2014年03月11日

もののあわれについて659

左衛門の督は、ことごとしう賢げなる筋をのみ好みて書きたれど、筆のおきてすまぬ心地して、いたはり加へたる気色なり。歌なども、ことさらめきて、選り書きたり。女のは、まほにも取り出で給はず。斎院のなどは、まして取う出給はざりけり。葦手の冊子などぞ、心心にはかなうをかしき。宰相の中将のは、水の勢ひ豊かに書きなし、そそけたる葦の生ひ様など、難波の浦に通ひて、こなたかなたいき交じりて、いたうすみたる所あり。また、いとめかしう、ひきかへて、文字やう、石などのたたずまひ、好み書き給へるひらもあめり。宮「目も及ばず。これはいとまいりぬべきものかな」と、興じめで給ふ。何事も物好みし、えんがりおはする親王にて、いといみじうめで聞え給ふ。




左衛門の督は、仰々しく、偉そうな書風ばかりを、好き好んで書いているが、筆法が垢抜けしないようで、無理に技巧をこらしている様子である。歌なども、わざとらしい選び方で、書いている。
女方のは、そっと持ち出さない。斎院などのは、言うまでもなく、取り出さないのである。葦手の冊子類が、思い思いで、何となく、面白い。
宰相の中将、夕霧のは、水の流れの勢いを、たっぷりと書き上げて、乱れる立つ、葦の生え具合など、難波の浦に似ていて、葦と文字が入り混じり、すっきりとしている。また、いかめしく、書風を変えて、字体、石などの様子を、風流にして書く場面もある。
宮は、素晴らしい。これは、時間が随分とかかりそうな物ですと、面白がって、誉める。何事にも興味を持ち、風流好みの親王で、大変、誉めそやすのである。

葦手とは、葦の葉のように書くというところから、言われた。葦が生えているところは、水辺で、その水の流れが、文字に成るという・・・風情。
それを、また、字隠し、とも言う。




今日はまた、手の事ども宣ひ暮らし、様々の継紙の本ども、選り出でさせ給へるついでに、御子の侍従して、宮に侍ふ本ども取りに遣す。嵯峨の帝の、古万葉集を選び書かせ給へる四巻、延喜の帝の、古今和歌集を、唐の浅はなだの紙を継ぎて、同じ色の濃き紋の、綺の表紙、同じ玉の軸、だんの唐組の紐など、なまめかしうて、巻ごとに御手の筋を変へつつ、いみじう書き尽くさせ給へる、大殿油短く参りて御覧ずるに、源氏「尽きせぬものかな。この頃の人は、ただかたそばを気色ばむにこそありけれ」など、めで給ふ。やがてこれはとどめ奉り給ふ。宮「女子などを持て侍らましにだに、をさをさ見はやすじきには、伝ふまじきを、まして朽ちぬべきを」など、聞えて奉れ給ふ。侍従に、唐の本などのいとわざとがましき、沈の箱に入れて、いみじき高麗笛添へて奉れ給ふ。




今日は、また、書跡についてのことを、一日中お話になり、種々の継紙をした、手本を何巻も選び出したついでに、御子息の侍従をして、御殿にある手本を、何巻も取りにやらせる。嵯峨天皇が、古万葉集を選んで、お書きあそばした四巻、醍醐天皇が、古今和歌集を、中国の浅はなだの色紙を継いで、同じ色の濃い地模様のある、綺の表紙、同じ色の玉で作った、巻き物の軸、色糸の平組の紐など、優しく、一巻ずつ書風を変えて、あらん限りの書の美を、お書き尽くしたものを、灯りを低くして御覧になり、源氏は、いつまで見ても、見飽きない。近頃の人は、ほんの一部分を洒落てみるだけに過ぎない、なとど、誉める。そのまま、それはこちらに置き、送呈される。宮は、女の子などを持っていたしても、たいして、この書の美を、解せない者には、やる気がないし、それどころか、娘もなく、埋もれてしまうものです、などと、申し上げる。
お返しに、侍従に、中国のお手本などの、堂々としたのもを、沈香木の箱に入れて、素晴らしい高麗笛を添えて、差し上げた。




またこの頃は、ただ仮名の定めをし給ひて、世の中に手書くと覚えたる、上中下の人々にも、さるべき物ども思し計らひて、尋ねて書かせ給ふ。この御箱には、立ちくだれるをば混ぜ給はず。わざと人の程、品分かせ給ひつつ、冊子巻物皆書かせ奉り給ふ。よろづに珍らかなる御宝ども、人のみかどまであり難げなる中に、この本どもなむ、ゆかしと心動き給ふ若人世に多かりける。御絵ども整へさせ給ふ中に、かの須磨の日記は、末にも伝へ知らせむと思せど、今少し世をも思し知りなむに、と、思し返して、まだ取り出で給はず。




またこの頃は、ひたすら仮名の議論をされて、世間で上手だと評判のある、上中下の身分の人々にも、適当なものを、それぞれ考えて、探し出して、書かせた。
姫君の冊子箱には、身分の低い者の作品は、一冊も入れない。特別に、生まれや地位を区別されて、冊子や巻き物を、一同に、書かせる。何もかも珍しい、宝物の数々、外国の皇室でさえも、ありそうもない物の中で、この何冊かの手本を見たいと、強く希望される、若い人たちが、一般に多いということだ。
御絵も、色々準備される中で、あの須磨での日記は、代々子孫にも伝えて、知らせたいと思うが、もう少し、世間が解るようになった時にと、思い直して、まだ取り出しされない。

姫君は、明石の姫である。




内大臣は、この御急ぎを、人の上にて聞き給ふも、いみじう心もとなくさうざうしと思す。姫君の御有様、盛りに整ひて、あたらしう美しげなり。つれづれとうちしめり給へる程、いみじき御嘆き種なるに、かの人の御気色はた、同じやうになだらかなれば、心弱く進みよらむも人笑はれに、人のねんごろなりしきざみに靡きなましかば、など人知れず思し嘆きて、ひとかたに罪をもえおはせ給はず。かく少したわみ給へる御気色を、宰相の君は聞き給へど、しばし辛かりし御心を、憂しと思へば、つれなくもてなし静めて、さすがに外様の心はつくべくも覚えず、心づからたはぶれにくき折り多かれど、「浅緑」聞えごちし御乳母どもに、納言にのぼりて見えむの御心深かるべし。




