2014年03月12日

もののあわれについて660

大臣は、あやしう浮きたる様かなと思し悩みて、「かのわたりの事思ひ絶えにたらば、右の大臣、中務の宮などの、気色ばみ言はせ給ふめるを、いづくも思ひ定められよ」と、宣へど、物も聞え給はず、かしこまりたる様にて侍ひ給ふ。源氏「かやうの事は、かしこき御教へにだに従ふべくも覚えざりしかば、言交ぜまうけれど、今思ひ合はするには、かの御教へこそ長き例にはありけれ。つれづれとものすれば、思ふ所あるにや、と、世人も推し量るらむを、宿世のひく方にて、なほなほしき事にありありて靡く、いとしりびに人悪き事ぞや。いみじう思ひ上れど、心にしも適はず、限りあるものから、すきずきしき心つかはるな。いささかの事あやまりもあらば、かろがろしきしきをや負はむとつつみしだに、なほすきずきしき咎を負ひて、世にはしたなめられき。位浅く何となき身の程、うち解け、心のままなる振舞などものせらるな。心自らおごりぬれば、思ひしづむべき種なき時、女の事にてなむ、賢き人、昔も乱るる例ありける。さるまじき事に心をつけて、人の名をも立て、自らも恨みを負ふなむ、遂の絆となりける。とりあやまりつつ見む人の、わが心に適はず、忍ばむ事難き節ありとも、なほ思ひ返さむ心を習ひて、もしは親の心に譲り、もしは親なくて世の中かたほにありとも、人柄心苦しうなどあらむ人をば、それを片かどよせても見給へ。わがため、人のため、遂によかるべき心ぞ深うあるべき」など、のどやかにつれづれなる折りは、かかる心づかひをのみ教へ給ふ。




大臣、源氏は、妙に夕霧の縁が定まらないのを、困り、内大臣の方の、つまり雲居の雁のことを思い切ってしまったら、右大臣や、中務の宮などが、お気持ちのあることを漏らしてくださるので、どちらでも、決めるがいい。と、おっしゃるが、夕霧は、何も返事をせず、慎んで、控えている。
源氏は、こういうことは、父帝の、ありがたいご教訓にさえ、従おうという気にもならなかったのだから、口を挟みにくいが、この年になり、考えてみると、父帝のご教訓こそ、永久の規範だった。独身でいると、何か考えがあるのかと、世間の人も思うだろうし、運命の導くままに、感心できないことに、結局はなってしまう。それでは、尻すぼみで、世間体も悪い。酷い高望みをしても、思う通りにならず、限度はあるが、女に手出しなさるな。小さい時から、宮中に育ち、思い通りに動けぬ窮屈な身分で、少しでも失策があると、軽率との非難を受けるだろうということで、気をつけていたが、矢張り、女に手を出す短所があると言われて、世間から非難されたものだ。位も低く、大した身分でない時に、気を許して、思うままの行動をするのではない。慢心してしまうと、浮気心を抑える妻子がいない時は、女の問題で、立派な人が、昔も、失敗する例がある。そういうことに、熱心になって、女にも、悪い評判を立て、自分も、怨みを受けるが、一生の障りになる。
うっかりして、結婚した相手が、自分の理想通りではなく、我慢する事の出来ない点があっても、それでも、思い直す気持ちを持つことに努めて、親の気持ちに免じて、親がなくて生活が不十分であっても、人柄に、気の毒というものがある人は、それを取り得と思い、捨ててはならないのだ。自分にとっても、女にとっても、結局は、よいようにと考えることが、分別があるということだ。などと、別にお仕事も無いときには、こういう気持ちの持ち方を、もっぱら講義される。

何とも・・・
今でも、この考え方が、生きていると思うが・・・
昔も今も、誤解して結婚し、理解して離婚するようである。




かやうなる御いさめにつきて、戯れにてもほかざまの心を思ひかかるは、あはれに人やりならず覚え給ふ。女も、常よりことに大臣の思ひ嘆き給へる御気色に、恥づかしう、憂き身と思し沈めど、上はつれなくおほどかにて、ながめ過ぐし給ふ。




