2014年04月13日

神仏は妄想である。471

新約聖書にある、27つの書のうち、昔から、作者だと考えられてきた人物が書いたことが、ほぼ確実なのは、八つの書である。

それは、パウロが書いた七つの書簡と、ヨハネの黙示録である。
だが、ヨハネは、同名異人によるかもしれない。何処のヨハネと、記されていないのだ。

多くのキリスト教は、そんなことは、詮索せずに、流れるままに、信じている。

くどいようだが・・・
パウロの書簡に戻ると、「コロサイの信徒への手紙」「エフェソの信徒への手紙」である。彼らも、パウロの教会のメンバーであるが・・・

両書簡が、歴史的パウロと一線を画する重要な特徴は、他にもある。たとえば、動詞の使い方や、パウロの書簡に頻出する特定の用語法が、両書簡では異なっている。
アーマン

そして、アーマンは、
「テサロニケの信徒への手紙二」と同様、これらの書簡は、パウロの死後書かれたようである。もしかしたら、その十年後か二十年後に、パウロの教会に所属していた作者が、キリスト教共同体や、パウロの死後、共同体の中で持ち上がった問題について論じようと思ったかもしれない。両作者は、使徒の名を騙ることによって、読者を欺こうとしたのだ。
と、言う。

だから、矛盾が生ずる。

何せ、パウロは、本当にイエスが、雲に乗って、天から現れると考えていたのであり、それも、すぐに、それが実現すると、信じていたのである。
しかし、現れなかった。
勿論、今も、現れない。

だから、パウロの死後、何とか、それを埋め合わせるために、新しく、書簡を書かなければならなかったのである。

矛盾・・・当然出てくる。

学者は、「牧会書簡」の「テモテへの手紙一、二」と「テトスへの手紙」については、「コロサイの信徒への手紙」や「エフェソの信徒への手紙」の場合以上に、大した議論をしていない。聖書研究の最先端を行く、欧米の批評的な学者の間では、随分前から、パウロが、これらの文書を書いていないというコンセンサスが出来上がっているからだ。
アーマン

これら、三つの書簡は、同一人物が書いたと、一般に了解されている。
その三つの書簡は、パウロの手によるものではないということが、文体などの関連から、明らかにされている。

そして、その三分の二が、非パウロ的な言葉で、二世紀のキリスト教徒の著述家が、常用していたもの。
つまり、後世に発展した、キリスト教に特有の、より新しい言葉であるということだ。

その一つの言葉・・・信仰・・・

パウロにとっての、信仰とは、神と正しく向き合うために、心を委ねて、キリストの死を受けいれることを意味する。

この単語は、信頼という言葉に近く、関係性を表す。
一方、牧会書簡では、この単語は、別の意味で用いられている。キリスト教を形作る一連の教義や、考え方の集合体を指している。

つまり、関係性を表現する言葉ではなく、何を信じるべきか、という、キリスト教の教えを規定するものなのだ。

キリスト教のコンテクストのなかで、このように信仰という言葉が使われるようになったのは、後世になってからだ。これは、「牧会書簡」が、後世の非パウロ的な環境から生まれたと思われる理由の一つである。
アーマン

まだまだ、パウロの書簡、その教会の状況説明があるが・・・

もう、この辺で、いいだろう。

作られてゆく過程を見たのである。

キリスト教徒は、聖書の一部分だけを、取り出して、云々するが・・・
それは、勝手な解釈、勝手な思い込みである。
そして、その思い込みが、信仰だと、勘違いさせる。

つまり、私は、それを、迷いだと言うのである。
信仰とは、迷いなのである。

聖書と、他の書物とに、何の区別も無い。
多くの書物の一部分を取り出して、云々するのと、同じ程度なのである。

そして、その言葉というものは、多くは、思い込みの概念を作り上げて、人間の妄想を益々と、燃やすのである。

ナザレのイエスも、仰天する、言葉の数々である。
それが、より複雑になり、神学という、更なる妄想を生む。

神学の親は、哲学である。
その哲学は、人間による。つまり、神学なるものも、人間による。
決して、神が関与したものではない。
人間の頭で、捏ね繰り回したものである。

唯一、救いがあるとすれば、行為によってのみ、救われる。
それは、現実的な行為である。

例えば、隣人愛を説くなら・・・
本当に、隣人を愛することである。

ところが・・・
プロテスタントが、出来た時、30年戦争が始まる。
カトリックと、プロテスタントの闘いである。

更に、それ以前は、十字軍の遠征という、闘い。
カトリックは、戦争仕掛け人であり、キリスト教という、宗教は、全般的に、戦争を生む宗教である。
何処に、隣人愛なるものがあるのか・・・

そういう意味では、全く話にならないのである。
更に、付け加えれば、人種差別思想も、キリスト教から、出たものである。



posted by 天山 at 06:08| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月14日

神仏は妄想である。472

現存する最古のイエスの生涯に関する史料は、イエスの死の三十五年から六十五年後に成立したものなのである。
アーマン

だが、何度も書いているように、矛盾だらなのである。
福音書に関しては、もっと、後になる。

マルコは、西暦70年のローマとの戦争前後に、福音書を書いた可能性がある。
そして、それを下敷きに書かれた、マタイとルカは、マルコが作成された、共同体以外の地域で、出回り始めた後に、成立した。

ヨハネは、最も高度な神学論を展開している。
それは、色々なものから、影響を受けている。
その一つは、グノーシス派である。

それは、一世紀末、西暦90年から、95年頃である。

この空白期間に、どのような事態が進行していたのだろうか? この期間のキリスト教の動向については、かなりはっきりと分かっている。地中海地域の主な都市部で勢力を拡大していたのだ。もし福音書や「使徒行伝禄」が正しければ、イエスの復活の直後、彼の信者は、男女合わせておよそ15人から20人いた。
アーマン