内大臣は、入内の準備を、六条院のこととして、聞かれるが、酷く落ち着かない気持ちである。姫君、雲居の雁の様子は、今が、女盛りに成長して、入内しないのは、惜しいほど可愛い。することもなく、沈み込んでいるのを見ると、心から、嘆きの種である。が、かの人、夕霧の様子はといえば、いつも変わらず、平気の様子で、弱気にこちらから折れても、人に笑われる。あちらが熱心であった時に、言うことを聞いていたら、などと誰にも言えずに嘆いている。あちら、夕霧が悪いということも出来ないのである。
このように、少し弱っている様子を、宰相の君、夕霧は、耳にされるが、昔、薄情だった、内大臣の気持ちを思えば、酷いと思うので、顔には出さず、心を落ち着けて、それでも、他の女にという、気は全く無い。自ら求めて、やるせない気持ちをする事も多々あるが、浅緑と申して、馬鹿にした、乳母たちに、中納言に昇進した姿を、見せてやりたいという気持ちが、強いのだろう。

最後は、作者の言葉。



posted by 天山 at 06:17| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月12日

もののあわれについて660

大臣は、あやしう浮きたる様かなと思し悩みて、「かのわたりの事思ひ絶えにたらば、右の大臣、中務の宮などの、気色ばみ言はせ給ふめるを、いづくも思ひ定められよ」と、宣へど、物も聞え給はず、かしこまりたる様にて侍ひ給ふ。源氏「かやうの事は、かしこき御教へにだに従ふべくも覚えざりしかば、言交ぜまうけれど、今思ひ合はするには、かの御教へこそ長き例にはありけれ。つれづれとものすれば、思ふ所あるにや、と、世人も推し量るらむを、宿世のひく方にて、なほなほしき事にありありて靡く、いとしりびに人悪き事ぞや。いみじう思ひ上れど、心にしも適はず、限りあるものから、すきずきしき心つかはるな。いささかの事あやまりもあらば、かろがろしきしきをや負はむとつつみしだに、なほすきずきしき咎を負ひて、世にはしたなめられき。位浅く何となき身の程、うち解け、心のままなる振舞などものせらるな。心自らおごりぬれば、思ひしづむべき種なき時、女の事にてなむ、賢き人、昔も乱るる例ありける。さるまじき事に心をつけて、人の名をも立て、自らも恨みを負ふなむ、遂の絆となりける。とりあやまりつつ見む人の、わが心に適はず、忍ばむ事難き節ありとも、なほ思ひ返さむ心を習ひて、もしは親の心に譲り、もしは親なくて世の中かたほにありとも、人柄心苦しうなどあらむ人をば、それを片かどよせても見給へ。わがため、人のため、遂によかるべき心ぞ深うあるべき」など、のどやかにつれづれなる折りは、かかる心づかひをのみ教へ給ふ。




大臣、源氏は、妙に夕霧の縁が定まらないのを、困り、内大臣の方の、つまり雲居の雁のことを思い切ってしまったら、右大臣や、中務の宮などが、お気持ちのあることを漏らしてくださるので、どちらでも、決めるがいい。と、おっしゃるが、夕霧は、何も返事をせず、慎んで、控えている。
源氏は、こういうことは、父帝の、ありがたいご教訓にさえ、従おうという気にもならなかったのだから、口を挟みにくいが、この年になり、考えてみると、父帝のご教訓こそ、永久の規範だった。独身でいると、何か考えがあるのかと、世間の人も思うだろうし、運命の導くままに、感心できないことに、結局はなってしまう。それでは、尻すぼみで、世間体も悪い。酷い高望みをしても、思う通りにならず、限度はあるが、女に手出しなさるな。小さい時から、宮中に育ち、思い通りに動けぬ窮屈な身分で、少しでも失策があると、軽率との非難を受けるだろうということで、気をつけていたが、矢張り、女に手を出す短所があると言われて、世間から非難されたものだ。位も低く、大した身分でない時に、気を許して、思うままの行動をするのではない。慢心してしまうと、浮気心を抑える妻子がいない時は、女の問題で、立派な人が、昔も、失敗する例がある。そういうことに、熱心になって、女にも、悪い評判を立て、自分も、怨みを受けるが、一生の障りになる。
うっかりして、結婚した相手が、自分の理想通りではなく、我慢する事の出来ない点があっても、それでも、思い直す気持ちを持つことに努めて、親の気持ちに免じて、親がなくて生活が不十分であっても、人柄に、気の毒というものがある人は、それを取り得と思い、捨ててはならないのだ。自分にとっても、女にとっても、結局は、よいようにと考えることが、分別があるということだ。などと、別にお仕事も無いときには、こういう気持ちの持ち方を、もっぱら講義される。

何とも・・・
今でも、この考え方が、生きていると思うが・・・
昔も今も、誤解して結婚し、理解して離婚するようである。




かやうなる御いさめにつきて、戯れにてもほかざまの心を思ひかかるは、あはれに人やりならず覚え給ふ。女も、常よりことに大臣の思ひ嘆き給へる御気色に、恥づかしう、憂き身と思し沈めど、上はつれなくおほどかにて、ながめ過ぐし給ふ。




このような、ご教訓に従い、冗談にせよ、外の女を思うのは、可哀想だと、夕霧は、思う。そして、女、雲居の雁も、いつもと違い、内大臣が嘆いている様子に、合わせる顔もなく、不幸な自分と、悲観しているが、表面は、平気で鷹揚に、物思いに日を過ごしている。




御文は、思ひ余り給ふ折々、あはれに心深き様に聞え給ふ。「誰がまことか」と、思ひながら、世なれたる人こそ、あながちに人の心をも疑ふなれ、あはれと見給ふ節多かり。「中務の宮なむ、大殿にも御気色賜りて、さもやと思しかはしたなる」と、人の聞えければ、大臣はひき返し御胸塞がるべし。忍びて、内大臣「さる事をこそ聞きしか。情けなき人の御心にもありけるかな。大臣の、口入れ給ひしに、執念かりきとて、ひきたがへ給ふなるべし。心弱くなびきても人笑へならましこと」など、涙をうけて宣へば、姫君、いと恥づかしきにも、そこはかとなく涙のこぼるれば、はしたなくてそむき給へる、らうたげさ限りなし。「いかにせまし、なほや進み出でて、気色をとらまし」など思し乱れて立ち給ひぬる名残りも、やがて端近うながめ給ふ。「怪しく心おくれても進み出でつる涙かな。いかに思しつらむ」などよろづに思ひいる給へる程に、御文あり。さすがにぞ見給ふ。こまやかにて、

