2014年06月22日

もののあわれについて680

女御にも、心美しきさまに聞えつけさせ給ふ。されど母女御の、人よりはまさりて時めき給ひしに、皆いどみかはし給ひし程、御中らひどもえうるはしからざりしかば、その名残にて、げに今はわざと憎しなどはなくとも、まことに心とどめて思ひ後見むとまでは思さずもや、とぞ、推し量らるるかし。




御母の女御にも、やさしくしてくれるように、お頼み申される。だが、母女御藤壺が、人よりすぐれてご寵愛厚かったため、皆が競争していたころ、御仲もあまり、良くなかったので、それが響いて、今はことさら、憎いとは思わないが、本当に心にかけて、お世話しようとまでは、思わないだろうと、思いやられるのだ。




朝夕にこの御事を思し嘆く。
年暮れゆくままに、御悩みまことに重くなりまさらせ給ひて、御簾の外にも出でさせ給はず。御物の怪にて時々悩ませ給ふこともありつれど、いとかくうちはへ、をやみなきさまにはおはしまさざりつるを、このたびはなほ限りなり、と思し召したり。




朝夕に、この事を、思い嘆く。
年が暮れゆくままに、ご病気が重くなり、御簾の外にもお出になられない。今までも、御物の怪で、時には、苦しまれることもあったが、このように長引いて、少しの休みも得られないことは、なかった。今度は、やはり最後と、思うことである。

朱雀院の心境である。




御位を去らせ給へれど、なほその世に頼みそめ奉り給へる人々は、今もなつかしくめでたき御有様を心やり所に参りつかうまつり給ふ限りは、心を尽くして惜しみ聞え給ふ。
六条の院よりも、御とぶらひ、しばしばあり。みづからも参り給ふべき由聞し召して、院はいといたく喜び聞えさせ給ふ。




御位は、お去りになったが、矢張り、在位中にお世話いただいた人々が、今も慕わしく、ご立派なご様子を拝して、心を慰めようと、参上していた方々は皆、心の底から、惜しみ申し上げる。
六条の院、源氏の元からも、お見舞いが頻繁にある。御自身も参上するつもりと、お聞きあそばして、院は、大変お喜び申し上げる。

兎に角、敬語のオンパレードであるが・・・
それには、あまり拘らないで、書くことにした。




中納言の君参り給へるを、御簾の内に召し入れて、御物語こまやかなり。
朱雀院「故院の上の、今はのきざみに、あまたの御遺言ありし中に、この院の御事、今の内の御事なむ、とり分きて宣ひおきしを、おほやけとなりて、こと限りありければ、内々の心よせは変はらずながら、はかなき事のあやまりに心おかれ奉る事もありけむと思ふを、年ごろ事にふれて、その恨み残し給へる気色をなむ漏らし給はぬ。さかしき人と言へど、身の上になりぬれば、こと違ひて心動き、必ずその報い見え、ゆがめる事なむ、いにしへだに多かりける。いかならむ折にか、その御心ばへほころぶべからむと、世人もおもむけ疑ひけるを、つひに忍び過ぐし給ひて、東宮などにも心よせ聞え給ふ。今はた、またなく親しかるべき中となり、睦び交し給へるも、限りなく心には思ひながら、本性の愚なるに添へて、子の道の闇に立ちまじり、かたくななるさまにやとて、なかなかよその事に聞こえ放ちたるさまにて侍る。内の御事は、かの御遺言たがへず、つかうまつり掟てしかば、かく末の世の明けき君として、きし方の御面をもおこし給ふ、本意のごと、いと嬉しくなむ。この秋の行幸の後、対面に聞ゆべき事ども侍り。必ず自らとぶらひ物し給ふべき由、もよほし申し給へ」など、うちしほたれつつ宣はす。




中納言の君、夕霧が参上されたので、御簾の内にお呼びして、しみじみとお話される。
朱雀院は、亡き上皇陛下の御最期の時に、色々な遺言があった中に、六条の院の御事と、今上の御事を、特別に仰せになられたが、位に就くと、自由にならないもので、心の中の好意は、変わらないものの、浅はかな失策ゆえに、お許しくださらないこともあったと思うが、長年の間、何かにつけて、その恨みを含む様子などは、見せたことが無い。
賢き人と言っても、自分のことになると話は別で、心が動揺し、必ず復讐をし、道を踏み外す例は、昔でさえ、多かった。どんな時に、お恨みの心が抑えられずに出るのだろうかと、世間の人も、疑ってきたが、最後まで辛抱されて、東宮などにも、好意を示してくださる。そして今はまた、とりわけ親しい間柄となり、親密に行き来してくださるのも、この上なく、ありがたく思いつつ、元々愚かな性の上に、子供のことに目がくらみ、馬鹿なことをすると言われるのではと、かえって、よそ事に申している有様です。
今上の御事は、御遺言通り、して差し上げました。末世の明君として先代の不面目を、一新してくださる。願い叶い大変嬉しく思います。この秋の、行幸のあと、昔のことを思い出されて、懐かしくお逢いしたい気持ちです。対面して、申し上げたい事も、あれこれあります。必ず、御自身お訪ね下さるよう、お勧めして下さい、など、涙と共に、仰せられるのである。




中納言の君、夕霧「過ぎ侍りにけむ方は、ともかくも思う給へわき難く侍り、年まかり入り侍りて、おほやけにも仕うまつり侍るあひだ、世の中のことを見給へまかりありく程には、大小のことにつけても、内々のさるべき物語りなどのついでにも、いにしへのうれはしき事ありてなむ、など、うちかすめ申さるる折は侍らずなむ。かく朝廷の御後見を仕うまつりそして、静かなる思ひをかなへむと、ひとへに籠りいし後は、何事をも知らぬやうにて、故院の御遺言のごともえ仕うまつらず、御位におはしましし世には、よはひの程も、身の器も及ばず、かしこき上の人々多くて、その心ざしをとげて御覧ぜらるる事もなかりき。今かく政をさりて静かにおはします頃ほひ、心の内をも隔てなく、参り承らまほしきを、さすがに何となく所狭き身のよそほひにて、おのづから月日を過ぐすこと、となむ、折々嘆き申し給ふ」など奏し給ふ。




中納言の君、夕霧は、過ぎました昔のことは、何とも分りかねます。成人しましてから、陛下にお仕えする間、世間のことを学んでいますうちに、大小、公事につけても、内輪の親子の話し合いなどの際に、昔、酷い目にあって、など、ほのめかし申されることもありませんでした。このように陛下の御後見を途中でご辞退して、平穏な理想の生活に入ろうと、ただただ籠居して、以後は、何事も構わない様子で、亡き上皇の御遺言のように、仕えることも出来ず、御位においであそばした時には、年齢も、実力も不十分で、立派な方々が多く上にいらして、この思いを実行して、見ていただくこともなかった。今、こうして政治から離れて、静かにいられるこの頃、思う心も隠さず、お話を伺いに、参上したいのだが、矢張り、何やら動きにくい仰々しさで、ついつい、月日を過ごしたと、時々、嘆いております、などと、奏上される。

