2014年05月01日

もののあわれについて670

明けむ年、四十になり給ふ御賀の事を、おほやけより初め奉りて、大きなる世のいそぎなり。その秋、太上天皇に準ふ御位え給うて、御封加はり、官爵など皆添ひ給ふ。かからでも、世の御心にかなはぬ事なけれど、なほ珍しかりける昔の例を改めで、院司どもなどなり、様ことにいつくしうなり添ひ給へば、内に参り給ふべき事難かるべきをぞ、かつは思しける。かくても、なほあかず帝は思し召して、世の中を憚りて、位をえ譲り聞えぬ事をなむ、朝夕の御嘆き種なりける。




源氏が、来年、四十になられる、お祝いの事を、朝廷をはじて、大変な、世をこぞっての準備である。
その年の秋、太上天皇に準ずる御待遇を受けられて、封戸が増加して、官爵など、皆、受けられた。それほどまでしなくても、世の中で、希望通りにならないことは、ないのだが、矢張り、立派な昔の慣例に従い、上皇付き、事務官一同の任命もあり、格別に、仰々しくなったので、参内されることが、難しいだろうと、一方では、残念に思う。それでも、陛下は、まだ不満のようで、世間を憚り、位を譲られないことが、朝夕のお悩みの種であった。

源氏が、上皇の位を受けるという。
だが、帝は、天皇の位を譲りたいと、思っている。




内大臣あがり給ひて、宰相の中将、中納言になり給ひぬ。御喜びに出で給ふ。光りいとどまさり給へる様容貌より初めて、飽かぬ事なきを、あるじの大臣も、「なかなか人に押されまし宮仕へよりは」と思しなる。




内大臣は、太政大臣に上がり、宰相の夕霧は、中納言になられた。
新中納言が、お礼にお出になられた。益々、光り輝く顔や、姿をはじめ、何一つ、不足の無いことを、内大臣も、かえって、人に圧倒されるような宮仕えよりは、という気持ちになられた。




女君の大輔の乳母、「六位宿世」をつぶやきし宵の事、物の折り折りに思し出でければ、菊のいと面白くうつろひたるを賜はせて、

夕霧
浅緑 若葉の菊の つゆにても 濃き紫の 色とかけきや

辛かりし折りの一言葉こそ忘れれね」と、いと匂ひやかにほほえみて賜へり。恥づかしういとほしきものから、美しう見奉る。

乳母
双葉より 名だたる園の 菊なれば 浅き色わく つゆもなかりき

いかに心置かせ給へりけるにか」と、いとなれて苦しがる。




夕霧は、女君、雲居の雁の、大輔の乳母が、六位の方なんて、と、ぶつぶつ言った夕方のことを、何かの折々に思い出すので、菊の見頃に色付いているのを、与えて、

夕霧
若葉の菊の、浅緑を見て、花を咲かせて、濃い紫の色になろうとは、思いも掛けなかったでしょう。

辛かったあの時の、一言が、忘れなれないと、美しく微笑んで、与える。乳母は、顔も上げられず、お気の毒なことをしたと、思うが、その様子を可愛いと思う。

乳母
双葉の時から、名門の園に育つ菊です。浅い色をしていると、差別する者など、おりませんでした。

どんなに気を悪くしたことでしょう。と、身内の気持ちで、弱っている。

いと匂ひやかに・・・
血色の良い、若さに溢れ、つややかに・・・




御勢ひまさりて、かかる御住まひも所狭ければ、三条殿に渡り給ひぬ。少し荒れにたるを、いとめめでたく修理しなして、宮のおはしましし方を、改めしつらひて住み給ふ。昔覚えて、あはれに思ふ様なる御住まひなり。前栽どもなど、小さき木どもなりしも、いと繁き陰となり、一村薄も心にまかせて乱れたりける、繕はせ給ふ。遣水の水草もかき改めて、いと心ゆきたる気色なり。をかしき夕暮れの程を、二所眺め給ひて、あさましかりし世の、御幼さの物語などし給ふに、恋しき事も多く、人の思ひけむ事も恥づかしう、女君は思し出づ。古人どもの、まかで散らず、曹司曹司に侍ひけるなど、参うのぼり集りて、いと嬉しと思ひ合へり。男君

夕霧
なれこそは 岩もる主人 見し人の 行方は知るや 宿の真清水

女君、
なき人の 影だに見えず つれなくて 心をやれる いさらいの水

など宣ふ程に、大臣内よりまかで給ひけるを、紅葉の色に驚かされて渡り給へり。




新中納言、夕霧は、御勢力が増して、今までのようなお部屋住みも、手狭なので、三条殿に、移られた。少し荒れていたものを、たいそう立派に修理して、大宮のおいでになったお部屋を、新たに、装飾を変えて、住まわれる。
昔が、思い出されて、懐かしいお気に入りの、住居である。
前栽など、小さな木であったものも、大きく茂り、葉陰を作り、一群のすすきも、気ままに延び放題になっていたものを、手入れさせる。遣水の水草も取り払い、綺麗にして、いかにも、気持ち良さそうな、音を立てている。
趣深い夕暮れの時、お二人は、眺められて、情けなかった、昔の幼い頃の思い出話などをされると、恋しいことも多く、人が何と思っていたか、顔向けできないことと、女君は、思い出される。古くからの女房達で、出て行かず、今も残り、それぞれに住んでいる者などが、御前に集まり、何と嬉しいことと、一同が思う。
男君、
夕霧
お前こそは、ここを守ってきた主人なのだから、亡き大宮の、御行方を知っているだろう。宿の清水よ。

女君
亡き大宮は、影さえも見えず、お前だけが、知らぬ顔で、心地よさに流れている。小さな清水。

などと、お話されていると、大臣が、御所から退出される途中に、この邸の紅葉の見事な、色に驚き、お越しになった。

遣水には、所々に、岩を置いて、流れの音を立てる。
遣水を、岩守る主と、呼んだ。

二人は、その遣水を歌詠みする。

あはれに思ふ様なる・・・
この場合の、あはれ、は、懐かしい気持ちの深いことを表す。
懐かしいが、含まれてあるのだ。

posted by 天山 at 06:58| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月02日

もののあわれについて671

昔おはさいし御有様にも、をさをさ変はる事なく、あたりあたりおとなしく住まひ給へる様、華やかなるを見給ふにつけても、いとものあはれに思さる。中納言も、気色異に顔少し赤みて、いとど静まりてものし給ふ。あらまほしく美しげなる御あはいなれど、女はまた、かかる容貌の類もなどかならむと見え給へり。男は、際もなく清らにおはす。古人どももお前に所得て、神さびたる事ども聞え出づ。ありつる御手習どもの、散りたるを御覧じつけて、うちしほたれ給ふ。太政大臣「この水の心尋ねまほしけれど、翁は言忌して」と宣ふ。