夕霧
つれなさは 憂き世の常に なり行くを 忘れぬ人や 人にことなる

とあり。「気色ばかりもかすめぬつれなさよ」と、思ひ続け給ふは憂けれど、

姫君
限りとて 忘れ難きを 忘るるも こや世に靡く 心なるらむ

とあるを、あやし、と、うち置かれず、かたぶきつつ見居給へり。




お手紙は、我慢出来なくなった時に、あはれに、心打つように、書いて来る。
「誰の誠をば」とは、思うものの、男を知っている女ならば、むやみに相手を疑うこともあるというが、あはれに、御覧になる文句が多い。
中務の宮様が、殿様の内意を伺って、その気になっていらっしゃると、女房が申し上げるので、内大臣は、改めて、どきり、とする。こっそりと、大臣は、こういうことを聞いたのだ。冷たいお心の方だった。殿が、中に入った時に、意地悪したとして、他へ話をなさるのだろう。気弱く、言いなりになっても、世間から笑われることもあるだろう。などと、涙を浮かべて、おっしゃる。姫君は、顔も上げられない思いに、何となく、涙がこぼれるので、横を向きになられるのが、とても可愛いのである。
「どうしたものやら。こうなっても、こちらから申し出て、向こうの気持ちを聞いてみようか、などと、気持ちがまとまらず、立ち上がった後も、縁近くで、物思いにふける。姫君は、妙に気弱く流れる涙です。お父様は、どう思っているのか、など、あれこれ思案に暮れて座っているところへ、お手紙が来た。
それでも、矢張り、御覧になる。愛情のこもったお手紙で、

夕霧
冷たいお心は、嫌な、この世の人並みになってゆきます。忘れられない私は、世の他人とは、違うのでしょうか。

と、書いてある。けぶりにもほのめかしもしない、冷淡な方と、思い続けるのは、辛いが、

姫君
もうこれまでと、忘れ得ない私を、お忘れなのも、世間普通に、なられた、お心でしょうね。

と、書いてあるのを、夕霧は、妙だと、下にも置かず、首をかしげながら、手紙を見て座り込んでいる。

解釈が、とても、難しい。
姫君の、限りとて・・・
これは、私を忘れ、中務の宮の姫君と、結婚することを言う。

世に靡く・・・
世に靡くのは、夕霧の方であること。

夕霧は、雲居の雁が、そのことを、恨んでいるとは、気が付かない。

夕霧は、つれなさ・・・と、雲居の雁のことを言うが。

気色ばかりもかすめぬつれなさ
雲居の雁は、すでに、中務の宮との縁談を言うのである。

あはれ、という言葉が、多く使われるが・・・
ここでは、解釈しない。

梅枝を、終わる。


posted by 天山 at 02:43| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月13日

もののあわれについて661

もののあはれ、というものを、源氏物語を通して、見続けている。
だが、この物語・・・

実に、難しい。
それは、散文小説の書き方が、決定していない時代の、作品であるから。

主語が無い・・・
兎に角、それが、大問題である。
だから、研究者の分析、また分析を手本にして、読む。

本当に、ご苦労なことである。

つまり、滅茶苦茶な小説なのである。
一行の文に、何人もの、心境を綴られれば、一体、誰のことなのか・・・

現代語訳した作家たちは、皆、独自の文体で、表現した。
つまり、源氏物語の、直訳ではない。
それぞれの、作家の源氏物語なのである。

理解すれば、しょうとするほど、解らなくなる。
適当に、楽しんで読む・・・

原文を読むことなのである。

更に、面倒なのは、全体が、敬語で書かれている。
つまり、訳す時、敬語でなければならないという、それを捨てた。

日本の、敬語の原点がある。

申し上げる
お聞きあそばした・・・

更に、その行為にも、敬語である。

人の御おやげなき御争ひ・・・
御目
御声・・・

え おはします 離れず

いと かたじけなしと 見奉る
いと かたじけなしと みたてまつる

どのページを開いても、敬語のオンパレードである。

ところが、声に出して読むと、不思議と、懐かしいのだ。
その音・・・
実に、みやびである。

そして、和歌の数々。
物語は、和歌への道というほど。

その、歌のみを取り出しても、意味不明。
物語の前後が、必要なのである。

それを書写した、藤原定家などは、意味が解ったのであろうか・・・
と、思われるが、解ったようである。

いずれ、時代を経るにつれ、文語体から、口語体へと、移行し、散文小説が、生まれる。
最初は、私小説と言われた。
文学のしののめ、である。

勿論、その前に、江戸文学の盛んな時代もあった。
その頃のものは、まだ、読める。

平家物語も読める。
だが、最初の散文小説である、源氏物語は、解説がなければ、解らないことだけらである。

これが、もし、平仮名だけなら、一層、困難なことになっただろう。

いまはかく おもおもしきほどに よろづのどやかにおもししづめたる おんありさまなれば たのみきこえさせたまへる ひとびと さまざまにつけて みな おもふさまに さだまり・・・

古典など、読んでも、意味が無いという人も多い。
それぞれの、思いである。

私は、もののあわれについて、という、エッセイを書いている。
そこで、どうしても、源氏物語を通らなければならない。
ただ、それだけである。

まだ、半分ほど、物語がある。
延々と、書き続けるしかない。

こうして、読み続けて、三年以上が経った。
実に、長い物語である。
そして、とても良い、気分転換になる。

大和言葉とは、声に出して価値があると、知る。
そうして、書写して、価値がある。

この忙しい世の中に・・・
何とも、優雅な趣味だと、思う。

物書きは、世に多い。
その物書きは、伝統によって、書く行為を続けているだろう。
その型が、整うまで、千年以上を有した。
それを思うと、大したことではない。

その千年の流れの、源流に源氏物語があるという、程度である。
しかし、そこには、もののあはれ、の原型もある。

もののあはれ、という、心象風景が日本人に与えた影響は、計り知れない。
教養というものが、あるならば、そういうことに、心を向けることだろうと、思う。

そして、物語は、面白いか、否かである。
私には、源氏物語が、面白いのである。


posted by 天山 at 05:20| もののあわれ第12弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月14日

