2014年04月01日

伝統について68

夕月夜 暁闇の 朝影に わが身はなりぬ 汝を思ひかねに

ゆうづくよ あかときやみの あさかげに わがみはなりぬ なをおもひかねに

夕月の頃の、夜明けの闇の後に、朝の影法師のように我が体がなった。それは、お前を思うばかりに。

何とも、美しい歌である。
夕月、暁の闇、朝影・・・

そして、呆然として、佇む作者である。
その呆然は、恋心なのだ。

月しあれば 明くらむ別も 知らずして 寝てわが来しを 人見けむかも

つきしあれば あくらむわきも しらずして ねてわがこしを ひとみけむかも

月が明るい。それで、夜の明けるのも解らず、寝過ごして来てしまったのを、人は見ただろうか。

女の元で、寝過ごすのである。
それが、人に見られて、噂を立てられる。

通い婚の時代が、平安期まで続く。
鎌倉時代以降、そして、戦国時代から、少しばかり、現在の結婚制度の元が、出来つつある。

妹が目の 見まく欲しけく 夕闇の 木の葉隠れる 月待つ如し

いもがめの みまくほしけく ゆうやみの このはこもれる つきまつごとし

妻に会いたいと思う心は、夕闇の木の葉に隠れている月の、出を待つようなもの。

ついも、恋は、初恋なのである。
時間を経ても、初恋の気分を持ち続ける心。

恋愛という言葉があるが、万葉は、恋なのである。
それは、妻恋であり、夫恋、共に、つまこひ、という。

真袖もち 床うち払ひ 君待つと 居りし間に 月かたぶきぬ

まそでもち とこうちはらひ きみまつと をりしあひだに つきかたぶきぬ

両袖で、床を清めて、あなたを待っている間に、月も、西に傾いてきた。

待つ心。
待つ身の、辛さ・・・

男を迎える前に、袖で、床を清めるという。

袖は、心を表す。

二上に 隠らふ月の 惜しけども 妹が手本を 離るるこのころ

ふたがみに かくらふつきの をしけども いもがたもとを かるるこのころ

二上山に隠れてしまう月のように、惜しいことだ。妻の手本を離れている、この頃である。

手本とは、手枕である。
妻の手枕・・・
恋しい妻の、手枕を求める。

会わずにいれば、更に、恋しいのである。

月を妻と映して、歌詠みをする。

万葉の時代から、月は、多くの歌人の詠むところとなった。
月の光・・・
そこに、あはれ、がある。

恋する者の、あはれ、とは、愛おしいのである。
愛おしい気持ちも、あはれ、として流れて行く日本人の、心象風景である。
posted by 天山 at 06:40| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月02日

沈黙を破る87

戦没者の慰霊と、支援活動をしているが・・・

慰霊は、あらかじめ、調べて解っている。
しかし、支援は、何を持参するのかは、勘が頼り。

子ども物、大人物、女、男・・・
その持参する、分量が勘なのである。

いつも現地で、日本には、あれほどあるのに・・・と、思う。
足りないのである。

衣類は、長く使えるもの。
だから、その衣類を買う分で、生活出来るのである。
お金を上げるという、考え方は、邪道である。

災害支援の、支援金なども、単に差し上げても、その使い道が解らない。
誰の、ポケットに入るのか・・・

日本でさえ、義援金に対しては、不信である。
募金箱のお金が、本当に、相手に届くのか・・・
不確かである。

だから、いつも、私は警告している。

その募金箱の管理は、誰がするのかと・・・

大震災の際には、至る所に、募金箱が置かれた。
だが・・・
その募金箱は、日本人は、善人であるから、誰も、我が物にしないという、前提がある。だが、どうだろうか・・・

多くの、不明が残った。

また、更に、寄付を受け付ける団体・・・
その団体は、経費を使う。
人件費などなど・・・
それも、寄付金から、出るのである。

特定の団体名を挙げる訳にはいかないが・・・

さて、衣類支援であるが、現地に行き、失敗することもある。
乳幼児物が、もっと、必要だった・・・
子ども物が、必要だった。

更に、高齢者のための、衣類が必要だった。

そうして、次の機会を考える。

また、孤児施設などでも、男の子物は、多いが、女の子物が、少ないとか・・・

孤児施設も、流動的なのである。
昨年いたはずの児が、今年は、いない。
別の施設に移った。

また、新しい子どもが、来ている。
勿論、顔馴染みになる子もいる。

嬉しいのは、私が持参した衣類を着ている児がいる時である。
あるいは、母親が、これは、昨年に頂いたものと、教えてくれる時。

そして、子どもは成長する。
昨年のものが、小さくなっている。

施設では、順繰りに着せていることだろうと、思うが・・・

その他は、文具、食糧、小物類である。
何も自分の物を、持たない子たち・・・

それでも、生きられるのだと、教えられる。
着の身着のままでも、生きられる。

だが、もう一枚あれば・・・
洗濯の時、裸でいることがない。

この話は、バリ島でも盛り上がった。
バリ島・・・
未だに、カースト制が残る島。
だが、皆々、気付かない。

出会うバリ島の人たちは、カーストの低い人たちなのである。
高い身分の人たちとは、逢えない。
旅人が逢えるような、人たちではない。

低いカーストの人たちは、いつまでも、貧しい。
だから、その貧しさの中で、哲学する。

一枚のシャツがあれば、幸せだ・・・
その通り・・・
だが、もう一枚あれば・・・
もっと、幸せだ。

物が、単なる物ではなくなる、考え方をする。

だから、バリ島の人たちは、貧しくても、ゴミになるであろう、ヒンドゥーの御祭りのために、毎朝、沢山の供物を作る。

バリ島から、出なければ、彼らは、いつも、幸せでいられる。
しかし・・・
広い世界を見たら・・・
狂う。

日本に来て、お金で狂ったバリ島のカーストの低い人たちを、多く見た。

さて、勘の問題である。
これからも、勘を頼りに、支援活動を続ける。

posted by 天山 at 06:10| 沈黙を破る2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月05日