太政
そのかみの 老木はうべも 朽ちぬらむ 植えし小松も 苔生ひにけり

男君の御宰相の乳母、辛かりし御心も忘れねば、したり顔に、

乳母
いづれをも 蔭とぞ頼む 二葉より 根ざし交せる 松の末々

老人どもも、かやうの筋に聞え集めたるを、中納言はをかしと思す。女君はあいなく面赤み、苦しと聞き給ふ。




昔、大宮が住まわれていた様子と、大して変わることなく、どこもここも、穏やかな住み方をしているのが、若々しく、派手なのを御覧になるにつけて、太政大臣は、しんみりとした思いに浸る。
中納言も、いつもと違い、目を少し赤くして、大変沈んでいる。お似合いの、綺麗な夫婦だが、女は、また、これくらいの器量の人には、他にいないこともないだろうと、見える。男の方は、この上もなく美しく見える。
老女房達も、御前にのさばって、とても古臭いお話をする。太政大臣は、先ほどの歌が、散っているのを見て、しんみりとされる。
大臣は、私も、お二人の歌のように、この遣水の気持ちを尋ねてみたいのだが、老人の繰言は、止めにしてと、おっしゃる。

大臣
その昔、老い木が朽ちてしまうのも、当然のことだ。その老い木の植えた小松も、苔が生えるほどに、老いてしまったのだから。

男君の乳母の宰相は、辛かった大臣の仕打ちを、今も忘れず、得意げに、

宰相
お二人共に、蔭と頼みにしています。二葉の頃から、仲良くしていた二本の松でありますから。

老いた女房達も、このような話題ばかり歌に詠むのを、中納言は、おかしく思う。女君は、訳も無く、顔が赤くなり、聞き苦しく思うのである。

いとものあはれに思さる・・・
過去と現在の心境と共に、言葉に表せぬ思いを言う。
複雑な心境を言うのである。

大臣の歌にある、植えし小松も苔生ひにけり、とは、自分のことを言う。




神無月の二十日余りの程に、六条の院に行幸あり。紅葉の盛りにて、興あるべき度の行幸なるに、朱雀院にも御消息ありて、院さへ渡りおはしますべければ、世に珍しくありがたき事にて、世の人も心を驚かす。あるじの院方も、御心を尽くし、目もあやなる御心設けをせさせ給ふ。




十月の二十日の過ぎた頃に、六条の院に、行幸がある。紅葉の盛りで、興の湧くような、この度の行幸なので、朱雀院にも帝から、お誘いのお手紙があり、院までおなりになることになった。実に結構な又とないことだと、世間の人々も、驚いた。お待ちする、六条の院の院方も、心を尽くして、目も眩いばかりの、準備をする。

六条の院とは、源氏の邸である。




巳の刻に行幸ありて、まづ馬場殿に、左右の司の御馬引き並べて、左右の近衛立ち添ひたる作法、五月の節にあやめわかれず通ひたり。未くだる程に、南の寝殿に移りおはします。道の程の反橋、渡殿には錦を敷き、あらはなるべき所には軟障を引き、いつくしうなさせ給へり。東の池に船ども浮けて、御厨子所の鵜飼の長、院の鵜飼を召し並べて、鵜をおろさせ給へり。小さき鮒なども食ひたり。わざとの御覧とはなけれど、過ぎさせ給ふ道の興ばかりになむ。山の紅葉いづかたも劣らねど、西の御前は心ことなるを、中の廊の壁をくづし、中門を開きて、霧の隔てなくて御覧ぜさせ給ふ。御座二つよそひて、あるじの御座は下れるを、宣旨ありて直させ給ふ程、めでたく見えたれど、帝はなほ、限りあるいやいやしさを尽くして見せ奉り給はぬ事をなむ思しける。




朝の九時に、行幸があり、まず馬場殿に、左馬寮、右馬寮の馬を、ずらりと引き並べて、左右の近衛の武官が、立ち添った儀式は、端午の節会と、間違うほどである。
午後一時過ぎ、南の寝殿にお移りあそばす。お通りの反り橋、渡殿には、錦を敷き、丸見えになりそう場所には、軟障を引いて、厳しくしつらえた。
東の池に、船を幾つか並べて、宮中の御厨子所の、鵜飼の長と、六条の院の鵜飼を一緒に呼び、鵜を池に下す。鵜は、小さな鮒などを咥えて来る。
特別に御覧に入れるわけではないが、お通りあそばす道の、慰めなのである。
築山の紅葉は、いずれの町も劣らないが、西の中宮のお庭前は、格別なので、中の廊の壁を崩し、中門を開いて、霧が遮らないように、御覧にいれる。
御座所は、二つ整えて、六条院の御座所は、一段下にあるのを、宣旨があり、改めさせるのも、結構なことに見えたが、陛下はそれでもなお、父君として、恭しさを出来る限り尽くして、見せられることの、出来ないことを、残念に思いである。

当時の様子を想像するしかない、箇所である。
何とも、優雅で優美である。

また、その表現も、敬語、敬語であり、現代文にするのは、無理がある。
これも、また、もののあはれ、の風景である。

もののあはれ見事なりけり、だ。

posted by 天山 at 05:37| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月03日

もののあわれについて672

池の魚を左の少将取り、蔵人所の鷹飼の、北野に狩り仕うまつれる鳥ひとつがいひを、右の佐捧げて、寝殿の東よりお前に出でて、御階の左右に膝をつきて奏す。太政大臣仰せ言賜ひて、調じて御膳に参る。皇子達、上達部などの御設けも、珍しき様に、常の事どもを変へて仕うまつらせ給へり。皆御酔になりて、暮れかかる程に楽所の人召す。わざとの大楽にはあらず、なまめかしき程に、殿上の童べ舞仕うまつる。朱雀院の紅葉の賀、例の古事思し出でらる。賀王恩といふものを奏する程に、太政大臣の御をとこの十ばかりなる、切に面白う舞ふ。内の帝、御衣ぬぎて賜ふ。太政大臣おりて舞踏し給ふ。




