2014年02月21日

国を愛して何が悪い114

勇気は、義のために行なわれるのでなければ、徳の中に数えられるにほとんど値しない。
新渡戸

義を見てなさざるは勇なきなり
論語

武士道にあっては、死に値しない事のために死ぬのは、犬死といった。
猪突的行為は、勇気ではないのである。

プラトンは、勇気を定義して、
恐るべきものと恐るべからざるものとを識別することなり。
と、言う。

そして、水戸の義公も、
戦場に駆け入りて討死するはいとやすき業にていかなる無下の者にてもなしえらるべし。生くべき時は生き死すべき時にのみ死するを真の勇とはいうなり。
と、言う。

西洋において道徳的勇気と肉体的勇気との間に立てられた区別は、我が国民の間にありても久しき前から認められていた。いやしくも武士の少年にして、「大勇」と「匹夫の勇」とについて聞かざりし者があろうか。
新渡戸

剛毅、不撓不屈、大胆、自若、勇気等のごとき心性は、少年の心に最も容易に訴えられ、かつ実行と規範とによって訓練されうるものであって、少年の間に幼児から励みとせられたる、いわば最も人気ある徳であった。
新渡戸

日本の昔話の中には、我慢と勇気の話が多々ある。
それを、幼児の頃から聞いて育つ。

イスラムの幼児が、コーランを聞く如くである。

武士の教育の厳しさは、格別である。
それは、肉体的訓練から、始まった。

身を持って、習うのである。
そして、その親、長上は、それを求めた。

この超スパルタ式なる「肝を練る」方法は、現代の教育家を驚かせて戦慄と疑問を抱かしめるであろうかーーーこのやり方は、人の心の優しき情緒をば蕾のうちに摘み取る野蛮な方法ではあるまいかとの疑問を、抱かしめるであろうか。
新渡戸

少年に対する、敢為自若の精神を鼓吹する方法・・・
現代のスポーツの現場で起きている、体罰をどう考えるか。
鍛錬と、体罰による指導は、全く別物である。

体罰は、指導者の勝手気ままな、気分によると、判断する。

武士の子の指導は、道理がある。
義であり、勇気である。

勇気が人のたましいに宿れる姿は、平静すなわち心の落ち着きとして現れる。
新渡戸

敢為の行為が勇気の動態的表現たるに対し、平静はその静態的表現である。真に勇敢なる人は常に沈着である。彼は決して驚愕に襲われず、何ものも彼の精神の平静を乱さない。激しき戦闘の最中にも彼は冷静である。大事変の真中にありても彼は心の平静を保つ。
新渡戸

つまり、それは、余裕であると、言うのだ。
余裕綽々なのである。

そのために、幼児からの、武士の教育がある。

更に、それは、武士のみに関わらず、日本人の精神、心のあの方として、定着してゆくのである。

戦にあっても、歌詠みをする、余裕・・・
その多くの実例がある。

更には、その余裕により、武士の情けで、命を失うことのない場合もあるのだ。

ここでは、その実例を一々取り上げない。

新渡戸は、様々な、実例を挙げている。

欧米人は、この新渡戸の、武士道を読んで、感動したことだろう。
それは、武士の教育に留まらず、人間教育の手本になるからである。

武士道とは、人間教育に他ならないのである。

ニイチェが「汝の敵を誇りとすべし、しからば敵の成功はまた汝の成功なり」と言えるは、よく武士の心情を語れるものである。実に勇と名誉とは等しく、平時において友たるに値する者のみを、戦時における敵としてもつべきことを要求する。勇がこの高さに達した時、それは仁に近づく。
新渡戸

仁とは、論語の眼目である。

愛であり、慈悲である。

この仁についても、新渡戸は、詳しく説明する。

仏教からは、慈悲の心を、論語からは、仁の心を学んだ、日本人である。
そして、更に、それは、元々から、日本人の心に宿るものだった。
それを、言葉とした時、それが、観念となった。

だが、観念まみれにならなかった。
行為があったからである。

初めに、言葉があるのではない。
初めに、行為があるのだ。

初めに、心があるのだ。
そして、精神として、花開くのである。
種は、心。精神は、花である。



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2014年02月22日

国を愛して何が悪い115

愛、寛容、愛情、同情、憐ピンは古来最高の徳として、すなわち人の霊魂の属性中最も高きものとして認められた。
新渡戸

それは、二つの意味として、王者の徳と考えられたとのこと。

一つは、高貴なる精神に伴う、多くの属性中王位を占めるものとして。
また特に、王者の道に相応しい徳として。

慈悲は王冠よりも善く王者に似合うとか、慈悲は王シャクをもってする支配以上であるとか、これを言葉にするにはシェクスピアを必要としたが、これを心に感ずるにはあえて彼を要せず、世界各国民皆これを知ったのである。
新渡戸