もののあわれについて662

藤裏葉 ふぢのうらば

御急ぎの程にも、宰相の中将はながめがちにて、ほれぼれしき心地するを、かつはあやしく、「わが心ながら執念きぞかし。あながちにかう思ふことならば、関守の、うちも寝ぬべき気色に思ひ弱り給ふなるを聞きながら、同じくは人わろからぬ様に見棄てむ」と念ずるも、苦しう思ひ乱れ給ふ。女君も、大臣のかすめ給ひし事の筋を、もしさもあらば、何の名残りかは、と嘆かしうて、あやしく背き背きに、さすがなる御諸恋なり。大臣も、さこそ心強がり給ひしかど、たけからぬに思しわづらひて、「かの宮にもさやうに思ひ立ち果て給ひなば、またとかく改め思ひかかづらはむ程、人のためも苦しう、わが御方ざまにも人笑はれに、おのづから軽々しき事や交らむ。忍ぶとすれど、内々のことあやまりも、世に漏りにたるべし。とかく紛らはして、なほ負けぬべきなめり」と思しなりぬ。




姫君入内の準備の間も、宰相の中将、夕霧は、物思いにふけること多く、ぼんやりとした感じがする。一方では、妙な気もして、自分ながら、執念深いことだ。無理矢理に、このように雲居の雁を思い続けるとするなら、内大臣も、目をつぶってしまうほどに、弱気になっていると、耳にするし、同じことなら、外聞の悪くないように、最後まで通すことだ。と、我慢するのも、苦しく、苦悩を続ける。
女君、雲居の雁も、大臣のおっしゃったことを、もし、そんなことがあるなら、綺麗さっぱりと忘れてしまおう。と、嘆きが先にたち、奇妙に互いに、背いている。それでも、二人共に、思い合っている。
内大臣も、強い調子で、話したが、別によくもならず、思案に余り、中務の宮も、そのように考えてしまうなら、改めて、あれこれと、別方面を探す間、その男にも、悪いし、御方にとっても、評判が悪く、いつしか、身分の相応しくないことも、起こるだろう。隠したつもりでも、奥向きの失態も、世間には、漏れているだろう。何とか、誤魔化して、矢張り、自分が負けた方が、よさそうだ。と、考えるようになる。

何とも、複雑な、夕霧と、雲居の雁、そして、内大臣の思いである。




上はつれなくて、恨み解けぬ御仲なれば、「ゆくりなく言ひ寄らむもいかが」と思して、「ことごとしくもてなさむも人の思はむ所をこなり。いかなるついでしてかはほのめかすべき」など思すに、三月二十日、大殿、大宮の御忌日にて、極楽寺に詣で給へり。君達皆引き連れ、勢ひあらまほしく、上達部などもあまた参り集ひ給へるに、宰相の中将、をさをさけはひ劣らず、よそほしくて、容貌など、ただ今のいみじき盛りにねびゆきて、取り集めめでたき人の御有様なり。この大臣をば、辛しと思ひ聞え給ひしより、見え奉るも心づかひせられて、いといたう用意し、もて静めてものし給ふを、大臣も常よりは目とどめ給ふ。御誦経など、六条の院よりもせさせ給へり。宰相の君は、ましてよろづをとりもちて、あはれに営み仕うまつり給ふ。




表面は、何もなく、ただ、実は互いに恨みのある二人であるから、何となく口を利くのは、どんなものかと、内心、遠慮して、大げさに扱うことも、世間が、馬鹿なと思うだろう。どんなきっかけで、話をしよう、なとど、考えるところだった。
三月二十日は、母君、大宮の御命日で、極楽寺に参った。御子たちを引きつれ、堂々とした御威勢は、理想的で、上達部なども、大勢集めた中に、宰相の中将、夕霧は、一歩も引けをとらない、堂々とした態度で、器量なども、今が盛りと、成長し、何から何まで、結構な様子である。
このうち大臣を、辛いと思った、あの当時からは、顔を合わすのも気になり、とても気をつけて、澄ましているのを、内大臣は、いつもより、注目される。法要の読経など、六条の院からも、させられたのである。
宰相の君、夕霧は、更に一層手を下し、真心を込めて、お世話をされる。

最初の説明は、作者の言葉である。
夕霧と内大臣の、二人の関係である。

あはれに営み・・・
心を込めて、勤める。そのように、解釈する。




夕かけて皆帰り給ふ程、花は皆散り乱れ、霞たどたどしきに、大臣、昔思し出でて、なまめかしう嘯きながめ給ふ。宰相もあはれなる夕の気色に、いとどうちしめりて、「雨気あり」と人々のさわぐに、なほながめ入りて居給へり。心ときめきに、見給ふ事やありけむ、袖を引き寄せて、大臣「などかいとこよなくは勘じ給へる。今日の御法の縁をもたづね思さば、罪許し給ひてよや。残り少なくなり行く末の世に、思ひ捨て給へるも、恨み聞ゆべくなむ」と、宣へば、うちかしこまりて、夕霧「過ぎにし御おもむけも、頼み聞えさすべき様に、承りおく事侍りしかど、許しなき御気色に、憚りつつなむ」と、聞え給ふ。心あわただしき雨風に、皆ちりぢりに競ひ帰り給ひぬ。君、夕霧「いかに思ひて例ならず気色ばみ給ひつらむ」など、世とともに心をかけたる御辺りなれば、はかなき事なれど耳とまりて、とやかうやと、思ひ明かし給ふ。




夕方になり、一同が帰る時、花は皆、散り散りとこぼれ、霞で朧な中に、内大臣は、昔を思い出し、優雅に歌を口ずさみ追憶に浸る。
宰相、夕霧は、心打つ夕暮れの空に、いつもより、あはれを思い、雨が降りそうです、と言うお供の者が、喧しく言うが、構わずに、思いに耽るのである。
内大臣は、内心どきどきしつつ、夕霧を御覧になることがあったのか、夕霧の袖を引き寄せて、どうして、酷く怒っていられるのか。今日の御法事の、縁故も考えてくだされば、私の過去のことは、許して欲しい。余命の少ないこの年、あなたがお捨てなのは、恨み申し上げたい気がする、とおっしゃると、夕霧は、恐縮して、亡くなった方のご意向は、あなたをお頼りするようにとの、お言葉を賜りましたが、お許しのない様子に、遠慮いたしました。と、申し上げる。
ゆっくりと出来ない、雨風で、皆、てんでに、我先にと、帰ってしまった。夕霧は、どんな気持ちで、いつもと違い、あんなことを言い出されたのかと、始終気にしているうち大臣家のことなので、大したことではないが、耳に残り、色々と一晩中、考えていた。

宰相もあはれなる夕の気色に・・・
これは、亡くなった、大宮の、その時の、風景と重ねている心境である。

こころ模様が、すべて尽きると、あはれ、に行き着くのである。
切々と感じ入る、夕の空模様に・・・

この、切々と感じ入る、という、心境、心情の広がる風景が、あはれ、なのである。
心の多次元の世界である。

はかなき事なれば耳とまりて・・・
大事なことではないが・・・言葉が耳に留まるのである。
posted by 天山 at 17:31| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月06日