神仏は妄想である。463

新約聖書の記者同士の大きな違いは、四つの福音書だけではなく、使徒パウロの書簡を含む他の書にも見られる。
アーマン

パウロの書簡は、西暦50年代に書かれたもので、福音書よりも古いものである。
最古の福音書、マルコよりも、10年から15年前のことになる。

パウロの書簡、そして、福音書は、何度も言うが、イエスの実際の言動を、後世のために、記録したものではない。
彼らは、独自に、自分の神学的見解に照らして、イエスの言葉や、行いを語るのである。

つまり、創作である。

更に、パウロの書簡は、ルカの著者による、使徒言行録同様、福音書のものとは、相容れないのである。

特に、マタイとは、全く違う。
あまりにも、違い過ぎるのである。

パウロの教えの重要なテーマは、人がいかにして正しく神と向き合うことができるかということである。
アーマン

パウロは、いかに人々が、神との正しい関係を築けるか、ということに多大な関心を寄せていた。
特に、改宗させようとしていた人々にである。

マタイと、明確に違うのは、ユダヤの律法を厳守することではなく、イエスの死と復活を信じることによって、初めて神との、真っ当な関係を結ぶことが出来ると、確信していた。

であるから、マタイを読むと、大きな矛盾に突き当たる。
マタイは、律法を厳守することにより、イエスを信じて、救いを得るのだ。

これほど大きな、矛盾を抱えている新約聖書である。
どこの部分を読むかで、結果が変わるとしたら・・・
冗談ではない。

パウロは、人が神の前に正しく立つことを、義認と、称した。
特にそれは、ガラテアの信徒への手紙、ローマの信徒への手紙によって、述べられている。

ユダヤの律法に従うのではなく、イエスの、死と復活を信仰することによって、義とされるという。

これは、カトリック教会の最大の教えでもある。

勿論、多くのプロテスタントも、そうである。

アーマンは、それを理解するためには、パウロがイエスの信奉者ではなく、キリストへの信仰が神への冒涜と同じであるという、過激な考えに凝り固まっていた、そもそもの始まりから見るべきだという。

キリスト教徒を迫害していた時期から、およそ、20年後に書かれたパウロの書簡は、彼が、キリスト教信仰の、何が非難されるべきなのかということを、示していないのである。

イエスを信じる前は、信仰深いユダヤ教徒だった、パウロである。
であるから、メシアというものが、いかなるものかを、自分なりに、思い描いていたはずである。

ユダヤ教徒のメシア像は、キリスト教のそれとは、対極にあった。
彼らは、メシアが、威厳と力強さを体現し、有無を言わさず、神の地上での目的を遂行する人物であるという点で、意見が一致していた。

ところが・・・
イエスは、何者か・・・

一世紀の頃の、多くのユダヤ人は、イエスをメシアと呼べば、せせら笑うか、最悪の場合は、冒涜行為とみなしたのである。

イエスをメシアとみなすことは狂気の沙汰でしかなく、磔にされた犯罪者ほどメシアに似つかわしくない人間もいない。
アーマン

パウロも、そのように考えていた一人である。
だが・・・

パウロは、イエスの死後、イエスの幻視を見たと証言する。

この幻視を目の当たりにして、彼はイエスが死んでいないと悟る。しかし、死んでいないとはいかなることか?
アーマン

イエスに帰依する以前は黙示思想的なユダヤ教徒だったパウロは、前々からこの邪悪な時代の終末に、死者が復活することを信じていた。
アーマン

だが、イエスが、生きた姿を目撃したパウロは、イエスが死んでいないことを、知ったのである。
と・・・だが・・・

幻を見て、イエスが死んでいない・・・とは、情けない。
それこそ、奇跡話である。

結果は、
パウロは、もしイエスが神の加護を受けたメシアなら、間違った行いによってイエスが死んだはずがないと推論した。イエスは、自らの罪によって死んだはずはないのだ。それならば、どうしてあのような運命にあったのか? 他人の罪業のために死んだことは、火を見るよりも明らかではないか。エルサレム神殿の生贄のように、イエスは他の人びとの罪深さを背負って、犠牲となったのだ。
アーマン
と、いうことになった。

そして、ユダヤ教徒の、生贄は、人々の罪を帳消しするには、不十分であるからに、違いない、とのこと。

更に、律法と預言は、人間の問題を解決する神の究極的な手段であるキリストを指しているはずである。
との、こと。

ここに、主イエスの誕生がある。

兎も角も、罪、生贄など・・・
ユダヤ教とは、一体何かという、疑問が出る。

ユダヤ王国が、滅んだ時点で、ユダヤ教は、終わったのである。
しかし、宗教というもの、そんなことでは、滅しない。

その旧約の神も、消滅した。
しかし、その後の、解釈で、メシアが現れるという、誇大妄想を得た。

創作の新約聖書により、後世の人たちは、妄想全開で、イエスを、キリストとするために、情熱を傾けた。
おぞましい程の、情熱による、妄想である。

これを見ても、人間が、如何に、暇なものかということが、解る。
死ぬまでの、暇を潰すために、妄想を生きるのである。


posted by 天山 at 06:09| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月15日

神仏は妄想である。464

神は、ユダヤ人を自分の特別な民と呼び、選ばれし者たちとして、他の民から差別化する法を与えたのではなかったか? その通りだとパウロは考えた。律法と預言者は、人間の問題を解決する神の究極的な手段であるキリストを指しているはずである。

しかし、人間とは何だろう? ユダヤ教徒のみならず異教徒も含むあらゆる人間は、神の法を犯し、己の罪悪を贖うために神が求めている完璧なる生贄を捧げなかった。しかし、そうならば、異教徒もユダヤ教徒も、神の前で自分たちの罪を覆い隠し、ないしは贖うために、神の遣わしたメシアが犠牲になることを受け入れなければならないということになる。
アーマン

更に、
律法のなかで神が命じた行動規範に従っても、人びとは神との正しい関係を築けないのだろけうか? そう、築けないのだ。もし正しい関係を築けていたなら、メシアが十字架に架けられるいわれも無かったのだろう。
アーマン