それ以前からガリラヤでイエスと行動を共にしていた彼らは、イエスが死から蘇ったと信じた。
一世紀末には、使徒やパウロのような改宗者の伝道活動が実を結び、キリスト教は、ユダヤ、サマリア、ガリラヤ、シリアの各地に広がった。

更に、そこから北上した後、西ノキリア、小アジアまで、広がる。
現在のトルコである。
更に、ギリシャ、そして、遂に、ローマ帝国の首都ローマに及び、スペインまで達する。

また、北アフリカにも南下して、エジプトの一部にまで、進出した。

それでは、どのように、伝えられたのか・・・
単なる、口伝えである。
口頭伝承という。

人から人への、聞き伝え・・・
それが、どのようなものになるのかは、明確である。
伝言ゲームを思えばよい。

それを、事細かに、説明しない。

キリスト教は、何年も、何十年もこのようにして広まった。そして漸く誰かが物語を書いたのだ。イエスを知っている公平無私な話として語られたのではなく、五次、六次もしくは九次情報を耳にした人々によって、人々を改宗させるためのプロパガンダとして語られ物語が、人から人へと伝達された長い年月のうちに、物語がどうなったと読者は思うだろうか?
アーマン

それでは、ギリシャ、ローマの史料には、イエスは、書かれているのか・・・
何も書かれていないのである。

イエスは、現存する当時の異教徒の史料のなかで、言及されることも、反論されることも、非難されることも、中傷されることもなく、いかなる形でも登場しないのである。
アーマン

これは、見事である。
完全、存在感が無い。

事実、当時のギリシャやローマの史料が山ほど現存しているにもかかわらず、彼の名前は、いかなる異教徒の史料にも登場しない。
アーマン

この事実に、学者も戸惑いを隠せないという。

そして、極めつけは、
イエスは当時、全然重要な人間ではなかったというのが、一番簡単な答えだろう。
アーマン
である。

作られてゆく、イエスのキリストへの道・・・
ナザレのイエスは、キリストとして、作られてゆくのだ。
これが、私の言いたいことである。

イエスが、異教徒の史料に登場するのは、西暦112年のこと。
著者である、小プリニウスは、ローマの属州の総督だった、トラヤヌス帝に宛てた手紙の中で、キリスト教徒と呼ばれる集団があり、違法に集会を開いている。この事態に、どのように対処すればいいのかと、指示を仰いでいる。
彼らは、キリストを神として崇めている・・・

その友人である、ローマの歴史家、タキトゥスは、西暦115年に書いたローマ史の中で、64年にネロ帝が、ローマに火を放ったことに触れて、皇帝は、クリスチャンに濡れ衣を着せたと書く。

そこには、また、キリスト教の迷信は、ローマに広がる以前に、ユダヤで最初に出現したと書いてある。

その、迷信である、キリスト教を後に、ローマ皇帝が、国教として、利用するという・・・

何処の国、世界でも、大衆の運動というものがあるが・・・
キリスト教も、その一つである。

それから、御覧の通り、ローマカトリックの成立。
皇帝と結んで、法王の権威を高め、法王が皇帝の権威を認めるという、その循環である。

更に、驚くべきは、その神学が発展して行くのである。
母胎は、ギリシャ哲学から。

だが、そのギリシャ哲学は、西欧より早く、イスラム帝国に伝わり、迂回して、西欧に入って来たという、お粗末さ。

それから、生まれ出る、人間の頭で捏ね繰り回した、教義の数々である。

全く、人間とは、哀れなものである。
いずれ、信仰とは、何かと問うてみるが・・・
迷いに他ならないのである。
posted by 天山 at 05:45| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月15日

国を愛して何が悪い123

第十二章は、自殺および復仇の制度、である。

まず自殺について述べるが、私は私の考察をば切腹もしくは割腹、俗にはらきりとして知られているものに限定することを断って置く。これは腹部を切ることによる自殺の意である。「腹を切る? 何と馬鹿げた!」―――初めてこの語に接した者はそう叫ぶであろう。
新渡戸

確かに、外国人には、意外な響きを持つ言葉である。
しかし・・・

それは外国人の耳には最初は馬鹿げて奇怪に聞えるかもしれないが、シェクスピアを学びし者にはそんなに奇異なはずはない。何となれば彼はプルトゥスの口をして「汝(カエサル)の魂魄現れ、我が剣を逆さまにして我が腹を刺さしむ」と言わしめている。・・・
新渡戸

と言う風に、新渡戸は、西欧の様々な例を上げている。

欧米人に理解させるために、である。

最初に、新渡戸は、はらきりとして、知られているものに、限定すると、言う。
つまり、単なる、自殺ではないということだ。
切腹、割腹には、実に深い意味があるということだ。

我が国民の心には、この死に方は最も高貴なる行為ならびに最も切々たる哀情の実例の連想がある。
新渡戸

その切腹観には、嫌悪も、嘲笑も無い。

切腹が我が国民の心に一点の不合理性を感ぜしめないのは、他の事柄との連想の故のみではない。特に身体のこの部分を選んで切るは、これを以て霊魂と愛情との宿るところとなす古き解剖学的信念に基づくのである。
新渡戸

そして、新渡戸は、西欧の様々な言葉を掲げる。
聖書の、モーセの言葉。
ヨゼフその弟のために腸「心」焚くるがごとく
創世記

ダビデは神がその腸「あわれみ」を忘れざらんことを祈り
イザヤ書

腹部には、霊魂が宿るとの、信仰を裏書するとして、それらを上げる。
キリスト教徒には、実に、わかり易いものである。

日本人もギリシャ人も、人間の魂は、腹部に宿ると考えた。
というように、新渡戸は、欧米人に解るように、解説している。

「我はわが霊魂の座を開いて君にその状態を見せよう。汚れているか清いか、君自らこれを見よ」
私は自殺の宗教的もしくは道徳的是認を主張するものと解せられたくない。しかしながら名誉を高く重んずる念は、多くの者に対し自己の生命を絶つに十分なる理由を供した。
新渡戸