これは、第五章に書かれる、仁・惻隠の心、という章である。

ここで、新渡戸は、仁を掲げる。

孔子、孟子、共に、仁を、王者たる者の、不可欠要件を定義して、仁とは人なり、と言う。

確かに、仁とは、君子の道であった。
だが、それ以前・・・
つまり、漢語の仁が、入る前は・・・

あはれ・・・
であった。

哀れ、憐れ、更に、多くの感情的な心の動きである。
それがあれば、こそ、仁の心得も、理解したのである。

更に、惻隠の情も、である。

私はいかなる種類の専制政治をも支持するものでは断じてない。しかしながら封建制を専制政治と同一視するは誤謬である。
新渡戸

封建制を、専制政治と、理解すると、誤るのである。

封建君主は臣下に対して相互的義務を負うとは考えなかったが、自己の先祖ならびに天に対して高き責任感を有した。彼は民の父であり、民は天より保護を委ねられたる子であった。
新渡戸

かくして民衆の世論と君主の意志、もしくは民主主義と絶対主義とは融合した。かくして武士道もまた、通常与えられているとは異なる意味において父権政治を受けいれ、かつ確認した。
新渡戸

専制政治と、父権政治の違いは、前者は、自民がいやいやながら、服従する。

父権政治は、「かの誇りをもってせる帰順、かの品位を保てる従順、かの隷従の中にありながら高き自由の精神の生くる心の服従」である。

西欧の政治を評する言葉を使用して、新渡戸は、説明する。

それは、省略して・・・

この故に我が国民にありては、君主の権力の自由なる行使はヨーロッパにおけるがごとくに重圧と感ぜられるのみではなく、人民の感情に対する親父的考慮をもって一般に緩和せられているのである。
新渡戸

私は、西欧に、理想的な王がいたとは、知らない。
西欧の、王位は、権力闘争の結果であり、支配者そのものである。
更に、別の権力によって、倒されると、別の王が、王位を継ぐ。

新渡戸は、ドイツ皇帝の言葉を上げている。
「王位は神の恩恵により、かつ神のみに対する重き義務と巨大なる責任を伴う。いかなる人も、大臣も、議会も、国王からこれを免除しえないのである」

王権神授説・・・

これが、西欧の曲者であるが・・・

仁は柔和なる徳であって、母のことくである。真直なる道義と厳格なる正義とが特に男性的であるとすれば、慈悲は女性的なる柔和さと説得性をもつ。我々は無差別的なる愛に溺れることなく、正義と道義をもってこれに基づくべきことを誡められた。
新渡戸

ここで、新渡戸は、仁、慈悲、愛、と連ねている。
キリスト教徒であるから、そのようになったのであろう。

武士道は、徳川時代に、ほぼ完成した、武士の道である。
その、封建時代をもって、新渡戸は、封建政治・・・云々と言うのか・・・

何故、その封建時代の政治が、ある主の民主主義を有していたか・・・
その種は、天皇の政治にある。

一部、 偏狭な学者は、天皇政治を、専制政治と判定するようだが・・・
日本の、政の、基本は、天皇の政治からである。

如何に、封建制度、政治の中にあっても、天皇の存在、つまり、無形の権威により、支えられていたことを持って、武士道も成り立つのである。

徳川幕府によって、支配されているように、見えるが、違う。
各大名は、天皇の委託を受けて、将軍家が成ると見ていたのである。

仁、慈悲、愛・・・
ここで言われる、人間の情緒的な、それでいて、権威と正義ある、感情は、天皇家、天皇によって、支えられていた。

幕末を見ると、明白である。
武士とは、王氏、つまり、天皇に対し奉る行為を正義とする。

仁、慈悲、愛・・・の総称である、あはれ、の御心は、天皇にある。

京の帝が、浅野匠守あはれである、との言葉により、赤穂浪士が、成り立ったといえる。
帝が、認めた・・・

「武士の情」という言は、直ちに我が国民の高貴なる情感に訴えた。武士の仁愛が他の人間の仁愛と種別的に異なるわけではない。
新渡戸

次は、仁愛である。

二つ共に、訳語である。

この、情け、とは、あはれ、のことである。
それは、天皇の御心が発したものである。

それを武士として、身に付けるべき、心のあり方として、あはれ、が、情けになったのである。


posted by 天山 at 06:38| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月23日

国を愛して何が悪い116

弱者、劣者、敗者に対する仁は、特に武士に適わしき徳として賞賛させられた。
新渡戸

そういう話は、源平合戦の頃から多く、伝えられている。
新渡戸も、そこで、一つの話を、上げている。

須磨の浦の激戦の話である。
その名を聞けば、敵方も、恐れるほどの武者が、敵を、ねじ伏せた。
そこで、名乗りを求めるが、言わぬ。
それではと、相手の兜を剥ぐと、少年だった。

