2014年02月18日

フィリピン・ボホール島へ10

セブシティでの、最後の日、私は支援活動をした。

まず、ホテルの向かい側で、ホームレスの二つの家族である。
その子どもたちには、セブシティに来てから、よく、お菓子を上げていたので、顔馴染みである。

支援物資のバッグを持って、彼らの前に置いた。
必要なものを、差し上げます・・・
とても、驚き、そして、喜んだ。

日本の古着とされるものが、とても喜ばれる。
私に支援した人たちに、見せたい光景である。

そして、その後、全部の支援物資を持って、出掛けることにした。
その前に、火災で焼け出された人たちが住む地区の説明を、ガードマンにした。
ガードマンに、タクシー運転手に説明させて貰おうと、思ったのだ。

暫く、ガードマンと、ホテルのフロントの人たちと、やり取りして、ようやく、理解してくれた。
彼らも、その場所が明確ではなかったのだ。

そして、タクシーに乗る。
昼前の時間である。
そうそう、私は、支援物資だけではなく、ビスケットと、ヤクルトを大量にスーパーから、買い込んだ。
それも、一緒に持参する。

タクシー運転手は、解ったということで、出発する。

見覚えのある、町並みに来た。
だが、似た様な場所が、多々ある。
そして、運転手が通り過ぎたような気がした。

テントの波が見えないのが、不安だ。

変だと思ったが、運転手は、速度を落とした。そして、言う。
あの建物が、ドネーションの・・・
えっ、違う。

ノー、ノー、テント・・・
テント・・・
そう、テントスラムと、私が言うと、テントかと、運転手が解ったようで、また、走る。

だが・・・
テントではあるが、その場所ではない。
だが、そこも、避難者の場所か・・・

別の場所と言っても、運転手は、知らないと言う。
それでは、しようがないと、私は、降りることにした。

そして、知る。
テントハウスに入りきれなかった人たちが、こちらに、非難しているのだということだ。

子どもたちが、数名遊んでいた。
すぐに、ビスケットとヤクルトを取り出して、一人一人に渡す。
そして、私は、言った。
パパ、ママを呼んで・・・

みんなを呼んで・・・
すると、一人の男の子が、自分のテントに走って行く。

それからである。
どんどんと、大人たちが出て来た。
だが、女性たちが多い。男たちは、働きに出ているようだ。

丁度、手頃な、ビニールシートがあったので、その上に、支援物資を出した。
日本からのプレゼントです。必要なものを、取ってください。

その間、約10分。
それで、すべてが、無くなった。

皆さん、気さくで、色々と話し掛けてくれる。
一人のおばさんが、早口の英語で、向こう側にも、沢山の人たちが、テントで生活していると、言う。
そこだ。私が目指していた場所である。

ただ、そこのテントは、中国から贈られたものであることは、中国という文字で解る。そして、その場所は、支援が無いのである。

だから、結果的に、良かったということだ。

ビスケットは、子どもたちの後で、大人たちにも、差し上げた。
年老いた人も、テントから出て来て、ビスケットが欲しいと言う。

運転手が連れて来なかったら、この場所は、知らない場所だった。

つまり、まだまだ、支援が必要な人たちが大勢いるということ。
もう一つの場所でも、以前支援した時は、ほんの一角だけだった。

もう一度、来たいと思って、その場を後にした。
そして、今回で、二回目。
まだまだ、必要なのだ。

写真を撮り、色々と話をして、ホテルに戻ることにする。
ところが・・・
自分の居場所が解らない。

通りに出て、ジプニーに乗ることにする。
ところが、私が目指す場所には行かないジプニーばかり。

だが、断られたジプニーが、私の前で止まると、乗客たちが、手招きをする。
そこで、乗り込むと、私が乗りたいジプニーの場所まで、乗せると、運転手が言っていると、一人の女性が伝えてくれた。
その女性は、日本語も少し出来た。

私が支援に来たことを知らせると、皆さん、ありがとう、と言う。
8ペソのお金もいらない。

あなた、一人で・・・と、その女性が日本語で言う。
そうです・・・

ここで降りて、向こう側から、ジプニーに乗ってください・・・

そういうことだった。
実に親切にしてくれたものである。
ジプニーの行き先は、全く解らない。
ジプニーの番号を教えてくれた。それに乗れば、そこに行けるということだ。

タクシーに乗らない。8ペソのジプニーに乗る。
節約旅行である。

そして、人の心に触れる。




posted by 天山 at 06:31| 旅日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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