2014年03月07日

伝統について67

争へば 神も悪ます よしえやし よそふる君が 悪からなくに

あらそへば かみもにくます よしえやし よそふるきみが にくからなくに

抵抗すると、神様も、憎まれることだ。ああ、人の噂が、自分の相手に、なぞられている、あの人は、憎くはないのに。

複雑な心境である。
噂が、自分の相手に、よく似ている。
あの人は、憎くないのに・・・

夜並べて 君を来ませと ちはやぶる 神の社を 祈まぬ日は無し

よならべて きみをきませと ちはやぶる かみのやしろを のまぬひはなし

毎夜、続けて、あの方が来て欲しいと、神威ある神の社に、祈らぬ日は無い。

ちはやぶる、とは、感動詞である。
何かに、思い切る時に、使われる言葉。

来て下さいと、神に祈る心。恋である。

霊ぢはふ 神もわれをば 打棄てこそ しえや命の 惜しけくも無し

たまぢはふ かみもわれをば うつてこそ しえやいのちの おしけくもなし

霊の力ある神も、私を見捨ててください。この命は、惜しくもないこと。

恋に極まり、命を棄てても良いという。
叶わぬ恋なら・・・
死んでも、いいと、言うのである。

吾妹子に またも逢はむと ちはやぶる 神の社を 祈まぬ日は無し

わぎもこに またもあはむと ちはやぶる かみのやしろを のまぬひはなし

我が妹子に、またも逢いたいと、神威ある、神の社に、祈らぬ日は無い。

祈り、とは、い、の、り、であり、意を述べるのである。
しかし、この場合は、思いである。
ひたすらな思い、満ち満ちて・・・祈る。

ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 今はわが名の 惜しけくも無し

ちはやぶる かみのいかきも こえぬべし いまはわがなの おしけくもなし

恐れ多い、神の垣根といえど、越えて行く。こうなった今は、私の名など、惜しくない。

恋は、恐れを超える。
恐れていては、恋など出来ない。

畏れかしこむ、神の垣根も、越えるというのである。

いずれ、この心が、様々な、日本の伝統的心情として、生きてくる。
例えば、武士道・・・

恋に命が惜しくないと同じように、名誉のために、死ぬことを、潔しとする。

更に、芸に命を懸ける。
それが、また、美意識にも、高まるのである。

恋から発した、日本の精神である。

この、万葉の恋は、真っ直ぐに、エロスへと進む。
それは、純粋なる、欲望である。
その、欲望を善しとした。

つまり、恋の心は、エロスへの道なのだった。

複雑怪奇な、情欲の世界ではない。




posted by 天山 at 05:31| 伝統について2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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