名誉の失われし時は死こそ救いなれ、
死は恥辱よりの確実なる避け所
ガース

武士道は名誉の問題を含む死をもって、多くの複雑なる問題を解決する鍵として受けいれた。これがため功名心ある武士は、自然の死に方をもってむしろ意気地なき事とし、熱心に希求すべき最期ではない、と考えた。私はあえて言う、多くの善きキリスト者は、もし彼らが十分正直でさえあれば、・・・その他多くの古の偉人が自己の地上の生命を自ら終わらしめたる崇高なる態度に対して、積極的賞賛とまでは行かなくても、魅力を感ずることを告白するであろう。
新渡戸

キリスト教徒にまでも、理解され得る説得である。
自殺は、罪である。
しかし、武士の切腹は、自殺とは、全く違う次元にあるものであること。

武士とは、常に、死の自覚を持つ者であることだ。

そして、その死は、名誉あるものである。
更に、日本では、身の潔白を証明するために、武士でなくとも、自害して果てたのである。

また、更に、その身の、罪を認めて、自害した者も多々ある。
現在の汚職官僚などは、物の数にも入らない。
それは、生き恥を晒す事だった。
現在は、生き恥を晒してまで、生きるという、生命への執着が、あまりに強い時代である。

法で裁かれる前に、自害する、心意気は、今は失われている。

ただし、新渡戸は、
それは法律上ならびに礼法上の制度であった。中世の発明として、それは武士が罪を償い、過ちを謝し、恥を免れ、友を贖い、もしくは自己の誠実を証明する方法であった。それが法律上の命ぜられる時には、荘重なる儀式をもって執り行われた。それらは洗練せられたる自殺であって、感情の極度の冷静と態度の沈着となくしては何人もこれを実行するをえなかった。これらの理由により、それは特に武士に適わしくあった。
新渡戸

切腹という、日本独特の作法である。
それは、美でなければならなかった。
そして、それは、長年の教育のうちに、養われた精神である。

死を恐れる、という心意気では、為しえない行為である。

武士は、いつも、死に支度をしていたのである。
いつ何時も、死と言う定めを自覚して、行動していた。

更には、その周囲の者たちも、それを当然として、受け入れていたという、事実である。

武士道という精神は、一般国民にも、浸透し、日本人全体が、死に対する自覚を持ちえていた時期がある。

それが、何事かのために、死ぬという、自覚である。
死ぬに値することに、死を厭うことはないのである。

死ぬ時節には、死ぬものであるという、日本人の精神は、美観として、花開いた。
posted by 天山 at 05:42| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月16日

国を愛して何が悪い124

新渡戸は、ミットフォードの著書から、彼自身が目撃した、切腹の有様の一部始終を書き付けたものを、引用している。
ここでは、省略する。

ただ、その中で、滝善三郎という武士が、切腹の前に、話した言葉を書き付ける。

拙者唯だ一人、無分別にも過って神戸なる外国人に対して発砲の命令を下し、その逃れんとするを見て、再び撃ちかけしめ候。拙者今その罪を負いて切腹致す。おのおのがたには検視の御役目御苦労に存じ候。
である。

この冷静さである。
武士たる所以である。

だが・・・
切腹をもって名誉となしたることは、おのずからその濫用に対し少なからざる誘惑を与えた。全然道理に適わざる事柄のため、もしくは全然死に値せざる理由のために、早急なる青年は飛んで火に入る夏の虫のごとく死についた。混乱かつ曖昧なる動機が武士を切腹に駆りだしたことは、尼僧を駆りて修道院の門をくぐらしめしよりも多くあった。
新渡戸

と、いう風に、死を安易に受けいれる青年武士も、多かったのである。

しかしながら真の武士にとりては、死を急ぎもしくは死に媚びるは等しく卑怯であった。
新渡戸

真の名誉は天の命ずるところを果たすにあり、これがために死を招くも決して不名誉ではない。
新渡戸

死を軽んずるは勇気の行為である、しかしながら生が死よりもなお怖ろしき場合には、あえて生くることこそ真の勇気である。
サー・トマス・ブラウン 医道宗教
新渡戸は、それを引用する。

17世紀の一名僧が言う。
平生何程口巧者に言うとも死にたることのなき侍は、まさかの時に逃げ隠れするものなり。

一たび心の中にて死したる者には、真田の槍も為朝の弓も透らず。

更に、キリスト教徒に理解させるために、
これらの語は我が国民をして、「わがために己が生命を失う者はこれを救わん」と教えし大建築者「キリスト」の宮の門に接近せしめているではないか。これらは、キリスト教徒と異教徒との間の差異を能う限り大ならしめんと骨折る試みがあるにかかわらず、人類の道徳的一致を確認せしむる数多き例証中の、僅か二、三であるに過ぎない。
新渡戸

ちなみに、キリストの言葉であるが・・・
わたしのために命を失う者は、永遠の命を得ると、言う。
それは、福音書の作者の言葉である。
イエスの言葉ではない。

更に、キリスト教徒で、殉教する者に対して、言われる。
これが、実に蒙昧な結果を生むことになった。

ただし、それが名誉なことと、信じられていた時代があるということ。

日本では、キリシタン弾圧の際に、それが、実に多くの不幸を呼んだ。
死ぬことで、天国に行けるというものである。
それは、武士道の切腹とは、全く違う。
信仰の蒙昧である。
ただし、否定はしない。