池の魚を、左の少将が受け取り、蔵人所の鷹飼が、北野で狩りをして、奉る鳥の一つがいを、右の佐が捧げて、寝殿の東から、御前の左右に膝をついて、その由を奏上する。
太政大臣が、帝の仰せを賜り、その魚と、鳥を調理させて、御膳に差し上げる。
皇子達、上達部などのご馳走も、珍しい趣向を凝らし、普段とは目先を変えて、差し上げた。皆、酔いになり、暮れる時分に、楽所の人をお呼びになる。大げさな大楽ではなく、優美に奏して、殿上童が、舞を御覧にいれる。
朱雀院の紅葉の賀のこと、例によって、昔の事が、思い出される。賀王恩という曲を奏する時に、太政大臣の令息の十歳くらいの男の子が、とても上手に舞う。今上陛下が、御衣を脱いで、お与えになる。太政大臣は、庭に下りて、お礼の拝舞をされる。




あるじの院、菊を折らせ給ひて、青海波の折りを思し出づ。

源氏
色まさる 雛の菊も 折り折りに 袖うちかけし 秋を恋ふらし

大臣、その折りは同じ舞ひに立ち並び聞え給ひしを、我も人にはすぐれ給へる身ながら、なほこの際はこよなかりける程思し知らる。しぐれ、折り知り顔なり。

太政大臣
紫の 雲にまがへる 菊の花 濁りなき世の 星かとぞ見る

時こそありけれ」と聞え給ふ。




主人である、六条の院、源氏は、菊を折らせて、青海波を舞った折りのことを思い出した。

源氏
濃く色付いた菊も、立身した大臣も、時々は、袖をうちかけて舞いを舞った、あの秋を、恋しく思っていることだ。

太政大臣は、あの折りは、同じ舞を、ご一緒して、舞ったものを、自分も、人には勝った身ではあるが、矢張り、この院のご身分は、この上もないものであったと、解る。
時雨が、時知り顔に降ってきた。

内大臣
尊い紫雲とも見紛う、菊の花。あなたさまは、濁りなく、澄んだ今の御世の、星かと、思い、見上げております。

今は、また一段と、お栄えになりまして、と申し上げる。




夕風の吹きしく紅葉の色々、濃き薄き、錦を敷きたる渡殿の上見え紛ふ庭の面に、すがたをかしき童べの、やむごとなき家の子どもなどにて、青き赤き白つるばみ、蘇芳、葡萄染など、常のごと、例のみづらに、額ばかりの気色を見せて、短きものどもをほのかに舞ひつつ、紅葉の陰に帰り入る程、日の暮るるもいとほしげなり。楽所などおどろおどろしくはせず、上の御遊び始まりて、書の司の御琴ども召す。




夕風が吹き落とした、紅葉の、様々の色、濃く薄く、錦を敷いた渡殿の上と、見紛うほどの庭の面に、姿も可愛い童の、高い身分の家の子どもなど、青と、赤の、しらつるみに、それぞれつけた蘇芳と、葡萄染めの下襲など、いつも通りで、例により、みずらに結って、天冠をつけた額だけの、唐風を見せて、短い曲など、少し舞いつつ、紅葉の陰に帰って行くのは、日が暮れるのが、惜しいほどに思われる。学所など、仰々しくはせず、上の御遊びが始まり、書の司の色々な、琴を取り寄せになられる。




ものの興せちなる程に、御前に皆御琴ども参れり。宇陀の法師の変はらぬ声も、朱雀院は、いと珍しくあはれに聞し召す。

朱雀院
秋を経て 時雨降りぬる 里人も かかる紅葉の 折りをこそ見ね

恨めしげにぞ思したるや。帝、

世の常の 紅葉とや見る 古への 例に引ける 庭の錦を

と聞え知らせ給ふ。

御容豹いよいよねび整ほり給ひて、ただ一つ物と見えさせ給ふを、中納言の侍ひ給ふが、ことごとならぬこそめざましかめれ。あてにめでたき気配や、思ひなしに劣りまさらむ、あざやかに匂はしき所は、添ひてさへ見ゆ。笛仕うまつり給ふ。いと面白し。唱歌の殿上人、御階に侍ふ中に、弁の少将の声すぐれたり。なほさるべきにこそと見えたる御中らひなめり。




興が、益々乗ってきた頃、お三方の御前に、それぞれお琴を差し上げた。名器宇陀の法師の、少しも変わらぬ音色も、朱雀院は、久しぶりで、あはれに、聞かれる。

朱雀院
幾たびの秋を過ごし、時雨と共に年老いた田舎者も、このような美しい紅葉の時節に会ったことがありません。

と、恨めしく思いなのでしょうか。陛下は、


世の常の、紅葉と思い、御覧になるのですか。昔の御世の先例に倣った、今日の宴の紅葉の錦を。

と、説明申し上げる。お顔立ちは、益々ご立派に、年と共に整い、源氏とそっくり、瓜二つと見えられるのに、中納言が、御前に控えているのが、また別々のお顔とも思えないのには、目を見張らされる。
帝と比べて、気高い美しさは、思いなしか劣っているにせよ、目の覚めるような、つややかさは、中納言の方にあると、思われる。笛を賜ってお吹きになるのが、たいそう面白い。唱歌の殿上人が、階段に控えて歌う中で、弁の少将の声が優れている。
矢張り、このように、優れた方々ばかり揃う、御両家なのでしょう。