源氏の心境を語っているのである。



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2014年06月23日

もののあわれについて681

二十にもまだわづかなる程なれど、いとよく整ひすぐして、かたちも盛りににほひて、いみじく清らなるを、御目にとどめて、うちまもらせ給ひつつ、このもてわづらはせ給ふ姫宮の御後見に、「これをや」など、人知れず思し寄りけり。朱雀院「太政大臣のわたりに、今は住みつかれにたりとな。年ごろ心えぬさまに聞きしが、いとほしかりしを、耳安きものから、さすがに妬く思ふ事こそあれ」と宣はする御けしきを、いかに宣はするにか、と、あやしく、思ひめぐらすに、「この姫宮をかく思し扱ひて、さるべき人あらばあづけて、心安く世をも思ひ離ればや、となむ思し宣はする」と、おのづから漏り聞き給ふ便ありければ、さやうの筋にやとは思ひぬれど、ふと心え顔にも何かは答へ聞えさせむ。ただ、夕霧「はかばかしくも侍らぬ身には、寄るべも候こ難くのみなむ」とばかり奏して止みぬ。




二十歳にもう少しという、年であるが、とても立派になり、顔も今を盛りに、つやつやと、まことに美しいのを、御目をつけて、じっと見守りなさり、この、今お心を悩ましている、姫宮の婿に、この君は、どうか、などと、胸の内で、考えられた。
朱雀院は、太政大臣の邸に、今はお住みだそうだな。長らく訳のわからない話と聞いていて、気の毒と思ったが、ほっとしたものの、矢張り、残念に思うことがある。と仰せられる。その様子を、何を仰せになるつもりなのかと、不思議に思い、考えてみると、こちらの姫宮を、このようにご心配されて、適当な人がいれば、頼み、気掛かりなく、出家したいものと、思いで、仰せになると、自然に漏れ聞く手掛かりがあったので、そんなことではないかと、気づいたが、すぐに理解したという顔に、どうしてお答えできよう。ただ、夕霧は、しっかりしていません私には、一緒になってくれる者も、中々、ございません、とだけ申し上げるに留まった。




女房などは、のぞき見聞えて、女房「いとありがたくも見え給ふ容貌用意かな。あなめでた」など集まりて聞ゆるを、老いしらへるは、老女房「いでさりとも、かの院のかばかりにおはせし御有様にはえなずらひ聞え給はざめり。いと目もあやにこそ清らにものし給ひしか」など、言ひしろふを聞しめして、朱雀院「まことに、彼はいと様ことなりし人ぞかし。今はまたその世にもねびまさりて、光る。とはこれを言ふべきにやと見ゆるにほひなむ、いとど加はりにたる。うるはしだちて、はかばかしき方に見れば、いつくしくあざやかに、目も及ばぬここちするを、またうちとけて、たはぶれごとをも言ひ乱れ遊べば、その方につけては、似るものなく愛敬づき、なつかしく美しきことの並び無きこそ、世にありがたけれ。何事にもさきの世おしはかられて、珍かなる人の有様なり。宮の内におひいでて、帝王の限りなくかなしき者にし給ひ、さばかり撫でかしづき、身にかへて思したりしかど、心のままにも驕らず卑下して、二十がうちには、納言にもならずなりにきかし。一つ余りてや、宰相にて大将かけ給へりけむ。それにこれは、いとこよなく進みにためるは、次々の子のおぼえの、まさるなめりかし。まことにかしこき方の才、心もちいなどは、これもをさをさ劣るまじく、あやまりてもおよずけまさりたる覚え、いとことなめり」など、めでさせ給ふ。

源氏のことを言う。夕霧と比べて。




女房などは、覗いて拝し、珍しくご立派なご器量、作法です。素晴らしいこと。など、集まって、噂するのを、老女房は、いいえ、それでも、あの院が、このお年でいらした時のご様子は、とても、比べ物になりません。とても眩しく、美しくしていらした。など、言い合うのを、お耳に遊ばして、朱雀院は、本当に、あれは、特別な人だった。今は変わって、あの時以上に立派になり、光る、とはこれを言うのかと思われる、輝きが、ひときわ加わった。威を正した政治家として見ると、堂々として、見るも、眩い気がするが、一方、くつろいで、冗談など言いふざけると、その道では、またとないほど、人好きがして、親しみやすく愛らしいこと、この上ないことは、珍しい人だ。何事にも前世が思われるほど、立派な人柄である。宮中に生まれ育ち、皇帝陛下が、この上なく可愛い者とされて、あれほど、大事にし、我が身以上に、思っていらしたが、いい気になることもなく、謙って、二十歳まで、納言にもならにいた。二十一歳になり、宰相になり、代々の子孫の信望が厚くなってゆくことだろう。実際、公の仕事に関する才能、心構えなどは、夕霧も、中々源氏に負けないほどで、間違いであっても、年と共に、立派になってきた評判は、普通ではない。など、誉められる。




姫宮のいと美しげにて、若く何心なき御有様なるを見奉り給ふにも、朱雀院「見はやし奉り、かつはまた片生ならむことをば、見隠し教へ聞えつべからむ人の、後安からむに預け聞えばや」など聞え給ふ。おしなしき御めのとども召し出でて、御裳着の程のことなど宣はするついでに、朱雀院「六条のおとどの、式部卿の親王の女おほし立てけむやうに、この宮を預かりてはぐくまむ人もがな。ただ人の中にはあり難し。内には中宮さぶらひ給ふ。次々の女御たちとても、いとやむごとなき限りものせらるるに、はかばかしき後見なくて、さやうのまじらひ、いとなかなかならむ。この権中納言の朝臣の一人ありつる程に、うちかすめてこそ試みるべかりけれ。若けれどいときやうざくに、おひさき頼もしげなる人こそあめるを」と宣はす。




姫宮の、見た目も可愛く、幼い無邪気なご様子でいられるのを、御覧になるにつけて、朱雀院は、大事にして上げ、なおその上、至らぬところは、取り繕って教えられるような人で、信頼のおける人に、お預けしたいもの、などと、申し上げる。
分別のある乳母たちを、御前にお呼びになり、御裳着の式のことなどを、お指図されるついでに、六条の院が、式部卿親王の娘を育てたように、この姫宮を引き取って、育ててくれる人が欲しい。臣下の中にはいないだろう。主上には、中宮がおいでで、それに次ぐ女御たちも、いずれも、ご立派な方ばかりがおいでだから、しっかりした世話役もなくて、そのような仲間入りをするのは、かえって苦しいだろう。この権中納言の朝臣が、独身でいた間に、それとなくほのめかして、打診しておくべきだった。年は若いが、実に才能もあり、将来、有望な人と、思えるのだが、と仰せられる。




乳母「中納言は、もとよりいとまめ人にて、年頃もかのわたりに心をかけて、ほかざまに思ひ移ろふべくも侍らざりけるに、その思ひかなひて、いとどゆるぐ方侍らじ。かの院こそ、なかなかなほ、いかなるにつけても、人をゆかしく思したる心は、絶えずものせ給ふなれ。その中にも、やむごとなき御願ひ深くて、前斎院などをも、今に忘れ難くこそ聞え給ふなれ」と申す。




乳母は、中納言は、元々生真面目な人で、長年、雲居の雁に心を懸けていて、他の人に気が移ったりすることがなく、その望みが叶った今は、益々、心が動くことはございませんでしょう。あの六条の院のほうが、かえって、今なお、どんな場合も、新しい人を求める心は、変わらずにいらっしゃる様子で、その中でも、お生まれの良い方を望まれるのが強く、前斎院などを、今も、忘れられずに、お便りを差し上げられるそうです。と、申す。
posted by 天山 at 05:38| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月24日

もののあわれについて682

朱雀院「いで、そのふりせぬあだけこそは、いと後めたけれ」とは宣はすれど、「げにあまたの中にかかづらひて、めざましかるべき思ひはありとも、なほやがて親ざまに定めたるにて、さもや譲り置き聞えまし」なども思し召すべし。




