こうして、西の御殿に、戌の時刻に、お出向きななった。
中宮の、お出であそばす西の対の噴水を整えて、御髪上げの役の、内侍なども、真っ直ぐに集まった。紫の上も、この機会に、中宮にご対面になる。お二方の女房が、一緒に来ているが、数えられないほどに、多い。
子の時刻に、御裳を、お召しになる。大殿油は、かすかだが、姫の様子は、とても美しいと、中宮は、拝見される。
源氏は、お捨てされまいと信じて、失礼に当たります姿を、進んでお目にかけました。後の世の先例になろうとか、狭い考えで、密かに気にしていました、などと、申し上げる。中宮は、どういうこととも、判断いたしませんでしたが、このように、たいそう、らしくおっしゃられるのでは、かえって、気が引けますと、何でもなく、おっしゃる様子が、とても若々しく、愛敬があるので、源氏の大臣も、理想通り、立派なご様子の婦人方が、お集まりだが、お互いの間も睦まじく結構だと、思うのである。
姫とは、明石の姫君である。
中宮は、秋好む中宮である。
後の世の例・・・
中宮が、太政大臣の姫君の、裳着の役を勤めたことである。
母君の、かかる折だにえ見奉らぬを、いみじと思へりしも、心苦しうで、参うのぼらせやせましと思せど、人のものいひをつつみて過ぐし給ひつ。かかる所の儀式は、よろしきにだに、いと事多くうるさきを、片端ばかり、例のしどけなくまねばむもなかなかにや、とて、こまかに書かず。
母君、明石が、このような機会にさえ、姫君にお目にかかれないのを、辛いことと、思っていたのも、気の毒ゆえ、参上させようかと思うが、人の陰口を恐れて、そのままになった。こうした邸での儀式は、普通の場合でさえも、何かと、煩雑で、面倒なものだが、一部分だけを、いつもの通り、まとまりなく写しても、どうかと思い、詳しくは、書きません。
最後は、作者の言葉。
片端ばかり、例のしどけなくまねばむもなかなかにや・・・
とて、こまかに書かず
時々、作者が、このように書き付ける。
いつもの通りのことで、詳しく書き付ける必要はないというのである。
物語の一つの特徴である。
当時の人ならば、想像がつく。
だが・・・現在の人は・・・
ただ、他の部分によって、少しばかり、想像することが、出来るが。
それも、また、面白い。