もののあわれについて663

ここらの年頃の思ひのしるしにや、かの大臣も、名残りなく思し弱りて、はかなきついでの、わざとはなくさすがにつきづきしからむを思すに、四月ついたち頃、御前の藤の花、いと面白う咲き乱れて、世の常の色ならず。ただに見過ぐさむ事惜しき盛りなるに、遊びなどし給ひて、暮れ行く程のいとど色まされるに、頭の中将して御消息あり。内大臣「一日の花の陰の対面の、飽かず覚え侍りしを、御暇あらば、立ち寄り給ひなむや」とあり。御文には、
内大臣 
わが宿の 藤の色濃き たそがれに 尋ねやは来ぬ 春の名残を

げにいと面白き枝に付け給へり。待ちつけ給へるも、心ときめきせられて、かしこまり聞え給ふ。

夕霧
なかなかに 折りや惑はむ 藤の花 たそがれ時の たどたどしくは

と聞えて、夕霧「口惜しくこそ臆しにけれ。取り直し給へよ」と聞え給ふ。頭の中将「御供にこそ」と、宣へば、夕霧「わづらはしき随身は否」とて、返しつ。




長年に渡る、思いのかいがあり、あの内大臣も、気が弱くなり、ちょっとしたことで、特別に、改まったことではなく、それでいて、適当なことはないかと、思っていると、四月上旬に、庭の藤の花が、美しく咲き乱れて、そこらにある、花の色ではない。そのままにしておくには、惜しい花盛りなので、音楽会などされて、夕方になるにつれて、藤の花が、益々と美しくなるので、頭の中将に、持たせて、お手紙があった。
内大臣は、先日の木の元でお逢いしましたが、飽き足りない思いがして、お時間がありましたら、お立ち寄り下さいませんか、と書いてある。お手紙には、
内大臣
家の庭の、藤の花が、濃い今日の夕方、お出掛けくださいませんか。暮れ行く春を惜しむように。

いかにも、見事な花の枝に、お付けになっている。お手紙を待っていた夕霧も、どきどきして、丁寧に挨拶される。

夕霧
なかなか、藤の花を折ることも出来ず、迷うでしょう。薄暗い時の、はっきりしない頃には。

と、申し上げて、夕霧は、残念なほどに、気後れしました。適当に直してください、と、おっしゃる。頭の中将は、御供しましょうと、おっしゃるので、夕霧は、面倒な随身は、お断りします。と言い、帰した。

なかなかに 折りや惑はむ 藤の花・・・
これは、雲居の雁を指している。




大臣のお前に、かくなむ、とて御覧ぜさせ給ふ。源氏「思ふやうありてものし給へるにやあらむ。さも進みものし給はばこそは、過ぎにし方のけうなかりし恨みも解けめ」と、宣ふ。御心おごり、こよなう妬げなり。夕霧「さしも侍らじ。対の前の藤、常よりも面白う咲きて侍るなるを、静かなる頃ほひなれば、遊びせむなどにや侍らむ」と、申し給ふ。源氏「わざと使ひさされたりけるを、早うものし給へ」と、許し給ふ。いかならむ、と下には苦しう、ただならず。源氏「直衣こそ余り濃くて、軽びためれ。非参議の程、何となき若人こそ、二藍はよけれ。ひき繕はむや」とて、わが御料の心ことなるに、えならぬ御衣ども具して、御供に持たせて奉れ給ふ。




夕霧は、父の大臣の御前で、こういうお手紙がありました、と、お目にかける。
源氏は、考えがあってのことだろう。そのように、はっきりと、出て来てくだされば、昔の不孝への、私の恨みも解ける、と、おっしゃる。そのご威勢は、何とも憎いほどである。夕霧は、そんなことでは、ありますまい。対の屋の、前の藤の花が、例年よりも、綺麗に咲いているようです。暇な時ですから、音楽会でもやろうというのでございましょう。と、申し上げる。
源氏は、わざわざ使いを向けられたのだから、早く、出かけなさい。と、お許しになる。だが、どんなことだろうと、内心は苦しく、穏やかではない。更に源氏は、直衣が濃すぎて、身分が軽く見られる。参議になっていない頃や、取り立てた官位のない若い者なら、二藍がよいだろうが、一つ、おめかしをするか。と、ご自分のお召し物の、格別に見事なものなのを、並々ではない、下着を何枚も取り揃えて、お供に、持たせた。




わが御方にて、心づかひいみじうけさうじて、たそがれも過ぎ、心やましき程に参うで給へり。あるじの君達、中将を初めて、七八人うち連れて迎へ入れ奉る。いづれとなくをかしき容貌どもなれど、なほ人にすぐれて、あざやかに清らかなるものから、なつかしう由づき恥づかしげなり。大臣おまし引き繕はせなどし給ふ。御用意おろかならず。御かうぶりなどし給ひて出で給ふとて、北の方、若き女房などに、大臣「覗きて見給へ。いとかうざくにねびまさる人なり。用意などいと静かに、ものものしや。あざやかにぬけ出でおよずけたる方は、父大臣にもまさりざまにこそあめれ。かれはただいと切になまめかしう愛敬づきて、見るに笑ましく、世の中忘るる心地ぞし給ふ。公ざまは、少したはれて、あざれたる方なりし、ことわりぞかし。これは才の際もまさり、心もちい男々しく、すくよかに足らひたりと、世に覚えためり」など宣ひてぞ対面し給ふ。ものまめやかにうべうべしき御物語は少しばかりにて、花の興に移り給ひぬ。大臣「春の花何れとなく、皆開け出づる色ごとに、目驚かぬはなきを、心短くうち捨てて散りぬるが、恨めしう覚ゆる頃ほひ、この花の一人立ちおくれて、夏に咲きかかるほどなむ、あやしう心にくくあはれに覚え侍る。色もはた、なつかしき縁にしつべし」とて、うちほほえみ給へる、気色ありて、匂ひ清げなり。




