シュタイナー
そして、高次の世界の観察に確実さが、加わる。
導師と志願者との間に正しい意志の疎通が可能となる。
これは、導師が日常生活の中で、どれ程親しい関係を結んでも、高次の認識を直接的な形で、語ろうとすると、その記号法によるしかないのである。とのこと、である。
しかし神秘修行なしでもこのような行為を、意識することなしに、果たすことのできる人たちがいる。
シュタイナー
その人たちと、神秘学徒との相違は、意識的に、全体の関連を考慮しつつ行なうか否かに過ぎないらしい。
この人たちが霊界の諸存在から世界救済のために授けられたものを、神秘学徒はまさに修行によって獲得する。
シュタイナー
しかし、修行の道を余計なことだと、見做すことは、出来ないらしい。
矢張り、修行をした方がいいのである。
さて、次に、また新たな試練である。
今度は、高次の世界の中で彼が自由に確実な行動をとれるかどうかが証明されねばならない。通常、人は外からの刺激に応じた行動をとる。周囲の事情が命じる義務に応えて、彼は仕事に従事する。
シュタイナー
そして、その外の仕事を、怠ってはならない。
義務を真っ当に行なうこと。
その段階に達した者には、ある種の義務が課せられる。
その際には、何も外的誘因が存在しない。
「隠れた」言語が教えてくれるあの規準によってのみ、それらの義務を遂行しなければならない。
シュタイナー
それは自分で手に入れた秘密文字の解読法によって認識されなければならない。
シュタイナー
正しく義務を認識し、正しく行為をすれば、この試練に合格したことになる。
その結果、霊眼、霊耳が知覚する形、色、音に変化が現れる。
シュタイナー
この試練を、水の試練、と呼ぶ。
これにより、多くの転生を必要とすることが、必要なくなる。
超感覚的な知覚と、秘密文字の解読により、得た事柄を頼りとする。
その場合、試練の最中に、何らかの個人的な願望、意見が混ざると、その瞬間に、正しい認識から得た法則ではなく、恣意に従ってしまう。
そうすると、生じるべきものではないものが、生じてしまう。
この試練によって、自制心を育成することが大切なのである。
気まぐれや恣意にではなく、崇高な理想や根源的な命題に従う能力を獲得した者、個人的な好みや性向が義務を忘れさせようとする場合にも、常にその義務を遂行できる人は、意識しなくても、すでに日常生活の中での霊界参入者である。
シュタイナー
高次の世界の事物に対して、相応しい仕方で働きかけようと欲するなら、自分を完全に支配しなくてはならない。
決して、勝手な欲求に負けてはならない。
西欧の哲学、思想は、語り尽くすのである。
シュタイナーも同じく、語り尽くそうとする。
霊界参入のこの段階において特別重要な人間の特質は、無条件に健全で確実な判断力である。
シュタイナー
実体のない幻影を、迷信を、あるゆる種類の眩惑物を、真の現実から区別できるのみ、更に、進歩ができる。
それは、低次の段階におけるより、高次の段階における方が、一層困難である。
いかなる偏見も、執着も、存在する事が、許されない。
ひとえに、真実だけを、規範とする。
もし論理的に考えてみて、どうしても必要であるなら、直ちに自分の思想、自分の観点または傾向を棄てる用意が完全にできていなければならない。自分の意見に固執しないときにのみ、人は高次の世界における確実な立場を獲得するからである。
シュタイナー
これは、禅なども、そうである。
徹底的に、自己放下するのである。
道元に言わせると、仏の家に、身を投げ入れるという。
空想や迷信に陥りやすい人は神秘修行の小道において進歩することができない。
シュタイナー
こうして、神秘修行は、矯正されて行くのである。
最終的に、ことの判断は、シュタイナーの見た、霊界の様相である。
とっいても、もし、すべての、霊界を見るというならば、それは、ウソである。
シュタイナーの霊界である。
決して、万人、あるいは、すべての霊界の有様を言うのであれば、狂っている。