そこで、武者は、父親のように、行け、と言う。
逃がすのである。
しかし、少年武士は、互いの名誉のためにも、軌ってくださいと、頼む。
名の知れぬ武者に、斬られるより・・・

そこで、武者は、少年の首を刎ねる。

そして、それ以後、武者は、生涯を僧衣をまとい、供養のために、旅に出る。という、お話である。

いずれにしても、優しさ、憐れみ、愛が武士の最も惨慄なる武力を美化する特質なりしことを、この物語が示すことは変わりが無い。
新渡戸

と、言うのである。
よく、愛という言葉が、出てくるが、キリスト教徒の多い欧米人向けに書いたものだからである。

当時、愛とは、執着という意味合いが強い。
仏教では、愛を、そのように解釈する。

だから、英語では、アガペーを使用したと、思えるのだが・・・

窮鳥懐に入る時は、狩夫もこれを殺さず・・・

特にキリスト教的であると考えられた赤十字運動が、あんなにたやすく我が国民の間に堅き地歩を占めたる理由の説明は、おおむねこの辺りに存するのである。
新渡戸

これは、甘い。
戦争好きな、アメリカ軍は、武器の後ろに、赤十字を旗を持っている。
敵を徹底的に、痛めつけた後で、赤十字の出番である。
それが、キリスト教的とは、実に恐ろしい。

戦いに勝った後で、敵方を、赤十字運動によって、懐柔するのである。

さて、武士の嗜みとして、芸事が挙げられる。
新渡戸も、それを言う。

日本において武士階級の間に優雅の風が養われたのは、薩摩だけのことではない。
新渡戸

武士には、詩歌が奨励されたのである。
和歌、俳諧である。

これは、説明すれば、キリが無いほどである。

武士、もののふ、とは、武芸に秀でる者なのである。

多少の教養ある者は皆和歌俳諧を事とした。戦場に馳する武士が駒を止め、腰の矢立を取り出して歌を詠み、しかして戦場の露と消えし後、兜もしくは鎧の内側からその詠草の取り出されることも稀ではなかった。
新渡戸

大東亜戦争の兵士たちも、そうであった。
日々の歌詠みが、辞世の句であった。

戦闘の恐怖の真っ只中において哀憐の情を喚起することを、ヨーロッパではキリスト教がなした。
新渡戸

確かに、そうである。

それを日本では、音楽ならびに文学の嗜好が果たしたのである。優雅の感情を養うは、他人の苦痛に対する思いやりを生む。しかして他人の感情を尊敬することから生ずる謙譲、慇懃の心は礼の根本をなす。
新渡戸

ここでも、新渡戸が、触れていない、天皇の御有様について、言う。

その歌詠みの伝統は、皇室にある。

天皇が、権力者に、忠言する際には、多く、歌詠みを持って成した事実がある。

才能ある者だけが、文学、和歌、俳諧を成すのではない。
上は、天皇から、下は、乞食、遊女に至るまで、歌の道では、平等であるという、日本の伝統がある。

世界的に見ても、稀な行為である。

その大元は、万葉集である。
その伝統が日本には、存在したということである。

であるから、武士の嗜みだけではない。
国民の嗜みだった。

そのような、国は、世界の中で唯一、日本だけである。

仁、惻隠の情・・・
それを英語にて、説明した新渡戸の努力を尊敬する。

仁は、愛と置き換えることが出来るが、惻隠の情は、実に難しい。
相手を思いやる心・・・
相手の痛みを感じて、それを直接的表現をせず、歌に託す、行為に託すという。

相手の弱みを見て、見ない振りをする。
欧米人には、無理なことである。
彼らは、弱みを見せると、そこに、総攻撃する性格である。

それを、個人主義という。
更に、個人孤立主義ともいう。

デカルトから始まった、西欧の個人主義である。
そこから、近代が始まったというから、笑う。

個人絶対主義ともいう。


posted by 天山 at 03:23| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月24日

国を愛して何が悪い117

作法の慇懃鄭重は日本人の著しき特性として、外国人観光者の注意を惹くところであった。もし単に良き趣味を害うことを怖れてなされるに過ぎざる時は、礼儀は貧弱なる徳である。真の礼はこれに反し、他人の感情に対する同情的思いやりの外に現れるものである。それはまた正当なる事物に対する正当なる尊敬、したがって社会的地位に対する正当なる尊敬を意味する。何となれば社会的地位は何ら金権的差別を表すものではなく、本来はじっさいの価値に基づく差別であったからである。
新渡戸