自分の部屋にて、念入りに、整え、夕暮れ過ぎて、あちらが気を揉む頃に、お出掛けになった。
主人側の君達が、中将をはじめとして、七、八人うち揃い、お迎えして、案内する。誰も、皆綺麗な顔立ちをしているが、矢張り、夕霧は誰よりも優れて、水際立って、美しいだけではなく、優しく気品があり、気後れを感じさせる。
大臣は、お席を整えさせ、直させたりしている。お迎えの準備は、皆々ではない。内大臣は、冠などをつけて、お出になろうとして、北の方や、若い女房などに、内大臣は、覗いて御覧。全く立派に年々なってゆく人だ。動作など、大変に落ち着き、堂々としている。際立って、抜きん出て人物が出来ているのは、父大臣にも、勝っているようだ。源氏は、ただただ非常に美しくして、愛敬があり、逢うと、微笑みたくなり、世の中の事を忘れる気持ちにさせる。公式の場では、少し砕けて、柔らかい方であったのは、無理もないこと。夕霧は、学問の程度もすぐれ、心構えも男らしく、しっかりしていて、申し分がないと、世間では、思っている。などと、おっしゃり、対面される。
真面目で、固いお話は、少しだけして、花の面白さに、移られた。
内大臣は、春の花は、どれも皆、咲き出る色の一つ一つ、いずれも見て驚かないが、夏まで咲いているところが、不思議に、奥ゆかしく、心にしみて思われます。色もまた紫で、懐かしい、ゆかりに、できようと思えまして、と言って、微笑みを浮かべているのが、趣があり、つややかで、美しい。

あやしう心にくくあはれに覚え侍る・・・
妖しく、不思議に、あはれ、に感じるという意味として、現代に訳せる。

心にくく・・・
とは、現在も使用する言葉だ。

色もはた、なつかしき縁にしつべし・・・
なつかしき、ゆかり、に出来る・・・

美しい日本語の原点である。

posted by 天山 at 07:17| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月07日

もののあわれについて664

月は差し出でぬれど、花の色さだかにも見えぬ程なるを、もてあそぶに心を寄せて、大御酒参り、御遊びなどし給ふ。大臣、程なく空酔ひをし給ひて、乱りがはしく強ひ酔はし給ふを、さる心していたうすまひ悩めり。大臣「君は、末の世には余るまで天の下の有職にものし給ふめるを、齢旧りぬる人思ひ捨て給ふなむ辛かりける。文籍にも家礼といふ事あるべくや。なにがしの教へもよく思し知るらむと思ひ給ふるを、いたう心悩まし給ふと、恨み聞ゆべくなむ」など宣ひて、酔ひ泣きにや、をかしき程に気色ばみ給ふ。夕霧「いかでか。昔を思う給へ出づる御代りどもには、身を捨つる様にもとこそ思ひ給へ知り侍るを、いかに御覧じなす事にか侍らむ。もとよりおろかなる心のおこたりにこそ」と、かしこまり聞え給ふ。御時よくさうどきて、「藤の裏葉の」と、うち誦し給へる、御気色を賜はりて、頭の中将、花の色濃く殊に房長きを折りて、客人の御盃に加ふ。取りてもて悩むに、大臣、

内大臣
紫に かごとはかけむ 藤の花 まつより過ぎて うれたけれども

宰相、盃を持ちながら、気色ばかり拝し奉り給へる様、いと由あり。

夕霧
幾かへり 露けき春を 過ぐし来て 花のひもとく 折りに会ふらむ

頭の中将に賜へば、

宰相
たをやめの 袖にまがへる 藤の花 見る人からや 色もまさらむ

次々ずん流るめれど、酔の紛れにはかばかしからで、これよりまさらず。




月は、昇ったが、藤の花の色の、はっきりと見えない時間であるのに、花を愛でる様子をして、御酒を召し、合奏などをされる。大臣は、間もなく、空酔いをされて、遠慮して、無理強いをして、酔わせようとするのを、夕霧は用心して、断るのに大変である。
大臣は、あなたは、この末の世には、出来すぎているほど、天下の有職でいらっしゃるようだ。年を取った人を、見捨てるとは、つれない。書物にも、家礼ということがあるはず。聖人の教えも、よくご存知のはずだと、思っているのに、酷く辛い思いをさせると、お恨み申したい、などと、おっしゃり、酔い泣きのような、様子よく意中をほのめかす。
夕霧は、どうして、そのような。今は、亡き方を思い出す、お身代わりとして、我が身を捨ててもとまで、心に決めております。それを何と御覧になってのことでしょう。もとから、うかつな心の至らぬゆうでしょうが、と、お詫びを申し上げる。
頃合いを見て、はやし立て、藤の裏葉のと、内大臣が、謡う。その心を見て、頭の中将は、花の色の濃い房の枝を折り、客人の盃に、加える。受け取って、もて余していると、大臣が、

内大臣
藤の花の、紫に事寄せて、免じましょう。あなたを待つうちに、月日が、過ぎてしまい、いまいましいけれど。

宰相が、盃を持ったまま、しるしばかりを、拝する様子は、とても上品である。

夕霧
幾度も、露じみた春を過ごしてきて、やっと、今お許しを受けて、花開く楽しい春に、会うことができました。

夕霧が、頭の中将に、盃を差し上げると、

中将

うら若い、女の袖に、見違える藤の花は、見る人の立派なことに、一層、美しさも、勝ることでしょう。

次々と流れる盃に、順々に、歌を詠み添えたらしいが、酔いの乱れに、大したこともなく、これより、優れていません。

夕霧の歌にある、
花のひもとく 折りに会ふらむ
ひもとく、とは、花の咲くことと、女が許すことを、かける。

そして、中将の歌にある
藤の花、は、雲居の雁を指す。

見る人からや 色もまさらむ
この、見る人、とは、夕霧のことである。

最後の、これよりまさらず、とは、作者の言葉。




七日の夕月夜影ほのかなるに、池の鏡のどかに澄み渡れり。げに、まだほのかなる梢どもの、さうざうしき頃なるに、いたう気色ばみ横たはれる松の木高き程にはあらぬに、かかれる花の様、世の常ならず面白し。例の弁の少将、声いとなつかしくて、葦垣を謡ふ。大臣「いとけやけうも仕うまつるかな」とうち乱れ給ひて、「年経にけるこの家の」とうち加へ給へる、御声いと面白し。をかしき程に乱りがはしき御遊びにて、物思ひ残らずなりぬめり。やうやう夜更け行く程に、いたう空悩みして、夕霧「乱り心地いと堪へがたうて、まかでむ空もほとほとしうこそ侍りぬべけれ。宿直所譲り給ひてむや」と、中将に憂へ給ふ。大臣「朝臣や。御休み所求めよ。翁いたう酔ひ進みて無礼なれば、まかり入りぬ」と、言ひ捨てて入り給ひぬ。