従って、パウロは、ユダヤの律法を守っても、救いは無いと、判断した。
義認される、唯一の方法は、イエスの死と復活を信じること以外に、無い。と、結論付けたのである。

ガラテヤの手紙では、
ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行だけではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。
と、ある。

私は、この論法によっても、不思議と、不可解を感じている。
アホ・・・である。

実に、馬鹿げている。
ユダヤ人の民族の神・・・
単に、それだけの問題である。

人類の救い・・・冗談ではない。

新約聖書の矛盾も大きな問題だが・・・
この、ユダヤ人の論法が、おかしいのである。

ここで、ある牧師の説教を紹介する。
牧師とは、プロテスタント系である。

新約聖書全体をつらぬく中心的メッセージによれば、イエスの十字架の死は、神が罪びとをゆるして救うために、その恵みを歴史の中で現実化したもうた出来事である。十字架の苦痛は、歴史的人間であるイエスが歴史の中で味わいたもうた事であるが、しかしそれは歴史を超えた永遠の領域で、神の心の中において起こった苦痛をさし示しているのである。

単に歴史の中で、たとえば抑圧された者の味方として行動したがゆえに、権力によって圧殺されたものだというように考えられるだけで終わってはならない。そのような「聖書の読み方」は深さを失っているといわざるをえない。

深さを失っているのではなく、それが、事実である。
上記の説教こそ、実に、おかしな話である。
手前勝手な屁理屈である。

罪人、許し、救い・・・
呆れる。

一体、人間をそこまで、貶めて、何が楽しいのだろう・・・
人間の存在そのものを、罪であり、許しを必要とし、救われなければならないと、考えるのは、精神が病んでいる、あるいは、狂っている証拠である。

イエスの生涯は、神の心が歴史の中で結晶したものなのである。
だって・・・

それならば何故、罪びとに対する神の愛は、イエスの十字架という出来事に結晶したのであるか。それは、罪びとが神の意志にそむいて神の意志の外に脱落しているにもかかわらず、神がなおも彼を神の愛の内に入れようとしたもうたからである。外を内に包み入れる愛は「苦もなく」できるものではなく、苦を通してのみ現実化するのである。・・・
永遠なる神の愛の心が、歴史的人間であるイエスの出来事において結晶したものである。一言でいえば、神の苦難の愛である。

ここまで来れば、もう、手当ての仕様が無いのである。

これを、信仰病という。
勿論、一人で、勝手に罪人の意識を持ち、許しを求め、そして、救いに預かるというなら、何もいう事がない。
それを、人に説く行為である。
そこに、罪がある。

ここまで、自分を痛めつけるというのは、マゾヒズムである。
そして、ユダヤ教の神は、サディストであろうか・・・

旧約聖書を通読すれば、そのようである。

この論理から出来上がる、神学というもの・・・
学問足り得ないのだが・・・

さて、パウロの理論は、キリスト教理論の元となる。
だから、ユダヤ教と対して、別宗教である、キリスト教が成り立った。

しかし、ユダヤ教が存在しなければ、キリスト教も、存在しない。

ところが・・・
マタイは、そうは問屋が卸さないと、全く逆の説である。
キリスト教神学者は、その矛盾と、闘い続けていた。
別に、キリスト教の内部のことであるから、どうでも、いいが・・・

矛盾だけの、新約聖書を読んで、信仰を深める、世界のキリスト教徒である。
実に、憐れというほかは無い。

マタイを取り入れる人は、一度、ユダヤ教徒にならなければならない。

神仏は妄想である、という、このエッセイは、私の勝手な、徒然である。
だが、神仏を奉じる者は、今一度、考えるべきである。
己一人が勝手に信じているのは、いい。

それを、人に説くのは、罪である。
罪とは、そういうものである。

イエスは、一粒の信仰があれば、山をも動かすと、仰せられた。
山を動かすほどの信仰を見せて貰いたいものである。

人をして、自虐に陥らせる行為を、罪という。


posted by 天山 at 05:36| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月16日

神仏は妄想である。465

イエスの復活についての記述ほど、福音書の間の違いが顕著なものはほかにはない。
アーマン

「捏造された聖書」でも述べたことを、今一度ここで力説しておこう。福音書のオリジナル・テキストは現存せず、現在私たちの手にあるのは、後世に作られた写本、しかも多くの場合、何世紀も後に書かれたものであるということだ。これらの写本に載っているイエスの復活劇は、てんでばらばらだ。学者は、後世の写本を手掛かりに、オリジナル・テキストに何が書かれていたのか突き止めなければならない。ときには簡単に事が進むことがあるが、議論が紛糾することもある。
アーマン

と、いうことで・・・
キリストの柩、という、本が出たことがある。
科学者が、検証して、イエスの家族の柩と、判定した、その過程を書き続けたものである。
勿論、キリスト教国では、受け容れられず、日本語に翻訳されて、少しは、衝撃的だったが、実に、納得できるものだった。

現在の福音書を、大切に、奉じている人たち・・・
キリスト教徒・・・
中でも、カトリック信者は、外典も、論外である。
更に、その他のキリスト教関係の古い書物を、簡単に偽書という。

それでは、現在の福音書は、偽書ではないのか・・・
誰も知らないのである。

ただ、教会の権威のみを、信じて、奉じるのである。

私は、数多くの、彼らが言う、偽書も読んでいる。
現在の福音書と、変わらない。
何せ・・・
共に、妄想、幻覚の書物である。

福音書の正当性を、掲げよと言っても、彼ら、キリスト教徒は、ただ、教会が正しいと言うと、述べるだけだろう。

さて、復活物語・・・
マルコの最後の12節は、オリジナル・テキストにはなく、後の時代の書記によって、加筆されたものだと、学者の意見は一致している。

オリジナル・テキストは、現在の、16章8節で終わっている。

女たちが、墓から逃げ出し、目撃したことについて、誰にも言わなかった、というところで、完結しているのである。

四つの福音書に記される、復活物語は、イエスが磔になり、埋葬された三日後に、マグダラのマリアが墓に行くが、墓が空っぽだという点について、全ての福音書が、一致している。
しかし、細部は、すべてが、違う。