礼の最高の形態は、ほとんど愛に接近する。
新渡戸

キリスト教徒であれば、上記の意味を即、納得するだろう。

パウロの手紙に、愛に付いての、記述がある。
その愛に、礼を当て嵌めて、新渡戸は、書く。

欧米人には、説得力のある説明だろう。

しかし、新渡戸は、礼を尊ぶが、それが、諸徳の第一位に置くものではないという。

礼はより高き階級の諸徳と相関的関係にあるのを見出すであろう。
新渡戸

礼は武人の特殊なる徳として賞賛せられ、その値する以上に高き程度の尊敬を払われたけれど・・・
その偽物が起こってきた。
新渡戸

武人の礼だけではない。
日本には、庶民の礼も、存在した。

鎌倉時代、武人の礼法をまとめた小笠原家がある。
現在でも、小笠原流礼法が伝えられている。

その、礼法が、全国民に浸透してゆくのである。
更に、様々な、礼法に生かされた。
現代の礼法も、小笠原流礼法に、その源流がある。

礼が社交の不可欠要件にまで高めらるる時、青少年に正しき社交的態度を教えるため、行儀作法の仔細なる体系が制定せらるるに至るはけだし当然である。
新渡戸

ヨーロッパ人が我が国民の仔細なる礼法を賤しめて言う批評を、私はしばしば耳にする。
新渡戸

アメリカ人も、そうであろう。
理解出来ないからだ。

西欧には、礼法が無い。
アメリカにも、礼法が無い。

もし、ある一定の行動規範があれば、それは、教会における、作法である。
彼らに、キリスト教がなければ、世界的にも、無作法極まりない行為になる。

彼らの相手は、神である。
神に対する態度、行為が、作法と言えば、いえる。

イギリスの騎士道などは、作法のうちに入らない。

あれは、心得である。
精神の持ち方である。

神に対する、謙虚さが、人間に及ぶとき、作法になるのが、西欧の作法である。

アメリカなどは、何もかもにも、西欧の国からの、寄せ集めを、作法、あるいは、行儀に当てている。

新渡戸は、中でも、茶の湯の説明を通して、礼が、芸術に高まるまでのことを、言う。

だが、茶の湯の作法の、その源流にも、小笠原流がある。

カトリックのミサ典礼による、行為も、作法といえば、いえる。
しかし、それも、神に向う姿勢である。
そこから、人間対する、謙虚な姿勢が生まれた。

新渡戸は、日本の作法を、
何かをなさんとする時、それをなすに最善の道があるに違いない。しかして最善の道は最も経済的であると同時に最も優美なる道である。
と、言う。

