2014年02月14日

フィリピン・ボホール島へ6

翌日の朝、五時頃に目覚めた。
日本時間では、六時である。

旅に出ると、大体、夜10時頃には、ベッドに就く。
日本にいるときより、よく寝ている。

街は、まだ静かである。
部屋の中で、ぼんやりと、タバコをふかし、計画実行を今日にするか、明日にするかと、考える。

地震の被害を受けたのは、タクビラランの隣町、バクラヨンという町である。
そこには、バクラヨン教会という、フィリピン最古の教会がある。
フィリピン最古の教会は、マニラに一つと、セブシティの、セントニーナョ教会の三つだ。

バクラヨン教会は、崩れたと聞いている。

この地震の震源地は、島の中部の、サグバヤン町付近で、マグニチュード7,1の直下型である。フィリピン国内の死者は、198人で、その大半の、185人がボホールの人たちである。

もし、サグバヤンの町に行くとしたら、タクビラランではなく、別の町にフェリーで渡る必要がある。
陸路より、早いが・・・そこからも、バスに乗らなければならない。

私の優先は、慰霊なので、タクビラランにした。

七時になったので、食堂を探すため、歩いた。
今度は、大通りの向こう側に出てみた。

至る所に食堂があると、考えていたが・・・
中々見つからない。
そして、少し奥まった場所に見つけた。

目に入ったのは、小さな商店である。その前に、食堂があった。
だが、その商店も、食堂だと、後で気付く。

一人のお爺さんが迎えてくれた。
すぐに、日本人だねと、声を掛けてくれた。
私の肩掛けバッグに、日の丸をつけている。それを見たのだろう。

ただ、おかずが、まだ二つばかり。
そして、今、ご飯を炊いているという。
お爺さんの娘さんになのるか・・・

生まれたばかりの、赤ちゃんが籠に入っていた。

私は、自動販売機のコーヒーを飲んで待つことにする。
5ペソのコーヒーは、甘く、ミルクも入っている。

フィリピンのご飯は、パサパサしているが、炊き立てのご飯が食べられると、楽しみになった。

ご飯が炊き上がり、私は、煮物の魚を選んだ。
塩味で煮るのが主流だが、魚醤のものもある。
刻みショウガが入る。

目玉焼きがあったが、私は、卵のオムレツを頼んでみた。
すると、オッケーと言うが、何と、お爺さんが、卵を買いに出た。

私は、食べ始めていた。
お爺さんが、二つの卵を買って来た。

ビサヤ諸島は、それぞれの島の味付けがあるが・・・
ボホールは、塩味が強い。つまり、しょっぱいのである。

その卵のオムライスが、また、しょっぱい。
炊き立てご飯は、さすがに、パサパサしていない。
日本のご飯に似る。

60ペソを払い、店を出て、目の前の商店を見ると、人々が食事をしている。
明日は、ここだと、目をつけた。

その周辺は、市場もあり、パン屋が多いことも解った。
更に、ジャンクフードの店も多い。

ホテルに戻ると、二人の女の子がフロントにいたので、話し掛ける。
私は、地震の被害のあった場所に行き、支援をしたいと言うが・・・

アースクエイク・・・日本語英語の地震であるが・・・
通じない。
アイドント・ノー・・・
私は、ジェスチャーをしてみた。
すると、一人の女の子が、理解した。
そして、ウァーッ・クェーのような発音である。

子音が聞こえないのである。
だが、何度それで、笑いあったか・・・

バクラヨンチャーチにも行きたい・・・
すると、そこが一番酷かったと言う。

それから、トライシクルの運転手に交渉してもらうことになった。
荷物を積んで、おおよそ、二時間で、幾らになるのか。

普通なら、朝10時頃に出発して、昼間に慰霊をするが、今回は、夕方にした。昼になると、気温が上昇するからだ。

3時出発にした。

その女の子には、帰りのトライシクルの交渉もして貰うことになる。
何せ、外国人だと、吹っかけられる。

ちなみに、タクビラランの女の子たちは、皆、美しい、セクシーなのだが・・・
フロントの女の子は、不細工だった。不思議だ。

その大通りは、学校が多く、制服姿の女の子を見たが、皆々、美人である。驚いた。
ボホール島は、穴場である。
美人の島なのだ。そして、親切。
道を尋ねると、実に親切に教えてくれる。
更に、トライシクルを止めて、これに乗って行ってください、8ペソですと、教えてくれるのだ。




posted by 天山 at 05:55| 旅日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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