2014年04月15日

国を愛して何が悪い123

第十二章は、自殺および復仇の制度、である。

まず自殺について述べるが、私は私の考察をば切腹もしくは割腹、俗にはらきりとして知られているものに限定することを断って置く。これは腹部を切ることによる自殺の意である。「腹を切る? 何と馬鹿げた!」―――初めてこの語に接した者はそう叫ぶであろう。
新渡戸

確かに、外国人には、意外な響きを持つ言葉である。
しかし・・・

それは外国人の耳には最初は馬鹿げて奇怪に聞えるかもしれないが、シェクスピアを学びし者にはそんなに奇異なはずはない。何となれば彼はプルトゥスの口をして「汝(カエサル)の魂魄現れ、我が剣を逆さまにして我が腹を刺さしむ」と言わしめている。・・・
新渡戸

と言う風に、新渡戸は、西欧の様々な例を上げている。

欧米人に理解させるために、である。

最初に、新渡戸は、はらきりとして、知られているものに、限定すると、言う。
つまり、単なる、自殺ではないということだ。
切腹、割腹には、実に深い意味があるということだ。

我が国民の心には、この死に方は最も高貴なる行為ならびに最も切々たる哀情の実例の連想がある。
新渡戸

その切腹観には、嫌悪も、嘲笑も無い。

切腹が我が国民の心に一点の不合理性を感ぜしめないのは、他の事柄との連想の故のみではない。特に身体のこの部分を選んで切るは、これを以て霊魂と愛情との宿るところとなす古き解剖学的信念に基づくのである。
新渡戸

そして、新渡戸は、西欧の様々な言葉を掲げる。
聖書の、モーセの言葉。
ヨゼフその弟のために腸「心」焚くるがごとく
創世記

ダビデは神がその腸「あわれみ」を忘れざらんことを祈り
イザヤ書

腹部には、霊魂が宿るとの、信仰を裏書するとして、それらを上げる。
キリスト教徒には、実に、わかり易いものである。

日本人もギリシャ人も、人間の魂は、腹部に宿ると考えた。
というように、新渡戸は、欧米人に解るように、解説している。

「我はわが霊魂の座を開いて君にその状態を見せよう。汚れているか清いか、君自らこれを見よ」
私は自殺の宗教的もしくは道徳的是認を主張するものと解せられたくない。しかしながら名誉を高く重んずる念は、多くの者に対し自己の生命を絶つに十分なる理由を供した。
新渡戸

名誉の失われし時は死こそ救いなれ、
死は恥辱よりの確実なる避け所
ガース

武士道は名誉の問題を含む死をもって、多くの複雑なる問題を解決する鍵として受けいれた。これがため功名心ある武士は、自然の死に方をもってむしろ意気地なき事とし、熱心に希求すべき最期ではない、と考えた。私はあえて言う、多くの善きキリスト者は、もし彼らが十分正直でさえあれば、・・・その他多くの古の偉人が自己の地上の生命を自ら終わらしめたる崇高なる態度に対して、積極的賞賛とまでは行かなくても、魅力を感ずることを告白するであろう。
新渡戸

キリスト教徒にまでも、理解され得る説得である。
自殺は、罪である。
しかし、武士の切腹は、自殺とは、全く違う次元にあるものであること。

武士とは、常に、死の自覚を持つ者であることだ。

そして、その死は、名誉あるものである。
更に、日本では、身の潔白を証明するために、武士でなくとも、自害して果てたのである。

また、更に、その身の、罪を認めて、自害した者も多々ある。
現在の汚職官僚などは、物の数にも入らない。
それは、生き恥を晒す事だった。
現在は、生き恥を晒してまで、生きるという、生命への執着が、あまりに強い時代である。

法で裁かれる前に、自害する、心意気は、今は失われている。

ただし、新渡戸は、
それは法律上ならびに礼法上の制度であった。中世の発明として、それは武士が罪を償い、過ちを謝し、恥を免れ、友を贖い、もしくは自己の誠実を証明する方法であった。それが法律上の命ぜられる時には、荘重なる儀式をもって執り行われた。それらは洗練せられたる自殺であって、感情の極度の冷静と態度の沈着となくしては何人もこれを実行するをえなかった。これらの理由により、それは特に武士に適わしくあった。
新渡戸

切腹という、日本独特の作法である。
それは、美でなければならなかった。
そして、それは、長年の教育のうちに、養われた精神である。

死を恐れる、という心意気では、為しえない行為である。

武士は、いつも、死に支度をしていたのである。
いつ何時も、死と言う定めを自覚して、行動していた。

更には、その周囲の者たちも、それを当然として、受け入れていたという、事実である。

武士道という精神は、一般国民にも、浸透し、日本人全体が、死に対する自覚を持ちえていた時期がある。

それが、何事かのために、死ぬという、自覚である。
死ぬに値することに、死を厭うことはないのである。

死ぬ時節には、死ぬものであるという、日本人の精神は、美観として、花開いた。


posted by 天山 at 05:42| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。