日本の作法のまとめが、上記の言葉にある。

スペンサー氏は優美を定義して、動作の最も経済的なる態度であるとなした。
新渡戸

そこで、茶の湯の作法を解説するのである。

更に、加えると、茶の湯の心構えには、禅の思想がある。
つまり、禅の作法も生かされているのである。

茶の湯の作法は、芸術だけではなく、宗教的でさえある。

日本では、礼法もまた、道である。
武人も、その道にある者である。

礼儀は仁愛と謙虚の動機より発し、他人の感じに対するやさしき感情によって動くものであるから、常に優美なる表現である。
新渡戸

真に礼法を身に付けた人は、その動作、行為が、舞うように見えるものである。

武人の剣の道も、然り。

茶を飲む作法だけではない。
食事の作法、その他、諸々の作法・・・
日本には、礼法と呼べる、様々な、作法が存在する。

あらゆる武道、芸道に、礼の道が存在するのである。

posted by 天山 at 06:03| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月25日

国を愛して何が悪い118

信実と誠実となくしては、礼儀は茶番であり芝居である。
新渡戸

伊達政宗は、礼に過ぐれば、へつらいとなる。

心だに
誠の道に
かないなば
祈らずとても
神や守らん  菅原道真

孔子は「中庸」において誠を崇び、超自然力を付与してほとんど神と同一視した。曰く、「誠は物の始終なり、誠ならざれば物なし」と。
新渡戸

勿論、今の中国には、そのような誠は、皆無である。

更に、孔子は、それを神と同一視したというが・・・
孔子は、平面思考のみを行なった。

ただ、それほど、誠が、大切であること。

虚言遁辞はともに卑怯と看做された。武士の高き社会的地位は、百姓町人よりも高き信実の標準を要求した。
新渡戸

武士の一言・・・
それほど、重いものはない。

二言・・・すなわち二枚舌をば、死によって償いたる多くの物語が伝わっている。
新渡戸

信実を重んずることかくのごとく高く、したがって真個の武士は、誓いをなすをもって彼らの名誉を引き下げるものと考えた。この点、一般のキリスト教徒が彼らの主の「誓うなかれ」という明白なる命令を、絶えず破っているのとは異なる。武士が八百万の神を呼び、もしくは刀にかけて誓ったことを、私は承知している。
新渡戸

ここで、信実、真実と、書かないことである。

矢内原の訳が、いいのだ。

近頃一人のアメリカ人が書を著して、「もし普通の日本人に対し虚言を言うのと礼を失するのといずれを取るかと質問すれば、躊躇なく「虚言」と答えるであろう。と述べた。かく言えるビーリー博士は、一部は正当であり一部分は間違っている。普通の日本人のみでなく、武士でさえも、彼の言えるがごとくに答えるであろう、という点においては正しい。しかしながら博士が日本語の「ウソ」という語を「虚偽」と翻訳して、これに過当の重みを置いた点は誤りである。「ウソ」という日本語は、何でも真実「マコト」でなきこともしくは事実「ホントウ」でなきことを示すために用いられる。
新渡戸

ここに、翻訳の難しさがある。

ローウェルの言うところによれば、ワーズワースは真実と事実とを区別することができなかったというが、普通の日本人はこの点においてはワーズワースと異ならない。
新渡戸

だから、私も、事実であると、書く。
真実は、人の数ほどある、時代になった。

だが、日本人の感性は、事実と真実とは、同じ意味なのである。

事実ほど、人の数ほどある・・・
今更、言葉遊びをするつもりはない。

単に礼儀のために真実を犠牲にすることは、「虚礼」であり、「甘言人を欺くもの」であるとなされた。
新渡戸

礼よりも、思いのが、誠である。

誠を尽くすのが、武士である。
その誠の、主は、君主に対する、忠義である。

この後、新渡戸は、商人と武士の相違を書いているが・・・

結果的に、商売人も、誠が、最も利益を上げるものであるとの、結論である。

つまり、
アングロ・サクソン民族の高き商業道徳に対する私のすべての誠実なる尊敬をもってして、その窮極の根拠を質問する時私に与えられる答えは「正直は最善の政策なり」・・・正直は引き合うということである。
と、なる。

これは、アングロ・サクソンというより、カルビン主義である。
カルビン主義が無ければ、アングロ・サクソンは、無謀な者となるのである。

神の前に、正しく・・・

それは、ドイツでも、同じことだった。
彼らには、神が必要なのである。

しかし、日本人、そして、武士は、神ではない。
我が胸の内である。

天地神明に誓い・・・
そして、刀、剣に誓って・・・

武士道の信実は果たして勇気以上の高き動機をもつやと、私はしばしば自省してみた。
新渡戸

虚言は罪として裁かれず、単に弱さとして排斥せられた。それは弱さとして、甚だ不名誉となされた。事実において、正直の観念は名誉と不可分に混和しており、かつそのラテン語およびドイツ語の語源は名誉と同一である。
新渡戸

誠が、正直、そして、名誉と続く道へ・・・

現在、新渡戸のように、日本の精神を、このように真っ当に語れる、識者は、いるか・・・
実に、不安である。

欧米に、おもねる者が、多いのが、現実。


posted by 天山 at 06:00| 国を愛して何が悪い3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月26日

天皇陛下について170

今上天皇は、皇太子時代の、昭和52年8月に、語られた。

日本の皇室の伝統は、武ではなく、常に学問であった。軍服の天皇や武人姿の天皇は非常に少ない。和歌や文学の面で、すぐれた作品を残した天皇も少なくない。
明治天皇の和歌、大正天皇の漢詩、現在の天皇の生物学など・・・
これからも、学問を愛する伝統を続けていきたい。

国文学を専攻する者でも、それらの天皇の著作の多くを知らない。
実に、天皇の著作は多いのである。

村に、村長、むらおさ、がいるように、農耕民族の「長」して、人々の平穏で満たされたくらしを実現するために、常に五穀の豊かな実りを祈り続けた。そして、暮らしの積み重ねの中に生まれる智恵と文化の伝承と発展に尽くし、他民族との調和に心を砕いてきた。
伊達宗克

