2014年04月20日

国を愛して何が悪い128

武士道の徳は我が国民生活の一般的水準より遥かに高きものであるが、吾人はその山脈中さらに頭角を抜いて顕著なる数峯だけを考察したにすぎない。・・・
まず武士階級を照らしたる倫理体系は時をふるにしたがい大衆の間からも追従者を惹きつけた。平民主義はその指導者として天成の王者を興し、貴族主義は王者的精神を民衆の間に注入する。徳は罪悪に劣らず伝染的である。「仲間の間にただ一人の賢者があればよい、しからばすべてが賢くなる。それほど伝染は速やかである」とエマスンは言う。いかなる社会的階級も道徳的感化の伝播力を拒否しえない。
新渡戸

第十五章、武士道の感化、の章である。

新渡戸は、クリスチャンであるから、聖書を取り入れて、解説している。
それが、欧米の人たちに、受け入れられ、理解を得た功績だった。

それについては、省略する。

過去の日本は武士の賜である。彼らは国民の花たるのみではなく、またその根であった。あらゆる天の善き賜物は彼らを通して流れでた。彼らは社会的に民衆より超然として構えたけれども、これに対して道義の標準を立て、自己の模範によってこれを指導した。私は武士道に対内的および対外的教訓のありしことを認める。後者は社会の安寧幸福を求むる福利主義的であり、前者は徳のために徳を行なうことを強調する純粋道徳であった。
新渡戸

思い返して、日本の武士登場からの、文化の様々を見渡せば、それらは、皆、武士に関するものである。

民衆娯楽および民衆教育の無数の道―――芝居、寄席、講釈、浄瑠璃、小説―――はその主題を武士の物語から取った。
新渡戸

平安期は、武人は、朝廷の門番であった。
そして、その後、武家が台頭して時代が、武家の時代となる。
平家物語から、続々と、武士の物語が作られてゆくのである。

それは、あらゆる、大衆文化に、取り入れられた。

武士は全民族の善き理想となった。「花は桜木、人は武士」と、リ(人偏に里)謡に歌われる。武士階級は商業に従事することを禁ぜられたから、直接には商業を助けなかった。しかしながらいかなる人間活動の路も、いかなる思想の道も、或る程度において武士道より刺激を受けざるはなかった。知的ならびに道徳的日本は直接間接に武士道の所産であった。
新渡戸

武士道の精神が、全国民に、浸透したことは、確かである。
それが、道徳の基準ともなった。

だが、それを書き記したものは無い。
それが、実に不思議である。

新渡戸は、マロックの「貴族主義と進化」という著書から、引用する。
「社会進化、それが生物進化と異なる限り、偉人の意志よりいでたる無意識的結果なりと定義してよかろう」
「社会一般の間における生存競争によるものではなく、むしろ社会の少数者間において大衆をば最善の道において指導し、支配し、使役せんとする競争によって生ずる」

しかして平民は武士の道徳的高さにまでは達しえなかったけれども、「大和魂」は遂に島帝国の民族精神を表現するに至った。
新渡戸

マシュー・アーノルドの定義したるごとく「情緒によって感動されたる道徳」に過ぎずとせば、武士道に勝りて宗教の列に加わるべき資格ある倫理体系は稀である。
新渡戸

敷島の 大和心を 人問わば
朝日に匂ふ 山桜花 
本居宣長

彼は我が国民の無言の言をば表現したのである。
新渡戸

朝日に匂ふ山桜花・・・
これに関して、新渡戸は、延々と解説する。

最後に、
しからばかく美しく散りやすく、風のままに吹き去られ、一道の香気を放ちつつ永久に消え去るこの花、この花が大和魂の型であるのか。日本の魂はかくも脆く消えやきものであるか。
新渡戸

この、大和魂の、語源は、源氏物語、乙女の巻きにある。
そこでの意味は、学問を身に付け、人格を高める、礼儀作法を身につけるという意味で、使われている。

それが、民族の精神的、支柱たる種として、言われるようになる過程がある。
その大元が、武士道ということである。

日本人の心根は、大和魂、である。
だが、一時期、それが、軍に利用されて、悲劇を生む、大東亜戦争時代があった。

咲いた花なら、散るのは覚悟・・・
と、死んでいった、若き兵士たち。

だが、それも、大和魂である。
そして、その死に、意味と意義を、見出すことも、大和魂である。

肉体の遺伝というものがあるならば、精神の遺伝というものもある。
それが、日本人の精神の遺伝である、大和魂と、理解する。

これを、大和言葉として、読めば・・・
おほいなる やわらぎの たま
と、なる。

つまり、戦うという、武士の精神にあるのではなく、平和と安寧を願う心。
つまり、祈りと、なる。

武士の武器は、平和と安寧のために、存在しているのであり、戦うためのものではないということだ。
争い事を、収めるために、武士の刀がある。

そして、この精神は、実は、縄文期からの、日本列島民族の、心根であったこと。

縄文時代は、争いが無かったということである。
更に、犬までも、埋葬していたという、事実がある。
共に、生きるものに対する、思いは、同じだった。
それほど、平和を享受していた時代である。



posted by 天山 at 05:48| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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