さて、武士道の切腹は、仇討ちという行為にも、つながっていくが、それは、省略する。

切腹と仇討ちの制度は、刑法法典によって、共に、存在理由を失ったと、新渡戸は、言う。
確かに、それは、国家によって、法律として、裁かれるようになった。

それは、時代の流れである。

付け加えたいことがある。
命惜しむな、名こそ、惜しめ・・・
武士の命は、上記の言葉で、言い表せる。

そこで、死ぬべきならば、死を、快く迎え入れるという、心意気である。
つまり、武士道とは、生死学なのである。

武士道の、またの名を、生死学というと、心得るといい。
それを、日本は、伝統の中に奉持していたということである。

改めて、生死学なる言葉を使用しなくても、すでに、武士道の中に、それがあったといえる。忘れていただけである。

日本人は、だから、死んで終わりではなかった。
死ぬことから、始まるものもあると、明確に見ていた。

それは、心意気である。
それは、粋に通じる精神だ。

極めて、高められた精神の力が、死を超える。

キリスト教は、復活という言葉を、救いと同じように考える。
死からの解放が、イエスキリストによって、もたらされたという、信仰である。

それ程、死とは、人間にとって、不可抗力なのである。
それなのに、確実に、人間は死ぬ。
そこに、何かの思想が必要である。

意味の無い死には、堪えられないのである。
しかし、私は、意味なくても、死んでいいと思うのである。

余計な意味づけをすることで、余計な神経を使うことも無い。
死ぬ時節には、死ぬと、心得ていれば、足りる。

だから、こそ、日本の武士道には、輝かしい精神がある。
命惜しむな、名こそ、惜しめ・・・

咲いた花なら、散るのは覚悟・・・である。
posted by 天山 at 07:04| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月17日

国を愛して何が悪い125

第十三章は、刀・武士の魂、である。

武士道は刀をその力と勇気の象徴となした。マホメットが「剣は天国と地獄との鍵である」と宣言した時、彼は日本人の感情を反響したに過ぎない。
新渡戸

武士の少年は幼年の時からこれを用うることを学んだ。五歳の時武士の服装一式を着けて碁盤の上に立たせられ、これまで弄んでいた玩具の小刀の代わりに真物の刀を腰に挿すことにより始めて武士の資格を認められるのは、彼にとりて重要なる機会であった。
新渡戸

この儀式が終わると、少年は、その身分を示す刀を帯びずに、門を出なかったのである。

十五歳にして成年に達し、行動の自由を許さるる時に至れば、いかなる業にも用うるに足る鋭利なる刀の所有を誇りうる。この凶器の所有そのものが、彼に自尊ならびに責任の感情と態度を賦与する。
新渡戸

刀とは、忠義と名誉の象徴となるのである。

つまり、それは、武士の魂である。

更に、刀は、礼拝の対象ともなる。

日本では多くの神社ならびに多くの家庭において、刀をば礼拝の対象として蔵している。もっともありふれた短刀に対しても、適当の尊敬を払うを要した。刀に対する侮辱は持主に対する侮辱と同視せられた。
新渡戸

その刀に対する、行為は、武士道の根幹ともいえる。
魂であり、武士の命であった。
ゆえに、その扱いに関しては、特別の配慮があった。

つまり、
武士道は刀の無分別なる使用を是認するか。答えて曰く、断じてしからず! 武士道は刀の正当なる使用を大いに重んじるごとく、その濫用を非としかつ憎んだ。
新渡戸

つまり、刀は、人を殺すものに、あらず、なのである。
刀で、人を殺す者は、己もまた、殺される。

話は、変わるが・・・
茶室には、刀を着けては、入られない。
しかし、武士が、魂である、刀を置いて、茶室に入るとは・・・

そこで、刀の代用として、扇子を使ったのである。
その際の、扇子は、刀と同じ扱いをした。

その扇子を前において、挨拶する際は、命を前に置くことと、同じ行為となった。

室町期から起こった、茶の湯は、戦国時代に、完成する。
その戦国時代は、茶の湯は、戦場での、特別な儀式となった。

更に、城主、殿様に許されて、茶の湯の釜を持つことになった。

新渡戸は、勝海舟を上げて、人を殺さぬ刀の意味を書き付けている。

勝海舟は、一度も刀で、人を殺すことはなかった。
自分が狙われた際も、刀を抜くことが無かった。

「負くるは勝」という俚諺があるが、これは真の勝利は暴敵に抵抗せざることに存するを意味したものである。「血を流さずして勝つをもって最上の勝利とす」。その他にも同趣旨の諺があるが、これらはいずれも武士道の窮極の理想は結局平和であったことを示している。
新渡戸

そして、この心は、また、女子に対しても、大きな影響を与えることになる。
それが、次の章に語られる。

剣豪といわれる、宮本武蔵。
彼は、最後に、剣を持たずという、境地に達する。

剣に向うに、剣を持たずというのである。

日本の、武芸、芸道のすべてに言えることだが・・・
その道は、その道を極めることによって、その道を捨てることをも、意味する。

つまり、それは、一つの方法であり、その道を通して、ある境地を目指すというものである。

剣術は、剣術を通して、あるものを、見つめる手立てなのである。
その、ある境地に得た時、すでに、剣は必要ではなくなっている。

これが、日本の道の文化、そして、型の文化といえる。

型を学ぶという、従順を得て、自分の形を作るという、自由な境地に至るものである。

だから、型を学ばぬ者は、初めから、形無しなのである。
型を学んで、自分の形を作ることを、型破り、という。

武士道の、刀の意味も、この辺りにあるということだ。

それぞれの、職には、それぞれの魂の、置き所がある。
武士は、刀であり・・・
そうして、武士道の心得が、庶民にも、伝播していくのである。

書家は、筆が、魂である。
そのように、考えるといい。

posted by 天山 at 07:59| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月18日

国を愛して何が悪い126

第十四章は、婦人の教育および地位、である。

前置きの中に、
けだし女性の身体の美と繊細なる思想とは男性の粗雑なる心理能力の説明しえざるところだからである。
と、ある。

現在は・・・
男性を粗雑と見るか。
女性の粗雑さも、顕著である。

しかし、当時、新渡戸の説は、男尊女卑の有様は、無い。

しかるに武士道における女性の理想には神秘的なるところなく、その矛盾もただ外見的のみである。私はそれを勇婦的であると言ったが、それは真理の半面たるに過ぎない。
新渡戸