朱雀院は、いやいや、その相変わらずの、浮気心が、何とも、気になる、とおっしゃるものの、乳母の言うとおり、多くの婦人たちの中で、あれこれして、嫌な思いはあっても、矢張り、このまま、親代わりと決めたことにして、そのように、お譲りしようかとも、考えている様子である。




朱雀院「まことに、少しも世づきてあらせむと思はむ女子持たらば、同じくはかの人のあたりにこそは、触ればはせましけれ。いくばくならぬこの世のあひだは、さばかり心ゆく有様にてこそ過ぐすさまほしけれ。われ女ならば、同じ兄弟なりとも、必ず睦び寄りなまし。若かりし時など、さなむ覚えし。まして女の欺かれむはいと道理ぞや」と宣はせて、御心のうちに、尚侍の君の御事も思し出でらるべし。




朱雀院は、まことに、多少なりとも、世間並みの結婚をさせたいと思う、娘を持てば、同じことなら、あの院のあたりに、嫁がせてやりたいもの。長くもない人生だ。あのように、満ちた気持ちで、過ごしたい。もし私が女ならば、同じ兄弟であっても、きっと仲良くなったことだろう。若い時などは、そう思ったものだ。まして、女が夢中にさせられるのは、当然だ、とおっしゃり、お心の中では、尚侍の君を思い出しているらしい。




この御後見どもの中に、重々しき御乳母の兄、左中弁なる、かの院のしたしき人にて年ごろ仕うまつるありけり。この宮にも心よせことにて候へば、参りたるにあひて物語するついでに、乳母「上なむ、しかじか御けしきありて聞え給ひしを、かの院に、折あらば漏らし聞えさせ給へ。みこたちは、ひとりおはしますこそは例のことなれど、さまざまにつけて心寄せ奉り、何事につけても御後見し給ふ人あるは、たのもしげなり。上をおき奉りて、また真心に思ひ聞え給ふべき人もなければ、おのらは仕うまつるとても、何ばかりの宮仕へにかあらむ。わが心ひとつにしもあらで、おのづから思ひ外のこともおはしまし、かるがるしき聞えもあらむ時には、いかさまにかはわづらはしからむ。御覧ずる世に、ともかくもこの御事さだまりたらば、仕うまつりよくなむあるべき。かしこき筋と聞ゆれど、女はいと宿世さだめがたくおはしますものなれば、よろづに嘆かしく、かくあまたの御中に、取り分き聞えさせ給ふにつけても、人の妬みあべかめるを、いかで塵もすえ奉らじ」と語らふに、




宮の、お世話役で、重々しい地位の乳母の兄で、左中弁という、六条の院の近臣として、長年お仕えしている者がいた。この姫宮にも、特別の気持ちで仕えているので、参上したので会って、話し合うついでに、乳母は、上様が、しかじかのお気持ちで、仰せられたのですが、六条の院、源氏に、折りがあったら、伝えてください。内親王たちは、独身でいらっしゃるのが普通ですが、あれこれにつけて、ご好意をお持ちして、何につけても、お世話くださる人がいるのは、心強い思いがします。上様の外には、別に、心の底から思い申し上げる人もいないので、私らごときが、お仕えすると言っても、どれ程、役に立つでしょう。自分一人だけではないので、自然、思いも寄らないこともあり、浮いた噂が立つような時には、どんなに困ってしまうでしょう。ご在世中に、どうなるにせよ、この姫宮の御事が定まったら、お仕えしやすいことでしょう。ご立派なお家柄とは申しても、女は、運がはっきりしないものです。何につけても、気掛かりで、このように多くの御子たちの中で、特別にお扱い下さるにつけても、人のそねみもあるでしょう。何とか、少しの疵もつけたくないもの、と、相談されると、




弁、「いかなるべき御事にかあらむ。院は、あやしきまで御心長く、仮にても見そめ給へる人は、御心とまりたるをも、又さしも深からざりけるをも、方々につけて尋ね取り給ひつつ、あまたつどへ聞え給へれど、やむごとなく思したるは、限りありて、一方なめれば、それに事よりて、かひなげなる住まひし給ふ方々こそは多かめるを、御宿世ありて、もしさやうにおはしますやうもあらば、いみじき人と聞ゆとも、立ち並びておしたち給ふことは、えあらじ、とこそは推しはからるれど、なほいかがと憚らるる事ありてなむ覚ゆる。さるは、この世の栄え末の世に過ぎて、身に心もとなき事はなきを、女の筋にてなむ、人のもどきをも負ひ、わが心にも飽かぬ事もある、となむ、常に内々のすさびごとにも思し宣しすなる。げに己らが見奉るにもさなむおはします。方々につけて御陰に隠し給へる人、皆その人ならず立ち下れる際にはものし給はねど、限りあるただ人どもにて、院の御有様に並ぶべき覚え具したるやはおはすめる。それに同じくはげにさもおはしまさば、いかにたぐひたる御あはひならむ」と語らふを、




弁は、どういうことなのでしょう。院は、不思議なほどに、お心が変わらず、仮にも、一旦ご寵愛なさった方は、お気に入った方も、またそれ程、深くない方も、それぞれのご縁で、お引き取りなさり、大勢集めて申していらっしゃいますが、本当に大事にされるのは、限りのあることで、お一方だけですから、そちらに片寄って、寂しい暮らしをしている方々も、多いようです。ご縁があって、もしそのようにお出であそばすことでもあれば、どんなにご寵愛深い方と申しても、互角の威勢で、気強くされることは、まさかありませんでしょう。とは、想像されますが、でも、どうかと案じられる点も、あるとは思います。女 関係では、人の非難を受けたり、自分でも、不満なことがあるとか、色々と、内々での、無駄話を口にされるそうです。なる程、私どもが拝見しても、そのようでいらっしゃる。それぞれの、ご縁で、囲っている人は、皆素性の解らない卑しい身分ではありませんが、しかし、たかの知れた身分の人々で、院のご様子に、並び得る評判のある方は、いらっしゃいません。そこに、同じ事なら、主上のお望み通りに、お出であそばせば、どんなにお似合いのご夫婦でしょう。との話である。




めのと、また、事のついでに、「しかじかなむ、なにがしの朝臣にほのめかしはべしかば、「かの院には必ずうけひき申させ給ひてむ。年頃の御本意かなひて思しぬべき事かなるを、こなたの御許しまことにありぬべくは伝へ聞えむ」となむ申し侍りしを、いかなるべき事にかは侍らむ。程々につけて、際際思しわきまへつつ、ありがたき御心様にものし給ふなれど、ただ人だに、またかかづらひ思ふ人立ち並びたる事は、人の飽かぬ事にしはべめるを、めざましき事もや侍らむ。御後見望み給ふ人々は、あまたものし給ふめり。よく思し定めてこそよく侍らめ。限りなき人と聞ゆれど、今の世のやうとては、皆ほがらかに、あるべかくして、世の中を御心と過ぐし給ひつべきも、おはしますべかめるを、姫宮はあさましくおぼつかなく、心もとなくのみ見えさせ給ふに、さぶらぬ人々は、仕うまつる限りこそ侍らめ、大方の御心掟に従ひ聞えて、さかしき下人も靡きさぶらふこそ、便あることに侍らめ。取りたてたる御後見ものし給はざらむは、なほ心細きわざになむ侍るべき」と聞ゆ。




