2014年04月27日

伝統について69

わが背子が ふり放け見つつ 嘆くらむ 清き月夜に 雲なたなびき

わがせこが ふりさけみつつ なげくらむ きよきつくよに くもなたなびき

私の愛する、背子が、振り仰いで見て、逢い難きことを、嘆いているのだろう。清らかな月に、雲よ、たなびくな。

月を互いに見ているとの、心境である。
相手も、私も、月を見て、互いに思うのである。

雲がたなびく・・・
それが、雲よ出るなと言うのである。
雲によって、月が見えなくなる。

歌を分析する趣味は無いが・・・

真澄鏡 清き月夜の 移りなば 思ひは止まず 恋こそ益され

ますかがみ きよきつくよの うつりなば おもいはやまず こひこそまされ

真澄鏡のように、清らかな月が移り、月を見て、妻を思うが、一層、恋しさが増さるのである。

月が思いを募らせるなら、月が見えなければ・・・
しかし、益々と、恋しさが募るのである。

情景が浮かぶような、歌である。

今夜の 有明の月夜 ありつつも 君をおきては 待つ人もなし

こよひの ありあけのつくよ ありつつも きみをおきては まつひともなし

今夜の、有明の月のようにあっても、あなた以外に、待つ人は、いない。

美しい有明の月夜でも、私には、待つ人は、あなただけなのだと、言う。
純粋な恋心のみ。

君をおきては・・・
君のみ、なのである。
もし、この君が、男同士ならば・・・
同性愛か・・・
万葉の時代は、同性愛、異性愛などの意識はないのである。

この山の 嶺に近しと わが見つる 月の空なる 恋もするかも

このやまの みねにちかしと わがみつる つきのそらなる こひもするかも

この山の頂にある、月だと思ったが、実は、中空にあるような・・・
心も空のような恋をすることだ。

これは、珍しい歌だ。
相手の無い歌である。

恋がしたいなーーーという、思い。
片恋でもない。
相手がいないのである。
あるいは、相手がいても、まだ、覚束ない感覚の恋か・・・

月の空なる 恋もするかも・・・
この空のような恋なのである。

孤独を歌う、万葉の歌は、少ない。
だが・・・
もし、孤独を意識していたならば、特別な意識だ。

古今、新古今には、そのような歌が、多々あるが・・・
すでに、万葉の時代にも、芽生えていた、孤独感である。

独りであることを、意識する。
その孤独感覚は、後に、あはれ、の心象風景にもなっていく。




posted by 天山 at 05:53| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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