2014年03月18日

神仏は妄想である。467

福音書を書いた者は、誰か・・・

彼らが教育程度の高い、ギリシャ語を話す人びとであったことは、論を待たない。福音書がもともとアラム語で書かれていたと考える学者もいることはいる。しかし、今日では、様々な専門家、言語的理由から、全ての福音書はギリシャ語で書かれたというのが大方の見方である。
アーマン

福音書が一貫したテーマを持つ物語である。
物語を構築し、技法を持って文学的な目的を遂行する術を持つ。
つまり、相当な、教育程度を必要とする。
すると、イエスの弟子などが、書ける訳がないことが、解る。
更に、その付近の者たちも、である。

後世のキリスト教徒が、書いたのである。

彼らがパレスチナの地理やユダヤ教徒の慣習に疎いことから、パレスチナではない帝国のどこかで福音書を執筆したのだと推測できる。
アーマン

何度も、言うが、神の霊感に導かれて・・・などというものではない。
明らかに、作為があるのだ。

こうして、研究により、福音書の正体が、明らかにされている。
さて、どうするか・・・

物語、文学的という、表現は、的を当てている。
それ以上のものではない。

そこで、私は言う。
それでも、聖書、福音書は、二千年の時を過ごして、多くの人々に、影響を与えてきた。特に、野蛮な白人に影響を与え、更に、道徳的、倫理的な導を作った。
それに、意義がある。

勿論、そのキリスト教を利用して、一時期は、とてつもない、人種差別による、虐殺を行なったが・・・

西欧の伝統的読み物と言っていいだろう。

現在も、野蛮な白人に行動の規範を与えているという、意義も大きい。

そして、信仰という、魔物を与え続けている。とても、良いことだ。

だから、私は、個々の信仰に対して、云々する者ではない。
更に、宗教を否定もしない。
ただ、私は、神仏は妄想である、という、エッセイを書き続けている。

人間は、進化の過程で、必要なものを、作り続けてきた。
それで、いい。
宗教も、その一つである。

神仏を信じる人が、存在する事は、何も問題がないのである。

人間は、それほどに、弱い者である。
実に、か弱いのである。
命凛々としていた時代が過ぎて、老年に達すると、更に、気が弱くなり、そして、死を恐れる。
そこに、妄想の神仏がいても、致し方ないのである。

痴呆になるのも、自然な姿である。
死ぬのが、怖いのだから。

痴呆になるも、妄想の神仏に頼ろうが、死ぬまで、人間は、そして生きることは、辛いものである。

そういう存在の人間に対して、日本では、もののあはれ、という、心象風景が言われた。
人間の存在が、あはれ、なのである。
その、あはれ、といものを、じっと見つめ続ける行為に、日本人は、救いを見た。

生きとし生けるもの、すべてに、あはれ、という心象風景を見たのである。

そこに、特別な言葉の世界は無い。
あっては、ならないのである。
あれば、それは、人間の傲慢不遜であり、生まれて死ぬ存在であることを、ただ、見つめるだけが、人間の出来ることであると。

そこから、福音書の言葉の数々を眺めると、実に、不思議な言葉の世界が広がる。
福音書の作者は、イエスに言わせる。
私は、道であり、真理であり、命である。

ユダヤ教徒が、驚いたのは、神であるといわれたイエスの存在が、冒涜であるというもの。今も、ユダヤ教徒は、イエスをメシアと認めない。

ユダヤ教の神が、ユダヤ民族の神であるように、イエス・キリストも、西欧の神として。作られたものなのである。

仏陀という者も、大勢存在したが・・・
釈迦仏陀として、作り上げた、その心。

人間とは、実に憐れなものなのである。

生きるにも、幻想と妄想が必要な存在なのである。
それで、いい。

何せ、自己幻想ほど、激しいものは無い。
幻想と妄想の中に生きるしか、術がないのである。
更に、悲劇的なことは、死によって存在が虚無にならないことである。

想念というものが、残る。
それを霊と言ってもいい。

もし、消滅するとしたら・・・
この宇宙が消滅するしかない。

更に、宇宙外に出るしかない。
そんなことは、出来ないのである。
宇宙大の意識になっても、消滅出来ないのである。

その証拠が、神仏である。
その、神仏を私は、妄想だと言う。

神仏が宇宙に充満しているという、馬鹿がいるが・・・
それこそ、そこから、出るに出られない存在が、人間なのである。

宇宙というのも、神や仏である・・・云々・・・
そうして、人間は、辛うじて、幻想と妄想の中で、生きられる。

ここで言うのは、大乗仏教の無、空の、考え方ではない。

人間は、人間の頭の中で、捏ね繰り回したもの、考え方しか、出来ないのである。

人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり
平家物語 敦盛の段

人間とは愚かなもの




posted by 天山 at 05:57| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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