乳母は、改めて、機会を持って、こういうことを、何某の朝臣に、少し申しましたところ、左中弁は、六条の院様は、きっとお引き受けなさるでしょう。長年の願いが叶ったように、思われるはずです。朱雀院のお許しが、本当にあるのでしたら、お伝えしましょう。と、申しましたが、どういたせばよいでしょう。六条の院様は、それぞれに、女の身分を考えて、またとない心遣いをされます。普通の身分でも、自分の他に係わりのある女が、横におりますのは、誰でも、不満なことと思いますでしょうし、目に余ることもございます。宮のお世話役をお望みの方々は、沢山いらっしゃるようです。十分お考えの上、お定めされるのが、よろしいでしょう。立派なお家柄とは申しても、近頃のやり方では、皆、朗らかに、適当に、ご夫婦仲を、ご自分の方針でされているようですが、姫宮は、驚くほど何もご存知なく、頼りなく見られます。気の利いた家人どもも、お心に従い、お仕え申すのこそ、よろしいでしょう。取り立てて、御後見人もいらっしゃらないでは、何と言っても、心細いことでございます。と、申し上げる。


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2014年06月25日

もののあわれについて683

朱雀院「しか思ひたどるによりなむ、御子たちの世づきたる有様は、うたてあはあはしきやうにもあり、また高き際といへども、女は男に見ゆるにつけてこそ、くやしげなる事もめざましき思ひも、おのづからうち交るわざなめれど、かつは心苦しく思ひ乱るるを、またさるべき人に立ちおくれて、たのむ蔭どもに別れぬるのち、心を立てて世の中に過ぐさむことも、昔は人の心たひらかにて、世にゆるさるまじき程のことをば、思ひ及ばぬものと習ひたりけむ。今の世には、すきずきしく乱りがはしき事も、類に触れて聞ゆめりかし。昨日まで高き親の家に崇められかしづかれし人の女の、今日はなほなほしく下れる際のすきものどもに、名を立ち欺かれて、なき親の面を伏せ、影を恥づかしむる類多く聞ゆる、言ひもと行けば皆同じことなり。




朱雀院は、それを私も考えるものだ。内親王たちが結婚したのは、見苦しく、軽薄なようであり、それに高い身分といっても、女は男と結ばれてこそ、悔やまれるようなことも、気に入らないことも、自然にありもするのだと、一方では、気の毒と思い、悩みもするが、一方、世話をしてくれる人に先立たれ、頼る人々に、別れた後、心を強く持ち、世の中を生きて行くことになった場合も、昔は、人の心が、穏やかで、世間から許されないようなことであれば、考えもしなかった。今の世では、浮気っぽく、みだらな事も、そんな話が出ると、聞かされるようだ。昨日まで立派な親の家で、大事にされて育った娘が、今日は、何でもない、身分の低い浮気男たちに、浮名を立てられて、騙され、亡き親の顔に泥を塗り、死後の名を辱めるような例が、多く耳に入るのも、突き詰めれば、皆、同じことだ。




ほどほどにつけて、宿世など言ふなることは、知り難きわざなれば、よろづに後めたくなむ、すべて、あしくもよくも、さるべき人の心に許しおきたるままにて世の中を過ぐすは、宿世宿世にて、のちの世に衰へあるときも、みづからのあやまちにはならず、ありへてこよなき幸あり、めやすき事になる折は、かくてもあしからざりけりと見ゆれど、なほ、たちまちふとうち聞きつけたる程は、親に知られず、さるべき人も許さぬに、心づからの忍びわざし出でたるなむ、女の身にはます事なき疵と覚ゆるわざなる。なほなほしきただ人の中らひにてだに、あはつけく心づきなき事なり。みづからの心より離れてあるべきにもあらぬを、思ふ心より外に人にも見え、宿世のほど定められむなむ、いとかるがるしく、身のもてなし有様おしはからるることなるを、あやしく、ものはかなき心ざまにやと見ゆめる御さまを、これかれの心にまかせ、もてなし聞ゆな、さやうなる事の世に漏りいでむこと、いと憂き事なり」など、見捨て奉り給はむ後の世を、後めたげに思ひ聞えさせ給へれば、いよいよわづらはしく思ひあへり。




それぞれの身分によって、運命などは、知りにくい事だから、何もかにもが、気掛かりだ。
総じて、良い悪いにかかわらず、しかるべき人が、考えていた通りに、世の中を過ごすことは、その人その人の運命次第で、後に衰えたとて、本人の過失にはならない。後になり、この上ない、幸いがあり、見られるくらいになった際は、このやり方でも、悪くなかったと思えるが、矢張り、突然ふっと耳にした時は、親にも内緒だし、世話する人も許さないのに、自分勝手な密事を犯しことは、女の身としては、この上ない、欠点だと、思われることだ。身分の無い、普通の人でも、浮ついた、許せないことである。
本人の意思を離れての結婚は、あるはずもないが、自分の好きでもない人と結婚し、運命を決定されることとは、実に軽はずみなことで、平素の態度や様子を、想像してしまうことだが、宮は、変に頼りない性質ではないかと思えるご様子ゆえに、お前たちの思うままに、取り計らうではない。そのような事が、世間に漏れ聞えたら、大変なことだ。などと、姫宮を後に置いて、出家される後々の事を、気掛かりに思い、おっしゃるので、益々、事が難しいと、乳母などは、思うのである。




朱雀院「今少しものをも思ひ知り給ふほどまで、見過ぐさむとこそは年ごろ念じたるを、深き本意も遂げずなりぬべきここちのするに、思ひ催されてなむ。かの六条のおとどは、げにさりとも物の心えて、後安き方はこよなかりなむを、方々にあまたものせらるべき人々を、知るべきにもあらずかし。とてもかくても人の心からなり。のどかに落ちいて、大方の世のためしとも、後安き方は並びなくものせらるる人なり。さらでよろしかるべき人、誰ばかりかはあらむ。兵部卿の宮、人柄は目安しかし。同じ筋にて、こと人とわきまへ貶しむべきにはあらねど、あまりいたくなよび由めく程に、重き方おくれて、すこし軽びたる覚えや進みにたらむ。なほさる人はいと頼もしげなくなむある。また大納言の朝臣の、家司望むなる、さる方に、物まめやかなるべき事にはあなれど、さすがにいかにぞや。さやうにおしなべたる際は、なほめざましくなむあるべき。昔も、かうやうなる選びには、何事も人に異なる覚えあるに、事よりてこそありけれ。ただ偏にまたなくもちいむ方ばかりを、賢きことに思ひ定めむは、いと飽かず口惜しかるべきわざになむ。




朱雀院は、もう少し、姫宮が、物事がわかる頃まで、居て上げようと、長年、辛抱してきたが、長い出家の念願も出来ないような気がして、つい、こんな気持ちになる。
あの、六条の殿、源氏は、いかにも女は多いが、物の道理がわかっていて、頼りになる点では、この上ないだろう。あちらの、大勢の女を気にする事もないだろう。兎も角、本人の心一つだ。ゆったりと、落ち着いて、この話を、離れても、模範となる人で、頼りになる点では、またとない方である。この方以外に、誰か相当な人物は、いるだろうか。兵部卿の宮は、人柄は良い。同じ血筋ゆえ、他人扱いして、軽んずるわけではないが、あまり、酷くやつし過ぎ、風流がるので、重々しさが足りない。多少、浮ついたところが、勝っている。矢張り、このような人は、どうも頼りが無い気がする。
それから、大納言の朝臣が、家司を望むとか。家司としては、忠実に勤めるだろうが、それでも、どんなものか。あれのように、平凡な身分は、矢張りぱっとしないだろう。昔も、このような選び方は、万事に付け、人並み外れた、名声のある者に、落ち着いたものだ。ただひたすら、お一人を大事にする点だけを、善しとして、定めるのでは、何とも、残念に思われるようだ。