七日の、夕月夜の、月影がうっすらと差し、池の面に月を映して、のどかに、澄み渡っている。
歌に詠まれた通り、まだ葉のまばらな梢の、葉のない頃なのに、大変気取って、横たわる松の、木高いというほどでもないのに、絡んでいる花の様子は、普通ではなく、面白い。いつもの通り、弁の少将が、柔らかな声で、葦垣を謡う。大臣は、変わったものを謡うのもだ、と、注意する。古く続いたこの家の、と添えて謡う声が、素晴らしい。
趣がある程度に、羽目を外した遊びで、わだかまりは、跡形も無く、消えたようだ。次第に更け行く時分に、夕霧は、酷く酔った振りをして、気分が悪くて、こらえられず、帰り道も危なくなりました。泊まる場所をお貸しくださいませんか、と中将に訴える。大臣は、朝臣や、お休みになる場所を、お探しせい。爺は、酷く酔い過ぎて、失礼だから、引っ込むと、言い捨てて、お入りになられた。

遂に、夕霧は、雲居の雁と、共寝の機会が、訪れたのである。
ここまでに至るまで、色々なことが、あった。
物語と共に、読者も、安堵する。


posted by 天山 at 06:20| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月08日

もののあわれについて665

中将、「花の陰の旅寝よ。いかにぞや。苦しきしるべにぞ侍るや」と言へば、夕霧「松に契れるは、あだなる花かは。ゆゆしや」と責め給ふ。中将は心のうちに、妬のわざやと思ふ所あれど、人ざまの思ふ様にめでたきに、かうもあり果てなむ、と心寄せ渡る事なれば、うしろやすく導きつ。




中将が、花の陰の旅寝ですね。どうしたものか、辛い案内役です。と言うと、夕霧は、松と約束したのは、浮気な花ですか。そんなことは無い。縁起でもないこと。と、責める。中将は、心の中に、しゃくなことと思うことはあるが、人柄が理想的なので、このようになって欲しいと、好意を寄せていたことである。安心して、案内した。




男君は、夢かと覚え給ふにも、わが身いとどいつかしうぞ覚え給ひけむかし。女は、いと恥づかしと思ひしみてものし給ふも、ねびまされる御有様、いとど飽かぬ所なく目安し。夕霧「世の例にもなりぬべかりつる身を、心もてこそかうまでも思し許さるめれ。あはれを知り給はぬも、様異なるわざかな」と、恨み聞え給ふ。夕霧「少将の進み出だしつる、葦垣のおもむきは、耳とどめ給ひつや。いたき主かなな。「河口の」とこそ、さし答へまほしかりつれ」と宣へば、女いと聞き苦しと思して、


浅き名を 言ひ流しける 河口は いかが漏らしし 関の荒垣

あさまし」と宣ふ様、いとこめきたり。少しうち笑ひて、

夕霧
漏りにける くだきの関を 河口の 浅きのみは おほせざらなむ

年月の積りも、いとわりなくて悩ましきに、物覚えず」と、酔ひにかこちて苦しげにもてなして、明くるも知らず顔なり。人々聞えわづらふを、大臣、「したり顔なる朝寝かな」と、とがめ給ふ。されど、明かし果てでぞ出で給ふ。ねくたれの御朝顔、見るかひありかし。




男君、夕霧は、夢ではないかと、思うにつけても、自分のことを、いっそう、偉い者に、思うことだろう。
女、雲居の雁は、深く恥ずかしいと思い込むが、年と共に美しくなった、お姿は、いよいよ不足なところもなく、見事である。
夕霧は、世間の話の種にもなりそうだった身を、私の心がけゆえにこそ、ここまでも、お許しいただけたのでしょう。それなのに、情けを解して下さらないとは、風変わりなされようです。と、恨み言を申し上げる。そして、少将が進んで謡った、葦垣の歌の意味は、お分かりでしたか。酷い男だ。「河口の」と、言い返したかった、と、おっしゃると、女は、聞いていられない思いになり、


あなたの、お口は、軽々しい名を言い流した、河口です。どうして、漏らされたのですか。

あんまりです。と、おっしゃる様子が、とても子供っぽい。少し笑い、

夕霧
浮名は、くだきの関の、父大臣の隙から漏れたのに、河口の軽さのせいにばかりしないで下さい。

長い年月の苦労も、この上なく、辛く胸苦しくて、今は何もわかりません。と、酔いにかこつけて、苦しそうに、振る舞い、夜の明けるのも知らない顔である。
女房たちが、起こすことが出来ず、困っていると、大臣が、いい気になって、朝寝だなと、なじるのである。とはいえ、夜を明かし切ってしまわずに、帰られる。
寝乱れの顔は、見る甲斐のあったこと。

最初と、最後は、作者の言葉。

河口とは、伊勢国と、伊賀国の通路に当たる。
浅き、流し、は、河口の縁語である。

くだきの関、とは、川口の、別名。
ここでは、内大臣を暗に指す。




御文は、なほ忍びたりつる様の心づかひにてあるを、なかなか今日はえ聞え給はぬを、ものいひさがなき御達つきじろふに、大臣渡りて見給ふぞ、いとわりなきや。夕霧「つきせざりつる御気色に、いとど思ひ知らるる身の程を、堪へぬ心にまた消えぬべきも、

咎むなよ 忍びに絞る 手もたゆみ 今日はあらはる 袖の雫を

などいと馴れ顔なり。うちえみて、内大臣「手をいみじうも書きなられにけるかな」など宣ふも、昔の名残りなし。御返りいと出で来難げなれば、内大臣「見苦しや」とて、さも思し憚りぬべき事なれば、渡り給ひぬ。御使の禄、なべてならぬ様にて賜へり。中将、をかしき様にもてなし給ふ。常に引き隠しつつ隠ろへありきし御使、今日は面もちなど人々しくふるまふめり。右近の丞なる人の、むつまじう思し使ひ給ふなりけり。




お手紙は、今も変わらず、人目を忍ぶ方法で来たが、かえって今日は、お返事を書けずにいる。口の悪い女房達が、目引き袖引きしているところへ、大臣がお出でになり、御覧になるとは、酷いこと。
夕霧は、すっきりと、打ち解けてくれなかった様子から、今まで以上に、我が身の程を思い知らされて、堪えきれない気持ちで、また死んでしまいたいと思うが、

