2014年06月15日

霊学164

感覚魂はその作用に関してはエーテル体に依存している。なぜなら感覚魂は、自分が現出させる感覚内容を、エーテル体から取り出してくるからである。そしてエーテル体は肉体内の生命なのだから、感覚魂は肉体にも間接的に依存しているのである。健康な肉眼だけがふさわしい色彩感覚を可能にする。このように体的本性は感覚魂に作用している。だから感覚魂はその働きを体によって規定され、限定されているといえる。それは体的本性によって引かれた境界線の範囲内で生きている。
シュタイナー

シュタイナーの考え方・・・
それは、シュタイナーの概念、あるいは、観念を理解するということだ。
一般通念としての、言葉は無い。

だから、シュタイナーが、自身の著書から学べと言うが・・・
それが、誤りだったら。また、解釈の仕方に、誤りがある場合は・・・
シュタイナー教育なども、提唱されているが、一体、シュタイナー以外の誰が、それを正しく教え、伝えられるのか。

しかし感覚魂の境界は肉体の境界と重なり合ってはいない。感覚魂は肉体を越えて聳え立っている。
シュタイナー

それは、肉体よりも、勢力範囲が大きいということ。
だが、感覚魂に、境界を設ける力は、肉体から発している。

それにより、肉体とエーテル体、また、感覚魂、この両方の間に、人間本性の、特別の部分が設定されなければならなくなっている。

それが、魂体もしくは、感覚体である。
エーテル体の一部分は、他の部分より、精妙にできている。

通常の感覚とは、心理学で言う感覚として、考えると、確かに、肉体を越えて行くが・・・
だが、それも、肉体あればそこの問題である。

そしてこの精妙なエーテル体部分が感覚魂と統一体を形成しており、一方そのより粗雑な部分は肉体と一種の統一体を形成しているのである。
シュタイナー
しかし、感覚魂は、魂体を突き抜けて、聳え立つ。

ここで感覚と名付けられているものは魂の本質の一部分に過ぎない(感覚魂という表現は簡明さの故に選ばれている)。感覚には快、不快、衝動、本能、情欲が結び付いている。これらすべては感覚と同じ特性、特質をもっており、体的本性に依存している。
シュタイナー

更に、
感覚魂は体に対すると同様、思考つまり霊に対しても、相互作用をもっている。まず思考が感覚魂に仕える。人間は自分の感覚内容について思考をめぐらし、それによって外界を解明する。
シュタイナー

これほど、回りくどい言い方をしているのは、その世界が、霊学だからである。
シュタイナーの霊学というものに、導こうとするのである。

感覚魂は、動物も同じく有する。が、動物は、直接従うだけで、それを超えた思考内容と、結び付けない。
思考能力をもった、より高次の魂は、悟性魂と名付けられる、と言う。

その別の側面は、心情魂もしくは、心情とも呼びうるだろうとのこと。

自分で一つの、体系付けた思想を表現するのであるから・・・
当然、新しい概念、あるいは、観念の言葉が必要だが・・・

悟性魂は感覚魂に浸透している。それ故、魂を「見る」器官をもつ者は悟性魂の中に単なる感覚魂とは異なる特性を見る。
シュタイナー

上書きして、更に、上書きして書き付けている。

人間は思考を通して個人生活の圏外へ出ていく。彼は自分の魂を超越した何かを手に入れる。
シュタイナー

以前、高橋巌氏の、解説を延々と紹介したので、ある程度は、理解出来るものである。
だが、直接、シュタイナーを読む者が、果たして、シュタイナーを理解出来るのかは、疑問だ。

何故、あえて、解ることを、解りにくくして、書くのか・・・
私には、よく解らない。

哲学とは、深くより深く掘り下げて、物事を見つめる態度である。
それは、シュタイナーの著作でも、同じことだ。

そして、物事の、原理を探る行為である。
行為ではない。
原理である。

だから、くどいのである。

思考の法則が宇宙の秩序と一致していることは、彼にとって疑う余地のない事実なのだ。彼はこの一致が存在するからこそ、自分をこの宇宙の定住者であると考える。この一致が存在するという事実によって、人間は自己の本性が何であるかを学ぶのである。
シュタイナー

改めて、考えると、その通りである。
しかし、日々の生活の中では、それは、当たり前過ぎて、意識する事は無い。
シュタイナーの著作によって、それは、当たり前だと、納得する。

そういう、シュタイナーの行為を、哲学するという。
哲学である。
それが、霊学となると・・・

感覚魂、悟性魂、心情魂・・・
新しい意味づけになるのか。

感覚、悟性、心情なのである。
改めて、魂と名付けることに、何の意味があるのか・・・
と、いうこで、まだ先は、続く。

人間は自分の魂の内部に真理を求める。
シュタイナー

そのように、改めて言うのである。
だから、私も改めて言う。
シュタイナーを読み続ける行為によって、シュタイナーに洗脳されて行くのである。



posted by 天山 at 05:52| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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