右衛門の督の下にわぶるなるよし、尚侍のものせられし。その人ばかりなむ、位など今すこしものめかしき程になりなれば、などかはとも思ひよりぬべきを、まだ年いと若くて、無下に軽びたる程なり。高き心ざし深くて、やもめにて過ぐしつつ、いたくしづまり思ひあがれる気色、人には抜けて、才などもこともなく、つひには世のかためとなるべき人なれば、行く末も頼もしけれど、なほまたこの為にと思ひはてむには、限りぞあるや」と、よろづに思しわづらひたり。





右衛門の督が、内々に、やきもきしているとか、尚侍が、お話していた。あれだけは、位が、もう少しで、一人前になったら、いいではないかと、思うが、まだ年が若く、あまりにも、軽い地位だ。高貴な婦人をとの願いが強く、独身で、今に及び、焦らず高望みしているところ、群を抜いていて、学問もまずまずだし、結局は、国の柱となるはずの人だから、将来も楽しみである。矢張り、この宮のために、婿としようと思うには、不十分だ。と、万事に、思い煩うのである。




かうやうにも思し寄らぬ姉宮たちをば、かけても聞え悩まし給ふ人もなし。あやしく、内々に宣はする御ささめき言どもの、おのづからひろごりて、心をつくす人々多かりけり。





これほどまでにも、御苦労されない姉宮たちには、一向に院の、お心を煩わせる人もいない。不思議なことに、内々で、おっしゃる内緒話が自然と、広まって、気を揉む人が多かった。

posted by 天山 at 05:53| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月26日

もののあわれについて684

太政大臣も、「この衛門の督の、今まで一人のみありて、御子たちならずは得じと思へるを、かかる御定めども出で来たなる折に、さやうにもおもむけ奉りて、召し寄せられたらむ時、いかばかり、わが為にも面目ありて嬉しからむ」と思し宣ひて、内侍のかんの君には、かの姉北の方して伝へ申し給ふなりけり。よろづ限りなき言の葉をつくして奏させ、御気色賜はらせ給ふ。




太政大臣も、この衛門の督が、今まで、独身を通して、内親王でなければ、妻にしないと思っているが、この御決定が、問題になった時に、そのようにお願い申し上げて、お呼び出しにあずかったならば、どんなにか、私にとっても、名誉で、嬉しいことか、とおっしゃり、尚侍の君には、その姉君の、北の方を通じて、申し上げるのである。
あらん限りの言葉を尽くして、院に申し上げなさり、ご内意をお伺いする。





兵部卿の宮は、左の大将の北の方を聞えはづし給ひて、聞き給ふらむ所もあり、かたほならむことは、と、えり過ぐし給ふに、いかがは御心の動かざらむ、限りなく思し焦られたり。




兵部卿の宮は、左大将の北の方を貰い受けそこねてからは、玉葛ご夫妻のお耳に入るところもあり、いい加減な結婚は、と、選り好みしていらしたので、どうして、心が動かないことが、あろう。切りもなく、やきもきしていられる。




藤大納言は、年ごろ院の別当にて、親しく仕うまつりて侍ひなれにたるを、御山籠りし給ひなむ後、より所なく心細かるべきに、この宮の御後見にことよせて、顧みさせ給ふべく、御気色せちに賜はり給ふなるべし。




藤大納言は、長年、院の別当を勤め、親しくお仕えしていたので、御山入された後は、頼るところもなく、心細いであろうと、この姫宮のお世話役を口実にして、お心にかけてくれるように、御内意を、熱心に伺っているらしい。




権中納言も、かかる事どもを聞き給ふに、人伝にもあらず、さばかりおもむけさせ給へりし御気色を見奉りてしかば、「おのづから便りにつけて、漏らし聞しめさるる事もあらば、よももて離れてはあらじかし」と、心ときめきもしつべけれど、女君の今はとうちとけて頼み給へるを、年頃つらきにもことつけつべかりし程だに、ほかざまの心もなくて過ぐしてしを、あやにくに、今更にたち返り、俄にものをや思はせ聞えむ。なのめならずやむごとなき方にかかづらひなば、何事も思ふままならで、左右に安からずは、わが身も苦しくこそはあらめっ」など、もとよりすきずきしからぬ心なれば、思ひしづめつつ、うち出でねど、さすがに、ほかざまに定まりはて給はむも、いかにぞやおぼえて、耳はとまりけり。




権中納言、夕霧も、このような事を、お聞きになり、人を通しもせず、あれほど、水を向けたご様子を拝したこととて、自然に、何かの機会を持って、こっそりと、お耳にお入れすることがあれば、よもや知らぬ振りも、されないだろう、と、胸躍る思いもしただろうが、女君が、もう大丈夫と、心から頼りにしていられるのを、昔、冷たいことを口実に出来たことを、他への浮気心も起こさず終わったことなのに、意地悪く、今頃、昔に戻り、不意に悲しませたり出来ようか。並々ならぬ、高貴なお方に関わりを持ったならば、何事も、意に任せず、両方に気を使って、自分も苦しいことだろう。などと、よそに決まってしまったら、どんなことかと思われて、聞き耳を立てるのだった。

ほかざまに定まりて・・・
自分以外の、他の男に・・・




東宮にも、かかる事ども聞しめして、東宮「さしあたりたる只今のことよりも、後の世の例ともなるべき事なるを、よく思しめしめぐらすべき事なり。人柄よろしとても、ただ人は限りあるを、なほしか思し立つことならば、かの六条の院にこそ、親ざまに譲り聞えさせ給はめ」となむ、わざとの御消息とはあらねど、御けしきありけるを、待ち聞かせ給ひても、朱雀院「げにさることなり。いとよく思し宣はせたり」と、いよいよ御心だだせ給ひて、まづかの弁してぞ、かつかづ案内伝へ聞えさせ給ひける。




東宮におかせられても、このような事をお聞きあそばして、さしあたりのことより、後々の世までの、例になるはずのこと。十分に、お考えあそばさなければならないことです。人柄がよろしいと言っても、臣下は臣下、矢張り、そのようにお望みならば、あの六条の院にこそ、親代わりとして、お譲りすることです。と、わざわざのお便りというのではないが、ご内意があったのを、お待ち受けで、お聞きあそばして、いかにも、その通りの言だ。実によく考えて、おっしゃる。と、益々、その気になって、第一に、あの弁を召して、とりあえず、思し召しの程を、お伝えされた。




この宮の御事、かく思しわづらふさまは、さきざきも皆聞き置き給へれば、源氏「心苦しき御事にもあなるかな。さはありとも、院の御世の残り少なしとて、ここにはまたいくばく立ちおくれ奉るべしとてか、その御後見の事をば受け取り聞えむ。げに次第をあやまたぬにて、今しばしの程も残りとまる限りあらば、大方につけては、いづれの御子たちをも、よそに聞き放ち奉るべきにもあらねど、またかく取り分きて聞きおき奉りてむをば、殊にこそは後見聞えめと思ふを、それだにいと不定なる世の定なきさなりや」と宣ひて、




この宮の御事を、このようにご心配とのことは、以前からすべて聞いていらしたので、源氏は、お気の毒なことだ。そうであっても、院の御寿命が残り少ないからといって、この私が、どのくらい生きるのかと思って、宮のお世話を、お引き受けできるか。なるほど、年の順通りで、ほんの暫くでも、後に生きる寿命があるなら、特に縁組せずとも、どの御子たちをも、他人扱いするべきではないが、それに、このように特別に、お伺いいたした方を、別してお世話しようと思うけれど、それさえも、無常な世の中の定めというもの。と、おっしゃり、




