2014年03月22日

国を愛して何が悪い121

武士の教育において守るべき第一の点は品性を建つるにあり、思慮、知識、弁論的知的才能は重んぜられなかった。
新渡戸

知的優秀はもちろん貴ばれた。しかしながら知性を表現するために用いられたる「知」という語は、主として叡智を意味したのであって、知識には極めて付随的地位が与えられたに過ぎない。
新渡戸

これは、武士の教育および訓練、に関する記述である。

学問は、武士の活動範囲の外にあったという。

武士は「人を救う信仰箇条ではなく、信仰箇条を正当化する人である」ことを信じた。
新渡戸

実に、武士を言いえている。

哲学も、軍事的、政治的問題も、品性を得る上で、必要なものであった。

武士道教育は、剣、弓、柔術、馬術、槍、兵法、書道、倫理、文学、歴史などから、成り立つ。
十分な教育である。

それらについて、一々説明しない。

面白いのは、
武士道は非経済的である。
新渡戸
という。

それは貧困を誇る、とも言う。

であるから、児童は、全く経済を無視するように、躾けられたのである。

数の知識は軍勢を集め、もしくは恩賞知行を配分するに不可欠であった。しかし貨幣の計算は下役人に委ねられた。
新渡戸

武士は、貨幣に関わらないのである。
確かに、貨幣は、戦争の筋道であることを知っていたが、金銭の尊重を徳にまで、高めることは、考えなかったのである。

武士道において節倹が教えられたことは事実であるが、それは経済的の理由によるというよりも、克己の訓練の目的にいでたのである。
新渡戸

武士は、質素である。
これは、見事に日本の、各藩に言えた。

かくのごとく金銭と金銭欲とを努めて無視したるにより、武士道は金銭に基づく凡百の弊害から久しく自由であることをえた。これは我が国の公使が久しく腐敗から自由であった事実を説明する十分なる理由である。しかしああ! 現代における拝金思想の増大何ぞそれ速やかなるや。
新渡戸

新渡戸の時代から、拝金主義が増大していた・・・

さて、
抽象的問題が青少年の心を悩ますことは稀であった。
と、新渡戸が書く。

議論のための、議論は、無いというのである。

ベーコンが学問の三つの効用として挙げたる快楽、装飾および能力の中、武士道は最後のものに対して決定的優先を与え、その実用は「判断と事務の処理」にあるとなした。
新渡戸

つまり、実際的目的を眼中において、教育がなされたのである。

そして、武士道は、
金銭なく価格なくしてのみなされうる仕事のあることを、武士道は信じた。
と、ある。

更に、僧侶の仕事にせよ教師の仕事にせよ、霊的な勤労は金銀をもって支払われるべきではなかった。価値がないからではない、評価しえざるが故である。
新渡戸

武士道のありし頃は、そのようであった。

我が国民は、皆々、そのように、武士道からの影響を受けて、品性を為していたのである。

これが、近代日本の、精神だったことは、見事と言うしかない。

武士の地位を上に置く事によって、成り立った、日本人の、近代の精神は、世界に誇れるものだった。
だから、新渡戸の英語の武士道が、欧米人に多く読まれたのである。

慄然として、品性を磨くことの、教育を現代は、手放してしまったようである。
品性のない者は、卑しい者である。

時代は、進化したが・・・
人間性は、退化したのか・・・

精神は、言葉の世界である。
その精神の品性を高く保つために、言葉の世界があったはずである。しかし・・・

精神は、言葉に冒されてしまったようである。
何故か・・・
それは、言葉を扱う者たちによる。

そして、情報過多である。更に、その情報を鵜呑みにしてしまう、性質である。
マスコミ・・・
インターネット・・・
勿論、今では、どれも拒むことは、出来ない。
それが、出来るのは、吾自身である。

その吾に、品性を求めているのか、である。


posted by 天山 at 05:57| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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