2014年03月28日

霊学148

シュタイナーの守護霊の箇所で、共感する部分がある。
それは、死に対することである。

・ ・の守護霊との出会いを幸いにも通過できた修行者が死の瞬間を迎えたとき、その死はこれまでの前世で体験してきた死とはまったく異なる事実として受け止められる。死がまったく意識的に体験され、まるで使い古しの、または使いものにならなくなった衣服を脱ぎ捨てるように、彼は自分の肉体を脱ぎ捨てる。死が修行者にとって、特別に大きな事件であるのは、彼と共に生きてきた人たちとの別離としてであり、そしてまだ物質世界だけを現実世界と考えている人たちのことを考えてである。
シュタイナー

これは、多くの霊的関係の思想と、同じである。

全く、その通りである。

彼が生前体験してきた超感覚的世界はすべて、生前は生前に応じた仕方で自分の前に現存していたし、死後も死後に応じた仕方で自分の前に現存し続けている。
シュタイナー

この「・・の守護霊」は別な事柄とも関連している。この世の人間は家族、民族、人種に属し、その働きはどのような共同体に属しているかによって左右される。
シュタイナー

この、家族、民族、種族に関しては、以前、シュタイナーの説明の際に、書いた。

民族の魂は自己の意図を物質的な感覚世界で実現するために、個々の人間の肉体を道具として使用する。
シュタイナー

これも、共感出来る、箇所である。

それは、意識的、無意識的に、そのようになるのであり、守護霊云々とは、本当は、関係ない。
だが、守護霊というものを、置いて、考えるということは、否定しない。

どの人間も、言葉のもっとも真なる意味で、家族の、民族の、もしくは人類の意図に従って働いている。修行者は、・・の守護霊と出会った時から、彼自身の個人的な立場を意識するのみならず、民族や種族によって与えられた使命に対しても意識的でなければならない。
シュタイナー

そのための、守護霊なのであろう。

このことで、修行者は、自分のアストラル体に、新しいアストラル体を付け加える過程であると、言う。

だが、使命を意識する、無意識に行為するということは・・・
どちらも、使命を果たすのである。

そこに、シュタイナーが言う、高級霊の関与がある。
神ではない。高級霊である。
これは、多分に、グノーシス主義の考え方である。

その証拠に、後に、血族、民族、人種の守護霊たちという言葉が出てくる。

通称、背後霊というのは、それらの、総称である。
一人の人間の背後には、膨大な、霊が関与するということだ。

シュタイナーのすべてを、受け入れることは、出来ないが、それぞれの箇所には、共感する部分がある。

ここで言う、修行者ではなとも、守護霊という存在は、誰にでも、存在する。
ただし、その霊は、その人の性格、そして、行為により、入れ替わる。

更に、物質世界だけを、すべてだと、信ずる人の守護霊は、近づけない。遠く、遥かに、遠くに存在する。

ただし、別の霊的存在が、非常に近くに存在する場合がある。
世に言う、成功者といわれる人たち。
彼らの、背後には、守護霊ではなく、別の霊的存在が関与する。

その、良し悪しは、言う必要が無い。

ここで、解ることは、人間は、生きていると、思い込むが、実際は、生かされているのである。
多くの、眼に見えない存在によって、生かされている。

自分の意志で、何事かを為すと思うが、実は、その背後には、多くの霊的存在が係わり、その人間に、行為を促がす。

操られる人間なのである。

人間の頭で、捏ね繰り回した、様々な考え方・・・
実は、それも、背後に存在する、霊的存在が関与する。

シュタイナーが言う、修行者とは、それらを意識するか否かにかかっていると、思われる。
それを意識する人を、修行者というならば、理解する。

今まで、心霊主義や、その他諸々を見てきたが、西欧の哲学、思想を通しての、シュタイナーである。
その西欧を主とする考え方もあり、実際は、イスラムの心霊に関する考え方、インド系など、様々に存在する。

歴史も、西洋史を主にして学ぶと、誤る。
更に、それぞれの妄想も、多く存在する。

そして、霊的な事柄には、物質的世界ではない、つまり、眼に見えないという、世界のこと故に、通常の常識では、測り知れない世界である。

そうすると、信じる、信じないという、二つの対立した考え方が出る。

何度も書いているが、シュタイナーの見た、霊的世界は、何処なのだ・・・
その検証が必要である。
だが、その証拠とは、何か・・・

言葉で、語り得るものなのか・・・
だから、修行が必要になるともいえる。
だが、その修行というものが、本当に真っ当なものなのか。

一番、危険なことは、新興宗教などに見る、教祖の思い込み、妄想の産物による、修行法である。

眼に見えない世界は、非常識な世界である。が、故に、常識的に判断するべきである。
だから、霊学には、精神医学の教養が必要なのである。

狂いと、超感覚的世界は、紙一重である。



posted by 天山 at 06:02| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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