源氏「ましてひとへに頼まれ奉る筋に、むつび慣れ聞えむことは、いとなかなかに、うち続き世を去らむきざみ心苦しく、みづからの為にも浅からぬほだしになむあるべき。中納言などは、年若くかろがろしきやうなれど、行くさき遠くて、人柄も、つひに朝廷の御後見ともなりぬべき生ひさきなめれば、さも思し寄らむに、などかこよなからむ。されど、いといたくまめだちて、思ふ人さだまりにてぞあめれば、それにはばからせ給ふにやあらむ」など宣ひて、みづからは思し離れたるさまなるを、弁は、おぼろけの御定めにもあらぬを、かく宣へば、いとほしくもくちをしくも思ひて、内々に思し立ちにたる様などくはしく聞ゆれば、さすがにうち笑みつつ、源氏「いとかなしくし奉り給ふ御子なめれば、あながちにかく来し方行く先のたどりも深きなめりかしな。ただ内にこそ奉り給はめ。やむごとなき先づの人々おはすといふ事は由なきことなり。それに障るべき事にもあらず、必ず、さりとて、末の人愚かなるやうもなし。故院の御時に、大后の、坊の初めの女御にていきまき給ひしかど、むげの末に参り給へりし入道の宮に、しばしはおされ給ひにきかし。この御子の御母女御こそは、かの宮の御姉妹にものし給ひけめ。容貌も、さしつぎには、いとよしと言はれ給ひし人なりしかば、いづかたにつけても、この姫宮、おしなべての際には、よもおはせじを」など、いぶかしくは思ひ聞え給ふべし。




源氏は、まして、すっかり頼まれる者として、親しむのは、かえって、自分が世を去る時は、お気の毒で、自分にとっても、大きな障りとなるに違いない。中納言などは、年も若く、地位も低いが、前途が長くて、人柄も結局は、朝廷の御後見役ともなるはずの将来があるから、そうしても、何もおかしくない。だが、生真面目で、思う人を妻にしているので、それに遠慮されるのではないか。などとおっしゃって、ご自分のことは、思いもかけないという様子なので、弁は、いい加減な御決定でもないのに、こうおっしゃるので、お気の毒にも、また、残念と思い、内々で御決定された事情など詳しく申し上げると、あのように仰せられたが、笑って、源氏は、とても可愛がっていられる皇女らしい。ひとえに、このように過去のこと、未来のことと、ご心配が深いのだろう。迷わず、今上に差し上げなさるがよい。れっきとした、古参の女御方がおいでだという、ご遠慮は意味がないこと。そんなことに、妨げられるべきではない。必ず、後から参った人が、軽く扱われるものでもない。故院の御時、大后が、東宮の最初の女御として威勢を振るったが、遥かに後からお上がりになった、入道の宮に、しばらくの間は、圧倒されなさった。この姫宮の、お母様の女御が、あの入道の宮の御姉君でいらっしゃる。お顔も、入道の宮の次に、お綺麗だと、言われた方だから、どちらから見ても、この姫宮は、並々の方では、まさかあるまい。など、気になるような、言い方である。

posted by 天山 at 06:16| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月27日

神仏は妄想である。483

ユダヤ人の間で、苦悩するメシア、罪のために死ぬなどという発想がなかった。
では、何故、キリスト教徒は、苦しむメシアを信じたのか。

歴史的経緯を説明しよう。イエスの死に先立って、信者のなかには、彼がメシアだと考える者がいた。このような確信は、福音書全般に見られる。だが、もし彼らが、「イエスはメイアだ」と言った場合、伝統的なユダヤのメシアのことを指していたことは明らかだ。例えば、イエスが、イスラエルに再び王国を樹立し、その民を統べるというような(ただし、イエス自身は、メシアを、もっと別の、黙示的思想的観点から理解していたらしいことを心に留めておいてほしい)。
アーマン

だが、イエスが、メシアかもしれないという希望は、歴史によって、打ち砕かれた。

イエスは、軍隊も持つことなく、ローマ人を約束された地から、追い払うこともなく、イスラエルを主権国家にすることもなかった。

更には、磔にされた。

もう、何も残されていない。
それなのに、神がイエスを復活させたと、信じるようになった、人々がいる。

実に、怖ろしいことである。
復活を信じたのである。

イエスを復活させた神とは、一体、何処の神か・・・
当然、旧約聖書の神である。
ユダヤ人の神である。

ここに、信仰の蒙昧がある。

希望を信じた。
期待するところのものを、信じたのである。

それが、初期、ユダヤ人、キリスト教の始まり。

イエスがメシアであることを再確認した、初期キリスト教徒は、メシアを新しく再定義せざるを得なくなった。
アーマン

これが、曲者である。
再定義とは、理屈である。

彼らの論理は、非の打ち所がなかった。イエスはメシアである。イエスは苦しんで死んだ。従って、メシアは苦悩し、死ぬべき存在なのだ。
アーマン

そして、彼らは、自分たちの新しい信仰の手掛かりを求めて、旧約聖書を、くまなく調べ始めた。
そして、メシアに言及している箇所ではなく、神の義人の苦痛について書かれている、他の部分に、それらの手掛かりを見つけ出した。

全く、メシアのことに触れていない箇所に、メシアのことを語っていると、主張し始めたというから、驚く。

特に、イザヤ書53章3節から6節までの箇所である。
更に、詩篇22編1節から19節である。

後付で、都合のいいように、解釈するというのは、何処の宗教も、それをする。
聖典、教典・・・如何様にも解釈出来るのである。

であるから、ユダヤ教徒と、キリスト教徒は、とんでもない、論争となった。

更に、福音書を書いた者たちは、十分に、聖書を知っていた連中である。
つまり、イエスの誕生、宣教、エルサレムへの凱旋、受難、復活について語る際に、聖書の預言を念頭において、書き付けたのである。

その預言も、メシアの預言ではない箇所から。

キリスト教徒は、自分たちが信じていることに照らして、イエスの物語を語り、あらゆる点で、彼の人生が、聖書の預言通りであることにしたかった。

そして、出来上がったのが、苦しむメシアである。

だが、最初は、キリスト教徒を迫害していた、パウロは、この発想が、ユダヤ人にとって、最大に、つまずかせるものだったことを、指摘している。
コリントの信徒への手紙一、である。

苦しむメシアという観念は、キリスト教信仰の基礎ではあるが、大勢のユダヤ人にとっては、戯言でしかなかったのである。

だから、パウロは、このメシア像が、あまりに馬鹿げていたからこそ、正当だと見做したと、アーマンが言う。

つまり、神の作法は、人間とは違う。
神は、メシアを十字架に架けることにより、世界を救ったが、それは、誰一人として、予期しえないことだった。
パウロにとって、これが、神が世界にもたらした救済の要だった。

メシアが死ぬことにより、ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、すべての人間に、救済への道が開かれたのである、と。

そして、更に、一歩進めて、ユダヤの律法ではなく、メシアの死によって、のみ、人間は、神と正しい関係が、結べるのだと主張したのである。

これを見ると、最初は、ユダヤの人たちのみに通用する、騒ぎである。

ところが、キリスト教が、拡大してゆくと、どうなるのか・・・
結果は、反ユダヤの宗教となることになる。

つまり、ユダヤの神の負けである。
その神は、無能だった。
ところが、キリスト教は、その神を、父として、イエスを子として・・・
捏造である。

父と子と聖霊・・・とは、後々に出来た、教義である。
ウソから出た誠は無い。
ウソからは、ウソしか出ない。

信じる者は、騙される。

現在のキリスト教は、巨大企業として、世界に広がる。
信仰を、換金する、企業である。

posted by 天山 at 06:53| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月28日

神仏は妄想である。484

初期キリスト教史を研究する歴史家が向き合わなければならない、最も差し迫った、それでいて強く心を惹かれる疑問は、徹頭徹尾ユダヤ的だったイエスの宗教が、なぜかくも短い期間に、非ユダヤ的宗教へと変貌したのか、ということである。キリスト教は、いかにして、一世紀にも満たないうちに、ユダヤ教の一宗派から、激烈な反ユダヤ的宗教になったのだろうか?
アーマン

