2014年03月24日

性について243

生殖が、性交から分離するだけではなく、性そのものから、分離されるという、事態も想定できる。

処女生殖と呼ばれる、単為生殖の可能性である。
つまり、クローンである。

単為生殖は、自己分裂によって、増殖することを意味する。
下等な生物だけではなく、高等な動物にもみられるものだ。

実験では、ウニ、カエル、ウサギなどの未受精卵を人為的に刺激することで、細胞分裂を起こさせることが、可能になった。

その方法を、人の女性にも、用いる。
ただし、この場合は、生まれるのは、すべて女性である。
男女を決定するのは、精子にしかないからである。

この種の、クローニングが可能になると、いくらでも、一人の人間を産むことが出来る。
ただし、その人間は、全く同じ遺伝子を持った、クローン人間である。

さて、それは、自然に反することである。
と、言うのは、簡単だが・・・

それでは、自然は、すべて合理的であるかといえば、そうではない。

生殖が性と分離するという、時代に従い、人間の性に対する考え方も、変わらざるを得ないのである。

性と、生殖の分離が不自然である。
と、考える人たちが、まだ、大勢いるだろうが・・・

では、自然のシステムが、生殖に関する限り、合理的であろうか・・・

女性の卵巣には、約40から50万個の原卵を持つ。
しかし、一生のうちに、その精々、数百個しか、排卵しない。

更に、受胎により、出産するのは、わずかである。

また、男の場合は、一生のうちに、精子を天文学的数字に達する、放出をする。
しかし、そのうちの、精々が、数匹、受精に関わるのである。

ここで、もし、自然が、合理的であるとするなら、一人の男と、限られた女だけで、地球は、人間で埋まるだろう。

そして、自然のままに、放置すれば、多くの欠陥人間も生まれる。

生殖は、合理的な科学に委ねて、性は、生殖と別のものとして、考える時代が到来した様子である。

だが・・・
合理的・・・
果たして、すべて、合理的で、いいのかという、問題がある。

社会現象の中では、合理的という言葉で、多くが解決される。

だが、生殖が、科学による、合理的な方法で、果たして、人間と、人間性は、納得するのだろうか。

更に、現代は、遺伝子によって、様々なことが、解るようになった。
あらかじめ、障害のある子供を生まなくてもいいのである。

自然=神
つまり、神への挑戦になるのか。

性を考えることは、生殖を考えることで、そして、誕生を考えることで、育児を考えることだった。
そこに、家庭という、家族の仕組みが存在した。

今、性と生殖は、その根本、基本的な、人間の最小単位の、人間関係まで、変容しようとしている。

更には、先祖という感覚、観念も、変容する。

精子バンクから得た、精子によって、受胎した場合・・・
先祖とは、誰か・・・

見ず知らずの男の精子を、受精するのである。

あるいは、外国人の男の精子を、受精する者もいるだろう。

そして、その精子バンクは、登録出来る男が、判定される。
その男の家族関係・・・
優秀とみなされる男の精子を、保存している。

子供は、授かりものではなくなる。
与えられたものではなく、自分が選んだものとなる。
その時、倫理は、どのように働くのか。

倫理学は、それを、どう捉えるのか・・・

地球の人口のバランスを考えた、生殖行為が、科学でされる時代になるのか。
そして、その主導は、誰がするのか。

性を考える・・・
さて、まだ、続けるか否か・・・

そこで、本能という、問題を考えることにしたいと、思う。
性、性欲は、本能か・・・

種族保存の本能・・・
それは、本当なのか・・・

そして、人間の、本能とは、何か、である。

本能の実体を考える。
そして、性を、更に見つめてみる。



posted by 天山 at 06:30| 性について5 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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