いと珍しくあはれに聞し召す
とても珍しく、あはれ、しみじみと、深い思いで、聴くのである。

あはれ、という言葉を、しみじみと、という意味のみで、解決するのは、軽率である。
試験の解答ではない。

過去、現在、未来の複雑な心境をも、表現する、心象風景なのである。

藤裏葉を、終わる。

posted by 天山 at 05:38| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月04日

沈黙を破る89

もののあわれについて、というエッセイを書き始めて、700回ほどになる。

今は、源氏物語を書いている。
その前は、本居宣長の、もののあはれ論から、万葉集、和泉式部日記、紫式部日記、そして、源氏物語である。

物語は、おおよそ、半分が終わる。
だが、このエッセイとしては、まだ、序の口なのである。

この倍以上を書いて、ようやく、何かが見えてくる。
それほど、長いエッセイになる。

きっと、未完になることだろう。
そんなことは、どうでもいい。
書き付けることが、問題なのだ。

そして、驚くべきは、それが、読まれているのである。
誰が・・・
いつも、そのアクセス数を見て、驚くのである。

書いた本人でさえ、読むのは、大変である。

最初から、読んでいる人がいれば、是非、批判をして欲しいと思うが・・・
勿論、最初の頃は、批判があった。
要するに、論文形式ではないからだろう。

論文の書き方は、していないから、無用の批判だった。
これは、エッセイである。
随筆なのだ。

私は、論文は、書けない。
それほど、論理が立てられないからだ。
心の思うがままに、書き付けるのである。

それで、何も悪いことは、無い。
人それぞれ、その筆に合った、書き方でいい。

古典であり、古文であり、とても、取っ付きが悪い。
また、難しいと、投げてしまう人もいる。
それは、学校教育で、古文を真面目に、取り組んだ人に多い。

読み物は、面白いか、面白くないかが、問題だ。

論文を読むのは、お勉強のためである。
だが、文芸作品を読むのに、お勉強は、ない。
好きだから、面白いから、読むのである。

源氏物語などは、主語がなく、ある意味では、滅茶苦茶な文である。
だから、更に、面白いと感じた。
先に進むごとに、面白い。

一体、誰の心境なのか・・・
解らない。
精々、解説を見て理解する。
しかし、私の勝手な解釈も入る。

その、勝手な解釈が、また、面白いのである。

全文、敬語であるのが、また、面白い。
敬語に、更に、敬語がついたりする。

お持ちあそばして、お受け取りあそばし、それを奉りて・・・
皆々、敬語なのでる。
そんな、散文は、他に無い。

大和言葉の、美しさ・・・
敬語の原型・・・

更に、女の感覚である。
紫式部以外の人の手もあるが・・・
複数で、書き継いでいったことは、確実である。

それが、書写していると、解る。
随分と、面倒なことをしているが、それも、面白い。

また、現代語訳にしているつもりもない。
ただ、解り易くしているだけである。

情報過多といわれる時代に、そんな、暢気な物語を読むということは、実に、贅沢なことであると、思う。

この後も、あはれ、という心象風景を尋ねて、書き続けるつもりだ。

別に、大義は、無い。
面白いから、書いているだけである。

それ以上の、詮索は無用である。

posted by 天山 at 06:18| 沈黙を破る2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月05日

神仏は妄想である。473

イエスという、ユダヤ教徒の男は、一体何を言いたかったのか・・・

端的に言えば、彼は、黙示思想家だった。

平たく言えば、イエスは、人の子が裁きを下すためにまもなく天から訪れるため、人々は生き方を改め、神が望むような生活を送り、審判に備えなければならないと説いたのだった。この教えは、他者のための自己犠牲的な愛を奨励するものであった。
アーマン

だから、旧約聖書にある、隣人を自分のように愛しなさい、という言葉を引き合いに出したとされる。

それで、審判の日は、いつやって来るのか・・・
それは、イエスの弟子の存命中である。

ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる。
これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。
マルコ

このような思想が、一世紀のパレスチナのコンテクストにぴったりと符号することは、この時代を専門にする歴史家なら、誰でも了解済みであろう。
アーマン

その時代、イエスだけではなく、時代の終焉、人の子の出現が、目の前に迫っていることを、公言していたのは、多数いたのである。

そうした預言者には、ユダヤ的黙示思想に満ち満ちている死海文書を残した、ほぼイエスと同時代人のユダヤ人も含まれる。
アーマン

黙示思想、終末思想は、実に西欧に多いのは、伝統的なのだ。

より重要なのは、イエス以前の洗礼者ヨハネのメッセージも黙示思想的だったということである。
アーマン

ルカが、Q資料を引用したヨハネの言葉は、
斧はすでに木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。
である。

だからこそ、複数の裏付けと比類似性に基づき、イエスが、ヨハネと知り合うことによって、宣教活動を始めたことを知ることが大切なのである。イエスは、宣教活動の始めから、黙示思想家だったのだ。
アーマン

更に、イエスの死後、その信者たちが、黙示思想的志向を、保ち続けたことである。

彼らは、生きているうちに、終焉が到来し、イエスが、地上で裁きを行なうために、天から戻ってくると、信じたのである。
勿論、パウロも、そうだった。

初期キリスト教徒の前にイエスがおり、イエスの前に洗礼者ヨハネがいた。そして初期キリスト教徒は、黙示思想に傾倒したユダヤ人たちであり、差し迫った時代の終焉を予期していたのである。
アーマン

ところが・・・
2000年を経ても、天からイエスは、来ない。
待ちに待っても、来ない。

であるから、単なる、妄想だった。
初期ユダヤ人のキリスト教徒は、終末を信じたという・・・
幻想、妄想を信じたのである。

つまり、洗礼者ヨハネも、イエスも、また、多くの預言者も、終末の妄想に、取り付かれていたのである。

それが、キリスト教の原型である。

これを理解すれば、多少、おかしいと思うイエスの、行為も、納得できるのである。

全く、宗教の根源に近づけば、人間の妄想に行き着くのである。
神仏は妄想である、所以である。

もっと、端的に言うと、この世は、悪が支配する世の中。つまり、悪魔の世の中である。その悪と悪魔の世の中で、神の御心である、善を行なうことにより、救われる。
と、それでは、悪と悪魔とは、何かとなれば、それは、人間が作る世の中であるから、悪と、悪魔のせいにせず、端的に、悪魔は、人間であると、宣言すれば、事足りる。