ちなみに、マグダラのマリアは、イエスの妻であるというのが、キリストの柩、という本の眼目である。

ヨハネでは、マグダラのマリアであり、マタイでは、マグダラのマリアと、もう一人のマリアである。
マルコは、マグダラのマリアと、ヤコブの母マリア、そして、サロメ。
ルカでは、ガリラヤからエルサレムに来た、女たち・・・
それも、おそらくマグダラのマリアと、ヨハナ、ヤコブの母マリア、婦人たち。

マルコでは、墓の石は、脇にどけてあった。
マタイでは、一人の天使か、若い男が、女たちの前で、石を脇に、転がした。

ルカでは、二人の男。
ヨハネは、何も見なかった。

更に、マルコでは、女たちは、天使、もしくは男に、イエスがガリラヤに行くようにと、伝えよと言われた。

ルカは、イエスが、まだガリラヤにおられたころ、自分が死んでも生き返ると言ったことを、思い出すように言われる。

こうして、延々と続く、違いである。

疑問は後から後から、湧いてくる。それぞれの福音書の続きがどうなっているのか比較するには、四つの話を水平的に読めばいい。
アーマン

全ての点において、少なくとも福音書のどれか一つは、他と違っている。
アーマン

そして、ある一点では、その矛盾には、手の施しようがない。
マルコでは、女たちは、ガリラヤにいるイエスに、会いにゆくよう、弟子たちに伝えよと言われるが、恐れおののいた女たちは、誰にも一言も言わずに、話すことが無い。

マタイでは、弟子は、イエスに会うため、ガリラヤに赴くように告げられ、すぐに、その通りにする。
イエスは、そこで、彼らの前に姿を現し、最後の指示を与える。

だが、ルカでは、弟子は、ガリラヤに向うようにとは、言われない。
イエスが、ガリラヤにいる時に、復活を予告していたので、彼らは、エルサレムから離れない。

そして、ルカでは、エマオに向う、二人の弟子の前にイエスが現れる。
その日の遅く、彼らが他の者に、見たことを話した。すると、イエスが、彼ら全員の前に再び、現れる。
イエスは、彼らをエルサレムの郊外にある、ベタニアまで連れて行き、指示を与えると、天に昇って行く。

更に、ルカの続編と言われる、使徒行伝では、復活したイエスは、エルサレムを離れることを禁じて、過ぎ越しの祭りの50日目に当たるペンテコステに、彼らの上に聖霊が降りるまで、エルサレムに留まるように言ったと、書かれている。

全く、それぞれの話は、つじつまがあっていないのである。

それで、正典とは、笑わせる。
完璧に、信ずる者は、騙されているのである。

矛盾など、信じてしまえば、何のことはない。
こうして、蒙昧の福音書に、冒されて・・・
キリスト教徒の出来上がりである。

哀れというしかない。

イエスを、キリストに仕立てようとした、顛末が、福音書を通して、理解出来るのである。


posted by 天山 at 05:52| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月17日

神仏は妄想である。466

普通牧師や司祭は信徒に話したがらないが、一世紀以上前から、新約聖書のかなりの部分は、名前が記されている人々の手によるものではないことが、学者には広く知られている。もしそうなら、誰が聖書を書いたのだろう?
アーマン

私がカトリック教会に通っていた頃も、そんな話は聞いたことが無い。
更に、司祭が知っていても、話すことが無かった。
驚きである。

更に、驚くべき事は、新興のキリスト教、あるいは、聖書の解釈をする、新興宗教の開祖たちである。
よくも、まあ、本当のような、嘘を延々と書き続け、話し続けたものである。

そして、主は、仰せられた・・・と、説教するという、仰天である。

例えば、それは、マルコと名乗る者が書いた聖書には・・・ということになるのだが・・・

最も、恐ろしいのは、外典などの、その他の書物を、偽書呼ばわりする者どもである。一体、現在の聖書が、偽書ではないという、証拠などないのである。

勿論、それは、聖書にだけ言えることではない。
大乗仏典なども、偽書、妄想の書である。

さて、マタイは、イエスの弟子になる前は、徴税人であり、ヨハネは、イエスの愛しておられた弟子として、ヨハネの福音書に、登場する。

マルコは、使徒ペトロの秘書であり、ルカは、パウロの旅の同伴者である。

彼らが、福音書を書いたとする伝承は、福音書の成立後、一世紀頃からだと、考えられる。

だが、確実に、それらは、おかしい。
同じく、イエスを知る者によって書かれているのに、イエスの姿が、全く別物なのである。

マタイと、ヨハネなどは、全く統一が取れていない。

マタイには、イエスが神だとは、一言も書かれていない。
だが、ヨハネは、生まれる前から、神である。

色々あるが・・・省略する。

アーマンは、書く。
ところが、現実には、目撃者が歴史的に正確な証言をするとは限らないのだ。目撃証言を鵜呑みにできないのは、昔も今も一緒である。もし目撃証言が必ず正しいなら、法廷などいらなくなってしまう。

では、マタイとヨハネの証言が、これほど違うと、判定するのに、どうするか。

さらに、福音書はもともと匿名で書かれており、作者の誰一人として目撃者だと名乗っていない。
アーマン

つまり、そのタイトルは、後の世の人々が、勝手に、付けたのである。
誰が書いたのか、知らぬが、当時は、マタイの福音なとどは、言わなかったのである。

マタイは、三人称で書かれている。
そして、作者に関しては、何も書かれていない。

ヨハネでは、作者は、イエスの愛しておられた弟子、について、語る。
これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。

