2014年05月02日

もののあわれについて671

昔おはさいし御有様にも、をさをさ変はる事なく、あたりあたりおとなしく住まひ給へる様、華やかなるを見給ふにつけても、いとものあはれに思さる。中納言も、気色異に顔少し赤みて、いとど静まりてものし給ふ。あらまほしく美しげなる御あはいなれど、女はまた、かかる容貌の類もなどかならむと見え給へり。男は、際もなく清らにおはす。古人どももお前に所得て、神さびたる事ども聞え出づ。ありつる御手習どもの、散りたるを御覧じつけて、うちしほたれ給ふ。太政大臣「この水の心尋ねまほしけれど、翁は言忌して」と宣ふ。

太政
そのかみの 老木はうべも 朽ちぬらむ 植えし小松も 苔生ひにけり

男君の御宰相の乳母、辛かりし御心も忘れねば、したり顔に、

乳母
いづれをも 蔭とぞ頼む 二葉より 根ざし交せる 松の末々

老人どもも、かやうの筋に聞え集めたるを、中納言はをかしと思す。女君はあいなく面赤み、苦しと聞き給ふ。




昔、大宮が住まわれていた様子と、大して変わることなく、どこもここも、穏やかな住み方をしているのが、若々しく、派手なのを御覧になるにつけて、太政大臣は、しんみりとした思いに浸る。
中納言も、いつもと違い、目を少し赤くして、大変沈んでいる。お似合いの、綺麗な夫婦だが、女は、また、これくらいの器量の人には、他にいないこともないだろうと、見える。男の方は、この上もなく美しく見える。
老女房達も、御前にのさばって、とても古臭いお話をする。太政大臣は、先ほどの歌が、散っているのを見て、しんみりとされる。
大臣は、私も、お二人の歌のように、この遣水の気持ちを尋ねてみたいのだが、老人の繰言は、止めにしてと、おっしゃる。

大臣
その昔、老い木が朽ちてしまうのも、当然のことだ。その老い木の植えた小松も、苔が生えるほどに、老いてしまったのだから。

男君の乳母の宰相は、辛かった大臣の仕打ちを、今も忘れず、得意げに、

宰相
お二人共に、蔭と頼みにしています。二葉の頃から、仲良くしていた二本の松でありますから。

老いた女房達も、このような話題ばかり歌に詠むのを、中納言は、おかしく思う。女君は、訳も無く、顔が赤くなり、聞き苦しく思うのである。

いとものあはれに思さる・・・
過去と現在の心境と共に、言葉に表せぬ思いを言う。
複雑な心境を言うのである。

大臣の歌にある、植えし小松も苔生ひにけり、とは、自分のことを言う。




神無月の二十日余りの程に、六条の院に行幸あり。紅葉の盛りにて、興あるべき度の行幸なるに、朱雀院にも御消息ありて、院さへ渡りおはしますべければ、世に珍しくありがたき事にて、世の人も心を驚かす。あるじの院方も、御心を尽くし、目もあやなる御心設けをせさせ給ふ。




十月の二十日の過ぎた頃に、六条の院に、行幸がある。紅葉の盛りで、興の湧くような、この度の行幸なので、朱雀院にも帝から、お誘いのお手紙があり、院までおなりになることになった。実に結構な又とないことだと、世間の人々も、驚いた。お待ちする、六条の院の院方も、心を尽くして、目も眩いばかりの、準備をする。

六条の院とは、源氏の邸である。




巳の刻に行幸ありて、まづ馬場殿に、左右の司の御馬引き並べて、左右の近衛立ち添ひたる作法、五月の節にあやめわかれず通ひたり。未くだる程に、南の寝殿に移りおはします。道の程の反橋、渡殿には錦を敷き、あらはなるべき所には軟障を引き、いつくしうなさせ給へり。東の池に船ども浮けて、御厨子所の鵜飼の長、院の鵜飼を召し並べて、鵜をおろさせ給へり。小さき鮒なども食ひたり。わざとの御覧とはなけれど、過ぎさせ給ふ道の興ばかりになむ。山の紅葉いづかたも劣らねど、西の御前は心ことなるを、中の廊の壁をくづし、中門を開きて、霧の隔てなくて御覧ぜさせ給ふ。御座二つよそひて、あるじの御座は下れるを、宣旨ありて直させ給ふ程、めでたく見えたれど、帝はなほ、限りあるいやいやしさを尽くして見せ奉り給はぬ事をなむ思しける。




朝の九時に、行幸があり、まず馬場殿に、左馬寮、右馬寮の馬を、ずらりと引き並べて、左右の近衛の武官が、立ち添った儀式は、端午の節会と、間違うほどである。
午後一時過ぎ、南の寝殿にお移りあそばす。お通りの反り橋、渡殿には、錦を敷き、丸見えになりそう場所には、軟障を引いて、厳しくしつらえた。
東の池に、船を幾つか並べて、宮中の御厨子所の、鵜飼の長と、六条の院の鵜飼を一緒に呼び、鵜を池に下す。鵜は、小さな鮒などを咥えて来る。
特別に御覧に入れるわけではないが、お通りあそばす道の、慰めなのである。
築山の紅葉は、いずれの町も劣らないが、西の中宮のお庭前は、格別なので、中の廊の壁を崩し、中門を開いて、霧が遮らないように、御覧にいれる。
御座所は、二つ整えて、六条院の御座所は、一段下にあるのを、宣旨があり、改めさせるのも、結構なことに見えたが、陛下はそれでもなお、父君として、恭しさを出来る限り尽くして、見せられることの、出来ないことを、残念に思いである。

当時の様子を想像するしかない、箇所である。
何とも、優雅で優美である。

また、その表現も、敬語、敬語であり、現代文にするのは、無理がある。
これも、また、もののあはれ、の風景である。

もののあはれ見事なりけり、だ。



posted by 天山 at 05:37| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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