勿論、それは、ユダヤ教も、キリスト教も、魔界関与の宗教だからである。
日本の新興宗教の中にも、多く、分派して広がった、魔界関与の宗教が、ある。

人間の強い、欲望により、成り立った宗教は、皆、そのようである。
それ以外、つまり、人間の欲望ではなく、自然的に発生したところの、宗教に似たものは、分派などしない。
それは、人間が創り上げたものではなく、自然が、創り上げたものだからである。

人間が関与するものは、すべて、魔界が関与する。
当然である。
人間の欲望に、魔界は、乗ってくるのである。

その証拠は、特に、キリスト教などは、戦争の宗教である。
争いを主導する宗教である。
ユダヤ、イスラム教も、然り。

闘いは、人間の欲望から発する。

イエスのメッセージ、布教活動は、ユダヤ的以外の何ものでもなかった。
イエスは、ユダヤ人の両親を持ち、ユダヤ文化の中で育った。

そして、ユダヤの律法を説く教師になり、ユダヤ人の信者を従え、ユダヤの神を真に信仰するとは、どういうことかと、その本質を、教え諭した。

イエスは、黙示思想的なユダヤの預言者だった。
アーマン

そして、イエスは、まもなく、ユダヤの神が、歴史に介入し、悪の勢力を打ち負かし、この地上に、神の国を樹立すると、信じていた。
この王国に、迎え入れられるのは、神が律法で定めたことに従わなければならないと、ユダヤの群集に説いた。

全身全霊で、神を愛すること。
我が身を愛するように、隣人を愛すること。

イエスもまた、ユダヤ教に迷った一人である。
その、神しか知らない。

イエスが新しい宗教の開祖だとみなしたのは、後世のキリスト教徒だけである。
アーマン

後世の信者の一部は、イエスの教えのユダヤ的な特徴を守り通した。だが、キリスト教が別の方向へと向うにつれ、彼らは異端のレッテルを貼られるようになる。キリスト教の本来の在り方が否定され、糾弾されるとは、初期キリスト教の皮肉としか言いようがない。
アーマン

世界の、キリスト教徒は、それを知らないのである。

イエスの教えを守っていた信者たちが、異端とは・・・

ユダヤ教に関係なくなった、キリスト教こそ、ユダヤ教から見たら、異端である。

更に、それなのに、ユダヤ教の神を、父として、拝むという蒙昧である。
その神の律法を守らず、勝手に、父と呼ぶ・・・

果たして、神も霊であるが、キリスト教の父なる神は、ユダヤ教の神なのであるのか。

ユダヤ教の神ではない。
もし、そうならば、今も、ユダヤ教と仲良くしているはずだ。

エビオン派と、マタイは、
イエスは、ユダヤの神が、ユダヤの律法を守らせるために、ユダヤの民に遣わしたユダヤ人のメシアだった。イエス自身、非常に熱心に律法に消えしていたため、彼の信者は、ユダヤ教でなければならず、律法を遵守する必要があった。
アーマン
なのである。

どうであろうか・・・
この矛盾。
ところが、キリスト教徒は、この矛盾を放棄する。
もう、どでも、いいのである。

しまいに、父と子と聖霊のみならず、聖母マリアまで、崇拝の対象にした、カトリックである。
プロテスタントは、聖母の存在を認めていない。

アフリカの地霊だった、一つの霊が、ユダヤ人の神として、祀られ、それがユダヤ人だけではなく、キリスト教という、新興宗教の神にも、祀られ・・・

神が霊であることを知れば、神が多数存在することが、解る。
何せ、霊は、多数存在する。

唯一の神・・・
そんな存在は無い。
唯一の霊が無いように。

この唯一絶対の神という意識が、アラブにまで伝播して、アラーの神と成り行く。
そして、同じく、旧約聖書のアブラハムの信仰を最高の信仰として、ムハンマドは、イスラム教を立ち上げた。

ユダヤ、キリスト、イスラム教も、新興宗教である。
更に、部族の宗教である。

世界宗教などというものは、成り立たない。
それぞれの民族、部族には、それぞれの、霊が存在する。
つまり、神々である。

多神教・・・
一神教が、もたらした、この歴史は、もう、限界に来ている。
一神教により、地球が瀕死の状態になっている。
その自然破壊は、一神教がもたらしたものである。
いよいよ、一神教は、反省と、悔い改めが必要である。


posted by 天山 at 06:35| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月29日

神仏は妄想である。485

イエスにつき従うとはどういうことか、というこのような解釈は、初期キリスト教会における、信仰の核心を巡る論争で、敗北する運命にあった。
アーマン

つまり、初期キリスト教の教義なるものは、敗北したのである。

それでは、どのようになったのか・・・
それは、パウロの思想である。

パウロは、神と正しく向き合うとは、律法など何の役にも立たないと、宣言している。
入信した、異教徒は、ユダヤの律法など、無視していいというのである。

神は、律法や割礼の盟約ではなく、イエスの死がもたらした贈物として、救済するという。

マタイとは、真っ向から、対立するのである。

そして、イエス本人は、律法を守らなければならないと、言っている。

一体、どういうことだ。

一部の学者が言うように、パウロにとって、イエスの宗教は、すでにイエスにまつわる宗教だった(私が指摘したように、パウロは、イエスの再解釈を試みたわけではなく、それまでの解釈を受け継いだだけであったが)。
アーマン

そして、更に、後世のキリスト教徒は、パウロの教えを、更に推し進めた。
パウロの教えを、絶対的なものとした、マルキオン。

律法は、福音と無関係である。

律法は、ユダヤの神が、ユダヤの民に与えたものであり、それを守る者は、地獄に落ちるだけである。
何とも、物騒である。

更には、旧約の怒りの神から、救い出してくれるのが、イエスの神である。
つまり、神は、二人いたのである。

律法を定めた神は、イエスの神とは、別物である。

そして、旧約聖書は、ユダヤの民のものとした。
だが、同時代のキリスト教思想家は、正反対の立場を取る者もいた。
それが、バルナバの手紙である。

バナルバは、旧約聖書は、ユダヤ教ではなく、キリスト教の書物であると言う。
ユダヤ人は、その教えの解釈を誤り、過去もそうであり、彼らは、冷酷で、無知、頑冥で、反抗的な連中で、モーゼの時代から、変わることがなかった。

ユダヤ人は、モーゼが十戒を破った瞬間に、神との盟約は、終わった。

神が、再び彼らと契約を結ぼうとはしなかった。神が、新しい契約を結んだのは、イエスの信者との間である。

これは、両者共に、反ユダヤ主義であり、後々の、ユダヤ人迫害の基礎となった。

それが、ナチスのユダヤ人大虐殺までに、至る。

バルナバに関しては、まだ多くのことがあるが・・・
以下、省略する。
私にすれば、こじ付けとも思える、考え方である。

兎に角、キリスト教徒の著述家たちは、ユダヤ人が、自分たちの宗教を、全く理解していない。旧約聖書は、キリスト教の正典であると言う。
ユダヤ教から、その正当性を剥奪するような試み。

