2014年03月17日

神仏は妄想である。466

普通牧師や司祭は信徒に話したがらないが、一世紀以上前から、新約聖書のかなりの部分は、名前が記されている人々の手によるものではないことが、学者には広く知られている。もしそうなら、誰が聖書を書いたのだろう?
アーマン

私がカトリック教会に通っていた頃も、そんな話は聞いたことが無い。
更に、司祭が知っていても、話すことが無かった。
驚きである。

更に、驚くべき事は、新興のキリスト教、あるいは、聖書の解釈をする、新興宗教の開祖たちである。
よくも、まあ、本当のような、嘘を延々と書き続け、話し続けたものである。

そして、主は、仰せられた・・・と、説教するという、仰天である。

例えば、それは、マルコと名乗る者が書いた聖書には・・・ということになるのだが・・・

最も、恐ろしいのは、外典などの、その他の書物を、偽書呼ばわりする者どもである。一体、現在の聖書が、偽書ではないという、証拠などないのである。

勿論、それは、聖書にだけ言えることではない。
大乗仏典なども、偽書、妄想の書である。

さて、マタイは、イエスの弟子になる前は、徴税人であり、ヨハネは、イエスの愛しておられた弟子として、ヨハネの福音書に、登場する。

マルコは、使徒ペトロの秘書であり、ルカは、パウロの旅の同伴者である。

彼らが、福音書を書いたとする伝承は、福音書の成立後、一世紀頃からだと、考えられる。

だが、確実に、それらは、おかしい。
同じく、イエスを知る者によって書かれているのに、イエスの姿が、全く別物なのである。

マタイと、ヨハネなどは、全く統一が取れていない。

マタイには、イエスが神だとは、一言も書かれていない。
だが、ヨハネは、生まれる前から、神である。

色々あるが・・・省略する。

アーマンは、書く。
ところが、現実には、目撃者が歴史的に正確な証言をするとは限らないのだ。目撃証言を鵜呑みにできないのは、昔も今も一緒である。もし目撃証言が必ず正しいなら、法廷などいらなくなってしまう。

では、マタイとヨハネの証言が、これほど違うと、判定するのに、どうするか。

さらに、福音書はもともと匿名で書かれており、作者の誰一人として目撃者だと名乗っていない。
アーマン

つまり、そのタイトルは、後の世の人々が、勝手に、付けたのである。
誰が書いたのか、知らぬが、当時は、マタイの福音なとどは、言わなかったのである。

マタイは、三人称で書かれている。
そして、作者に関しては、何も書かれていない。

ヨハネでは、作者は、イエスの愛しておられた弟子、について、語る。
これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。

作者が、弟子と自分自身とを、明確に、区別している。
つまり、作者は、弟子とは、別人であることを、言う。
その弟子から、情報を得たというのである。

調べてみると、この作者は、グノーシス派の影響を受けている。
はじめに、言葉があった・・・
それは、ユダヤ教の考え方ではない。

言葉は神であった。
そんな常識は、ユダヤ教には無い。

そして、マルコは、ペトロの仲間、ルカも、パウロの仲間・・・

いずれにしろ、福音記者は誰一人として目撃者ではなかったし、また彼ら自身、そうであるとは言っていない。
アーマン

使徒行伝と並び、最も古く、最良の情報を提供してくれるのは、福音書であるが・・・
それ以外では、その何十年後、何百年後に作られた、伝記が残されてある。

有名なのは、ヨハネ行伝であるが、伝記が信用にたる歴史資料と考える、歴史家はいない。

更に、福音書を書いたと言われる者たちは、つまり、イエスの弟子は、ガリラヤ地方の田舎で、身分の低い農民、漁民だった。
その日暮らしの労働者である。

教育程度・・・
全く、論外である。
文字を読めたか・・・書けたか・・・

文字を読むことが出来ても、書くことが出来ない人間が大勢いた。

ローマ帝国でも、文盲率は、90パーセントである。
おして知るべし。

使徒行伝には、ペトロとヨハネが、無学であることが、書かれている。
無学とは、文盲である。

そして、彼らは、イエスと同様、アラム語を話していた。
イエスの弟子は、文盲で、アラム語を喋る、下層階級の農民、漁民だった。

福音書の作者は高学歴で、ギリシャ語が堪能なキリスト教徒であり、おそらくパレスチナには住んでいなかった。
アーマン

全ての福音書は、ギリシャ語で、書かれたのである。

ここ、ここに至ると、神の霊感により、書かれた聖書・・・
大嘘である。

人間の作為ある、作品なのである。
イエスを、キリストに仕立て上げる、工夫が、ふんだんに施されている。

そして、その言葉の数々に、意味付けを行い、神学なるものを作り上げた、妄想全開の人々。
呆れる。




posted by 天山 at 05:55| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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