2014年03月31日

霊学151

人間は、現在の姿が示しているような、霊的存在としての不完全な段階から出発して、その不完全さの中で完全な方向に導かれつつ、高次の世界の中で働くことができるようになろうとしている。
シュタイナー

これは、すべての霊学的なるものの、考え方である。
しかし、霊的存在としての不完全な段階から出発し、その不完全さの中で、完全な方向に導かれ・・・

何故そうなのか・・・
人間は、この現在の姿で、完全である。
霊的に観て、不完全なもの・・・

霊的に観ても、完全なのである。
ただ、気付かないだけである。

それぞれの、育ち、環境、教育、習慣により・・・
霊的な事柄に気付くことなく、生きてきた。
そして、それは、間違いなのか・・・

唯物主義の環境の中で、生きてきた人は、唯心的な考え方を持たない。

そして、この世の、育ち、環境、教育、習慣は、自らが、選んだ結果である。
そこに、生まれたくて、産まれたのである。

ここに未来への展望が結び付く。未来への展望は超感覚的世界のさらに高い段階へ修行者の眼を向ける。そこには感覚世界の中で成熟した果実が存在する。それによって感覚世界そのものが克服され、その果実は高次の世界に同化される。
シュタイナー

感覚世界とは、現実世界である。
超感覚的世界は、霊界である。あるいは、次元を別にした世界。

説明し過ぎの、くどさで、読者が、混乱する。
部分部分には、共感し、納得する所があるが・・・

この展望とともに、感覚世界における病気と死に対する理解も与えられる。死とは、かつての超感覚的世界がもはや自分自身によってはそれ以上前進できない地点まで達してしまったことの表現以外の何ものでもない。
シュタイナー

死に関しては、何とでも、言える。
シュタイナーの死も、それ以上前進できない地点に達した故に、死んだのか・・・

修行者以外の人の死は、どのようになるのか・・・

死滅し、凝結しつつある世界の残滓から、新しい世界の萌芽が現れる。
シュタイナー

当たり前である。
何故、シュタイナーが、この著作を書かざるを得なかったのか。

それは、シュタイナーは、知るという意識、認識があったからである。
それを知る者だから、書き続けた。

ところが・・・
修行は、著作を読み込み、それを読者が実践するという、意識で、書かれている。
こんな、怖ろしいことは、無い。

それでは、読者によって、様々な解説が成り立つ。
そして、その中でも、権威を持つと・・・
宗教指導者のようになる。

神話や、伝承ではないのである。
哲学も、超えている。
何せ、超感覚的世界である。

更に、シュタイナーの観た、霊界の諸相であり、誰も、それを鑑定する者がいない。

この修行は、注意力である。
そして、感受性を高めることである。

人間は・・・・・二重の存在である。死すべき存在でもあり、不滅の存在でもある。
シュタイナー

私には、この繰り返しのように、著作を読む。
その不滅の部分を目覚めさすために・・・

しかし感覚的、物質的な存在形式が示すこの二重世界の内部においてはじめて、人間は世界に不滅性をもたらすための能力を獲得する。
シュタイナー

事実、人間の使命は死すべきものの中から不滅なもののための果実を取り出すことである。
シュタイナー

人生訓としては、良い言葉だ。

人間は、自然体で、そのように生きている。
あえて言葉にすると、このようになる。

日本にも、このような、繰り返し、更に、深みに嵌った、宗教家がいた。
親鸞である。
言葉の世界も、さることながら・・・
似た霊界の者ではないかと、私は、感じている。

超感覚的世界というより、超哲学的、超思想的世界を、論じている。
そして、そこには、信じるという行為がある。

シュタイナーは、一体何を信じていたのであろうか。

・ ・の守護霊・・・・・
自分がどの位物質の感覚的な作用の中に巻き込まれているかを、人はこの・・の守護霊によって、はっきりと悟らされる。
シュタイナー

人間と肉体の感覚作用との係わり合いは、さしあたり、本能、衝動、欲望、利己的願望、あらゆる種類の私利私欲となって現れ、さらには人種や民族の一員であることにおいて現れる。その意味では民族や人種も純人間的なものへ到る発展段階の一つに過ぎない。
シュタイナー

霊界を知る者は、それぞれの、民族、それぞれの国に霊界が存在することを知るはずだ。

それまでも、超越して考えるということは、特別な霊界からの、見聞であると、思われる。




posted by 天山 at 07:11| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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