日本の妻の文字は、箒を立てる女を意味する。
英語の、ワイフは、織る人より、出て、娘は、乳絞りから出ている。

ドイツ皇帝は、婦人活動は、台所、教会、並びに、子どものありと、言われた。

武士道の女性の理想はこれら三者に限定することなく、著しく家庭的であった。この一見矛盾と思われる家庭的ならびに勇婦的特性は、武士道においては両立せざるものではない。
新渡戸

武士道は、元来、男のために設けられた教えである。
その婦人に関しては、遠くにあった。

ウィケルマン曰く、「ギリシャ芸術の最高の美は女性的であるよりもむしろ男性的である」と。レッキーはこれに付言して、このことはギリシャ人の道徳観念について見るも、芸術におけるがごとくに真であると言った。同様に武士道は、「女性の脆弱さより自己を解放して、最も強くかつ最も勇敢なる男子に値する剛毅不撓を発揮したる」婦人をば最も賞賛した。
新渡戸

つまり、感情を抑制し、その神経を強くし、武器などを持って、不慮の事変に際して、己が身を守ることを、訓練したのである。

女子がその武器をもって己が身の神聖を護りしことは、夫が主君の身を護りしがごとき熱心をもってした。彼女の武芸の家庭的用途は、・・・子供の教育においてであった。
新渡戸

その貞操が危険に瀕するを見る時、・・・彼女自身の武器が常に懐中にあった。自害の作法を知らざることは彼女の恥辱であった。
新渡戸

そこで、新渡戸は、キリスト教で、聖者と呼ばれる、女性たちの、その殉教の様と同じように説明する。

貞操観念は武士の婦人の主要の徳であって、生命以上にこれを重んじたのである。
新渡戸

貞操観念などとは、縁遠い現代では、理解し難いかも知れない。
武家社会が、起きてくると、それが、女性たちの生き方にも、大きく影響したということである。

封建時代に、それらは、確立された。

さて、実に面白い試みをしていると、感心する、新渡戸の、この章である。

男性的なることのみが我が国女性の最高理想であったとの観念を読者に与えることは公平ではない。大いにしからず!
芸事および優雅の生活が彼らに必要であった。音楽、舞踊、および文学が軽んぜられなかった。我が国文学上最も優れたる詩歌の若干は女性の感情の表現であった。じっさい婦人は日本の美文学史上重要なる役割を果たしたのである。
新渡戸

そして、それらは、技巧のため、芸術そのもののためではない。
その窮極の目的は、心を清めることにあり、心平らかならねば、音も整わずという、考え方だった。

青年の教育ついて、新渡戸は、芸道は常に道徳的価値に対し従たる地位に置かれたと、言う。
女子も、それと同一の観念が現れているのである。

音楽、舞踊は生活の優雅と明朗を付加するをもって足るとなし、決して虚栄奢侈を養うためでなかった。
新渡戸

つまり、武家、そして日本人の、芸事は、日常生活にあったということである。
生活が、芸術だったとも、言える。
これは、恐るべき、提言である。

芸術家ではなく、芸術が生活の中にある。
そして、それは、主として、家庭のためであるという、解説である。

勿論、現代は、そんな感覚は、皆無に等しい。
作法の心得さえ、教えられず、呆れるのは、挨拶までも、出来ない若者が多いという、事実である。

旧日本婦人の芸事の目的は、その武芸たると文事たるとを問わず、主として家庭のためであったと言いうる。
新渡戸

彼らは家の名誉と体面とを維持せんがために、辛苦労役し、生命を棄てた。
新渡戸

娘としては父のため、妻としては夫のために、母としては子のために、女子は己を犠牲にした。かくして幼少の時から彼女は自己否定を教えられた。
新渡戸

この、自己否定と聞くと、実に、反感を買うような説明であるが・・・
実際は、違う。

更に、
彼女の一生は独立の生涯ではなく、従属的奉仕の生涯であった。男子の助者として、彼女の存在が役立てば夫と共に舞台に立ち、もし夫の働きの邪魔になれば彼女は幕の後に退く。
新渡戸

女性の権利を訴える、ウーマンリブが、聞けば、怒り心頭になるであろう、話であるが・・・
まだ、続きが、ある。

新渡戸の最後までの、話を聞いてみるべきだ。
そのような、生き方を、希望する、女性もいるだろう。

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2014年04月19日

国を愛して何が悪い127

女子がその夫、家庭ならびに家族のために身を棄つるは、男子が主君と国のために身を棄つると同様に、喜んでかつ立派になされた。自己否定―――これなくしては何ら人生の謎は解決せられないーーーは男子の忠義におけると同様、女子の家庭性の基調であった。
新渡戸

そして、
女子が男子の奴隷でなかったことは、彼女の夫が封建君主の奴隷でなかったと同様である。
と、なる。

つまり、女子の役割は、内助の功なのである。

ここで、自己否定という言葉に、戸惑う人も多くいるだろう。
特に、キリスト教の世界では、理解され難いのである。

しかし、新渡戸は、
私はこの教訓の欠陥を知っている。
と、述べる。

そして、
またキリスト教の優越は、生きとし生ける人間各自に向って創造者に対する直接の責任を要求する点に、最も善く現れていることを知る。しかるにもかかわらず奉仕の教義に関する限りーーー自己の個性をさえ犠牲にして己れよりも高き目的に仕えること、すなわちキリストの教えの中最大であり彼の使命の神聖なる基調をなしたる奉仕の教義―――これに関する限りにおいて、武士道は永遠の真理に基づいたのである。
と、掲げる。