このような、ご教訓に従い、冗談にせよ、外の女を思うのは、可哀想だと、夕霧は、思う。そして、女、雲居の雁も、いつもと違い、内大臣が嘆いている様子に、合わせる顔もなく、不幸な自分と、悲観しているが、表面は、平気で鷹揚に、物思いに日を過ごしている。




御文は、思ひ余り給ふ折々、あはれに心深き様に聞え給ふ。「誰がまことか」と、思ひながら、世なれたる人こそ、あながちに人の心をも疑ふなれ、あはれと見給ふ節多かり。「中務の宮なむ、大殿にも御気色賜りて、さもやと思しかはしたなる」と、人の聞えければ、大臣はひき返し御胸塞がるべし。忍びて、内大臣「さる事をこそ聞きしか。情けなき人の御心にもありけるかな。大臣の、口入れ給ひしに、執念かりきとて、ひきたがへ給ふなるべし。心弱くなびきても人笑へならましこと」など、涙をうけて宣へば、姫君、いと恥づかしきにも、そこはかとなく涙のこぼるれば、はしたなくてそむき給へる、らうたげさ限りなし。「いかにせまし、なほや進み出でて、気色をとらまし」など思し乱れて立ち給ひぬる名残りも、やがて端近うながめ給ふ。「怪しく心おくれても進み出でつる涙かな。いかに思しつらむ」などよろづに思ひいる給へる程に、御文あり。さすがにぞ見給ふ。こまやかにて、

夕霧
つれなさは 憂き世の常に なり行くを 忘れぬ人や 人にことなる

とあり。「気色ばかりもかすめぬつれなさよ」と、思ひ続け給ふは憂けれど、

姫君
限りとて 忘れ難きを 忘るるも こや世に靡く 心なるらむ

とあるを、あやし、と、うち置かれず、かたぶきつつ見居給へり。




お手紙は、我慢出来なくなった時に、あはれに、心打つように、書いて来る。
「誰の誠をば」とは、思うものの、男を知っている女ならば、むやみに相手を疑うこともあるというが、あはれに、御覧になる文句が多い。
中務の宮様が、殿様の内意を伺って、その気になっていらっしゃると、女房が申し上げるので、内大臣は、改めて、どきり、とする。こっそりと、大臣は、こういうことを聞いたのだ。冷たいお心の方だった。殿が、中に入った時に、意地悪したとして、他へ話をなさるのだろう。気弱く、言いなりになっても、世間から笑われることもあるだろう。などと、涙を浮かべて、おっしゃる。姫君は、顔も上げられない思いに、何となく、涙がこぼれるので、横を向きになられるのが、とても可愛いのである。
「どうしたものやら。こうなっても、こちらから申し出て、向こうの気持ちを聞いてみようか、などと、気持ちがまとまらず、立ち上がった後も、縁近くで、物思いにふける。姫君は、妙に気弱く流れる涙です。お父様は、どう思っているのか、など、あれこれ思案に暮れて座っているところへ、お手紙が来た。
それでも、矢張り、御覧になる。愛情のこもったお手紙で、

夕霧
冷たいお心は、嫌な、この世の人並みになってゆきます。忘れられない私は、世の他人とは、違うのでしょうか。

と、書いてある。けぶりにもほのめかしもしない、冷淡な方と、思い続けるのは、辛いが、

姫君
もうこれまでと、忘れ得ない私を、お忘れなのも、世間普通に、なられた、お心でしょうね。

と、書いてあるのを、夕霧は、妙だと、下にも置かず、首をかしげながら、手紙を見て座り込んでいる。

解釈が、とても、難しい。
姫君の、限りとて・・・
これは、私を忘れ、中務の宮の姫君と、結婚することを言う。

世に靡く・・・
世に靡くのは、夕霧の方であること。

夕霧は、雲居の雁が、そのことを、恨んでいるとは、気が付かない。

夕霧は、つれなさ・・・と、雲居の雁のことを言うが。

気色ばかりもかすめぬつれなさ
雲居の雁は、すでに、中務の宮との縁談を言うのである。

あはれ、という言葉が、多く使われるが・・・
ここでは、解釈しない。

梅枝を、終わる。




posted by 天山 at 02:43| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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