一番最後の福音書である、ヨハネの福音書では、ユダヤ人は、悪魔だと言うのである。
ユダヤ人が悪魔なら、それ以外の人間も、悪魔であろう。

それとも、ユダヤ人が信じる神が、悪魔なら、キリスト教の神は、悪魔ではないのか。いやキリスト教の神も、そこから来ているから、キリスト教の神も、悪魔である。

それが、最も正しい物の見方であろう。

エジプトの、地霊から起こった、ユダヤ人の神・・・
ユダヤ民族の神・・・
それが、人類全体の神などといわれる、筋合いは無い。

そして、イエスも、立派なユダヤ教徒である。

何度も言うが、キリスト教とは、ローマ皇帝と結び付いて、白人の宗教として、成り立った過程がある。
白人主義を延長させた、新しい宗教である。

ちなみに、イエスも、ユダヤ人も、アジア民族である。
それゆえ、白人は、ユダヤ人を差別する。

だが、不思議なことは、そのユダヤ人の神を書き綴る、旧約聖書も正典としているのである。著作権の大侵害である。

キリスト教は、反ユダヤ主義である。
だから、還元すれば、宗教の分派として、キリスト教が登場したのである。
派閥争いとなる。
実に、呆れる。

posted by 天山 at 05:22| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月06日

神仏は妄想である。474

ナザレのイエスは、黙示思想に浸っていたのである。
純然なユダヤ教徒として。

神学者が、なぜイエスが人生最後の週に、エルサレムへ旅をしたのかと問われれば、世界の罪を背負って十字架に架けられるためだったと答えるだろう。しかし、歴史的観点からすると、旅の動機は何だったのか? イエスが黙示思想家だと考えるなら、筋が通る。最古の共観福音書によれば、イエスは、ユダヤ人に教えを説きながら宣教活動を行なっていた時期の大半を、ガリラヤの片田舎で過ごした。全くとは言えないまでも、彼は、大都会にはほとんど滞在せず、明らかに北部一帯の小さな町や村、小部落ばかりを回っていた。
アーマン

それが、事実である。

キリスト教が行なったのは、ガリラヤの片田舎のイエスが、世界的イエスに成る過程である。
単なる、一人のユダヤ教徒の、黙示思想家である。
それが、何故、イエス・キリストなのか・・・

これでは、あまりに、稚拙である。
陳腐な物語である。

と、いうことは、キリスト教徒は、一度、ユダヤ教徒になり、それから、考え直して、キリスト教徒になるべきである。

さて、イエスは、何故、エルサレムへ出たのか・・・
それは、人の子の出現と共に、王国がまもなく到来することを、人々に伝え、人々が、その準備をしなければならないことを、教えるためである。

つまり、イエスも、妄想の人であった。
妄想に、取り付かれていた人であった、ということになる。

イエスを信じる人も、妄想に取り付かれたのである。
そして、今も、続々と・・・

一人の妄想を信じて、その後を継ぐ人たちを、宗教、その団体という。

ユダヤ人は、モーゼの妄想を、キリスト教は、イエスの妄想を、そして、イスラムは、ムハンマドの妄想を・・・
すべての宗教は、そのようである。

そこで、イエスは、それを伝えるために、ユダヤ教の中心地、首都、神殿の所在地、そして民衆と共にある、社会的、政治的に重要な要人に、自分のメッセージを伝えるために、出掛けた。
更に、過ぎ越しの祭りの最中である。
つまり、群集が、最も多く集う時期である。

過ぎ越しの祭りとは、ユダヤ人を、モーゼがエジプトから脱出させたことを、思い出す日である。
神が、ユダヤの民に介入した日と、ユダヤ人は、考える。

それは、伝承である。
いえば、神話である。

それなら、それでいい。
それぞれの民族には、神話が必要である。

ユダヤ民族の神話を、世界の神話にせずともよい。

更に、ユダヤ人は、神が再び介入して、過去の支配者を打倒したように、現在の支配者、ローマを打倒するようにと、願う。
が、願いは、叶わない。
逆に、滅ぼされてしまった。

更に、モーゼ以後、神は一度も、介入しなかった。
今に至っても・・・

イスラエルを守るのは、神ではなく、核兵器という、おまけつきである。

一部のユダヤ人は、政治的・軍事的蜂起によって、この時期が実現すると考えていた。また、神が自分に背く者どもを破滅させるような、超自然的・宇宙的事件として現実化すると考える者もいた。イエスの考えは、後者の延長戦上にあった。
アーマン

だが、信じた者は、騙される。
事実を知っても、信じないのである。
自分の妄想を、信じるのである。

宗教の洗脳とは、そういうことである。
説教による、幻想が、自己幻想に至るまで、続けられる。
そして、信じると、宗教の勝ちである。

信者は、勝手に、幻想の中に入り込む。
無いものを、在ると思い込む。
そして、それ以外のモノを、すべて悪、悪魔からのものだと、信じ込む。
それを、蒙昧と言う。

だから、平然とキリスト教は、他民族を虐殺し、更には、他民族を根絶させたのである。

現在は、イスラム系のテロ行為を、糾弾するが・・・
キリスト教、カトリックがやったことは、それより、怖ろしいのである。
勿論、プロテスタントも、今も同じように、異教徒の場所にて、馬鹿馬鹿しい、幻想を振りまいている。

信仰が、迷いであることは、後々に、十分に書き付けるが・・・
付ける薬が無いのである。

その宗教の中にあって、霊性とか、聖霊の働きとか・・・
霊学を知らない者が、言うことである。

そして、何処をどうしたら、神学なるものが、現れてくるのか・・・解らない。
大真面目に神学を学ぶという。

哲学から生まれた、神学であり、神学から、生まれるものは、無い。
妄想だからである。

人間を無明の闇に、陥れるもの、それは、神仏である。
神仏こそ、妄想なのである。

開祖が、妄想全開なのである。

posted by 天山 at 05:57| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月07日

神仏は妄想である。475

さて、当時、一部のユダヤ人たちは、イエスを冒涜的な人間だと、見ていた。
何故か・・・
神を語るからである。
その名も、畏れ多い、神を簡単に語るのである。

その他の行為も、同じく。
だが、それがイエスを窮地に追いやった。

イエスは、旧約の預言者、エレミヤを引き合いに出す。
エレミヤも、神殿やその内部での活動が、崩壊すると、警告していた。
更に、神殿を痛烈に批判した。
だが彼も、イエスと同様に、大きな代償を払わされた。