咎めてくださるな。人目忍んで、絞っていた手も、だるくなり、今日は、人目につくほどの袖の雫なのだ。

など、我が物扱いである。にっこりして、大臣は、字が大変上手になられた。など、おっしゃるのも、昔の事は、忘れている。お返事が出来そうにないので、内大臣は、恰好が悪い、とおっしゃるが、遠慮するのも、無理の無いことで、あちらに行かれる。使者に対する、お礼は、並々ではなく整えて、与える。中将が、見事なもてなしをされる。いつも手紙を隠して、うろついていた使者が、今日は、顔つきも一人前に、振舞っている様子。右近の丞という人で、親しく思い通りに、お使いになる者だった。

今日あらはるる 袖の雫を とがむなよ
絞るは、袖の雫、つまり、涙である。

いと馴れ顔なり
普通の後朝の歌より、少し、あつかましいのである。
夕霧の自信である。


posted by 天山 at 05:08| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月09日

もののあわれについて666

六条の大臣も、かくと聞し召してけり。宰相、常よりも光り添ひて参り給へれば、うち守り給ひて、源氏「今朝はいかに。文などものしつや。さかしき人も、女の節には乱るる例あるを、人わろくかかづらひ、心いられせで過ぐされたるなむ、少し人にぬけたりける御心と覚えける。大臣の御掟の、余りすくみて、名残なくくづほれ給ひぬるを、世の人も言ひ出づる事あらむや。さりとても、わが方たけう思ひ顔に心おごりして、すきずきしき心ばへなど漏らし給ふな。さこそおいらかに大きなる心掟と見ゆれど、下の心ばへををしからず癖ありて、人見えにくき所つき給へる人なり」など、例の教へ聞え給ふ。ことうちあひ目安き御間と思さる。御子とも見えず、少しが兄ばかりと見え給ふ。ほかほかにては、同じ顔を写し取りたると見ゆるを、お前にては、様々あなめでたと見え給へり。大臣は、薄き御直衣、白き御衣の唐めきたるが、紋けざやかに艶々と透きたるを奉りて、なほ尽きせずあてに、なまめかしうおはします。宰相殿は、少し色深き御直衣に、丁子染の焦がるるまで染める、白き綾のなつかしきを着給へる、ことさらめきてえんに見ゆ。




六条の大臣、源氏も、このことを耳にされた。
宰相が、いつもよりも、美しさが増して、参上されたので、じっと見守り、今朝は、どうだ。手紙など上げたのか。賢い人でも、女の事では、失敗することもある。みっともないほど、拘ったり、じれたりせずに、今日に及んだのは、少しは、人より優れていると思った。大臣のされ方は、あまり窮屈で、今になって、すっかり折れてしまったのを、世間の人も、何かと噂することだろう。そうであっても、自分の方が、偉い顔をして、いい気になって、浮気心をおこさないように。あれほど、おっとりと寛大な性格に見受けられるが、内心は、男らしくないところがあり、付き合いにくいところも、ある人だ。などと、いつものように、教訓される。
丁度似合の夫婦だと、思われるのである。お子様とも見えず、ほんの少し年長と見える。別々だと、同じ顔を、もう一つ作ったように見えるが、御前だと、それぞれ立派な方だと、見えるのである。
大臣は、薄肌色の御直衣に、白い唐織りめいた御衣で、紋様がしっかりとして、艶やかに透けているのを、お召しになり、今も、この上なく、上品でいられる。宰相殿は、少し色の濃い御直衣に、丁子染めで、茶色がかかるほど染めたものと、白い綾の美しいものを、お召しになっているのは、いかにも、花婿らしくて、美しく見える。

最後は、作者の言葉。

常よりも 光り添ひて
これは、美しいことの、最高表現である。
幸福感、満足感と、自信と誇りと、解説にはある。

つまり、夕霧は、雲居の雁と、結ばれたのである。

posted by 天山 at 05:53| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月10日

神仏は妄想である。468

今までの、まとめのような言葉を、アーマンの言葉から、借りる。

歴史的・批判的アプローチは、「正典」たる聖書が、成立した当時の形で残っていない、つまりオリジナルではないという考えに根ざしている。正典とは、ある意味信者にとって権威がある、一冊の書物に編纂された一連の書のことである。
パウロが教会に向けて書簡を書いていたときには、聖書を書いているという意識はなかった。彼は、その時々の必要に迫られて、自分の考えや信仰や説教に基づいて、手紙を書いているつもりだった。
これらの書簡がまとめられ、それらに霊感が吹き込まれていると考えられるようになったのは、後世になってからのことだ。福音書についても事情は同じだ。実名は何であれ、マルコも、自分の著作物が他の三つの福音書と共にまとめられ、聖書と呼ばれることになるとは、夢にも思っていなかった。
当然、別の国の他のキリスト教徒が三十年後に違うコンテクストで書いたものに照らして、自分の書が解釈されるなんてことも、考えもしなかった。
マルコが、自分の書が他のものとは別個の作品として読まれ、理解されることを望んでいたことに、疑問の余地はない。マタイ、ルカ、ヨハネおよびそのほかの新約聖書の記者も同様に考えていた。

歴史的・批判的方法は、各書をそれ自体として読まないと、誤読する危険があるという考えを大前提としている。記者の伝えたいことをほかの記者のメッセージと同一視し、新約聖書を二十七の書からなる書物としてではなく、一つの本として読むことに固執すると、私たちは間違った解釈をしてしまう。
聖書を構成する書は、異なる時代や地域の様々な状況下で、別個の問題を論じるために書かれている。記者もばらばらなら、彼らの見方、信仰、思い込み、伝統、出典もばらばらだ。そして、肝心要の事柄をめぐる見解も、一つとは限らない。
アーマン 改行は私

これが、聖書に対する、冷静な、見方である。

あらゆる宗教の、正典というものは、後付で、何とでも解釈する。
屁理屈付けであるが・・・

信じ込ませるためには、どんな嘘も付く。
何故なら、信じ込ませれば、こっちのものだから、である。

一度、信じ込ませると、後が実に楽である。
次は、どんなことも、信じるからだ。

信じる人は、確実に、騙されるのである。

そうして、キリスト教、あらゆる宗教は、捏造の上塗りをし続けてきた。
それは、宗教の定めである。
大宗教から、新興宗教まで・・・

キリスト教に搾って言えば、初期キリスト教では、伝承を細くするため、権威的な文書を、多く捏造した。

特に、二世紀には、それが甚だしい。
パウロの名を借りて、捏造された多くの文書。
更に、福音書は、イエスの初期の頃を、何も語っていないがため、幼少期のイエスの物語を、作り上げる。
それが、突然、出現するという、驚き。