古来の本質的な象徴性、との文である。

天皇を取り巻く制度やその運用が大きく変わり、天皇の存在や権限が形式的に改められたのは歴史の示すとおりだが、大筋としては国長としての象徴的役割に大きな変化はなく、日本人社会の基本的な中心という座標のもとに、いまなお重要な役割を果たしつつある。
伊達

実際、天皇の本質的存在意義、あり方には、さほどの変化は無かった。

天皇親政といっても・・・
具体的に挙げてみても、明治天皇など、御前会議をはじめとする、実務、判断は、すべて有力な政治家、軍の首脳が決めて、天皇の名で、事を進めたのである。

独裁者のように、天皇が、独断と偏見により、国政を執られたことは、一度も無い。

制度と時間の流れの中で、すでに決まったこと・・・それを、裁可するのみである。

このような、君主は、世界を見回しても、何処にも、いない。
不思議な存在である。

敗戦後の天皇、それ以前の天皇も、変わりないのである。

江戸時代以前に遡っても、厳密な意味での、天皇親政というのは、少ない。

天皇、朝廷は、ただ、裁可、了承するのみである。
それなのに・・・
国が、平穏で豊かだった。

天皇の存在の「元型」は、政務を超越した「国長」そのものである。
伊達

近代のみならず、まだ幕府が存在しなかった古代についても同じことが言える。冷泉天皇から円融、花山、一条、三条、後一条、後朱雀、後冷泉の八代百三年間は、藤原氏の摂政政治が行なわれた時代で、これをもって後世の幕府発生の原型と見られないこともない。冷泉天皇以前にも、関白が置かれた例がすべてにあり、したがってこの時代に早くも、一種の権威と権力の二分体制が実質としては存在していたと見る他はないからである。
つまり幕府が厳として存在していた時代はもちろん、幕府がまだ確立されなかった以前や、幕府体制が廃止されたかに見える時にも、実は天皇は決して実務権力に淫した存在ではなく、つねにそこから一歩退いた権威の地位を保っていた、と見るのが歴史の実相である。これが日本天皇の第一の特徴であり、よく記憶しておく価値があろう。
入江隆則 改行は、私。

上記に付け足すものはない。

ただし・・・
一度だけ、実質的に、天皇が判断されたことがある。
昭和天皇の、戦争終結の、御聖断である。

開戦を避けるために、様々な蔭の御努力をされ、しかし、開戦を承認せざるを得ず。そして、敗戦の断である。

更に、戦時中は、兵士の士気を高めるために、様々な、お言葉を述べられたのである。
もし、天皇が、吾関せずとしていたら・・・
全く、戦争の形相が変わっていたはず。

更に、軍部に天皇を掲げられて、とんでもない国に、転落したことだろう。

開戦も、敗戦も、天皇だから、受け容れた。

受け容れられた。
つまり、最後は、御自分がすべての責任を取るという、姿勢だから・・・

歴代天皇始まって以来の、天皇の政務の大決断が、御聖断である。

二度と、そのように状況を作ってはならないと、国民は、肝に銘じるべきである。特に、政治を司る者たち・・・

内乱にも、陥らず、敗戦からの日本は、立ち上がった。

歴代天皇の、御心を、実現された昭和天皇である。

国長は、ただ、民の、かまど、を、ご心配される方なのである。
そして、ご自分は、学問を行なう。
だが、学者ではない。
素人として、学問に専心される。

これも、伝統の智恵である。

和歌に象徴される、日本文学の花を、天皇は咲かせ続けている。

日本には、革命は無い。
フランス革命、ロシア革命、イラン革命・・・
更には、一時、神格化されていた、毛沢東、スターリンなど・・・そのような存在でもない。

天皇の神格化は、天皇ではない者が、言っただけの話。
天皇が、唯一絶対超越した、神などではなかった。

常識・・・
常識的に考えて、人間が、唯一超越した存在になるものであるか・・・

その常識的感覚に立てないのが、左翼といわれる人たちである。
今以て、馬鹿げたことを言う。

常識的に考えれば、保守的革新主義が、最も、新しい政治の形であり、いつも、そうであるから、進化、発展するのである。

そして、天皇という、存在は、不易流行なのである。


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2014年02月27日

天皇陛下について171

近代国家における立法、司法、行政の三権の分立が、デモクラシーの基本である事はいうまでもないが、それが有効に機能するためには、それに先立って権威と権力の二権が分立しているのが望ましいと述べたのは、イギリスの政治学者ウォルター・バジョットであった。
入江隆則

