2014年02月23日

国を愛して何が悪い116

弱者、劣者、敗者に対する仁は、特に武士に適わしき徳として賞賛させられた。
新渡戸

そういう話は、源平合戦の頃から多く、伝えられている。
新渡戸も、そこで、一つの話を、上げている。

須磨の浦の激戦の話である。
その名を聞けば、敵方も、恐れるほどの武者が、敵を、ねじ伏せた。
そこで、名乗りを求めるが、言わぬ。
それではと、相手の兜を剥ぐと、少年だった。

そこで、武者は、父親のように、行け、と言う。
逃がすのである。
しかし、少年武士は、互いの名誉のためにも、軌ってくださいと、頼む。
名の知れぬ武者に、斬られるより・・・

そこで、武者は、少年の首を刎ねる。

そして、それ以後、武者は、生涯を僧衣をまとい、供養のために、旅に出る。という、お話である。

いずれにしても、優しさ、憐れみ、愛が武士の最も惨慄なる武力を美化する特質なりしことを、この物語が示すことは変わりが無い。
新渡戸

と、言うのである。
よく、愛という言葉が、出てくるが、キリスト教徒の多い欧米人向けに書いたものだからである。

当時、愛とは、執着という意味合いが強い。
仏教では、愛を、そのように解釈する。

だから、英語では、アガペーを使用したと、思えるのだが・・・

窮鳥懐に入る時は、狩夫もこれを殺さず・・・

特にキリスト教的であると考えられた赤十字運動が、あんなにたやすく我が国民の間に堅き地歩を占めたる理由の説明は、おおむねこの辺りに存するのである。
新渡戸

これは、甘い。
戦争好きな、アメリカ軍は、武器の後ろに、赤十字を旗を持っている。
敵を徹底的に、痛めつけた後で、赤十字の出番である。
それが、キリスト教的とは、実に恐ろしい。

戦いに勝った後で、敵方を、赤十字運動によって、懐柔するのである。

さて、武士の嗜みとして、芸事が挙げられる。
新渡戸も、それを言う。

日本において武士階級の間に優雅の風が養われたのは、薩摩だけのことではない。
新渡戸

武士には、詩歌が奨励されたのである。
和歌、俳諧である。

これは、説明すれば、キリが無いほどである。

武士、もののふ、とは、武芸に秀でる者なのである。

多少の教養ある者は皆和歌俳諧を事とした。戦場に馳する武士が駒を止め、腰の矢立を取り出して歌を詠み、しかして戦場の露と消えし後、兜もしくは鎧の内側からその詠草の取り出されることも稀ではなかった。
新渡戸

大東亜戦争の兵士たちも、そうであった。
日々の歌詠みが、辞世の句であった。

戦闘の恐怖の真っ只中において哀憐の情を喚起することを、ヨーロッパではキリスト教がなした。
新渡戸

確かに、そうである。

それを日本では、音楽ならびに文学の嗜好が果たしたのである。優雅の感情を養うは、他人の苦痛に対する思いやりを生む。しかして他人の感情を尊敬することから生ずる謙譲、慇懃の心は礼の根本をなす。
新渡戸

ここでも、新渡戸が、触れていない、天皇の御有様について、言う。

その歌詠みの伝統は、皇室にある。

天皇が、権力者に、忠言する際には、多く、歌詠みを持って成した事実がある。

才能ある者だけが、文学、和歌、俳諧を成すのではない。
上は、天皇から、下は、乞食、遊女に至るまで、歌の道では、平等であるという、日本の伝統がある。

世界的に見ても、稀な行為である。

その大元は、万葉集である。
その伝統が日本には、存在したということである。

であるから、武士の嗜みだけではない。
国民の嗜みだった。

そのような、国は、世界の中で唯一、日本だけである。

仁、惻隠の情・・・
それを英語にて、説明した新渡戸の努力を尊敬する。

仁は、愛と置き換えることが出来るが、惻隠の情は、実に難しい。
相手を思いやる心・・・
相手の痛みを感じて、それを直接的表現をせず、歌に託す、行為に託すという。

相手の弱みを見て、見ない振りをする。
欧米人には、無理なことである。
彼らは、弱みを見せると、そこに、総攻撃する性格である。

それを、個人主義という。
更に、個人孤立主義ともいう。

デカルトから始まった、西欧の個人主義である。
そこから、近代が始まったというから、笑う。

個人絶対主義ともいう。




posted by 天山 at 03:23| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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