トマスという名の人物よって、書かれたものだ。
これは、シリアのキリスト教徒に伝わる伝承から、イエスの兄弟ユダが、彼の双子の弟、ユダ・トマスだったとされていることから、付けられた。
ちなみに、トマスとは、双子という意味。

このイエスの、幼少伝は、イエスが五歳の頃からの、面白い、冒険譚である。

だが、正典にはされなかった。
奇想天外過ぎたから・・・

面白いのは、偽文書に対抗するために、更に、捏造した文書が出されたという、驚きである。

こうなると、ウソを付いた方が、勝つようである。
そうして、大嘘の、正典を作り上げたという。

ナザレのイエスが、キリストに変容して行く過程・・・
のみならず、キリスト教を作り上げてゆく過程・・・

偽文書・・・
これが、曲者だ。

偽文書に対抗するために、捏造される、テキスト・・・
一々、例を上げる暇は無い。

ただ、四世紀初頭に、「ピラト行伝」という、反キリスト教の、異教の偽文書が作成された。

この文書では、イエスが当然の報いを受けたことを示すため、ローマ人の視点から、イエスの裁判と処刑の物語が語られる。広く読まれたという。

その直後、同じく、ピラト行伝と呼ばれる、キリスト教の文書が現れた。
この文書では、ピラトがイエスに、同情する。あらゆる罪状に関して、無罪であるとし、熱心に、イエスを釈放するように、要求している。

こうした行為は、続々と出た。

四世紀に、使徒憲法、と呼ばれるテクストが作成された。
使徒が死んで、三百年後であるが、イエスの死後、使徒が書いたとされた。

そこでは、使徒が書いていないのに、そうであるとされている文書を読むべきではないと、記される。
全く・・・

如何ともし難い、連中である。

そして、ウソも本当も、何も無い上に立って、神学なるものを、作り上げたという、根性は、尋常ではない。
その、尋常ではない行為を、宗教は、平然とするのである。

ウソから出た、誠、という、ことわざがある。
人間の行為にもはそういうことも有り得るだろうが・・・

一体、キリスト教徒は、何を信じているのか・・・
唯一の神、そして、神であるイエス、聖霊・・・
教会が、作り上げた、様々な蒙昧を信じている。

新約聖書が、こうであれば、それ以前の、旧約聖書は、もっと、酷いだろう。
それを、歴史の書として、受け容れることは、全く出来ないのである。

神話文学である。
それ以上ではない。
posted by 天山 at 06:03| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月11日

神仏は妄想である。469

歴史的観点からすれば、いくつかの偽文書が、まんまと正典入りしたことを疑う理由はない。なぜなら、新約聖書以外にも、偽文書はごまんとあるのだから。
アーマン

ところが・・・
カトリック信者、プロテスタント信者、その他の、キリスト教徒は・・・
正典以外を、偽文書だと言う。

中には、プロテスタントの一派が、外典を取り入れているグループもあるには、あるが。

正典以外の、外典を、偽文書・・・だと、言い切れるのか・・・
更に、その正典というものの、信憑性となると、誰も、何も言えないのである。
証拠も、根拠も無い。

初期教会では、様々な見解を持つキリスト教徒が大勢いたが、そのほとんどは、後に異端とされる。
アーマン

と、いうことだ。
その、異端とは、権力によって、成り立った。

ローマ皇帝と、白人キリスト教徒が、グルになって、行なったものである。

現在の、ローマカトリックは、パウロの教えが主流である。
ところが、そのパウロの書簡の一部が、偽物であることだ。

正典に収録された六つの書簡の作者が、実は、パウロではない。

だから、教えを変更するか・・・
出来ないのである。
すでに、既成事実になっている。
あるいは、変更したならば、カトリック神学が、崩れる。

アーマンの解説から・・・
「テサロニケの信徒への手紙二」は、パウロの六つの書簡の中でも、その作者を巡って最も熾烈な論争が繰り広げられた。
この手紙二は、パウロが書いたことが、ほぼ確実な、「テサロニケの信徒への手紙一」と酷似している。

あまりに似ているため、作者は、これを書く際に、手紙一を参考にし、そこに書かれている内容とは、かけ離れた内容を付け足したと、考える学者もいる。

この二つの書簡の共通点は、古代文書が捏造されたかどうかを証明する際に、学者が直面するある一つの問題を浮き上がらせた。偽造に長けた者なら誰しも、当然、自分が成りすましている人物の作品に見えるよう、最善を尽くして偽書を作るであろう。ある偽作者は、他の者よりも優秀に違いない。しかし、もし誰かがその技に抜きん出ているなら、少なくとも文体については、彼の偽造行為を証明するのは難しい。
アーマン

しかし、パウロを真似ながら、パウロとは違う、神学論を展開するのだ。

それは、沢山の理由が、考えられる。
教会を取り巻く状況が変化した・・・
パウロの思想を理解出来ず、誤解した・・・

「テサロニケの信徒への手紙二」が、パウロの手によるものではないとみなす、主要な根拠は、「テサロニケの信徒への手紙一」で、パウロ自身が語ることと、矛盾しているからである。

それは、主の日が更に来てしまった、ことに対する反論である。

語り掛けられている、キリスト教徒は、この時代の終焉、すなわちイエスが栄光に包まれて、戻ってくるときが、すぐそこまで来ていると、信じていたようである。

作者は、この間違った認識を正すため、この書簡を書いている。

そこで、書簡の二章では、終末が到来する前に起こる、出来事が列挙されている。

終末は来ておらず、すぐに来るわけでもない。終末に先立ち、はっきりとした、前兆が現れる・・・

キリスト教の新興宗教が、今も、それを行なっているようだ。

イエスが、神の国が近づいた、悔い改めて・・・と言った。
それを、今すぐのことだと、思った。
実際、イエスも、それを信じていた。

ところが・・・
いつまでも、来ない。
それどころか、イスラエルが滅ぶ。

「テサロニケの信徒への手紙一」では、パウロが、終末がすぐに訪れると、書いてあるのだ。
イエスが、戻ってくる前に、死んでしまった教会メンバーもいた。信徒は、戸惑い、取り乱していた。

