2014年06月03日

神仏は妄想である。479

聖書という、キリスト教の聖典の出来方について、どのような事実を挙げても、信仰には、関わりが無い。
つまり、信じてしまったのである。
だから、聖書は、どのように出来たのかなどに、関心が無い。

更に、聖書を読まずとも、信じてしまえば、済むことである。

その伝道者の情熱に動かされて・・・
信じる。

日本に最初に、ザビエルが伝えた天主教というものも、聖書など誰も読むことがなかった。
ただ、宣教師の神の、天主のお話で、信じた。
更に、マリア様の存在である。

その時の神の名は、ゼウスであり、そして、聖母マリアが、手だった。

それは、日本に限らず、ブラジルなどでも、地場の信仰対象だったものと、マリアを重ねてしまい、それを聖母マリアに仕立てたのである。
黒いマリア像である。

信じてしまえば、人間は、勝手に自己暗示で、十分に過ごせる。

つまり、信仰とは、自己暗示であり、対象は、我がうちに在る、神や仏なのである。
自己暗示に酔いしれることほど、心地よいことは、無い。

神仏が存在するも、しないも、心一つの問題である。

完全に正統的で、使徒的な言説が述べられているように見えながら、聖典から外された書物も数多くあった。「ペトロの黙示録」「バルナバの手紙」「クレメンスの手紙」などである。
アーマン

現在に至る、聖典のリストを作ったのは、エジプト、アレクサンドリアの有名な司教だった、アタナシウスである。
その間も、色々な議論があったが、五世紀以降、彼が指定した正典は、大方の正統教会の正典として定着する。

中世を通じて、聖書の写本を作る書記は、二十七の書だけを書き写した。アタナシウスのリストが、世界的な宗教会議で承認されることは、千年以上なかったが、印刷技術が発明される時代まで、広く活用されたこのリストは、事実上承認された形となった。十五世紀に活版印刷が開発され、聖書が簡単に複写できるようになると、アタナシウスの正典は、もはや不動のものとなった。これ以降、正典に収められるべき書や、その順番が確定された。今日、英語圏のどこで新約聖書を買おうと、その内容はすべて同じである。
アーマン

若き日の、アーマン氏は、福音主義の信者だったが・・・

聖書は、神によって、与えられたものである、ということを、信じきっていたのである。

だが、
もちろん今の私は、もはや聖書をそんなふうに見ていない。それどころか、聖書は神の啓示などではなく、実に人間的な本だと思っている。・・・
私の意見では、これは、どう見ても神の業ではなく、人間味溢れる教会指導者たち(全員が男だが)が、何が正しいのか決めるために、最善を尽くした結果だ。
と、言う。

もう、これ以上の説明は、必要ないだろう。
聖書は、人間が、悪戦苦闘して、作り上げた書物であるということである。

神が、手を下したことは、無い。
神は存在しないからである。

更に、その神というものも、一つの霊であった。
霊的存在は、退化もするし、上昇もする。

旧約聖書に登場する、神という存在は、すべて人間のことである。
だから、あのような、残虐なことが出来たのである。

モーゼ五書・・・
モーゼが作り上げた、神、である。
モーゼが支配した、神。

神との契約は、モーゼとの契約である。
モーゼが主体で、神は、従である。

私が神であるというより、神という存在を置いた方が、易い。
そして、民族の神として、祭る。

何もおかしなことはない。
おかしなことは、全人類を救う神というから、おかしくなる。

ユダヤ人の神であり、ユダヤ人のみの、救いの神であるとすると、済むのである。
勿論、今の今まで、ユダヤ人は、救われていないが・・・

勿論、キリスト教徒も、救われていない。

救いということが、永遠の命を得るということであれば、誰も永遠に生きている者は、いない。
勿論、天国で永遠に生きているのかもしれないが・・・

だが、それを確認する方法は無い。

原始から人間は、目に見えないものを、畏れた。
それを、単純に宗教に似た、信仰と当て嵌めるのは、誤りである。
原始時代は、原始時代の、ものの見方がある。

現在の宗教と、信仰と、原始のそれが、同じ訳は無い。

人間の精神が複雑化するにつれて、それ、宗教的な行為も、複雑になった。
特に、おかしいのは、特殊能力を得るなどという、宗教と、その信仰である。

更に、また、奇跡が起こるという、宗教と信仰である。

常識、良識を持って、対処することが、唯一の道である。

宗教も信仰がなくとも、生命に対する、畏敬の心があれば、すべては、解決する。
今ここに、存在している、私という、現実を見ることである。
その私は、何によって生きているのか。
あるいは、何によって、生かされているのか、である。


posted by 天山 at 07:13| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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