イエスは、すぐにでも訪れる審判で、神殿が破壊されると信じていた。
アーマン

だから、神殿に上がった時、テーブルをひっくり返し、騒ぎを起こす。
例え話を、実践したのである。

旧約聖書に出てくる、多くの預言者同様に、イエスは、腐敗し、増長した神殿を管理する、ユダヤ人指導者たちも、神の敵だとみなしていたのである。

神の敵は破滅する。

当然、当局は、イエスを脅威に感じて、イエスを排除することを考える。
すぐに逮捕されなかった。だが、イエスの噂が広まる。監視される。

イエスの周りには、審判の時が訪れるという彼の黙示思想的メッセージに興味を持った群集が群がり、その数はどんどん膨れ上がっていった。
アーマン

つまり、ローマの支配下にある、自分たちの悲惨な暮らしを変えてくれる。何かが起こることを、切望していたのである。

それ程、民衆は、悲惨な生活を強いられていた。
だが、それは、ローマの支配だけではない。
ユダヤ教の指導者たちも、その原因である。

もし、現在も、イエスが現れて、ローマカトリック、その他のキリスト教に、警告を発したら、まず、受け入れられず、迫害されるだろう。

イエス以後、そのような、預言者が現れていない。
実に、皮肉である。

ここで私は、イエスが、自分が神聖な存在であるとは言わなかったと主張してきた。彼は、ほとんどの場合、自分自身についてではなく、神について語ったのである。とりわけ彼が強調したのは、地上で審判を下すために人の子が出現し、神の国がまもなく訪れるということである。イエスは、神の国が、彼の生きている時代が終わる前に到来すると主張した。
そして、この新しい国に入るためには、自分の教えを受け入れなければならないと、群集に説いた。彼の教えとはすなわち、全身全霊を傾けて神と向き合い、自分を愛するように隣人を愛することである。
アーマン

それを聞いて、ユダヤ人指導者は、何と思うか・・・

そして、ローマ総督である。
ローマ当局に身柄を拘束され、裁判にかけられたとき、イエスの容疑は、ユダヤ人の王を僭称したことからであると、マルコが書く。

だが、アーマン氏に言わせれば、それは、実に奇妙である。
何故なら、イエスは、公の説教の中で、一度も、そのようなことを口にしていないのである。

ローマ当局が、ローマ市民が任命した人だけが、王になれる時代に、王の名を語ることは、反逆行為になる。
だから、イエスは、ローマに対する氾濫を起こすように扇動した罪で、処刑されたのである。

だが、イエスは、謀反を起こすようなことは、していない。
それは、イエスの黙示思想的な教えにあると、アーマン氏は言う。

まもなく実現する、王国で、イスラエルの十二部族を支配するのは、イエスの弟子たちである。と、イエスは、弟子たちに説いていた。

もしイエスが、自分が弟子の現在の主人であるだけではなく、次の時代の主人でもあると、私的な場で彼らに話したのであれば、全てつじつまが合う。王国の王になるのはイエスなのだ。古代イスラエルにおける未来の王の呼び名の一つが「油を注がれた者」を意味する「メシア」という言葉である。他の人々は、イエスがメシアだと考えていたかもしれないが、公的な場では、彼自身は自分をメシアとは呼ばなかった。しかし、弟子と共にいた私的な場で、メシアを自称したとき、彼は、ローマ人を追い払い、イスラエルを独立させることを意図していたわけではない。彼は、神が悪の勢力を駆逐し、自分を王に任命するのだと言いたかったのだ。
アーマン

弟子たちが、イエスの死後も、メシアと呼び続けたのは、このためである。

ローマ当局は、イエスの王を、黙示思想的な意味ではなく、王を自認する者として、その事実を知ったからである。
政治的な王という意味に、受け取ったのである。

それをローマ当局に、イエスが未来の、ユダヤの王と言うと、告げ口したのが、ユダである。

そして、ユダヤ人指導者である。
イエスの黙示思想に業を煮やしていた彼らは、尋問した挙句、裁判にかけるべく、その身柄をピラトに引き渡した。

ピラトは、イエスに、ユダヤ人の王かと問い、イエスは、否定しなかった。
ビラトは、磔刑を申し渡し、判決は即座に実行された。

と、いうように、単なる、ユダヤ世界の中での、お話なのである。
それが、いつしか・・・
人類の救い主、メシアとして、登場する。

妄想の遊びである。
何度も言う。
イエス以後、神がユダヤの世界に介入したか・・・
一度も介入せず、ユダヤは、滅びた。
神は、不在である。
いや、神は、妄想だった。

すぐに来るはずの、神の威力も、見えない。
弟子たちが死んで、何代を経ても、全く、現れない。

イエスも、雲に乗って来ない。

あれから、二千年以上待っても、来ない。
来るのは、気候変動による、自然災害ばかりである。

posted by 天山 at 05:18| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月08日

神仏は妄想である。476

聖書とは、何か・・・
旧約聖書は、伝承、神話に入る。

新約聖書は、捏造一色である。

更に、正典とは何か・・・誰が決めたのか・・・
その他の、外典と呼ばれるものは、何か・・・

偽書と、簡単に決め付けて、聖書以外の、文献を拒む人たちがいる。
正典入りしないが、数多くの、聖書の類が存在する。

キリスト教徒は、神の霊感によって、書かれたもの、それが、聖書だと言う。つまり、信じ込まされているのである。
そして、信じる者は、騙される。

この二千年の間、騙され続けてきたのである。

霊感を受けて書かれた聖書とは、私たちの手元にある聖書なのか? ある人たちが今でも主張しているように、ジェームズ王欽定聖書のことなのか? しかし、それはいくらなんでも無理がある。ジェームズ王の命を受けて翻訳家が聖書を訳す以前の何世紀もの間、キリスト教徒は誰も神の言葉に接することができなかったなんて言えるだろうか? 神は何を考えていたのだ? それなら、もっと後世の翻訳版を指すのだろうか? もしそうであるなら、ヘブライ語やギリシャ語のオリジナル・テキストが一つも現存せず、後世に作られた誤写だらけの写本しか残されていないという状況を、どう考えたらいいのだろうか?
アーマン

私も、驚いた。
オリジナル・テキストが無いとは・・・

アーマン氏は、更に
そもそもどうして神が、人類に語りかけたのだと確信できるだろうか? どの聖書に神の霊感が宿るのか特定する際、この疑問は、私のなかで大疑問となった。
と、言う。

疑問は、更に続く。
アーマン氏の、疑問を私が要約する。

イエスの死後、何十年後に、神が人々のために、特定の書物に、霊感を授けたなら、どうやって、後世の教父が、聖書を編纂する際、文書を正しく選び出したと、確かめられるだろう。

初期キリスト教の動静に関する、歴史研究にのめり込めば、世界各地で、大勢のキリスト教徒が、正典に採用すべきだとみなしていたものは、他の文書である事実を知るようになった。