その、バジョットの名著、イギリス権政論の中に、
権威と、権力の分立に関して、二本立ての制度を維持していることが、イギリス政治の強みだとし、一方は、威厳を持ち、多くの者に権威を銘記させることを目的とした制度であり、他方は、実用的な機能を持ち、多くの者を統治することを目的とした制度、であると、言う。

この二元的制度を維持し、
両者の均衡を保たせ、両者の領分を漠然としておくこと・・・
それが、政治の安定のために、必要であるとのこと。

これは、まさに、日本の天皇の権威の存在と、権力者の実務的な政治のことである。

日本の政治は、実に、バランスが取れていたということである。

一言で言えば、天皇制は古めかしい封建制の遺物などでは決してなく、日本人が未来に向って大切に守り育てて行かなければならない制度である。
入江
ということになる。

更に、入江氏は、イスラエルの日本学者、ベン・アミー・シロニーの、天皇の経済学、から紹介する。

その学者は、
第一には、日本の文化の特性は、抑制と慎みであるとし、抑制の政治システムが最高に凝縮された形の象徴こそが天皇だとしている。
とのことだ。

何度も書いたが、世界中の、皇帝、王は、その反逆者によって、剥奪されると、天皇のように、今日まで続く、地位を約束されないのである。

その理由は、簡単で、権力と権威を一身に兼ねていたからである。

日本の天皇は、権力とは、いつも一線を画していた存在である。
それが、慎み。

更に、
日本の天皇の場合は、権威ある血統をついでいることは、絶対的な立場を約束するものとはならない。むしろ逆に、もっとも制約を受ける立場にあることを意味する。もっとも高い地位についた者が、もっともきびしい抑制を強いられるのであって、これは今日の放縦なとも言える世相のなかでの、抑制に満ちた王室のあり方を見てもわかるであろう。
入江
と、いうことになる。

日本人は、天皇の存在により、明治維新、敗戦後も、あまり動揺がなかった。
本来は、社会的激変に遭うと、人々は、混乱し、抵抗する。
しかし、日本人は、天皇の存在により、少しの動揺を持つが、何処か、安心しているのである。

敗戦後の、昭和天皇の全国行幸を見れば、解る。

変革にあっても、日本人が、平然として、日々を暮らす。
天皇の存在である。

日本人の融通無碍は、不動の存在があって、成り立つ。
例えば、死ぬと仏式、結婚は、キリスト教、新年は、神社参拝と。

新しいものを取り入れても、天皇を通すと、すんなりと、スムーズに進むのである。

権力者が、権威を持とうとすると、とても、おかしなことをする。
例えば、軍事政権下のミャンマーの国境では、時の大統領の肖像が、掲げられて、軍人が構えていた。

共産主義の国なども、そうである。
肖像画だけではなく、銅像も建てる。

権威の広告である。

ミャンマーが、民主化してから、入国した際に、肖像画は、取り除かれ、軍人はいない。更に、日本語で、挨拶されるという。

日本社会でも、嫉妬、非難されが、世界的にも、嫉妬や批難は、当然で、日本のような理想的な国は、何かと、嫉妬、非難を受ける。
日本が、天皇の存在により、兎に角、安定しているからだ。

更に、経済大国となれば・・・

何も持たない国は、当然、日本を妬む。

または、日本と近づきになりたいと、願う。
遠い国ほど、日本に近づきたいと思うのである。

韓国などは、話にならないほど、日本を嫉妬し、非難する。
歴史認識の問題ではなく、韓国人の、精神異常のせいなのであるが・・・

そして、中国も、さんざんに、日本に金をタカって、力を付けると、軍事的に強固になり、我が物顔に、領土を侵犯する。

何一つ、まともなものを、持たない国・・・

その国に、権威と言うものが無いのである。

日本人は自分自身がいかに優れた制度を持っているかにも無自覚だが、自分たちが迫害される可能性についても、無自覚かつ無防備である。日本人が己の真の姿を対象化して知ることが、今ほど求められているときはないが、そのためには、まず天皇の存在の意味を知らなければならない。
入江

