2014年01月16日

霊学139

神秘学徒は一定の期間、自分とは正反対の思想に耳を傾け、自分の内部の一切の賛成、特に一切の否定的判断を完全に沈黙させる行を自分に課す。
シュタイナー

このような記述が、延々と続き・・・
結局、一言で語れることを、延々として、語り継ぐ。

こうして人間は他人の言葉をまったく没我的に、自分の意見や感じ方を完全に排除して、聞くようになる。・・・没批判的に傾聴する修行を積み重ねていく人は、次第に相手の本質的部分と融合し、同化することができるようになる。相手の言葉を聴く行為を通して相手の魂の中へ自己を移し入れる。このような修行を積んだ人にとって、音ははじめて魂と霊を知覚するための正しい手段となる。
シュタイナー

行、修行・・・
これが、神秘学の行であるという。

いずれにせよ、注意力の問題である。

音が、魂と霊を知覚するための正しい手段となる・・・

手品のような感覚がする。
日本でも、内観法、内省法というものがある。

深い、カウンセリングのようなものである。
それが、魂と霊を知覚するための正しい方法とは、言わない。

相手の気付きを促すものである。
こちらは、単なる、聞き役である。だが、聞き役であるが、その聞き役こそ、存在感のあるものになる。

厳格な自己鍛錬が必要である、と、シュタイナーが言うが、当然である。
相手の言葉を、否定も肯定もせず、聴くという、行為は、実に難しい。
こちらの感情を殺すのである。

霊界参入のための、修行である。

それほどに、生きている間に、霊界参入の行をするという、神秘学、シュタイナーの教えである。

そこで、
新しい聴覚が魂の中から生じてくる。耳には聞えず、物質音では表せぬ霊界からの知らせが「聴ける」ようになる。「内なる言葉」のための知覚能力が目覚め、霊界が次々と真実を打ち明けはじめる。
シュタイナー
と、なる。

すべて高次の真実はこのような「内なる語りかけ」を通して獲得される。
シュタイナー

その真偽は、誰が承認するのか・・・
内なる語りかけを、誰が認めるのか・・・

シュタイナーが生存している間はよいが、その後は、その弟子達によって、承認されるのか。

内なる語りかけが、妄想の場合は・・・どうする
そのような、行をして、その気になってしまったら・・・

実に、問題が多いのである。

そして他の手段をすべて用いたとしても、神秘学の教義を受け容れなかったなら、決して目標は達成されえない。
シュタイナー

ということは、宗教の教義と同じである。

神秘学の教義・・・
それは、シュタイナーを信じるということである。

そうすると、最初から、信じる、信じない、という、判断に行く。

シュタイナーから、色々な、科目が出来た。
例えば、シュタイナー教育・・・

勿論、神秘学、人智学・・・
それは、教義なるのである。

キリスト教、禅宗などにも、このような、訓練がある。
特に、瞑想、黙想などの盛んな宗教には、付き物である。

そこには、思い込みが、付きまとう。
それを冷静に判断するだけの、心の包容力が試されるはずだ。

霊界、霊学とは、この世の、延長線にある。
断絶されているものではない。

更に、次元が違う。
次元の違いを、行によって、補うという、考え方と、理解する。
だが・・・

実に、危険である。
何故か・・・
通常の生活の中で、シュタイナーの言う行をして、人生を深く味わう、人生をよりよく生きるのであり、霊界参入とは、関係ないのである。

そして、何故、霊界に参入しなければならないのか。
来世にて、するべきことを、現世にて、行なう。
その必要は無い。

そこに、私の霊学と、シュタイナーの霊学の相違がある。

勿論、シュタイナーの霊界も見ることにするが・・・

ここで、シュタイナーを信じてしまい、それを最も有効な方法だと、思い込むと、宗教の蒙昧と同じようになる。

勿論、私は、否定も肯定もしない。
霊学というものを、説明するために、シュタイナーを取り上げている。




posted by 天山 at 07:09| 霊学3 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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