2014年03月29日

霊学149

守護霊によって、もう一枚の着物を身にまとうようになる。

これまでの彼は、彼個人だけを包む魂の衣服を着けて、世界を生きてきた。そして彼が自分の属する共同体のために、民族や人種のために、為すべき事柄については、彼個人を道具として用いる高級霊たちが考慮してきた。―――さて「・・の守護霊」は、今後高級霊たちが彼から一切配慮の手を引くであろうと彼に打ち明ける。彼は共同体の温床から出ていかなければならない。今もし民族霊や種族霊の力を身につけておかなければ、彼は孤立した存在となって、完全に自分の中に凝り固まり、破滅の道を進むことになるであろう。
シュタイナー

これは、シュタイナーの霊界のものであると、意識しておく。

民族の、血族の、そして人種の指導霊の指揮からの手からまったく離れるということが何を意味するか、今はじめてそれを認識するようになる。
シュタイナー

つまり、民族、人種、血族によって、人間は、成長したのであるということだ。
だから、それらから、離れるということは、孤立するというのである。

ここでいう、指導霊とは、高級霊のことだろう。

そして、
この守護霊の次なる警告の声が響いてくる。

「おまえ自身、この闇に光を当てることができるまでに輝け。それができぬ間は、私の・・を通過しようとするな。・・・・おまえを導いてきた者たちの明かりはもはやこれからは存在しないのだから」。この言葉を聴いて、修行者は思わず振り向き、眼差しを後ろへ向ける。すると・・の守護霊はこれまで人生の深い秘密を覆っていたカーテンを取り払う。血族、民族、人種の守護霊たちがそのありのままの姿を現す。そして修行者は自分がこれまでどのように導かれてきたのかを明らかに悟るのみならず、今後もはや、このような指導を受けることはないであろうと悟る。これが霊界への・・で、その守護霊によって与えられる第二の警告である。
シュタイナー

実に、多弁な著である。
このシュタイナーの神秘学、神智学を研究する人たちは・・・
一体、どのように修行することだろう。

私にとっては、この有り様は、自己との対話であると、言う。
このような、霊的現象は、実に危険である。

それは、霊的に行なわれてはならないものである。
もし、そのような、守護霊との対話によって、何事かを得るとしたなら・・・
それは、不自然である。

シュタイナーが、何処の霊界の情報を得ているのか、それに疑問を持つ。

霊界を実在界と呼び、この世を現象界と呼ぶ人たちもいるが・・・
確かに、霊界を主たる存在の場所と認識すれば、そのように言える。

だから、シュタイナーの死についての、記述は、共感するが・・・

・ ・の小守護霊との出会い・・・・
この出会いを通して人間は、小守護霊という超感覚的存在を生み出したのが自分自身であったことを知った。この存在の体は人間自身の行為、感情、思考の諸結果から構成されていた。
シュタイナー

自分の中にある特定の傾向や習慣が、なぜそのような在り方をしているのか、今彼はそれを理解することができる。
シュタイナー

それを超感覚的存在というが・・・
それは、心理学では、当然の結果である。

別に、守護霊を持ち出さずとも、それは、説明が付く。

自分が生まれる以前に、ふたたびこの世に生を受けねばならぬ原因がすでに作り出されていたことに、彼は気づく。
シュタイナー

シュタイナー以前に、インドでは、それは、とうに解っていたことである。
特に、仏教の一つの派閥は、それを主として考えていた。

未生の我、である。

事実彼は次のように考えない訳にはいかない。「私がかつてこの世界にはじめて生を受けたのは、この世に生きて、他の世界の中では手に入れることのできぬ諸性質を身に付ける必要があったからである。私はこれからもこの世界との結び付きを保ち続けなればならない。そしてこの世の現実の中で獲得できるすべのものを、自分の中に取り入れなければならない。そうすることによってのみ、いつか私も他の世界のための有用な一員になれるであろう。そのためにも眼に見えるこの感覚的現実の中でのみ育成することが可能な能力のすべて、手に入れなければならない」。
シュタイナー

感覚的に把握しうる世界の本当の価値が、修行以前よりも、もっと深く認識でき、評価できるということは、霊界に参入した者の体験内容のもっとも重要な部分である。この認識と評価は、超感覚的世界の洞察を通して、彼のものになる。
シュタイナー

このシュタイナーの語りに、迷う者もおおいであろうと、推測する。

西欧の哲学、思想は、語り尽くすという一点にあるので、なんとも言えないが・・・
シュタイナーの研究者は、西欧の哲学史の中での、シュタイナーの位置を探る様子だが、これは、哲学に到るのか・・・解らない。

仏陀の悟りが、一つであるように、シュタイナーの考え方も、一つである。
更に、仏陀の観た霊界と、シュタイナーの観た霊界も、同じものとは、思えない。
更に、仏陀は、霊界については、一切、口にしていない。

私は、共に、生活指導だと、考える方が、易い。
改めて、超感覚的云々と言う必要は無い。

感覚を超える感覚というのだろうが・・・
私は、単に、感受性と呼ぶ。

感受性の強い人、弱い人がいる。
霊的感受性の高い人、という言い方をする。
それは、体質的なことになる。

勿論、感受性を高めるために、色々な方法があるだろうが・・・
修行とは、言わない。

修行とは、行為する人の、思いで決まる。
修行だと信じれば、修行になるのである。



posted by 天山 at 05:53| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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