ゆうづくよ あかときやみの あさかげに わがみはなりぬ なをおもひかねに
夕月の頃の、夜明けの闇の後に、朝の影法師のように我が体がなった。それは、お前を思うばかりに。
何とも、美しい歌である。
夕月、暁の闇、朝影・・・
そして、呆然として、佇む作者である。
その呆然は、恋心なのだ。
月しあれば 明くらむ別も 知らずして 寝てわが来しを 人見けむかも
つきしあれば あくらむわきも しらずして ねてわがこしを ひとみけむかも
月が明るい。それで、夜の明けるのも解らず、寝過ごして来てしまったのを、人は見ただろうか。
女の元で、寝過ごすのである。
それが、人に見られて、噂を立てられる。
通い婚の時代が、平安期まで続く。
鎌倉時代以降、そして、戦国時代から、少しばかり、現在の結婚制度の元が、出来つつある。
妹が目の 見まく欲しけく 夕闇の 木の葉隠れる 月待つ如し
いもがめの みまくほしけく ゆうやみの このはこもれる つきまつごとし
妻に会いたいと思う心は、夕闇の木の葉に隠れている月の、出を待つようなもの。
ついも、恋は、初恋なのである。
時間を経ても、初恋の気分を持ち続ける心。
恋愛という言葉があるが、万葉は、恋なのである。
それは、妻恋であり、夫恋、共に、つまこひ、という。
真袖もち 床うち払ひ 君待つと 居りし間に 月かたぶきぬ
まそでもち とこうちはらひ きみまつと をりしあひだに つきかたぶきぬ
両袖で、床を清めて、あなたを待っている間に、月も、西に傾いてきた。
待つ心。
待つ身の、辛さ・・・
男を迎える前に、袖で、床を清めるという。
袖は、心を表す。
二上に 隠らふ月の 惜しけども 妹が手本を 離るるこのころ
ふたがみに かくらふつきの をしけども いもがたもとを かるるこのころ
二上山に隠れてしまう月のように、惜しいことだ。妻の手本を離れている、この頃である。
手本とは、手枕である。
妻の手枕・・・
恋しい妻の、手枕を求める。
会わずにいれば、更に、恋しいのである。
月を妻と映して、歌詠みをする。
万葉の時代から、月は、多くの歌人の詠むところとなった。
月の光・・・
そこに、あはれ、がある。
恋する者の、あはれ、とは、愛おしいのである。
愛おしい気持ちも、あはれ、として流れて行く日本人の、心象風景である。