追求である。

それから、オーラについての話が続くのだが・・・

エーテル体を超えて、アストラル的形姿が、拡がる・・・
その前に、肉体がある。その肉体を肉体にしているのが、エーテル体である。

アストラル体を、私は、幽体と呼んでいるが・・・
更に、オーラを発するものは、魂となると、考えている。

ただし、シュタイナーの概念に従うべきだ。
今は、それを理解しようとしている。

ただ、問題は、「見者」である。
霊能力者ということか・・・

あるいは、シュタイナーの著作を読んで、深めて行けば、見者になるのか・・・
誰が、見者として、認めるのか・・・

ここに、とても、怖ろしい罠があるように、思う。
誰もが、本当にそのように、成れるのか・・・
勿論、真と善を有する者。




posted by 天山 at 06:47| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。