作者が、弟子と自分自身とを、明確に、区別している。
つまり、作者は、弟子とは、別人であることを、言う。
その弟子から、情報を得たというのである。

調べてみると、この作者は、グノーシス派の影響を受けている。
はじめに、言葉があった・・・
それは、ユダヤ教の考え方ではない。

言葉は神であった。
そんな常識は、ユダヤ教には無い。

そして、マルコは、ペトロの仲間、ルカも、パウロの仲間・・・

いずれにしろ、福音記者は誰一人として目撃者ではなかったし、また彼ら自身、そうであるとは言っていない。
アーマン

使徒行伝と並び、最も古く、最良の情報を提供してくれるのは、福音書であるが・・・
それ以外では、その何十年後、何百年後に作られた、伝記が残されてある。

有名なのは、ヨハネ行伝であるが、伝記が信用にたる歴史資料と考える、歴史家はいない。

更に、福音書を書いたと言われる者たちは、つまり、イエスの弟子は、ガリラヤ地方の田舎で、身分の低い農民、漁民だった。
その日暮らしの労働者である。

教育程度・・・
全く、論外である。
文字を読めたか・・・書けたか・・・

文字を読むことが出来ても、書くことが出来ない人間が大勢いた。

ローマ帝国でも、文盲率は、90パーセントである。
おして知るべし。

使徒行伝には、ペトロとヨハネが、無学であることが、書かれている。
無学とは、文盲である。

そして、彼らは、イエスと同様、アラム語を話していた。
イエスの弟子は、文盲で、アラム語を喋る、下層階級の農民、漁民だった。

福音書の作者は高学歴で、ギリシャ語が堪能なキリスト教徒であり、おそらくパレスチナには住んでいなかった。
アーマン

全ての福音書は、ギリシャ語で、書かれたのである。

ここ、ここに至ると、神の霊感により、書かれた聖書・・・
大嘘である。

人間の作為ある、作品なのである。
イエスを、キリストに仕立て上げる、工夫が、ふんだんに施されている。

そして、その言葉の数々に、意味付けを行い、神学なるものを作り上げた、妄想全開の人々。
呆れる。


posted by 天山 at 05:55| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月18日

神仏は妄想である。467

福音書を書いた者は、誰か・・・

彼らが教育程度の高い、ギリシャ語を話す人びとであったことは、論を待たない。福音書がもともとアラム語で書かれていたと考える学者もいることはいる。しかし、今日では、様々な専門家、言語的理由から、全ての福音書はギリシャ語で書かれたというのが大方の見方である。
アーマン

福音書が一貫したテーマを持つ物語である。
物語を構築し、技法を持って文学的な目的を遂行する術を持つ。
つまり、相当な、教育程度を必要とする。
すると、イエスの弟子などが、書ける訳がないことが、解る。
更に、その付近の者たちも、である。

後世のキリスト教徒が、書いたのである。

彼らがパレスチナの地理やユダヤ教徒の慣習に疎いことから、パレスチナではない帝国のどこかで福音書を執筆したのだと推測できる。
アーマン

何度も、言うが、神の霊感に導かれて・・・などというものではない。
明らかに、作為があるのだ。

こうして、研究により、福音書の正体が、明らかにされている。
さて、どうするか・・・

物語、文学的という、表現は、的を当てている。
それ以上のものではない。

そこで、私は言う。
それでも、聖書、福音書は、二千年の時を過ごして、多くの人々に、影響を与えてきた。特に、野蛮な白人に影響を与え、更に、道徳的、倫理的な導を作った。
それに、意義がある。

勿論、そのキリスト教を利用して、一時期は、とてつもない、人種差別による、虐殺を行なったが・・・

西欧の伝統的読み物と言っていいだろう。

現在も、野蛮な白人に行動の規範を与えているという、意義も大きい。

そして、信仰という、魔物を与え続けている。とても、良いことだ。

だから、私は、個々の信仰に対して、云々する者ではない。
更に、宗教を否定もしない。
ただ、私は、神仏は妄想である、という、エッセイを書き続けている。

人間は、進化の過程で、必要なものを、作り続けてきた。
それで、いい。
宗教も、その一つである。

神仏を信じる人が、存在する事は、何も問題がないのである。

人間は、それほどに、弱い者である。
実に、か弱いのである。
命凛々としていた時代が過ぎて、老年に達すると、更に、気が弱くなり、そして、死を恐れる。
そこに、妄想の神仏がいても、致し方ないのである。

痴呆になるのも、自然な姿である。
死ぬのが、怖いのだから。

痴呆になるも、妄想の神仏に頼ろうが、死ぬまで、人間は、そして生きることは、辛いものである。

そういう存在の人間に対して、日本では、もののあはれ、という、心象風景が言われた。
人間の存在が、あはれ、なのである。
その、あはれ、といものを、じっと見つめ続ける行為に、日本人は、救いを見た。

生きとし生けるもの、すべてに、あはれ、という心象風景を見たのである。

そこに、特別な言葉の世界は無い。
あっては、ならないのである。
あれば、それは、人間の傲慢不遜であり、生まれて死ぬ存在であることを、ただ、見つめるだけが、人間の出来ることであると。

そこから、福音書の言葉の数々を眺めると、実に、不思議な言葉の世界が広がる。
福音書の作者は、イエスに言わせる。
私は、道であり、真理であり、命である。

ユダヤ教徒が、驚いたのは、神であるといわれたイエスの存在が、冒涜であるというもの。今も、ユダヤ教徒は、イエスをメシアと認めない。

ユダヤ教の神が、ユダヤ民族の神であるように、イエス・キリストも、西欧の神として。作られたものなのである。

仏陀という者も、大勢存在したが・・・
釈迦仏陀として、作り上げた、その心。

人間とは、実に憐れなものなのである。

生きるにも、幻想と妄想が必要な存在なのである。
それで、いい。

何せ、自己幻想ほど、激しいものは無い。
幻想と妄想の中に生きるしか、術がないのである。
更に、悲劇的なことは、死によって存在が虚無にならないことである。

想念というものが、残る。
それを霊と言ってもいい。

もし、消滅するとしたら・・・
この宇宙が消滅するしかない。

更に、宇宙外に出るしかない。
そんなことは、出来ないのである。
宇宙大の意識になっても、消滅出来ないのである。

その証拠が、神仏である。
その、神仏を私は、妄想だと言う。

神仏が宇宙に充満しているという、馬鹿がいるが・・・
それこそ、そこから、出るに出られない存在が、人間なのである。

宇宙というのも、神や仏である・・・云々・・・
そうして、人間は、辛うじて、幻想と妄想の中で、生きられる。

ここで言うのは、大乗仏教の無、空の、考え方ではない。

人間は、人間の頭の中で、捏ね繰り回したもの、考え方しか、出来ないのである。

人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり
平家物語 敦盛の段

人間とは愚かなもの


posted by 天山 at 05:57| 神仏は妄想第九弾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月19日