更に、時代を経ると、反ユダヤ主義は、益々と激しくなった。

西暦70年にエルサレムが、ローマに滅ぼされたのは、メシアを殺した、神の裁きであるという者まで、現れた。

だが、今も、そのようである。
現在も、キリスト教徒は、そのようだと言う。

ユダヤ教から、すべてを、搾取して、宗教と相成ったのが、キリスト教である。

唯一の神も、二人の神も、存在しない。
すべて、人間が、考え出したものである。

こうして、キリスト教の成り立ちを見て行くと、いかに、戦闘的な宗教であるかということが、解る。
西欧人の元は、バイキングである。
それが、キリスト教を創り上げて、戦争を始める。

最初に、戦争を始めたのが、キリスト教であり、今、現在も、戦争を最も、好む宗教である。

イスラムの、テロリストを言う前に、キリスト教の犯し続けてきたことを、思い出すべきである。

イスラムに、最初に攻撃を仕掛けたのも、キリスト教である。

イエスは、ユダヤ人で、ユダヤ教で、隣人愛を説いた。
それは、そのイエスの宣教の付近の、異教徒のことである。
人類の、救いなどを、説いたことは、一度も無い。

それを、人類の救い主とまで、進めた、頑冥な妄想の、キリスト教徒、及び、その宣教師たち。

キリスト教の宣教師たちが、最も罪深いのである。

南米では、一億人以上の虐殺を行い・・・
その他、異教徒の場所では、何の躊躇いも無く、虐殺するという。

旧約聖書の、残虐さを、確かに、キリスト教が、受け継いだ訳である。

更に、イエス・キリストの生まれ変わりという、妄想全開の者、世界に多数。
決して、モーゼの生まれ変わりなど、聞いたことが無い。

蒙昧な宗教から、蒙昧な新しい宗教が、続々と誕生する。
これからも・・・
実に、神仏は妄想である、のだ。

posted by 天山 at 06:17| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月30日

神仏は妄想である。486

キリスト教徒の思想家は、ユダヤ人の聖書それ自体が、神がユダヤの民を見捨てたことを証明していると主張するかもしれない。旧約聖書の預言者は、繰り返し、古代イスラエル人が、神の意思と法を犯したために、神が彼らに裁きを下していると警告している。アモス、ホセアあるいはイザヤといった預言者は、自分の民が選んだ生き方に怒った神が、彼らを見放したと言っている。イエスの初期の信者は、この見解に拘泥し、原則論に仕立て上げた。冷酷無比で頑冥無礼なユダヤ人は、彼ら自身のメシアを拒否するまでに堕落した。神の堪忍袋の緒が切れた。ユダヤ人は、もはや神の選ばれし民などではなく、イエスの信者がそれに取って代わったのだ。
アーマン

上記が、キリスト教の結論である。

つまり、キリスト教とは、反ユダヤ主義なのである。

しかし、情熱的なイエスのユダヤ教が、何故、激烈な反ユダヤ主義宗教に、変わったのか・・・

その両者が、亀裂したのは、キリスト教徒が、イエスをメシアだと、主張した時から、始まるのである。

そして、メシアは、人々の原罪のために、苦しみ、死ぬことで、人々が、神と正しい関係を築く。
ユダヤの律法は、救済の役には立たない。
ユダヤ人は、イエスをメシアだと、信じなければならない。

そうでなければ、神に拒絶される。

敬虔なユダヤ教徒、そして、その他の人間は、神に呪われる。

全くもって、どうしようもない。
手の付けられない、キリスト教である。

新約聖書の中にも、反ユダヤ的考え方が、見出せる。
特に、パウロである。
そして、ヨハネによる福音書である。

ユダヤ人がイエスを拒み、殺害した場面が、生き生きと描かれる。
ヨハネは、更に、ユダヤ人が、神の子ではなく、悪魔の申し子とまで、書くのである。

二世紀半ばになると、このような考え方が、より痛烈に、起こる。

殉教者ユスティノス、テルトゥリアヌスといった、著述家たちは、ユダヤ人とユダヤ教に、真っ向から非難する論文を書いた。

そこには、
ユダヤ人が、己の宗教や律法の真義を間違って解釈し、イエスについて語られた預言を受け入れず、神が遣わした自分たちのメシアをはねつけ、それゆえ神自体を拒絶しているのだと論じた。ユスティノスによれば、割礼による印は、ユダヤ人を神の民として、他の人々から区別するものではない。それは、迫害されるにふさわしい連中を指し示す刻印なのだ。このような反ユダヤ的論文は、二世紀以降、長きにわたり書き継がれ、何世紀もの間、キリスト教徒の読者にとっては、聞き飽きるほど身近なものだった。
アーマン
と、なる。

この種の、反ユダヤ思想は、キリスト教が誕生するまで、ローマ、ギリシャ、他のいかなる地域にも、存在しなかった。
つまり、それは、キリスト教徒の発明なのだ。

その、キリスト教徒が、多数派になった時、どのようなことが、起きるか・・・
更に、白人主義と、結び付いて・・・
ちなみに、ユダヤ人は、アジア人である。

四世紀初頭、ローマ皇帝コンスタンティヌスが、キリスト教に改宗すると、キリスト教徒は、ユダヤ教徒の数を、遥かに上回り、キリスト教は、流行にさえなった。

そして、テオドシウス帝が、ローマの国教に定めた。

このような大転換は、ユダヤ教徒とキリスト教徒の関係に、決定的な役割を果たした。初期教会の時代以来、言葉によって表明されてきたユダヤ教徒への嫌悪感は、すぐに、行動と結びつくようになった。いまやキリスト教徒になったローマの役人は、先人のレトリックを真に受けた。彼らは、ユダヤ人が文字通り真実の敵であり、イエスを拒んだがゆえに、罰せられなければならない輩だとみなした。
アーマン

更に、四世紀には、帝国の表向きの政策として、ユダヤ人が迫害されることはなかったものの、ローマの属国を統治するクリスチャンの総督といった、権力を掌握していた人々は、そのような政策を無視したり、ユダヤ人の排斥運動を見て見ぬふりをした。シナゴーグが焼かれ、ユダヤ教徒の財産が没収され、彼らは公然と侮辱され、時には暴動の犠牲になった。
アーマン

キリスト教は、それを、どんどんと推し進め、悪意に満ちた、反ユダヤ的宗教と化した。
そして、あの中世である。

身の毛もよだつ、迫害運動へと、連なり、世界を震撼とさせた、大量虐殺を引き起こしたのである。

現代まで連綿と続く反ユダヤ主義が、非キリスト教徒のユダヤ人に対する、キリスト教徒の敵対意識の歴史の延長線上にあることは確かだ。それは、初期教会が生み出した、最も歓迎されざる発明の一つなのである。
アーマン

ここ、ここに、至ると・・・
言葉を失う。

今一度、宗教というものを、考え直すべきである。
どんな、穏健な宗教でも、そこには、必ず付きまとうものがある。
それは、意識である。
その意識は、我は救われる者であり、それ以外の人間は、救われず、迷う者、罪ある者、更には、殺してもいい者となるのである。

世界の、大半の紛争に付きまとうのは、宗教である。
私は、宗教の撲滅を願う。

そして、新しい宗教と言うならば、寛容であり、排他的ではなく、慈悲の思想に溢れ、神仏を、断定しない。
その包容力であり、赦す宗教である。

つまり、様々な形の信仰を認めることが出来る宗教。
それは、日本の神道に似る。
また、日本の天皇の存在に似る、祭祀である。

如何なる、神仏であろうと、一切、問わず、平和を享受、維持出来る、宗教である。

教義、教学、神学・・・
そのような、妄想を持たない宗教。

世界は、そして宗教は、日本に学ぶべきである。

posted by 天山 at 05:30| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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