2014年02月10日

フィリピン・ボホール島へ2

メトロ・マニラのパサイ市は、空港に近く、その点ではいいが・・・
一番、危ない街といわれる。

スリ、かっぱらい、などは、当たり前にある。
それが、皆、ストリートチルドレンが、大きくなった青年たちが、多い。

兎に角、一瞬の隙を突いてくる。

更に、人人人の波である。
朝から夜まで・・・

道端に出る、屋台の物売りも多い。
お祭りのような気分になる。

用だけを済ませて、ホテルにいるのが、一番だが・・・
それでも、私は、ホテル近くの路地を歩いてみた。

迷路のような、細い道である。
入り組んで、どちらに向っているのか、解らなくなる。

家々が、つながっていて、長屋式なのだが・・・
それが、歪なのだ。

決して、豊かとは言えない、暮らしぶりである。
ここでも、衣類を持って来ると、喜ばれそうだ。

学校前の子どもたちは、半身裸の子が多い。
道端のストリートチルドレンも、幼い子は、裸だが・・・

さて、海外で使う、携帯電話であるが、なかなか、日本に通じない。
日本からも、通じないということで、新しい携帯電話を買うことにした。

一番安い物。
1000ペソ、2500円ほどである。
簡単な操作だけを教えて貰い、早速、日本に電話してみる。

ようやく、繋がる。
八年も使うと、古い物になる時代。

コンビニに行き、料金を入れる。
最初に古い電話に入れた、200ペソがパーになったので、今度は、新しいものに、100ペソ入れる。

フィリピンでは、どこでも、一度出したお金は、戻らないと、知っている。
ホテル料金も、毎朝、本日の分として、支払うことにしている。
もし、ホテルが嫌になり、別のホテルに変更するとしても、支払ってしまったものは、決して、戻らない。

それは、フィリピン全土に、言える。

どうしても、返金を求めるなら、ピストルでも、持参していないと、駄目。
そういう意味で、日本人は、多くフィリピン人に、お金を取られているだろう。
一度や二度の観光ならいいが・・・

フィリピンに憑かれて、日本から男たちが、遊びに来て、そのまま、フィリピンに居つき、貧しくなって行く過程を取材した本が、出た。

一人の女と恋愛をする。
すると、その女の家族から、親戚、友人知人も、金を取りに来る。
お金を貸すことは、上げることと、同じである。
勿論、日本でも、そのようであるが。

さて、迷路に入った私は、人に聞いて、ホテルに戻った。

明日は、セブ島に向う前日である。
暑さに慣れるため、マニラで、一日過ごすという、それだけのこと。

ところが、朝夕が涼しいのである。
昼間も、それほど、強い暑さはなかった。

今時期は、乾季であり、二月頃から、気温がぐんぐんと上がる。
帰国する日に向けて、次第に、気温が上がって来た。

フィリピンは、乾季、暑気、雨季があるが・・・
それぞれの、島でも、天候は違う。

だが、フィリピンでも、天候の変化が多くなったという。
今までは、台風など通過しなかった、ミンダナオ島も、台風被害が酷い。

世界的規模で、天候が不順なのである。

カプセルの部屋は、一人のマレーシア人が出て行き、三名が入って来た。
つまり、満室である。

その、帰国する、マレーシア人と、色々と話をする事が出来た。
とても、流暢な英語で、半分ほど理解出来なかったが・・・

今回は、出来るだけ、相手にスローリーに話してもらうように、頼んだ。
ゆっくり話してくれれば、少しは、理解が増した。

ただ、フィリピンのおじさんたちの英語は、訛りが酷くて・・・
解らない時は、笑って誤魔化す。

昼12時前にチェックアウトし、タクシーに乗り、空港に向う。
100ペソ程度である。

空港のメータータクシーでは、ホテルまで、300ペソもかかった。
それらは、黄色のタクシーである。
以前は、普通のメータータクシーに乗ることが出来たが・・・

客を乗せて来たタクシーに乗ると、通常料金だが・・・
空港側も、考えたものだ。手数料を取るのだろう。

大量の支援物資を持つ私は、とても辛いものがある。
絶対にカートが必要だ。
カートに乗せて、搭乗手続きに行く。

この支援物資が、今回は、最後の最後まで、重荷になった。



posted by 天山 at 06:22| 旅日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。