逆に、正典に最終的に編入された、幾つかの文書が、他の宗派の指導者によって、時に何世紀もの間、拒否され続けたことも、認めざるを得ない。

幾つかの宗派では、「ヨハネの黙示録」は、謝った教えを含むとして、全面的に否定され、最終的に正典に組み入れられなかった「ペトロの黙示録」が受け入れられていた。

「ペトロによる福音書」を認めるキリスト教徒もいれば、「ヨハネによる福音書」を拒絶するキリスト教徒もいた。

現在は、聖書から外されている、「トマスによる福音書」が採用される場合もあった。

と、いうように、滅茶苦茶である。

私の手元にも、ユダの福音書や、モーゼの聖書・・・などあるが・・・

もし神が、霊感が宿った聖書の書を、そしてそれだけを、自分の教会が護持すべく采配をふるったのなら、なぜ三百年にもわたって、熾烈な論争と異議申し立てが止むことがなかったのだろうか? なぜ神は、そのような議論を、数週間できちんと終結させることなく、何世紀にもわたって続けさせたのだろう?
アーマン

司祭、牧師、その他、諸々が、祭壇の前、説教台で説く、聖書解釈・・・
大嘘である。

私は、多くのキリスト教指導者、カトリック、プロテスタントなどの、文書を読んだが、皆、聖書は、神の霊感により、云々からはじまる。

だから、絶対的なものである。
ウソである。
皆々、人間の作り出したものである。
更には、権力によって、正典とされた数々の、文書である。

これについては、別に詳しく書くことにする。

問題の大きさからいえば、私たちが、神の啓示の言葉がどのようなものだったのか分らないことよりも、聖書に記された言葉が、神の啓示だと考えることのほうが深刻だ。加えて、現在私たちの手元にある聖書を、本当に聖典として認めたのかどうか、知ることもできない。正しい文書だけが聖書に収められていると、どうして言えるだろうか? 神から霊感を授けられた書など、他には存在しないと、どうして断言できるのだろうか?
アーマン

全く、その通りである。
私の言いたいことを、すべて言ってくれる。
さすがに、神学者である。

現在の聖書は、何と、16世紀に宗教改革に対抗して開かれた、トリエント公会議まで、いかなる公会議によっても、承認されたことはなかったのである。

この公会議は、当時広まっていた、「旧約聖書外典」を旧約正典から外そうとする、プロテスタントの運動に対抗して、これも同時に正典に入れることにしたのである。

突然、正典、聖典が、現れたのである。

更に、ユダヤ教に断りもなく・・・
著作権の最大の侵害である。

そこで、面白いのは、キリスト教を最大の利用しようとした、ローマ皇帝により、権力で、教会を統一されたということである。
その頃、ローマ教会が、最も力を持つ集団になっていたのである。

つまり、白人キリスト教徒である。
ローマカトリックと今でも、言われる。
ローマ人のキリスト教会である。

人間の欲望によって、生まれた、邪教、キリスト教である。

ここに至ると、ナザレのイエスの存在は、虚無になる。

posted by 天山 at 05:44| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月09日

神仏は妄想である。477

「捏造された聖書」は、少なくとも保守的な福音主義的クリスチャンの間で、多少なりとも物議をかもしたが、そこで取り扱った主題は、全くと言っていいほど異論の余地がないものだった。それらを要約すれば以下のようになる。
アーマン

それらを、そのまま、記述する。

新約聖書のどの書についても、オリジナルは存在しない。

現存する写本は後世に作られ、しかも、そのほとんどが何世紀も後に筆写されたものである。

ギリシャ語の写本は何千冊も現存する。ちなみに、新約聖書の書のオリジナル・テキストは、すべてギリシャ語で書かれている。

すべての写本には間違いがある。書記がうっかり写し忘れた箇所もあれば、自分の勝手な都合に合わせて、意図的に改竄した箇所もある。(あるいは自分ではそのように意図したつもりがないまま、改竄している場合もある)。

現存する写本の中に、いくつ間違いがあるのか分らないが、何百、何千にのぼると思われる。少なくとも言えるのは、写本同士の内容の食い違いは、新約聖書を構成する言葉の総数を上回るほど多いということだ。

写本に見られる間違いの大部分は、取るに足りないものだ。昔の書記が、今日の大半の人たち同様、綴りを間違えることがあるというだけである。

しかし、いくつか重大な間違いもある。その一部は、節、章、場合によっては書全体の解釈を左右してしまう。また、書記の関心事が反映されているものもある。彼らが、身近に起きていた議論や論争を考慮して、内容に変更を加えているのだ。

本文批評の目的は、テキストの著者が何を書いたか見極め、なぜ書記がそのテキストを改竄したのか理解することである。(書記が書写していた状況を把握するために)。

この三百年間、学者が実に勤勉に本文批評を行なってきたにもかかわらず、彼らの意見の違いは埋まるどころか、白熱した議論が交わされてきた。それは真剣そのもので、極めて頭のいい学者たちが、オリジナル・テキストの内容をめぐって対立するときもあれば、おそらく私たちが、オリジナル・テキストの文言を知ることが、永久に叶わない箇所もある。

以上である。

しかし、信じる者は、騙される。
このようなことが、分っても、聖書は、神が霊感を与えて書かせた、御言葉だと、信じ込むのである。

一度、信じるという、信仰に入ると、後戻りできないようである。
と、いうより、信じていた方が、楽なのである。

その証拠に、何かを信じていた人が、それを捨てると、また、何か、信じるものを必要とする。

人間は、進化の過程で、そのように、不安症を持つに至ったと、思える。
それは、多くの情報により、我というものの、意識が、揺さぶられ、更に、不安に陥れられる、社会状況になっているからだ。