女子の行為は、男子に対する、奉仕であるという。
それに、キリスト教の教義を取り付けたのである。

これで、キリスト教国の人々に、共感を呼んだのだ。

アメリカの、ウーマンリブの運動家が、日本女性に旧来の習慣に対して、決起を促がしたが・・・
それは、誤解に基づくものだった。
だが、それが、日本の女性にも、伝播した。

現代は、上記の感覚が失われて、久しい。
そして、幸せになったのか・・・
解らない。

ローマの主婦が家庭性を失ってより起りし道徳的腐敗は、言語に絶したではないか。
新渡戸

さて、次に行くと、ヨーロッパの騎士道である。

吾人はヨーロッパの騎士が「神と淑女」にささげたる外形的尊敬について多くを聞いている、―――この二語の不一致はギボンをして赤面せしめしところである。またハラムは騎士道の道徳は粗野であり、その婦人に対する慇懃は不義の愛を含んだ、と述べている。
新渡戸

武家社会では、確かに、女子の地位というものが、低いという感覚があったが、それ以外の、農、工、商の世界では、男女の差異は、少なかった。
そこが、西欧と違うところである。

もし私の言が武士道の下における婦人の地位に関し甚だ低き評価を人にいだかしめたとすれば、私は歴史的真理に対し大いなる不正を冒すものである。私は女子が男子と同等に特遇せられなかったと述べるに躊躇しない。しかしながら吾人が差異と不平等との区別を学ばざる限り、この問題についての誤解を常に免れないであろう。
新渡戸

男女の平等について、議論を始めると、終わらないのである。
それは、男子と男子でも、存在する。
平等とは、何か、である。

男女間の相対的なる社会的地位を比較すべき正確なる基準は何か。
新渡戸

新渡戸の説明が続くが・・・

結論に行くことにする。

我が国民の結婚観は或る点においてはいわゆるキリスト教徒よりも進んでいると、私には思われる。「男と女と合いて一体となるべし」。アングロ・サクソンの個人主義は、夫と妻とは二人の人格であるとの観念をば脱することができない。したがって彼らが相争う時は別々の権利を承認し、しかして相和する時はあらゆる種類の馬鹿馬鹿しき相愛の語や無意味な阿諛の言葉のありたけを尽くす。夫もしくは妻が他人に対しその半身のことをーーー善きか悪しき半身かは別としてーーー愛らしいとか、聡明だとか、親切だとかなんだというのは、我が国民の耳にはきわめて不合理に響く。自分自身のことを「聡明な私」とか、「私の愛らしい性質」などと言うのは、善い趣味であろうか。
新渡戸

日本人は、自分の妻を誉めるのは、自分自身の一部を、誉めることと、一緒である。
そして、日本では、自分を誉めることを、悪趣味と見做されている。

ここまで、具体的に書けば、あちらも、納得するだろう。

文化の違いと言えば、済んでしまうが・・・

アングロ・サクソン、及び、アメリカでは、当初、女子が少なかった。
故に、男子が、女子に対する尊敬が道徳の主要な、規準となったと、新渡戸は、分析している。

新渡戸は、この章を終わるに当たり、男子同士の友情を語る。
それは、多く、同性愛的要素が強いが・・・

しかしてこの愛慕の情が青年時代における男女別居の習慣によって強められたことは疑いない。
新渡戸

男女は、ある年から、別々に、教育を受けたのである。
それは、武士の社会では、顕著である。

それにより、男女の自由交際の道を塞いだとの、新渡戸の分析である。

しかしながら、武士道特有の徳と教えとが、武士階級のみに限定せられなかったことは怪しむに足りない。
新渡戸

つまり、国民に、それが、浸透したのである。

青年武士に、おける、念友とは、今で言えば、ゲイである。
そして、それと結婚とは、別物であった、時代がある。

ちなみに、武士道の大本である、葉隠れ、には、男ならば、男のみに、女ならば、女のみに、という説が立てられている。

posted by 天山 at 05:58| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月20日

国を愛して何が悪い128

武士道の徳は我が国民生活の一般的水準より遥かに高きものであるが、吾人はその山脈中さらに頭角を抜いて顕著なる数峯だけを考察したにすぎない。・・・
まず武士階級を照らしたる倫理体系は時をふるにしたがい大衆の間からも追従者を惹きつけた。平民主義はその指導者として天成の王者を興し、貴族主義は王者的精神を民衆の間に注入する。徳は罪悪に劣らず伝染的である。「仲間の間にただ一人の賢者があればよい、しからばすべてが賢くなる。それほど伝染は速やかである」とエマスンは言う。いかなる社会的階級も道徳的感化の伝播力を拒否しえない。
新渡戸

第十五章、武士道の感化、の章である。

新渡戸は、クリスチャンであるから、聖書を取り入れて、解説している。
それが、欧米の人たちに、受け入れられ、理解を得た功績だった。

それについては、省略する。

過去の日本は武士の賜である。彼らは国民の花たるのみではなく、またその根であった。あらゆる天の善き賜物は彼らを通して流れでた。彼らは社会的に民衆より超然として構えたけれども、これに対して道義の標準を立て、自己の模範によってこれを指導した。私は武士道に対内的および対外的教訓のありしことを認める。後者は社会の安寧幸福を求むる福利主義的であり、前者は徳のために徳を行なうことを強調する純粋道徳であった。
新渡戸