沈黙を破る86

食事は、毎日ほぼ、二食。
すべて、手作り。
外食は、基本的にしない。

何故か。
安上がりであり、安心出来るから。

ここで、外食の危険については、書かないでおく。

つまり、私は、自炊派なのである。
そのために、食材も自分で買う。
その買い物が、また、楽しい。

安い物を買う。
そして、安心なものである。
中国産は、決して、買わない。
韓国産も。以前は、買ったが・・・今は、買わない。
衛生観念が違うと、知ったからである。

毎日、自炊するのは、大変に思われるが・・・
簡単である。
自炊は、とても良い、気分転換になる。

多くは、魚料理である。
焼く、煮る・・・
北海道の実家から送られてくるものである。

時に、近くの市場に行き、刺身になる魚も買う。

そして、野菜は、矢張り、卸売りの野菜屋に行く。

更に、スーパーでは、正規料金のものを買うことは、少ない。
すべて、割引物である。
三割、半額・・・

賞味期限が近いものである。

どこまで大丈夫か、勘でわかる。
東南アジアに出掛けて、屋台で食事をするのであるから、日本の物は、それに比べて、少しばかり、期限が過ぎても平気。

兎に角、そうして、自分で作ることで、毎日の命を作る。

更に、手早い。
さっさと作る。

一番好きなものは、おにぎり、である。
自分の作る、おにぎり、が一番好きだ。

複雑な料理も作るが、すべて簡略化する。
そして、おおよそ、三人分を作る。
何故か・・・
多く作ると、美味しい。

私は、作り立てより、翌日に食べたりするのが好きなので、丁度良い。
コーヒーなども、酸化し始めたものが、好きだ。

腐る直前が、また、好きである。
ただし、人には、勧めない。
その直前を見極めるのが、大変であるから・・・

そうして、命を繋いでいる。

食べ物は、命と直結している。
食べ物は、命、そのものでもある。

食べなければ死ぬからだ。
自然死は、食べられなくなるから、自然死である。

それを意識的にすると、断食になるが・・・
断食も、少しずつすると、いい。

断食により、効果を狙ってするのは、邪道である。
死ぬために、断食をするのである。

体から、悪い物を取り除くため、精神のため・・・
そんなことで、断食する必要は無い。

また、病気を治すため・・・

信じられない。

食べられるうちが、花である。
人生は・・・

posted by 天山 at 20:49| 沈黙を破る2 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月20日

国を愛して何が悪い119

名誉の感覚は人格の尊厳ならびに価値の明白なる自覚を含む。したがってかの生まれながらにして自己の身分に伴う義務と特権とを重んずるを知り、かつその教育を受けたる武士を、特色づけずしては措かなかった。
新渡戸

honour の訳語として、通常用いられる、名誉という語は、自由に使用されなかったが、その観念は、名、面目、外聞などの語により、伝えられた。

これら三つの語はそれぞれ「聖書」において用いらるる「名」ギリシャ語の面から出た「人格」という語および「聞え」において用いらるる。
新渡戸

人格、パーソナリティ、聞え、フエイム・・・

名誉とは・・・
聖書におれける、名、とは・・・

神を畏れ、その名を呼ばない。
ここに隠された秘密があるが・・・
新渡戸は、キリスト教徒であるから、それを知らない。

畏れ多く・・・
だけではない。
みだりに、その名を呼ぶことを禁じる。
それが、名誉を汚すことにもなるのである。

それが、人間に拡大されると、
その潔白に対するいかなる侵害をも恥辱と感ずることを当然のこととなした。
新渡戸
と、なる。

少年の名誉心に訴うることは、あたかも彼が母胎の中から名誉をもって養われていたかのごとく、彼の心情の最も敏感なる点に触れるのである。
新渡戸

じつに、羞恥の感覚は人類の道徳的自覚の最も早き微候であると、私は思う。
新渡戸

そして、アダムとイヴの話がある。
聖書の人類の創世の時期と見ている。

恥はすべての徳、善き風儀ならびに善き道徳の土壌である。
カーライル

羞悪の心は義のはじめなり
孟子

新渡戸は、西欧、東洋の賢者の言葉を挙げて、説明している。

武士道においては、それが、短気な者には、たちまち刀に訴えて、無用なる闘争を引き起こした、という、反省もある。

江戸時代は、一般庶民が、武士に斬られても、文句を言えなかった。そういう、馬鹿げた時期もある。

だが、それを持って、武士の時代の名誉は、云々と判定出来ないと、新渡戸は、言う。

それは、
キリストの真の教訓をば宗教的熱狂および妄信の果実たる宗教裁判および偽善から判断するに異ならない。しかしながら凝り固まりの宗教狂にも、酔漢の狂態に比すれば何ものか人を動かす高貴さのあるごとく、名誉に関する武士の極端なる敏感性の中に、純粋なる徳の潜在を認めえないであろうか。
新渡戸
と、なる。

繊細なる名誉の掟の陥りやすき病的なる行き過ぎは、寛大および忍耐の教えによって強く相殺された。
新渡戸
なのである。

ならぬ堪忍するが堪忍

名誉と共に、我慢することをも、教えられた。
名誉と堪忍することが、対で存在したという。

道は天地自然のものにして、人はこれを行なうものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛したもう故、我を愛する心をもって人を愛するなり。人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己れを尽くし人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。
西郷南洲 西郷隆盛である。

この、天を神に置き換えると、キリスト教になる。

武士の児は、恥を免れ、もしくは名を得るために、いかなる欠乏をも耐えた。
それほど、武士には、名、つまり、名誉というものが、重いものだった。

武士道を書くが、人生論を見るようである。

現代では、武士とは、言わず、単に、男と、いう時代である。
あいつは、男だ・・・

もし名誉と名声が得られるならば、生命そのものさえも廉価と考えられた。
新渡戸

そのような、時代があった。
そして、それが、日本人の精神に生き続けていた。
と、考える。

名誉の次には、忠義なる言葉が出てくる。

その前に、何故、日本では、このような精神が生まれたのか・・・
その風土である。

剣の道も、結果的に、戦闘を好まぬ精神に目覚めてゆく。
戦闘ではなく、人間教育に向うのである。
そこに、様々な思想の混合がある。

神道、仏教、儒教、更に、道教・・・
その根底には、寛容の精神、包容の精神がある。
日本民族には、排他性というものが、見当たらない。

もし、あるとすれば、地域性である。
地域による、差別意識・・・

島国特有の、地域性である。

posted by 天山 at 05:15| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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