その通りで、すべては、そこから始まるのである。
国民国家としても、その国民としても、更には、国際人としても、である。

私は、海外にて、根掘り葉掘り、天皇についての質問を受けることがある。
その存在を説明し得るためにも、知るべきである。

posted by 天山 at 05:37| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月28日

天皇陛下について172

この頃は、天皇陛下のお姿が、マスコミに多く登場する。
特に、東日本大震災により、天皇皇后両陛下の、慰問の様子などが多い。

そして、少しずつ、天皇の御生活が、実に多忙であることを知る機会になっている。

天皇は、公の御方であり、一年間、つまり、崩御されるまで、公を生きられる。
だからこそ、御一人とお呼びする。

秒単位のスケジュール・・・
信じられないのである。
普通ならば、死ぬ。
あるいは、狂う。

その祭祀の様子を少し紹介する。

陛下は、年に最低でも、20数回、自ら祭祀を行なう。
元旦の四方拝、神嘗祭、新嘗祭、大祓い、毎月一日に行なわれる、句祭などである。

四方拝は、宮中三殿の、神嘉殿の前庭で、行なわれる。
前庭の上に、マコモという、カスミグサという、沼地に群生するマコモを織ったゴサを敷き、その上に、金襴の縁取りがある、薄帖という畳の薄縁が一枚、東北から西南に添って、斜めに敷かれる。
薄帖の上には、天皇がお座りになられる、三尺四方の畳が置かれる。

更に、御帷、おとばり、と呼ばれる屏風があり、両側に並べられ、伊勢の皇大神宮の方向と、天皇が出入りする、東北が空けられる。
周囲には、幾つか、篝火が焚かれる。

天皇は、その前に、天皇用の風呂場にて、潔斎をされる。
その際は、冷水ではなく、御懸湯、おかかりゆ、という湯をかけられる。

その後、宮中三殿の中にある、綾崎殿に入られる。
綾崎殿は、天皇皇后、皇太子が、着替えをされる場所であり、戦前は、陛下が神のお姿にならせられる神聖無比の御殿であると、言われた。

まだ暗いうちから、綾崎殿から神嘉殿の南庭まで、侍従が左右からタイマツを掲げて、天皇の足元を照らす。
天皇が、前庭に出られると、屏風の中の、マコモにお上がりになる前に、侍従が御ソウカイという、革を漆で固めた御沓を、お脱がせし、天皇は、御シトウズと呼ばれるタビで、進まれる。

天皇が屏風の囲いの中に入られると、長い裾を持つ侍従も中に入り、天皇が礼拝を行なっている間、平伏して待つ。

というように、説明するのが、大変な様子の儀式を行なわれるのである。

天皇の御姿を説明するのは、難しいので、式次第を述べる。

天皇は、まず伊勢の皇大神宮、つまり、天照大御神に、立ってお辞儀をされ、次に座って、暫くの間、平伏される。
そして、もう一度、立たれお辞儀をして、また座り、平伏される。
これを両階再拝という。

それから、右に回り、東北の方角に両階再拝され、ついで東北、南東の順で、同じことを繰り返される。

皇大神宮をはじめ、豊受大神宮、四方の天神地祇、神武天皇陵、先帝山陵、武蔵国の一宮氷川神社、山城国の一宮加茂神社などを、拝まれる。

今日でも、天皇の祭祀は、あらかじめ、式の次第を記した文書が、用意されるのである。

これが、歴代天皇が行なってきた、祭祀である。

脈々と、続けているのだ。

国民の知らぬところで、天皇は、祈る。
祈りの生活である。

自らの、自制がなければ、続けられないと、思うのである。
その覚悟を自ら求め、そして、実行される。

国民の前に晒さないという、その姿勢も、評価する。

もし、世俗的な宗教ならば、教祖は、徹底的に、信者、会員に、その姿を見せ付けるだろう。

そういう質のものとは、全く別物である。

それを、御自覚と私は言う。

国体という、国民と国土を守る御意志である。
その御一人の肩にかかるのである。

祖霊、日本の神々は、その姿を善しとして、受け入れ、この国のために、神霊を発揮せられる。

国にも、魂が在る。
その魂は、祖霊の総体である。

御霊鎮め、魂振り・・・
すべて、天皇のその行為から発する。

これを、伝統と呼ぶ。

天皇は、密かに祈ることをされているのである。
何故、それを公にしないのか・・・
する必要が無いのである。
それは、天皇の存在そのものが、それ、だからである。

それ、とは、何か・・・
天皇の存在自体が、それ、神なのである。
神とは・・・
祖霊の総体である。
天皇は、祖霊の総体を生きているのである。

天と地をつなぐ者・・・天皇である。
それが、日本の伝統なのである。

皇大神宮の姿は、太陽である。
太陽崇敬から、すべての宗教の元が存在する。

日本民族だけが、特別な民族なのではない。
すべての民族の、太陽崇敬が、日本の伝統の中に、込められている。

勿論、地の崇敬もある。
太陽崇敬は、大地崇敬でもある。

四方拝とは、天地自然、森羅万象を拝む行為である。
そこに、天皇の存在の確たる、意味がある。


posted by 天山 at 05:40| 天皇陛下について3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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