思い返して、日本の武士登場からの、文化の様々を見渡せば、それらは、皆、武士に関するものである。

民衆娯楽および民衆教育の無数の道―――芝居、寄席、講釈、浄瑠璃、小説―――はその主題を武士の物語から取った。
新渡戸

平安期は、武人は、朝廷の門番であった。
そして、その後、武家が台頭して時代が、武家の時代となる。
平家物語から、続々と、武士の物語が作られてゆくのである。

それは、あらゆる、大衆文化に、取り入れられた。

武士は全民族の善き理想となった。「花は桜木、人は武士」と、リ(人偏に里)謡に歌われる。武士階級は商業に従事することを禁ぜられたから、直接には商業を助けなかった。しかしながらいかなる人間活動の路も、いかなる思想の道も、或る程度において武士道より刺激を受けざるはなかった。知的ならびに道徳的日本は直接間接に武士道の所産であった。
新渡戸

武士道の精神が、全国民に、浸透したことは、確かである。
それが、道徳の基準ともなった。

だが、それを書き記したものは無い。
それが、実に不思議である。

新渡戸は、マロックの「貴族主義と進化」という著書から、引用する。
「社会進化、それが生物進化と異なる限り、偉人の意志よりいでたる無意識的結果なりと定義してよかろう」
「社会一般の間における生存競争によるものではなく、むしろ社会の少数者間において大衆をば最善の道において指導し、支配し、使役せんとする競争によって生ずる」

しかして平民は武士の道徳的高さにまでは達しえなかったけれども、「大和魂」は遂に島帝国の民族精神を表現するに至った。
新渡戸

マシュー・アーノルドの定義したるごとく「情緒によって感動されたる道徳」に過ぎずとせば、武士道に勝りて宗教の列に加わるべき資格ある倫理体系は稀である。
新渡戸

敷島の 大和心を 人問わば
朝日に匂ふ 山桜花 
本居宣長

彼は我が国民の無言の言をば表現したのである。
新渡戸

朝日に匂ふ山桜花・・・
これに関して、新渡戸は、延々と解説する。

最後に、
しからばかく美しく散りやすく、風のままに吹き去られ、一道の香気を放ちつつ永久に消え去るこの花、この花が大和魂の型であるのか。日本の魂はかくも脆く消えやきものであるか。
新渡戸

この、大和魂の、語源は、源氏物語、乙女の巻きにある。
そこでの意味は、学問を身に付け、人格を高める、礼儀作法を身につけるという意味で、使われている。

それが、民族の精神的、支柱たる種として、言われるようになる過程がある。
その大元が、武士道ということである。

日本人の心根は、大和魂、である。
だが、一時期、それが、軍に利用されて、悲劇を生む、大東亜戦争時代があった。

咲いた花なら、散るのは覚悟・・・
と、死んでいった、若き兵士たち。

だが、それも、大和魂である。
そして、その死に、意味と意義を、見出すことも、大和魂である。

肉体の遺伝というものがあるならば、精神の遺伝というものもある。
それが、日本人の精神の遺伝である、大和魂と、理解する。

これを、大和言葉として、読めば・・・
おほいなる やわらぎの たま
と、なる。

つまり、戦うという、武士の精神にあるのではなく、平和と安寧を願う心。
つまり、祈りと、なる。

武士の武器は、平和と安寧のために、存在しているのであり、戦うためのものではないということだ。
争い事を、収めるために、武士の刀がある。

そして、この精神は、実は、縄文期からの、日本列島民族の、心根であったこと。

縄文時代は、争いが無かったということである。
更に、犬までも、埋葬していたという、事実がある。
共に、生きるものに対する、思いは、同じだった。
それほど、平和を享受していた時代である。

posted by 天山 at 05:48| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月21日

沈黙を破る88

子どもを犠牲にする。
児童を食い物にする。

シリアの内戦では、子どもの一万人以上が、拷問、暴力、虐待を受けた。
それが、政府軍、反政府軍共に、である。

呆れる。
そこで、亡くなった、三歳の男の子の遺言・・・

みんな、かみさまに、いいつけてやるから・・・

世界の紛争を、批判し、非難し、大人の勝手な権力闘争に、警告を発する。

さて、バチカンの、児童性的虐待。
国連の、子どもの人権委員会が、初めて、警告した。

一万人以上の子供が、犠牲になっているとのこと。

その、犯人は、聖職者と呼ばれる人たちである。
信じられないのである。

教会は、安全であり、私は、キリスト教国に出掛けて、いつも、子どもたちに、言う。
危険なことがあれば、教会に逃げなさい・・・
ところが、その教会が一番、危険だったとは・・・

そして、貧しい国の、児童買春である。
買う大人がいる。
勿論、日本人もいる。

カンボジア、プノンペンにて、バイクタクシーの運転手に尋ねた。
何処に、児童買春の場所があるのか・・・
運転手が、細かく、教えてくれた。

そして、誰が買いに行くのか・・・
日本人が多い・・・
愕然とした。

私は、多くの情報を知るが、場所などについては、決して、書かない。
情報になるからである。

更に、フィリピンのセブ島、セブシティ・・・
児童ポルノの世界的集団が、摘発された。

実は、それらは、児童売春にも、係わっている。

セブシティを見れば、それは、一目瞭然である。
何せ、ストリートチルドレンの数が多い。
男の子も、女の子も・・・

そして、親の貧しい子供たちも、それに続く。
どんな手段でも、子供が手に入るのである。

国連の、子供の人権委員会が、如何に、警告しても、良くならない。
それは、それぞれの地域の人たちの、意識にもよるものだと、思う。

子供たちを守るという、それぞれの地域の問題。
それは、日本でも、言えることだ。

さて、子供たちを犠牲にするのは、まだある。
兵士にするというものである。

子供兵士・・・
どうして、そんなことが、考えられるのか。
だが、ミャンマー国軍では、子供兵士をすべて解放したというから、矢張り、ミャンマーもと思った。

独裁政権、あるいは、テロ組織などなど・・・

アフリカでも、多い。
人類の無明も、ここまでに至るのである。

子供は、未来だ。
その子供を弄ぶことは、未来を、弄ぶことだ。
と、私は、考える。
そして、私なりに、戦う。

世界中、未成年者は、保護され、教育されなければならない。
それが、正義である。

普遍的な正義と言う。

様々な現場で、事件は起きている。
その現場にて、出来ることをする。

昔、タイのパタヤビーチでは、堂々と、児童ポルノが売られていた。
今は、裏側で売られる。
だが、見つかれば、捕まる。

更に、児童買春を求めると、そのまま、警察に連行されるようになった。
法律が出来たのだ。

まず、法律により、そして、その実行により・・・
法律が出来ても、取締りの無い国もある。
何処とは、書かないが・・・

そして、そういう場所は、実に危険地帯でもある。
そこに、出掛けて行くと言うと、必ず、止められる。
買春するならいいが・・・
偵察するのは、危険だと、現地の人が言う。