パウロは、生きている信徒に、イエスが再び現れるときは、死者がまず最初に復活し、彼らに見合う祝福を受けるのだと、納得させるために、この書簡を書いた。

イエスは、これからのも、天から雲に乗ってやっては、来ない。

偽文書の話は、これで、いい。
それより、大切なことは、ウソなのである。
イエスが、天から雲に乗ってくる前に、多くのイエスの、生まれ変わりが、現れた。

驚くべき、蒙昧である。

死者は、その肉体のまま、復活すると信じていた。
今も、そうであるが・・・

キリスト教新興宗教の中には、いつも、その預言が外れ、更に、ウソの上塗りをして、平然としている、教団も多々有る。

要するに、ウソなのである。
ウソの上に築かれた教義は、大嘘なのである。

キリスト教の大きな教義の一つが、死からの復活である。
死に打ち勝った、というもの。

この世に、死に打ち勝つものは、ありません。
確実に、人は、死ぬ。
そして、復活は無い。

ただし、肉体が滅びて、魂と変容するのである。
勿論、宗教の熱心な信者は、その宗教の施設の上空で、浮遊すると、相場が決まっている。

キリスト教徒は、イエスに逢えず、仏教徒は、仏陀に逢えません。
神の国、天国も、極楽も無い。
あるのは、次元を別にした世界のみ。

posted by 天山 at 06:09| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月12日

神仏は妄想である。470

聖書、福音書などに興味の無い人、また、キリスト教徒でも、聖書、福音書に精読していない人が多いが・・・
面倒な話で、恐縮である。

どうしても、パウロのことを書かなければ・・・
何故かというと、それは、キリスト教の教義というものが、パウロから成り立っているからである。

ところが、そのパウロの書簡、新約聖書の中に含まれる、正典であるが、全く、別物の思想が展開されているのである。
勿論、書いた者は、パウロではない。
しかし、パウロの書簡として、正典入りしている。

それが、矛盾しているとは、教義も矛盾する。

キリスト教徒は、聖書をすべて読む訳ではない。
好きな箇所を何度も、繰り返し読む。
だから、趣味なのである。
趣味の信仰を、本当の信仰だと、思い込んでいる。

旧約聖書などを、精読しているキリスト教徒は、100万人に一人くらいだろう。
聖職者といわれる人たちも、である。

パウロが「コロサイの信徒への手紙」と「エフェソの信徒への手紙」を書いたという主張への反論も、同様の理由からだ。学者は、これらの書簡と「テサロニケの信徒への手紙二」を、「第二パウロ書簡」と呼び習わしている。なぜなら、これらの書簡は、パウロの作ではないと考えられており、パウロの全作品のなかで、二次的な位置を占めているからだーー
アーマン

その第一は、両書簡の文体である。
その他・・・は、学者に任せる。

それよりも、大変なことは、パウロの書簡よりも、高度な神学論なのである。
両者の作者が別人だとして、両者とパウロの見解が異なるということだ。

その盲点は、両作者と、パウロが、洗礼を受けたイエスの信者にとって、物事が、どのように変化するのかについて、述べている。

そして、その意見は、真っ向から、対立している。

初期教会では、洗礼は、乳児期に行なわれ、大人が洗礼を受ける場合は、キリスト教に改宗したときに限られていた。パウロにとって、洗礼は、単なる象徴的行為ではなく、重要な儀式だった。洗礼を受けると、何かが実際に起こるのだ。洗礼を受けた人は、死ぬときに、霊的にキリストと一体化するのである。
アーマン

パウロは、「ローマの信徒への手紙」の中で、その考えを、慎重に言葉を選びつつ、説明している。
それは、黙示思想である。

世界は、罪の力を含む、人々を隷属させ、神から疎外する、悪の勢力がはびこる。罪とは、悪魔的な力である。誰もが、その力に、隷属されられて、誰もが、どうしようもなく、神から引き離されている、というもの。

エホバの証人が、よく口にする言葉である。

この世は、悪魔が支配している、という、とんでもない考え方である。

とんでもない、というのは、人間の悪行を、悪魔のせいにするということである。
この世は、地獄であるが、それは、人間が、行なっていることである。
神を信じるから、その対立概念として、悪魔を置くと言う、形になる。

もし、そうならば、全知全能の神が、悪魔を作ったといえる。
そうすることで、神の姿が、より一層輝く・・・
冗談ではない。

それでは、神が愛する人間が、神に、コケにされているということだ。

さて、その罪の力から遠ざかる、唯一の方法が、死ぬことである。
キリスト共に、死ぬのである。
その瞬間が、洗礼である。

信者は、墓に埋葬されたかのように、その死をもって、キリストと一体化し、この世界を支配する勢力にとっても、死んだことになる。
洗礼を受けた人々は、罪の力に隷属することが、なくなるのだ。

それが、パウロの思想である。

ところが、洗礼を受けても、悪行をやめない人々・・・
西欧史の野蛮さを、見れば、一目瞭然である。

しかし、パウロは、人々がキリストと共に死んだとしても、その復活の姿にあずかれる訳ではないという。
イエスの信者は、キリストが栄光に包まれて、降臨したときに、甦る。それも、肉体的な復活である。

パウロは、キリストと共に復活することについて語るときは、未来の話として語る。

だから、パウロの教会には、自分たちは、すでにキリストと共に霊的な復活を遂げ、天国のキリストと共に支配していると、異議申し立てする改宗者もいた。

パウロは、それに対して、語気を荒げて、批判している。

ここで、パウロは、復活がすでに経験済みのものではなく、これから経験するものであり、過去の霊的な復活ではなく、本物の、将来の、肉体的復活なのだと強調している。
アーマン

「ローマの信徒への手紙」六章、五節、八節では、
洗礼を受けた者は、キリストと共に死ぬが、彼と共に蘇ったわけではないと、念を押す。

もし、わたしたちがキリストと一体になってその死にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう・・・わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。

ところが、「コロサイ、エフェソの信徒への手紙」では、それを否定している。

洗礼によって、キリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。

上記の二つの文は、実に、怪しい。
上は、過去の体験だが、復活は、過去の体験ではないという。

つまり、過去の体験ではなく、未来の体験であると、パウロは言うが、後者は、過去の霊的復活に言及して、パウロとは、対照的なのである。

神は・・・わたしたちをキリストと共に生かし、・・・キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。
エフェソの信徒への手紙

すべては、すでに起こったことである。
信じる者は、すでにキリスト共に支配者となった。

アーマン氏は、信者たちの、勘違いだと言うが・・・

それらの書簡は、パウロの死後、書かれた。
つまり、パウロの書いたものではない。
パウロの名を拝借して、書いたものである。

それでは、パウロの本当のお説が解った・・・良かった、良かった・・・という問題ではない。

私は言う。
聖書は、神の霊感に導かれて書かれたものというのが、ウソであるということである。
皆々、人間の手により、作為的に書かれたものであるということだ。

それを言うために、私は書いている。

posted by 天山 at 05:50| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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