知らなければ済むことを、知ってしまった、人間。
何を知ったのか・・・
不安である。

そして、我というものを、信じないで、何か他のものに、心を込めるという、蒙昧である。
信仰とは、迷いの極地である。

そして、宗教団体は、その迷いを、暗示という手法を持って、自己暗示と、教義暗示付けにするのである。

人間は、繰り返しに、実に弱い者である。
宗教の教義は、その繰り返しの手法である。

勿論、私は、この程度の批判では、終わらない。
後々、信仰の無常性について、書くつもりである。

更に、私は、唯物論ではない。

唯心論でもない。
唯神論でもない。
唯仏論でもない。

だが、信仰心を否定するものではない。
信仰心とは、あらゆるものに対する、畏敬の念である。
つまり、命への畏敬の念である。

寛容で、排他的ではない信仰心こそ、人間を救うと信じる。
私も、そうして、信じているのである。

アーマン氏も、言う。
しかし、そうした事実は、彼らの信仰心を否定するものではない。なぜなら、彼らの信仰心は、神が人間に授けた聖書の言葉以外のものに根差しているからだ。それに、当然のことながら、私は、誰かを信仰から遠ざけようなどと考えたことは一度もない。私自身が信仰を捨てたのは、私たちの手元にある写本の内容が、互いに異なることを知ったからだと指摘する批評家は、単純に誤解しているだけであり、ばかばかしい限りだ。

私も、同じである。
教典、聖典と言われるものを、更に、教義といわれるものを、批判している。
批判とは、評論であり、更に、表現の自由と芸術活動である。

ただし、私は、論文ではない。
エッセイを書いている。

随筆とか、随想と言われる文である。

私は、寛容で、排他的ではない、宗教の訪れを待つ。
そして、それは、人類を救う。

明らかに、風土、民族、その他諸々が違えば、その宗教も違う。
しかし、信仰心は、同じである。
その、信仰心を認めること、それが、人類の救いになるのである。

妄想無しに、人生は、有り得ない。
皆々、人生を妄想の内に生きているのである。
その最大の証拠は、人間の大脳化である。

posted by 天山 at 07:29| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月10日

国を愛して何が悪い129

第十六章は、武士道はなお生くるか、である。

一国民の魂がかくのごとく早く死滅しうるものとせば、それは悲しむべきことである。外来の影響にかくもたやすく屈服するは貧弱なる魂である。
新渡戸

これは、明治期から、西欧を手本として、様々なものを、取り入れてきた日本の精神に対する言葉である。

日本は、近代国家になるべく、西欧を見本、手本として、多くを学んだ。
兎に角、目一杯に進んだのである。

そして、その取り入れたものを、即座に我が国のものとすべく、精進した。
それ故、日本は、アジアの中で、唯一、近代国家の仲間入りを果たした。
それは、驚くべきことである。

だが、日本人の精神、そして、武士道は、失われなかった。
明治期の人々を見れば、一目瞭然である。

ただ、知識人の中には、愚かなる人々もいた。
日本蔑視、西欧礼賛である。

敗戦後も、日本蔑視、アメリカ礼賛があったが・・・

国民性を構成する心理的要素の合成体が粘着性を有することは、「魚のヒレ、鳥のクチバシ、肉食動物のハ等、その種族の除くべからざる要素」のごとくである。
新渡戸

「知識に基づく発見は人類共通の遺産であるが、性格の長所短所は各国民の専有的遺産である。それは堅き巌のごとく、数世紀にわたり日夜水がこれを洗うても、わずかに外側の圭角を除去しうるに過ぎない」
ル・ボン

武士道の浸潤せしめたる種々の徳を研究するに際し、吾人はヨーロッパの典拠より比較と例証を引用したが、その一の特性も武士道の専有的遺産と呼ばるべきものなきを見たのである。道徳的諸特性の合成体が全然特殊なる一形相を呈することは真である。
新渡戸

要するに、ヨーロッパには、武士道の精神が見つからないというのである。
これは、日本の風土が生み育てた精神である。

それほど、稀な精神的、土壌を有するのである。

私は、それを宗教的感覚だと、言う。
西欧には、育たない、情緒とも、言う。

武士道が我が国民特に武士の上に刻印したる性格は、「種族の除くべからざる要素」を成すとは言いえないが、その保有する活力については疑いを存しない。仮に武士道が単なる物理力であるとしても、過去七百年にその獲得したる運動量はそんなに急に停止するをえない。
新渡戸

現在、日本の伝統芸といわれる諸々は、鎌倉、室町、そして江戸時代からのものである。
しかし、それ以前の、準備期間があった。
自然発生的に成ったと思えるものも、それ以前の、文化的要素により、成り立っている。
つまり、断絶してあるのではない。

武士道も然りである。
徐々に、変容してゆくが、精神とは、時代性、時代精神に合わせてゆくものだからだ。

武士道は一の無意識的なるかつ抵抗し難き力として、国民および個人を動かしてきた。新日本の最も輝かしき先駆者の一人たる吉田松陰が刑の前夜詠じたる次の歌は、日本民族の偽らざる告白であったーーー

かくすれば かくなるものと 知りながら
やむにやまれぬ 大和魂

形式をこそ備えざれ、武士道は我が国の活動精神、運動力であっしたし、また現にそうである。
新渡戸

やむにやまれぬ大和魂・・・
これが、日本人の心に、日本人としての、灯を点けるのである。

そして、その説明は、行為によってのみ、表現されるのであり、理屈ではない。
元々、日本には、言挙げせず、という精神があった。
言葉にせずに、行為するというものである。

言葉にするものは、そのまま成るという、思想である。
言霊信仰と言う人もいるが・・・

「今日三つの別々の日本が相並んで存在している、―――旧日本はいまだまったく死滅せず、新日本は漸く精神において誕生したるに過ぎず、しかして過渡的日本は現在その最も危機的なる苦悶を経過しつつある」
ラムサン

上記の言葉に対して、新渡戸は、有形具体的なる諸制度に関しては頗る適切であるが・・・
これを根本的なる倫理観念に応用する時には若干の修正を要する。
と、言う。

何となれば旧日本の建設者でありかつその所産たりし武士道は現になお過渡的日本の指導原理であり、しかしてまた新時代の形成力たることを実証するであろうから。
新渡戸

現在、この新渡戸の言葉は、生きているのか・・・
今の、日本には、武士道の欠片でもあるのか・・・

解らないのである。

男としての生き方を、武士道に尋ねる男がいるだろうか。
武士道とは、死語になっているのではないか・・・

やむにやまれぬ大和魂・・・それを生きる男が存在するのだろうか。
確かに、海外に出掛ける、ボランティア、海外で、職務を遂行する人たち・・・
それに近い、精神を抱いているように、見える。

更に、あえて、武士道に生き方を問う若者たちもいるだろう。
だが・・・
武士道は、死に絶えてしまったのではないか。

posted by 天山 at 07:10| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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