出掛けて行って、証拠写真を撮り、政府に告発すると言うが、絶対に、無理だといわれる。

だから、いずれ、いずれ・・・
と、考えている。
が、やらなければ、駄目。

最悪、殺されるだけであるし・・・

posted by 天山 at 05:41| 沈黙を破る2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月22日

霊学152

人種や民族は、その成員たちが理想的な人間としての在り方をより完全に表現していればいる程、彼らが無情なる物質的存在から脱して、不滅の超感覚的存在へ到達しようと努力すればする程、より高い霊的地位を獲得する。それ故人間が輪廻転生を通して、時代と共にますます高い霊的水準に向う民族や人種の中で進化を遂げていくことは、ひとつの解脱の過程である。
シュタイナー

それでは、日本には、天皇という、超民族的な存在がある。
とても、恵まれた、民族であるということだ。
何せ、愛の象徴である。

シュタイナーの目指す、その存在こそ、天皇のような存在であろう。
しかし、研究者からは、そんな言葉は、見出せない。

これは、一つの提案的、発言であると、私は、聞く。

何か、大乗仏教の経典を読む心地がする。

ひとつの解脱の過程である・・・
その通り、一つである。たった、一つの解脱の過程なのである。

同じように、ますます純粋な道徳的宗教的立場に到達しようとする過程は完全さへの努力の一過程であるといえる。なぜならどんな道徳的な段階にも理想主義的な未来への萌芽とともに、過去への執着が含まれているからである。
シュタイナー

過去への執着・・・
何故・・・
何故、そんなことが、言えるのか。

つまり、道徳的宗教的な段階では、過去への執着が含まれる故に、一過程であるが、足りないというのであろう。

つまり、シュタイナーは、自分の霊学そこか、完全を目指すものなのだと、いいたいのであろう。

そこから、また、新しい守護霊の登場となる。

「・・の小守護霊」のところに大守護霊が加わってくる。ここでふたたび、この第二の「・・の守護霊」との出会いの情景を物語的形式で表現してみよう。
シュタイナー

自己を解脱させるには何をすべきなのかを悟った修行者の道の行く手に、崇高な光の姿が現れる。その壮麗な姿は到底筆舌には尽くし難い。
シュタイナー

その物語的形式は、省略する。

更に、再度、
筆舌に尽くし難い壮麗な輝きが第二の・・守護霊から発している。
と、書く。

第一の守護霊は、無意識の我。
そして、第二の守護霊は、無意識の底、魂の姿として、私は、理解する。

もし、本当に、そのようなものが、別存在として、現れるというならば、シュタイナーは、誤っている。
それそこ、次元の別にする世界から、そこような存在が、現れる事、事態、尋常ではない。

それならば、魔界関与である。

超感覚的な輝きを示すこの霊姿の要求に応じようと決心すれば、人類の解脱と救済のために寄与することができるであろう。
シュタイナー

超感覚的、つまり、霊界からの、使者・・・
人類の解脱と、救済は、そのような、化け物は、必要ないのである。

そろそろ、この著書も終わりに近づく。
延々として、説明を繰り返したシュタイナーであるが・・・

人間が高次の霊的諸領域で受け取るであろう事柄は外から彼の方へ来るのではなく、もっぱら彼から発して外へ向うところの、周囲に対する愛である。
シュタイナー

周囲に対する愛は、霊的に云々とするものではない。
修行者ではなく、普通の生活をする、普通の人間が、行なう行為である。
そして、そこから、特別な修行を必要とせず、愛の行為により、人類の成長と発展に、寄与するのである。

簡単に言えば、我を捨てて、利他のために、行為することで、人類は、解脱し、救済されるのである。

それにしては、人類の歩みは、遅い。

その、あとがきに、
特に霊学上真実なる魂の体験領域が迷信、白日夢、霊媒師のような霊的努力の退行現象と取り違えられることが多い。それは危険な錯覚を生み出すであろう。
と、書かれている。

人間が本書に記された道を歩む場合、その体験内容はすべて純粋に霊的、魂的に経験分野で得られる。
シュタイナー

日常生活をいとなむときの魂は、ほとんどの場合、常に思考を、知覚、感情、意志のような他の魂的活動と結び付けている。思考以外の諸活動は肉体を通して生み出される。
シュタイナー

それは、
体験そのものを身体生活から自由に独立させることができなければならない。
との言葉からだ。

しかし思考がこれらに働きかけるとき、その働きかけの度合いに応じて、人間の中に、人間を通して、肉体との係わりをもたぬ何かが生じる。この経過が肯定できない限り、人は魂の他の諸活動に制約された思考活動が生み出す幻影や錯覚から免れることができないのである。とはいえ、どんな人にも内面生活における思考部分を、それ以外のすべての部分から切り離して経験しうるまでに魂の自己集中を行なうことは、可能である。
シュタイナー

最も、端的に言えば、ヨガ、座禅による、訓練に近い。

だが、その必要は無い。

人格の分裂、人格障害・・・その他の、危険が伴う。

更に、著作を読み込んで、自分で行なうことが、推奨されている。
これこそ、危険である。

posted by 天山 at 05:31| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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